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第二話 放浪者の狂詩曲 5

今回よりタイトル変更させていただきました。

(おはようございます、シュリ様。朝でございます)


 今日も下僕は従順だ。しかもそれでいて料理が上手い。飛騨も料理は上手かったが、こちらも中学二年生のくせに負けず劣らずで実に助かる。ただ地縛霊故に買い物だけは朱莉がいかねばならないのが玉に瑕だ。


 さわやかな日曜、梅雨の中日で外は晴れ渡っていたが、あいにく今日も出勤だ。


 それにしても人ならざるものを使役するなど、まるで陰陽師のようだとほくそ笑む。


(朱莉ちゃん、いつまでこんなの続ける気?)


 洗面台で歯を磨く朱莉の鏡越しの背後で、呆れた顔を浮かべる鞠がいた。


(いつまでって、ずっとだよ。これ続けなきゃあたしが殺される)


 キッチンの方で食器の片づけをするトーコに気づかれないよう、念話で鞠と会話をする。


(そんなことじゃいつまで経っても自立って言いません。少しは自分で家事をする努力しないと)


(うっさいなぁ、あたしはあたしで仕事してるんだから、家に居てるトーコが家事をするのは当然じゃない? 朝はあたしより先に起きてご飯作る、昼間は掃除に洗濯、家に帰るころには風呂を沸かして晩御飯用意しておく!)


(何その関白宣言!? ちょっと仕事で給料もらえたからって偉そうに!)


(だってそうでしょ? ここはあたしのウチであいつを住ませてやってるのよ? 誰のおかげで生活できてるんだってぇの!)


(でたぁ! 伝家の宝刀と信じて錆び鉄引っ張り出してきちゃったよ、この昭和亭主!)


(誰が昭和亭主か! これでもれっきとした平成生まれだよっ! 鞠さんだって昔の人ならそういう感覚で男と付き合ってたでしょうに、三歩下がってなんとやら、とか)


(おあいにくさま。私はリベラルな女性ですので、男に翻弄されるような人生は歩んでおりませんの)


(あーあ、さいですかー)


 鞠がトーコの肩を持つような発言をしたのが気に食わなかった。仏頂面で洗面所を出てトーコを睨みつけると、乱暴に床に置いた鞄を引き上げて玄関へと向かう。慌ててトーコが駆け寄り三つ指をついて見送るも、一瞥もせず廊下へ飛び出して行った。




 慣れたとはいえ仕事で上手くいかないことはあった。まだ就業して一ヶ月弱だ、ミスもすれば知識不足で一人では満足に出来ない事も多くある。先輩の飛騨とはプライベートでは仲良くしてもらっていても、仕事の上では容赦なく叱咤される。


 自分が思っているより出来ているなどと己惚れているわけではない。だが毎日のように故人である意識体と顔を合わせ、彼らに家族への思いを聴かされ、時には愚痴や嘆きを聴かされ、辟易していた。ずうずうしいのになると体を貸してくれなどと言う者までいる。


 こんなところに居て、心穏やかでいろという方が無理な話だ、などと泣き言を言いたくなることもある。


「まいったよ」


 搬送当番である細野が頭を掻きながら事務所に戻ってきた。


「おつかれさまです」


 搬送当番というのは葬儀社における遺体を運ぶ役目を請け負う者のことである。天華会館では大体男性が持ち回りでこれを担当している。


 病院から自宅、あるいは死亡現場から病院や霊安室など、遺族以外で初期段階に遺体に触れるセクションであり、精神的にも体力的にもきつい仕事である。まして自殺や殺人、不審死や孤独死などの現場はこの上ない負担を強いられる。


「細野さん大丈夫ですか? だいぶ顔色悪いですよ」


 わかってはいても、朱莉はいつも以上に憔悴している細野にお茶を差し出す手前、訊いてしまう。


「ああ、ありがとう。ちょっとね、今回ばかりはね――きついわ」細野が言うのも、自分の娘と同い年の十五歳の少女がトラックに轢かれて即死だという。


 ドライバーの話では突然飛び出してきたとの証言もあり、飛び込み自殺ではないかともささやかれているが、成績も問題なく友達も多い、自殺をするような動機は思い当たらないと家族は話している。しかしそれは本人のみぞ知ることだ。


 細野はもともとの心配性の気も手伝ってのことだろう、自分の娘もあんな風に誰にも相談できないで悩んでいたとしたら、などと考えてしまったらしい。


 人の死の因果を知らずに済まそうにも、耳に入ってきてしまうのがこの仕事だ。朱莉も彼らも故人がこの世から昇天するまで、遺族を見守らなくてはいけないだけに、心を強く保たねば感情に飲まれてしまう事もある。


 特にこういった若くで亡くなったケースは、事件や事故であることが多いだけに、遺族の思う所の波のうねりが大きく、始末が悪いという。


 館長の如月からは、皆にいつもより細心の注意を払って対応を心がけるようにと通達され、昼からめいめいが通夜の準備にとりかかることになった。誰もが黙々と動き出し、遺族と打ち合わせを始める男性職員の城崎はエントランスのほうに駆けてゆく。デリケートな作業である納棺を行う飛騨も顔は緊張でこわばっているようにみえ、一切の表情を見せずに自分の準備に向かってゆく。


