第三話 「ウチはひとりで生きていくねん」 2
山岸が運転する営業車が停車したのは、朱莉のマンションから街の中心部を突き抜けた対角にある住宅街だった。ちょっとした高台で海まで歩いて行けるほどのロケーションはまるで青春映画のロケ地のようでもある。
ほぼ南面に面したひな壇の住宅街は、そこらじゅうが坂道でやや勾配もきつい。足を悪くした年寄りなどが長く住んだ家を手放して、市街のマンションなどに移り住むケースが増えているといい、不便を感じることもある、特にこの物件だけが無茶苦茶安いというわけではない、古い住宅なので修繕は必至、などと山岸は物件の短所をあげつらう。
目当ての物件がそこまでというところまで来ていて、じゃあやめます、などと言う人間は普通はいない。
このテクニックは、むしろ短所を告げられることで沸く物件への興味と、自身の目で見て意思決定をするという充足感と、ちゃんと説明しているという営業マン自身の誠実さを担保することになる。
飛騨はまんまとこの手に誘導されている。
「私こう見えても大工仕事とか好きですから! 原状復帰は前の職場でもやってましたからね!」と、力こぶを作る。職業とは時に人を冷徹にさせるのだろう。
ともかく、ひな壇に整然と並ぶ周囲の住宅地とは一線を画す広大な土地だけを見ても、無茶苦茶安いと言っていいにきまっている、と朱莉は手元のスマートフォンで土地相場を調べてみて思う。
だが、ツッコミどころはそこではないのだ。事故物件専門の不動産屋の営業マンが推しまくりということは、やはりこの物件も相当な問題物件だと予想せざるを得ない。おそらくは朱莉の部屋とは少し事情が違う問題がある。
住宅街のある丘陵の南西面はここ二十年ほどの間に整備された分譲地で、南東面は古くからある集落が発展したもののようで、目指す屋敷はそのちょうど中間にある。
所謂地元で“お化け屋敷”と揶揄されそうな佇まいで、手入れのされていない漆喰の壁はところどころが剥がれ落ちていて、すでに不気味な雰囲気を醸し出している。正面の木造の立派な門は固く閉じられており、日本庭園とやらは外からは確認できないが、この様子だと雑草でとんでもないことになっているのではないだろうか。
解錠した山岸を先頭にして飛騨、朱莉と続いて屋敷の門をくぐる。
その瞬間朱莉の周りで花火が爆ぜたような音があちこちで鳴る。鞠が低級な雑霊を払っているのだ。前の二人にそれは聞こえない。
壁に囲まれ門まで閉じていれば、自ずと念がたまりやすくはなる。霊の存在というのは湿気に似ており、やはりじめじめとした場所を好むことが多く、したがって風通しの悪い建物などには意味もなく霊が集まることがある。門を開けた瞬間に飛び出してきた雑霊もその類だろう。
昔から言われているような“生暖かい湿った風が吹く” といった幽霊の常套句はあながちでたらめではなく、屋敷の敷地内はむっとした空気に支配されていた。手入れする者のいない日本庭園はもはや雑草に埋もれて跡形もない。
「あーこりゃあすごいですね」山岸は雑草をかき分けかき分け玄関へと進む。
「廃墟探訪ですよ」朱莉がけだるそうに言うが、飛騨は「ま、雑草なんか一年も放置したらすぐこんなことになるしねぇ」と気にしていないようだ。
鞠はというと(人が住んでなかった場所ってなら理解できる範囲の穢れ具合よね)とこちらも問題はない。
朱莉の目にも人の原形を保っているような霊体の姿は見当たらない。もしかしてこれは当たり物件かと、飛騨が羨ましく思えてきた。
二間以上もある広い玄関框はさぞ高級そうな木材が使われており、板の間もうっすらと埃は被っているもののさほど痛んでいる様子はない。山岸は用意してきたスリッパを三人分取り出すとどうぞと勧めてくる。
物件案内なら当然ではあるが、この山岸にして意外に気が利くのだなと朱莉は思う。飛騨のノリの良さが影響しているのだろうか。
「へぇ、いいやん、こんな物件が手つかずで売れへんって信じられんなぁ」
