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第二話 放浪者の狂詩曲 4

 これはまずい。抗しきれなかった自分が悪いのだが、あの部屋に人を招くなどとは思っていなかった。部屋はきれいだ。今朝の悶着があったとはいえ綺麗に片付いている。一見すればセレブのお部屋拝見である。みせて恥ずかしいところなど微塵もないのだが、見えない者がちゃんとおとなしくしているかどうかが心配だった。


 駅からバスに乗り揺られること二〇分、朱莉の住む樋井台は山の手の閑静な住宅街で、多くの隣人が一定以上の収入を得ている別世界の住人である。


 給料を多くもらえる身分であれば自ずと高額物件を手に入れられる、あるいは高い賃料も払うことが出来る。そうすることで人々は知らず住み分けをしている。朱莉の実家は昔からある、ごみごみした湿っぽい下町であった。


「看護師の資格も持ってて、納棺の技術がある飛騨さんなら女性一人でも自立できるほど収入があるんじゃないんですか」


 失礼だとは思いながらも朱莉は飛騨の棲家が釣り合わないと感じて問うてみた。


「ウチな、今の仕事ホンマは嫌で嫌で仕方なかったんやけどな。元居た病院に戻るためにずっと我慢してたんや。確かに看護師やから御遺体に触れるのには慣れてるよ、だからといって納棺師になるつもりなんてなかった。だからいつでも引き払えるような安い物件に住んだんやけどね――」


 言いかける飛騨の言葉に耳を傾けながら降車ボタンを押す。バスが停車し、タラップを降りると山の手特有の清涼な空気が二人を包む。


「――そやけど、故人さんを失って悲しみに暮れてるご遺族が、納棺っていう儀式一つ越えるとぱあっと顔が明るくなるねん。もちろん悲しい事には変わりないねんけどな、その、階段を一段上がるって感じかな。お別れの舞台に昇る準備ができるっていうか。看護師の時は患者さんに相対して、一緒に病気や怪我を克服していきましょうって、医療技術のあるウチらと患者さんが努力して一緒になって、もとの生活に戻れることを目指す訳やん? だから完治した暁に、彼らから感謝の言葉を告げられることが何よりの喜びやった」


 話し続ける飛騨に耳を傾けながら、オートロックの操作盤に向かう。こんなものがなくとも自室には最強の玄関番がいる。そう考えると心強くもあるが、やはり近くの景色のいいカフェでお茶を濁すというのも一興かと思う。


 いや、しかし今日は、今日からはあのポルターガイストもトーコという下僕だ。恐るるに足らない、あの部屋は自分のものだ、自分が主なのだと強く念じてエントランスのゲートを開く。


「――だから、亡くなった人に対して施すってのがイマイチぴんと来なかった訳ぇ。だって彼らに未来はないんやから、ってそう思ってた」朱莉の思惟も知らず、飛騨はエレベーターの中でも話し続ける。


「結局はさ、患者の為、故人の為ってお題目掲げたところで、本当は自分が満たされたいのね。感謝されたい。役に立ちたい、でないとあんな仕事なんてやる意味なんてないって簡単に思える。お金っちゅう対価はもらっていても。――でも本当は役に立って存在を認めてもらって、それを伝えることが出来て、受け取ってくれる人がいて、初めて“あなたがいてくれたことにありがとう”って気持ちが生まれる。そこには主従の関係も雇用の関係もなくて、心からありがとうって、人と人としてありがとうって……ん、まあそんな感じ」


 飛騨の言いたいことは解る。


「今のお仕事も好きなんですね、飛騨さん」


「まあ……嫌いやないかもね」


 だから近々もっといいところに越そうと思う、腰を据えて今の職場でやっていきたいから、とまあ、朱莉の部屋に興味を持ったのはそういった文脈である。


 朱莉は部屋のドアのカードキーを差し込み、飛騨に振り返ると「飛騨さん、ちょっと! 待っててください。あたしがいいって言うまで絶対入らないでくださいね!」


 飛騨は肩をすくめて「突然お邪魔するんやから、そのくらい察しつくわ」と眉を下げ微笑んだ。






 飛騨を廊下に残しドアを慎重に閉め、部屋の中を見渡し「トーコ! トーコはおるか!」と居丈高いたけだかに呼びかける。


(はっはいいい只今! おっお帰りなさいませ、シュリ様! お帰りがこれほどお早いとは、すぐに食事の準備を!」


 声と共に目の前に三つ指をつきお辞儀をしたトーコが現れた。制服の上からフリルのエプロンをつけている。どうやら真面目に留守中の言いつけを守って家事に勤しんでいたらしい。


「いや、かまわぬ。それより今部屋の外に我の友人を招いておる。大切な客人であるからして粗相のないよう貴様には席を外してもらう」


(え、シュリ様のご友人という事は、その方も魔道の……」


「詳しいことは貴様が知るところではない。世を忍ぶ仮の姿であるからして我も貴様の存在を客人に伝えることはせぬ。もし見つかれば後々厄介なことになりかねんからのぉ」と朱莉は下目遣いで不穏な笑みを浮かべる。


