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3 飛騨汐里 Here I Go Again

 今日も向かいの学生寮では奇声をあげて若い連中が走り回っている。


 飛騨汐里はカーテンの隅間から一寸覗くとすぐに興味を失って、服を脱ぎ始めた。


 今日は疲れた。


 葬儀であんな騒ぎが起きることなどめったとないことだが、それがよりにもよって新入社員の一言から始まったのだ。自分の教育不足だと詰められても返す言葉がなかった。


 あの周防朱莉という新入社員に対しては自分なりに厳しく指導しているつもりだ。


 かつて自分も十七から看護の世界でもまれ、先輩やドクターからの一連の洗礼は受け、続く後輩たちにも同じようにしてきた。同性であるが故のドロドロとした思惑が渦巻く職場でやり抜くには相応の精神力が必要とされる。


 朱莉にはまだそのあたりの、組織に属するという意識が低い。


 私情を挟むなと何度も注意してきた。仕事中に疑問を挟むな、きめられたことはこなせ、それが出来てからなおかつ余裕があれば、自分なりの親切心や施しもよかろうが、満足に仕事もできない者が自分のこだわりなど持つものではない。ましてや上司の言うことに反論反発するなど言語道断だ。


 世の若者というのは得てして権利をはき違えていると、飛騨は常々思う。


 権利とは、一定の利益を主張または享受することを法により認められた地位、あるいは、他人に対し一定の行為・不作為を求めることができる地位のことをいう。


 この場合における地位というのが何を指しているのか、ということを学生上がりの者はなかなかに理解できない。なぜなら学生はその大学に所属していることだけで地位があると考えることができるからだ。


 それが保護者や組織の庇護下で成されたものだと勘案することなく、実力で勝ち抜き進学したのだから、と選民意識を芽生えさせる。また、学生の権利などという言葉は学内における青少年のミニマムな権利でしかなく、それはおまけのような自治権である。あるいは架空経済に支えられた疑似的法治国家と言ってもよい。実体などないのだ。


 権利を主張できる地位を得られるのは本来的に義務を果たした者だけである。もっと言えば給金を得る権利ですら、仕事が一定以上こなせることを前提としなければならない。新入社員が一か月目からして給料を得られるなどというのは実務に対する対価ではなくて、あくまで期待値に対する先払いであり、新入社員はそこを勘違いしてはいけない。そして思い上がってはいけないのだ。


 とはいえ自分もそんな時期があったればこそ、このような思いにも至るのであって、今になってことさら説教ぶるのは卑怯というものである。


 飛騨は冷蔵庫を開けると缶ビールを手に、狭苦しい六畳間を見渡す。


 あの年端もいかない後輩が高級マンションに住み、自分は1K六畳一間のあばら家に住んでいるというのはいささかバランスが悪い、と口をとがらせる。


 一人で生きてゆくと決めるにはまだ早いかもしれないが、貯蓄は確実に行っている。二十二の時、正看護師の資格を取得し、准看から世話になった古巣を出てもっと大きな病院に就職しようと思った。

就職は地元の大阪でも十分可能だったが、関東一円を占めるAUNグループ内の、企業立て病院という響きに興味を持った。


 なんの能力も持たないひよっこが将来の展開性にそろばんをはじいたのだ。


 今後急増するとみられる医療と介護の必要性、ひいては子育てから教育様々な社会福祉事業への参入を積極的に行い、包括的に一つの企業が請け負う事業形態に、一人の看護師の卵としてだけではなく興味がわいた。


 悪意のあるものはAUNグループのことを『阿吽教』などと揶揄するが、飛騨自身は行政の仕組みが福祉の妨げになっているというなら純然たる商売として、事業として、人の生活や人生をプロデュースするような企業姿勢は合理的だと思う。


 国の社会保障は最低限の国民生活を維持できることを目指してはいるが、それらへの負担は年々増え続けている。そして中高年期を迎えるとにわかに意識をしだす年金問題にしても、破たんの一歩手前で何とか体裁を保っているといった現状だ。


 保障、保険、年金、これらを当てにできないまま掛け金だけが毎月の給料から自動的に差し引かれ、諦めと不満と不安を口にし、もはや安心して通常生活が営めない社会であるなら、一切の社会保障をAUNという企業が責任をもって最期まで見届ける、というシステムに人は安心感を得るのではないだろうか。


 無論AUNが端々で言われるような囲い込み宗教の体をとっているわけではない。AUNホールディングスはグループ傘下に多数の子会社を持つ総合企業であり、巨大資本に集まる社会福祉事業の需要を供給先へと割り振る総合プロデュース事業をメインとしている。いわば行政の行うべき社会福祉部門の民間代行業といえる。