 朱莉は葬儀花のセッティングのために訪れた石嶺園芸の職員の対応にあたる。県下でも老舗の葬儀花業者で、この地域の葬儀一円はだいたいが石嶺が執り仕切っている。そのためもうすっかり配達の従業員とは馴染みになってしまっていた。


「毎度、周防ちゃん。今日も蒸しあついねぇ」こちらはいつもと変わらず笑顔すら見せる。裏方では淡々としたものである。葬儀に携わる仕事だからといって、いつでも表情を固めているわけではない。


「ご苦労様です。あ東野さん、この前お土産ありがとうございました。美味しくいただきましたよ、田舎九州なんですか?」


「うん、おふくろの体の具合もあんまりだったから、少し早めに休みもらってね――とはいえもう九十九だし、いくばくって感じではあるんだけど」


 石嶺園芸に長年勤める東野という初老の男性の顔に悲壮感はない。彼くらいになれば、さすがに実母の具合にいちいち一喜一憂することもなくなるという。


「ここまでくりゃ百まで生きて大往生ってので締めくくってくれりゃそれでいいよ」と笑う。さすがに一緒になって笑う訳にはいかなかったが、確かに故人の年齢というのは遺族の感情に大きな影響を与えると思わされる。


「それはそうと、小耳にはさんだけど、故人さん若いんだって?」転じて深刻な顔を作り東野は祭壇の花を下ろしながら朱莉に問いかける。


「ええ、中はちょっとピリピリしてますから――」遺族側のプライバシーにもかかわるため、おいそれと職員の朱莉が話すわけにもいかないので、婉曲的にそれを表現して、理解を求めた。


 やはり今日も今日とて個人の霊体と対面することになるかもしれない。そんなとき朱莉はどういうふうに彼女と接すればいいのか、考えると気が重かった。


 そういえば家に居る地縛霊のトーコも死亡した歳は十四くらいだったのだ。今まで彼女の反乱を抑える為ハッタリをかまし、使役することで制御しかしておらず、彼女の事情をこちらから聞くことは一切なかった。


 関係がないといえば関係がない、知らなくてもいい事だった。警察関係者や遺族や犯罪心理学者ならぜひとも彼女の弁明を聞きたいところだろうが、朱莉が自分のことを魔界のなんとやらだと騙っている以上、悪事に対して肯定的にコメントをしなければいけなくなるという、胸糞の悪い結果になることは目に見えている。


 とりあえず、故人との接触・・・・・・は避けられるものなら避けようという方針を固め、司会進行の打ち合わせに朱莉は遺族控室の方に向かった。


「導師入堂でございます。皆様、合掌にてお迎えください」


 葬儀差定そうぎさじょうに従い朱莉はマイクに向かい、ややトーンを落としゆっくりと落ち着いた口調で会式の言葉を会場に告げる。もう慣れたものだ。


 続いて僧が葬送の辞を述べると、葬儀が始まる。


 通夜の始まる前にちらと見かけはしたが、この“妙玄”という僧侶、明らかに二十代。住職とは聞いていたが若すぎるという程に若い。昼間から故人の歳のことで印象がどうだとか言っていたが、こちらもやはり歳で印象は随分変わるのではないかと思う。


 若いからダメだというつもりはないが、僧侶という人に教えを説く職質上、ある程度の年齢の積み重ねがなければ、社会通念上相当と認められにくいだろう。


 実際彼が入堂してきたときも若干のざわつきが会場に漏れていた。おそらくは朱莉とそう変わらない、その若さを見ての感想だ。檀家である以上僧侶は選べない、というか後の付き合いを考えれば喪家が僧を選り好みはしにくいというのが現実だ。


 だがどうして、読経は見事なものだった。経の独特なリズム感と、それを崩さない滑舌と絶妙なアクセント、そして何より耳ではなく胸の奥に響いてくる声量はまるで歌を聴いているかのような心地よさすら覚える。


 こんな読経は今までに聴いたことが無かった。緩急の付け方はさらに独特で、本当に彼は楽し気に歌を歌っているのではないかと、司会の位置から顔を思わず覗きこんでしまった。


 驚いた。


 彼は微笑んでいたのだ。


 剃髪はしておらず、髪はどちらかといえば男としては長いが、櫛を入れた髪を上げて綺麗に後ろへ流しており、厳粛な葬儀の場において礼を失する程ではない。端正な顔立ちから紡がれる静かな笑みは、弥勒菩薩にみられるアルカイックスマイルのように映った。


 経の意味などまるで解らないが、えも言えぬ感動が朱莉を包み込んでいた。こう言っては失礼かもしれないが、大音響のライブハウスで得るグルーヴ感、あの独特な陶酔感にも似ている。だがここは粛々と営まれる通夜で、聞こえてくるのはこの若い僧一人の読経だ。


 時折すすり泣く会葬者の声に我を取り戻し、朱莉は机上の原稿に意識を集中しようとしていた。


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