確かに言っていた通り、寺院のように建材は天然素材の良いものを使っている。昔ながらの日本家屋、こだわりのある大工が丹精込めて建てた逸品だとおもえる。
「まあ、人の印象ってそういうもんですよ。更地になっていれば即売れだったんでしょうけど、解体費用もバカにはなりませんし、これほどの立派な家を壊してしまうのももったいないですし」
山岸は先に入って襖、障子を開き、外に面した窓を次々と開いてゆく。贅沢に土地を取っている分、風通しはよく、日当りも四面採光で、立ち入った時薄暗い雰囲気だった室内はパッと明るく映る。もはやお化け屋敷の雰囲気は消えている。
飛騨は山岸に付き添われながら部屋を順繰りに回っていた。朱莉は朱莉で独自に部屋の隅々をチェックしてみるも、やはり外に居た雑霊の類しか見当たらない。
(鞠さん、この家いいねぇ)
(そおね、でもこの家随分古いわよ。何度も直されているみたい)
(え? 築年数は三十年くらいって聞いたけどなぁ……)
(ううん、数百年は経ってるんじゃないかしら。木は念を吸収しやすいから、建物の履歴を辿るときは柱に触れるとよくわかるのよね、まあ、当時何があったかなんて内容までは解らないんだけど)
(ええ? 江戸時代とかからあった建物とは思えないけどな)
(江戸時代とは限らないわよ、もっと――)
「あかりぃー!」
飛騨の呼ぶ声がする。何かと思って向かってみれば、庭にL字型に面した広縁が素敵だとのことだ。
「お気に召しましたか?」山岸は手ごたえを感じているのだろう、飛騨に対して媚びるような雰囲気は一切消え、むしろ売ってやってもいいんだぜ、的な自信がにじみ出ている。怪異の類は確かにいない。だがここは朱莉のマンションと違い前住人がもとの持ち主のままで、以降誰も住んだ履歴がない。
植丸不動産としてはおそらく、朱莉の部屋のように恒常的に怪奇現象が起きることを確認していないはずだ。だとすると事件の方が問題なのかと、こっそりと山岸に問う。
ここは市外に住む大金持ちの別宅であったそうだが、一年前まで、主にはその愛人が管理人の名目で住んでいたらしい。オーナーの男性は愛人の女性との逢瀬によくここを使用していたのだというが、ある日その愛人がばらばらの死体となって殺害されたという。
聞けばなかなかに凄惨な現場だったようで、痴情のもつれの線からオーナーも疑われはしたが、当時本人は海外におりアリバイが成立、完全な密室殺人で何の手がかりもなく事件は迷宮入りとなっている。
植丸不動産は元オーナーがショックのあまり、急いで物件を手放したいと申し出たのを買い叩いたという。
これは噂ではあるが、という前置きをして、山岸は慎重に朱莉に告げる。
「遺体は脚も腕も関節ごとに完全にバラバラにされててですね、発見されたときそれぞれの部位ごとに綺麗に床に並べられてたそうです。内臓まで全部……」
「うわあっ、猟奇的……よく公にならなかったですね」
「いつもの報道規制ですよ、地元の名士ですからね。ただ……」山岸は一層声を落として言う「頭が見つかってないんです」と。
「アタマだけが?」
「警察は犯人か何某かが持ち去ったんじゃないかって、まあ散々探して見つからなかった結論がそれです」
「つーか、なんであたしに小声でそんな気分悪いこと教えるのよ」
「いや、まあ、周防さんなら耐性あるのかなって……だってあの部屋住んでるんでしょ? 問題なく? どうもないですか?」
「どうって……別に機嫌よく住んでますよ? なにか問題でも?」涼しい顔をして華麗にスルーしてみせた。
コソコソと話をしているのに飛騨が気づき興味深そうに近づいてくるのを山岸は見て取り「――ああ! そうですかそうですか、それはよかった」と、無理やり笑顔を作りながらも、山岸は明らかに驚いていた。その声色は信じられないと語っている。わざとらしいにもほどがある。
「ええ、良い物件ですよぉ――ねえ飛騨さん!」
「ああ、朱莉の部屋の事? あれはお得物件やわなぁ」