 企業体裁はさておいても、ここ十年でAUNグループの規模はM&Aを繰り返し、二十倍にも膨れ上がるという急成長を遂げ、もはやAUNの構築したシステムが三十年後の日本の社会保障制度を支えるとまで言われる始末である。


 飛騨などの末端社員からすれば、正直なところ規模が大きすぎて理解しがたい話だったが何より自身らの顧客、すなわち患者やその家族たちが何の憂いもなく、治療や看護や介護に集中できるということが最も重要で、現場で働く者たちの懸念材料、すなわち病院運営にまつわる金銭の問題を極力軽減してくれている巨大企業立て体制はありがたいといえた。


 やがて実務経験を積み上げ中核の看護師主任となった飛騨は、ある外科医と口論になった。公の場ではないが、医療関係者が口にするのを憚るようなおぞましいドクターの言葉に対して飛騨が反発したのだ。


「うちで治療できないならできないでいいんだよ、傘下のリハビリテーション施設があるだろ。さらには介護施設だってあるし、何ならその先に葬儀施設だってあるんだ」


「は? 今なんとおっしゃいました? それは手を抜いても構わないと聞こえますが?」


「たとえば、だよ。どこをどう切り取ったって患者が路頭に迷うことなんてないんだよ、AUNうちに関わっている限り居場所はある、収まるべき場所はある、社会から弱者がつまはじきにされないシステムの構築、それがAUNの理念だろ」


「しかし、それと現場で私たちが最大限努力しないこととは無関係です。私たちは職務として患者を限りなく全快に近い状態に回復させる医術を行使する義務があります。そして患者はそれを享受する権利を有します」


「あのねぇ、飛騨君、その権利は結局コレだよ?」


 肘掛椅子に座り足を組んで鷹揚な態度をとるドクターは右手で親指と人差し指で円を作って掌に載せるしぐさをする。


「対価はいただいているはずですが?」


「病院としてではなく、私への対価だよ。私の技術が患者を救うというならそれに対して異を唱えるつもりはない。ただ高レベルの医療行為を受けるとなれば資本社会では患者は相応の対価を支払い施術者は相応の報酬を得る、それが当然だろう」


「――いまさら何をおっしゃっているのですか。患者の貴賤に関わらず最高水準かつ最良の医療を提供できる病院の姿こそが私たちAUN病院が目指したものだったはずです。ここに居る我々はその理念に共感し、医療現場という特別かつ特殊性に甘んじることなく純粋に医療に携わりたいと願ってこの病院を選んだのですよ。あなたの考え方はAUNの理念を否定し、過去の医療体制へと逆行する叛逆です」


 これに激高したドクターは飛騨に手をあげ、一時医局内は騒然とし、職員が総出で二人を止めに入った。


 表向きは当該ドクターは米国の医療施設からオファーがあり、渡米したということにはなっているが、実のところ聞き取り調査をした人事査察部の一言で解雇とされたのだという。もともと腕のいい外科医であったため、AUN病院としても手放したくない人材ではあったが、彼個人の患者を軽視する思想に関しては、到底受け入れることのできないものであると強く非難した。


 その責任の一端を握らされた訳ではないが、院内に居づらいだろうと、人事査察部はほとぼりが冷めるまで飛騨に異動を命じた。


 正直なところ、このころの飛騨は疲れていた。他の仕事をやってみるのもよいかと考える節はあった。数か月グループ内の介護施設や、障碍者支援施設を転々とし、その結果、約二年前に落ちついたのが今のセレモニーホール『天華会館』である。

 

 朱莉のように、会葬者に対して涙を流したり、怒ったり、感情を露わにして職務に打ち込む姿はどこか過去の自分と重なる部分があると、懐かしさ半分、昔の看護師時代を思い返してしまうことがある。


 だが、洗面所で時折ぼんやり鏡を見つめていたり、独り言をぶつぶつと言っているあの癖は何とかならないものだろうかと思う。自分が一時所属した心療内科で似たような症例の患者をみてきたが、ひょっとすると彼女にはそういった病前性格があるのではないかと疑うところもあった。


 だがそれはそれだ。仕事の上では同じ職員、そして自分は彼女の先輩である。


 これから先、彼女とぶつかることもあるかもしれない。その時は全力で相手をしてやるつもりだ。


 フライパンを火にかけ油を注ぎ入れながら、廊下をあわただしく走り回る栗色の髪の朱莉の背中を思い起こし、肩をすくめて一人ほほ笑んだ。


第三話テーマ曲は『Here I Go Again』ホワイトスネイクですな。


もうこれはまんまです。「一人で生きていく!」前に進む強さとか使命感とか、そういうのが詰まってます。曲も力強くて元気が出ます。

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