(はっはいいい! わたくし、全身全霊をもって気配を消してお客人をお迎えいたします!」とトーコは訳の解らない言葉を並べ、さらにひれ伏し姿を消した。


「さて、と――」我ながら完璧、と満悦の表情を浮かべる。部屋を見渡せば隅から隅まで掃除は行き届いている。


 ――使える。


「飛騨さぁあん、いいですよ入ってきてくださぁい」


 部屋に入っての飛騨の第一声は誇張なしの驚愕という言葉がぴったりだった。


「うわあ、素敵やん! めっちゃええ! すっごい綺麗にしてるなぁ」


「いやあ、一人暮らしですから」


 使えるぞ、下僕グッジョブ。


「しかも角部屋かぁ、テラスひろーい! なあなあ、夏になったらここで花火とかバーベキューできるやん!」


「日がよく当たる所はお気に入りなんです。ペットも飼えるって言ってましたよ、最上階だから気兼ねしなくていいんです」鼻高々である。借り物とはいえ、事故物件とはいえ、我が住処を褒められて嬉しくないはずはない。


「ここにサンクロージャーおいてさぁ、日光浴! 全裸オッケーやん!」


「あはは、ぜんらですかぁ……って全裸?」さすがにそれは思いつかなかった。


「へえ、部屋が三つとLDKか、広いなぁ……おっ風呂すげ! ジェットバス!」


「一人じゃ持て余しますけどね、一室は物置みたいになっちゃってますけど」


 三つの個室のうち窓際の方は寝室と絵を描くときの作業場、もう一方の廊下側の部屋は実は物置ではない。実家から持ってきた大きな鏡が置いてある。そこは鞠の部屋なのだ。


 ホテルのランチでワインを飲んで、互いに緊張感がほぐれていた。職場の先輩後輩という関係性も忘れ、昔からの友人のような気分であれこれと他愛のない話に花を咲かせていた。


 ふと視線を巡らせるも、トーコの気配はこの部屋のどこにもなかった。命令に従って、内覧の時のように隣の部屋か屋上かにでも壁伝いで行っているのだろう。


「南西向きか。ここから夕陽が綺麗に見えるのねぇ」暮れ時、飛騨は缶ビールを飲みながらテラスの柵にもたれかかって夕焼け空を仰いでいた。


「ぷはぁ! サイコー。気持ちいいねぇ。もう七時なのにこんなに明るいんだ……」


「夏至が近いですもんね。あ、飛騨さん、よかったら一緒にご飯たべます?」


「朱莉が作るんか?」


「もっちろんです!」


 腕をまくりエプロンをつける朱莉がキッチンに立っていた。


 これまではトーコのせいで部屋で料理どころではなかった。


 牛丼、ラーメン、コンビニ弁当、ファミレス、うどん、カレー、牛丼、もう飽きた。


 まともに部屋で生活をこなす、衣食住が滞りなく行えること、そんな当たり前がこんなにも素晴らしいことなのだと、朱莉は全身で喜びをかみしめる。


 食費節約のためにテラスで家庭菜園を始める、人から誘われる以外は高カロリーの外食なんてしない。休みの日には料理本を首っ引き、友人を招き料理を振る舞う。日当りのいいリビングには観賞用の植物を飾り、マイナスイオン溢れる自然体を演出したインテリアに。雨の日には心理学の本を読んで学に励み、晴れたならベッドのシーツを洗濯し青い空の下で贅沢に広げて干す。疲れたからだを癒してくれる日向の匂いで胸いっぱいにしながら、ヨガの真似ごとなんてしてみるのもいい。目玉焼きの焼ける匂いに少し早めに目覚めてしまい、リビングを見回すとテーブルの上には真っ赤なバラに白いパンジー。ごめん起こしちゃった? と仔犬と戯れ、優しくはにかむあなたがいる――目を細めくすくすと笑う私の横にはあなた――優しい目をして私を見つめるあなた――あなたが――。


 対面キッチンで妄想にふける無邪気な朱莉を、カウンターに両肘をついてじっと見つめる双眸があった。


「朱莉? あーかーり!」


「あ、飛騨さん、ソファでテレビでも見て待っててください、今からご飯炊くから」


「いや、テレビないんやけどさ――」


「あっ! あー、そうだった。テレビは今朝飛び降りてしまって――」


「あのさ、料理作るんやんな?」


「え、ええ? あの、思ったより冷蔵庫が空で――ってもあたし、簡単な物しか作れないんですけど……」


「――あのな、朱莉ぃ――」


「えー、そんなに見ないでください恥ずかしいですよ。それにお口に合うかどうか……」


 顔を赤らめはにかむ新妻のような朱莉に正対し、カウンターをバンと両掌で叩くのは飛騨である。


「って、なんでキッチンのある部屋に女子が二人もいて、レンジでチンするパックご飯食べて、お湯を注いで簡単チューブ味噌汁すすらなあかんねん!」


「えー、自分で作るなら手っ取り早い方がいいじゃないですか」


「腹に入ったら皆一緒派か? 焼きもんはっ? はあっ目玉焼き? 朝ごはんかっ! どけっ、かせっ!」


 さすがに単身歴の長い飛騨である。冷蔵庫の中にあるあり合わせの材料を使って調理する鮮やかな手さばきを、ソファに座ってうっとりとした眼差しで見つめる朱莉であった。


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