以前トーコから、あの部屋を維持するために山岸を利用していると、植丸不動産もトーコの起こす怪奇現象を当てにして効率的に収益を上げている共依存関係にあると、そのようなからくりを聴いて植丸不動産の手口には得心していた。
トーコが朱莉を魔王だと信じてからは、当然朱莉の言うことに逆らうことはせず、怪奇現象だって起こすことはなかった。だから至極平和に、時には面白おかしくさえ過ごせてきたのだ。
そのことをわざわざ植丸不動産に報告する義務もなければ義理もない。このまま激安の家賃のまま居座ってやろうという腹づもりは朱莉の中にあった。
「……なんか怒ってたりします?」飛騨が離れたのを見越して再び山岸が耳打ちしてくる。
「ええ? 怒ってなんかいませんよ、今までの前住人の方々は幻覚でも見られたんじゃないんですかねぇ、あははは」
乾いた笑いと共に、ざまみろ、この私を欺こうなどと考えた愚か者め。私はどかないからな。と朱莉が状況とは裏腹に黒い嗤いを顔に浮かべざるを得なかったのは、前住人の情報を出し渋った山岸の行為と、植丸不動産の設定した契約内容を理解するが故である。解約して部屋を出る違約金の支払い能力はなかったから、自力で頑張ったなどと言いたくはなかった。
「はぁ、それならいいんですが……」と、山岸は首を傾げた。
そんな山岸の背中にはすでに二三の浮遊霊が寄り添っている。なるほどこういった場に出入りするたびに連れ帰ったものがあの不動産屋の店舗内に居ついてしまったというわけだ。どうやら山岸自身が不感症でも霊からは好かれる体質らしい。
「山岸さん、この家納戸があるって書いていますけど、どこなんでしょうか?」
飛騨が平面図をひらひらさせながら問うてきた。山岸はそれを見て一寸考え込み、朱莉も確認してみる。
言われてみれば部屋の中心付近に納戸と書かれた浴室かトイレほどのスペースはある。しかしそこへアクセスするための扉はどの部屋にも廊下にも存在しない。
「あっれ? すみません、これ平面図の記載間違いかもしれません。納戸はないですよねぇ?」
「あ、そうなんですか。でもまあこれだけ広ければ物置に困ることもありませんし、間違いならそれはそれでいいんです、4LDKってことですね」
「あはは、そういうことですね」
いい加減なものだなと、朱莉は二人に気づかれないようため息をついて、飛騨に寄りかかっている浮遊霊を睨みつけて払ってやる。
どれほど凄惨な殺人現場であったとしても、ここに居る浮遊霊や雑霊はどこにでもいるありきたりなものばかりだ。浮遊霊と言う名のごとく、特に拠り所を求めていない霊体のことを指すのだが、ここには死んだ者の霊もあれば生きている者の霊、すなわち生霊も含まれる。
多くは残念していないため、はっきりした主張もなく、行動に一貫性もなく、朱莉のような霊感応力者でも半透明か透明に近い人形でしか見えない。彼らは自分が死んだことに気付けなかった者や、死んでなお一時的な気の迷いで道を外した霊が他意なくさまよった結果で発生するもので、いずれなり本人が気づけば天上霊界へと呼ばれるため、放っておいてもほぼ問題はない。
稀に成仏した霊体の一部が切れてしまい、断片が現世に居残ったり、生きている者が恋愛や怨恨など強力な念で生み出してしまう生霊が、本人の問題解決とともに行き場を失い、浮遊してしまうことがある。これが雑霊と言われるもので、たいていは定形を持っていないか、虫や獣の類を模していたりする。
これらがひどく凝り固まったものが『妖怪変化』や『怪異体』といった物で、人間の想像力によって生み出される“魂格をもたない霊体”の昔からいる、ありふれた一つの形である。
(雑霊の類の多さは気になるけど、まあ時間がたてば消えるから大丈夫かなぁ)
朱莉は霊視の結果から楽天的な結論に至っていた。
(たしかに、疑う余地はないかも。私も何も感じないし――問題ないかもね)
上級霊の鞠が言うならお墨付きだと、朱莉も肩の荷が下りる気がした。




