表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/104

第二話 放浪者の狂詩曲 6

 通夜は何事もなく終わり、朱莉も乖離意識体と遭遇せずに済んで胸をなでおろしていた。


 翌日の告別式。故人のすべての遺族と、知人と彼女のクラスメートが全員参列していた。


 昨日と同じ妙玄の読経が流れる中、朱莉は再びその心地よさに目を閉じ、聞き入っていた。宇宙の果てを飛び越えてゆくような音は、透明でありながら高密度でエネルギーに満ちている。どこまでも続く空間のかなたの深遠に投げ出されるような感覚に包まれる。しかし、それでいて孤独を感じない温かみのある声がすぐそばにあることで不安は何もない。例えるなら母の包容力に父の力強さがその読経にはあった。


(くだらないわ)


 声を聴くまいと意識を妙玄の読経に集中させようとした。“彼女”の乖離意識体は棺の上に膝を抱えて座って葬儀の様子を眺めていた。


(みんな形ばっかり。見せかけの感情。ばかみたい)


 二本のおさげにまだ幼い思春期特有の諦観したような目元。自分が女だということをまだ完全に受け入れられていないことが窺える惑う唇。少女はTシャツの上にチェックのシャツを羽織りデニムのミニスカートを穿いている。


 霊体になってしまえば身に着ける衣服は基本的に自由である。死に装束を着ている者はごく少なく、大抵は猪口雅夫のように、生前自分が最も気に入っていたり、こだわりがあった衣服を身に着けていることが多い。


(お坊さんも大変よね、仕事はいえ――いいのよ、無関係なあなたがお経なんてあげなくても。ほおっておいてくれてもあたしはこの世になんてとどまらないわ。どうせお金のためにやってるんでしょ?)


 そこで妙玄の経が一瞬乱れる。


 まさか彼女の声が聞こえるわけでもあるまいと、朱莉は妙玄のほうを見やると、彼は昨日のように微笑みを讃えておらず、額から大量の汗を流していた。


 僧侶とて職業の一つだ。仏事そのものは仕事としてやっている。極論すれば彼女が言うようにお金のために過ぎない。だが時として人はその想いをお金に換算して収めることはある。僧侶はすべからく死者を敬って弔っている、などというのは綺麗ごとだ。


(真面目真面目で生きるなんてばかばかしいのよ、せいせいしたわ)


 中学生の戯言だとは思いながらも、耳障りな言葉だ。ふと部屋に憑いているトーコのことを思い出した。


 彼女らの年代の女の子を一言で表せば傍若無人、とにかく気に入らなければ徹底的に罵倒する、排除する。流動的で利己的で、それでいてロマンチストで臆病で、驚くほど真面目で真剣だ。


 子供から大人になる途上で、人間関係が複雑化するのを感じ様々なことを思い悩む、考える。今となっては笑って済ませられるようなことが世界の滅亡につながったりもする。


 朱莉とてそうであった自分を忘れたわけではない。理解もできる。霊体という非常識な存在を普段から当たり前のように目にしていたとしても、似たような思春期を過ごしてきた。


 あえて彼女と違う部分があるとすれば、同じように霊体とも付き合って疲弊して傷ついてきただけだ。その結果、無視して諦めるということを覚えた。


 おいそれと霊が近寄らないように髪を染め、言動を乱した。その結果霊もよらなければ人も寄ってこなくなった。学校では問題児扱いを受け、たびたび親が呼び出された。


 自分の中では不本意だったが、普通でいるためにはその方法が一番だったのだ。


(お姉さん、私が見えるのね?)霊体は直接頭に語り掛けてくる。朱莉も声には出さず彼女に対して思ったことを念話でぶつける。


(自分が死んだのに楽しそうね)


(ええ楽しいわ、いいえ、楽しみだわ)


(死後の世界が?)


(――正直、つかれたの。もう生きてるのとかしんどいし。別に残すものなんてないし、この世に未練なんてないし)


(いじめられてたの?)


(いじめられてなんかない。ただこの世界が嫌になっただけ)


(そんなこと……)


(そんなことあるよ。私には何の特別な才能もない。顔も普通、スタイルもとりわけいいわけでもない。すべてが普通。個性個性って言葉が重圧に思えるほど。だけどこの世は目立つ人ばっかりがもてはやされる。かっこよくてもかっこわるくても、のべつ、まくなし)


 確かに彼女の特徴を五個あげろと言われれば困るかもしれない。どこにでもいそうな普通の女子中学生だ。無難という言葉が似あうと正直思う。


(ほら、お姉さんだって思っている)


 念話したつもりはなかった、表情を読み取られた。


(私が消えたって何も変わらないよ。クラスの人たちも両親も。皮肉だわ、死ぬ時が一番注目されるなんて)


 そう言って彼女は笑う。


 そうだろう、彼女の言うとおりだ。有名人でもない限り死ぬことで初めて注目され、記憶される人がほとんどだろう。皮肉だが事実だ。


(認めてほしかった? 自分の存在を)


 朱莉は細野と一緒にキャスター付きの会葬者用の焼香台を押して、祭壇前に据えながら彼女に問う。


(いいえ、違うわ)


(そりゃそうよね、そんな理由で命を絶つ馬鹿はいないわね)


 馬鹿と言われてか、彼女は一瞬むっと顔をしかめた。そうこうしながらも朱莉は着々と葬儀の司会を進行する。


「ご会葬の皆さま、順次ご焼香をお願いいたします」


(お姉さんにはわからないでしょうけど、私は私を必要としてくれる世界へ生まれ変わるの、そのためにこの世界の人生を終わらせたの、このくだらない世界と決別するために)


(終わらせた? 事故じゃないの?)


自ら死んだの・・・・・・自殺よ。半端に半身不随の意識不明とかにならなくてよかったわ)


 言葉が続かなかった。鬱屈とした言葉が突き刺さり朱莉の中に闇を広げてゆく。


 目の前で会葬者たちの焼香が始まっている。皆一様にこうべを垂れて列をなしている。中にはハンカチを手にすすり泣く者も多かった。若くして亡くなったことへの悔恨の情は並々ならぬものだろう。


(ふん、みんな雰囲気に流されてるだけよ、本当の悲しみなんて私にしかわからない)


 朱莉は厳しい目で棺の上に座る少女を睨む。


(じゃあ、あんたは悲しいの?)


 少女はそんな朱莉の視線を避けるように顔を背けている。



「智子ちゃんが死んだのはあたじのぜいなのよぉお!」


 一人の女子生徒が突然焼香台の前で崩れ落ちた。


 その子に続いて私も、わたしもと三人が立て続けに泣きだした。


 どういうことだと朱莉は彼女らを立ち上がらせながら、少女の方を見る。


(そいつらは別になんもしてないわよ、死んだのは私の勝手。ばっかじゃない!)


「あたじたちが、智子のことをもっと見ていてあげたらぁあ――――」あとはもう意味をなさない言葉だった。


(ばーか、ばーか! 泣け! そうやって勝手に罪を背負って生きてろ!)


(ちょっとあんた、いくら声が聞こえないからって――)感情がせりあがり、声に出しそうになった。


「あれは不幸な事故だったの、あなたたちのせいじゃないのよ」三人の女子生徒を諭すように少女の母親が彼女らを抱きしめる。


(不幸な事故……って。――ふん、あんた達にはよくできるお姉ちゃんがいればそれでよかったのよ、私なんていなくてもあんた達は幸せだったもんね)


 少女の姉と思われる女の子は母親にすがりながら涙を目に溜めていた。


(子が死んでも平気な親なんている訳ないじゃない!)


 彼女の事情など知らないし興味もない。ただ黙らせたかった。それだけだ。


(なによ! ちょっと大人だからって偉そうに! 大人はいつだって何も知らないくせに、何も知らなかったくせに、終わってから口出しするのよ。あの時あたしがどんな気持ちだったかなんて誰も考えなかった。いつも勉強もスポーツも出来るお姉ちゃんと比較されてダメだって、頑張れって、にげちゃだめだって、強くならなきゃダメだって。これはあたしの復讐なのよ――みんな懺悔したらいいわ、このろくでもない世界のあたしの記憶と共にね)


「あ……甘ったれるな!」


 叫んでいた。感情に任せて握り拳まで作って。このままじゃ彼女は生まれ変わるどころか成仏も出来ずに“自縛”する。


 この式場の喧騒をしばし静観していた妙玄だったが、朱莉の声に読経を止め、朱塗りの曲録きょくろくをガタンと倒し立ち上がる。


 すぐに飛騨が飛び込んできて腕を引っ張られる。


「何言ってんのやあんた、寝ボケてんか!」


 職員が取り繕うにも、この流れでは朱莉が泣き崩れる生徒たちに対して叱咤したようにしか見えなかった。


「どういうことだ、あの司会者は何のつもりだ!」式場のそこここから怒声が響く。申し訳ございません、失礼いたしましたと平謝りする如月館長が場を鎮めるため駆け回るも、騒ぎは波及して秩序を失ってゆく。


 葬儀という儀式へ向けられた会葬者の精神的エネルギーは向かうべき極点を失い、一気に散逸する。故人と自身らに対しての悲しみ、憤り、悔恨、無念、後悔、それらの感情が転じて憤怒と倦厭けんえんの情となり無秩序を形成してゆく。


 飛騨に壁際に連れて行かれながら朱莉は妙玄へと視線を投げかけた。場を乱してしまった事への謝意を向けたつもりだったのだが、驚いたことに彼はそれを受取り、小さく頷きごく僅かに微笑んだ。


 妙玄は一度思い切り銅鑼どらを打ち鳴らした。


 飛び交う会葬者たちの意識が銅鑼の振動波に同調させられ、一瞬のうちに式場内は静まり返った。


 本来銅鑼は式の始まりと終わりに打ち鳴らすものである。このような手段に用いるべきでない事は明白だ。そしてまだ喪主の謝辞も終わってはいない。


「私のお経よりも、皆様とのお話のほうが故人にとって必要な事のようですね」そう言って祭壇のあたり、彼女が立っている場所に視線を流した。


「あなたの、声を聴かせてください。私には見えませんが、あなたと“彼女”とのお話は先ほどから聞こえておりました」そう言って朱莉の方をちらと向く。


(盗み聞き? いやらしいお坊さんね)


 妙玄は息をふっと吐くと、髪をくしゃくしゃと掻いて崩した。そして棺の前にどかりと胡坐をかいて座った。


「おい! どういうことだ! まだ喪主の挨拶も済んでないんだぞ!」親族の一人だろう、顔を真っ赤にした中年男性が妙玄に向かって怒鳴った。


 妙玄はちらと男性を振り返ると「すんませんね、ちょっとばかし彼女と話がありますんで、静かにしといてもらえませんかね?」と、さっきまでの神妙な顔つきとは一転して、そこいらに居る年相応の若者のような喋り方をした。礼儀も作法もない。


 無論これに男性が黙っているはずがない。


「なんだとぉ? お前それでも坊主か! 何様のつもりだ! 坊主は念仏唱え終わったならさっさと帰りやがれ! ここは私たちの葬儀の場だ!」


「死者の魂を無事に見送ることが私の務めですが?」


 妙玄は付加疑問形を使い、わざわざ男性を怒らせるような言い方をした。


「そっ、葬儀を滅茶苦茶にしておいて何を言うか、そもそもここの職員だってどうなってるんだ!」


 男性の中では会葬者を含めた遺族と天華会館側という二律構図になっている。会館側にこの妙玄も不本意ながら組み込まれたらしい。


「おいおい、そりゃあこっちの台詞だ。これ以上葬儀を壊すようなことをすればこの子は成仏できなくなるんだぜ? 彼女はあんたたちの薄っぺらい感情を見透かしてんだ――これ以上醜態晒すんじゃねぇ!」


 妙玄の読経の調子を出していた、腹の底から湧き出るような大質量の一喝に男性は身を引き押し黙るしかなかった。


 朱莉はこの妙玄の行動に驚き、棺の上をみやると、何と彼女は棺を降りて妙玄に向き正座していた。朱莉は妙玄と目が合うと、そこに、と指さし彼女の位置を示した。妙玄ははにかみ、朱莉の行動に、ありがとうの意図を込めた視線を送った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