第十二話 黄昏の中に 追伸
(普通じゃあり得ないくらい陽気を集めて密度上げたから、常人に見えるほどの色が出ちゃったのね……初めてこんな事したけど、興味深いわぁ)とは、鞠の言である。
もう自分が長く生きられないであろう事は、ミサキこと水崎浩子が一番よく判っていた。生きながらにして幽体離脱し、実身体とエヴォロイドの間を行ったり来たりしていた浩子は自分の身体が弱り、傷んでゆくのをひしひしと感じていた。
朱莉が自分のことを認識していることは最初の段階で判っていた。だからこそミサキとして朱莉に、最後の願いを託した。
(三塚さんに直接、自分の口からお礼が言いたい。私、起きられるように頑張りますから、三塚さんを入院先の病院に連れてきてくれませんか)
三塚にとって、つかなくてもいい傷をつける可能性に躊躇した。朱莉にとってミサキは若くして心臓病を患って、その命の灯火は長くは続かないという、不憫な女の子ではあったが、所詮はゆきずりの他人である。しかし、三塚は大切な友人だ。
どちらをとるのか、などと自問する自分に嫌気がさした。
浩子が思いを遂げられなかったら、残念して、ミサキのエヴォロイドに留まってしまうかもしれない。しかし、それならば三塚にとってもいいことではないかとも思った。
(朱莉ちゃんあんなに嫌がってたのに、随分仲良くなったもんね、ミサキちゃんと)
(だって、仕方ないじゃん……会社の同僚なんだから)
朱莉は、浩子の願いを受け入れることにした。三塚は大人だ、そして男だ。と勝手な理屈をつけた。それになにより、三塚の周りには八代や自分も含めた美術部の仲間もいる。
映画やドラマのように、今日、今の瞬間に浩子の命が途絶えることはない。今暫く浩子はエヴォロイドのミサキの身体と、患いベッドに横たわる身体の間を行き来するだろう。しかし、そんな状態がいつまで続けられるのかは判らない。
「みつづかさん……おかあさん……あかりさん……」
眠っていたはずの浩子が、ぼんやりと天井を見つめたまま言った。
窓外のピンク色の幻影に、浩子の母も三塚も呆気にとられて、すぐには反応できなかった。
「お……おきたの、浩子。三塚さんがいらっしゃったのよ」母の言に浩子は頷いて、視線をベッド脇に立ったままの朱莉と三塚に視線を流し「ありがとう、あかりさん、お願い聞いてくれて。三塚さん……ケンジお兄ちゃん……ミサキ幸せだったよ、ありがとう」
「み、ミサキ……ちゃん」
「おにいちゃん……ちゃんと、ごはんたべなきゃだめだよ。身体こわさないように……部屋も掃除して、ちゃんとした生活しなきゃだよ。それに、絵のお仕事頑張ってね。たくさん素敵な絵を描いてね、それで、素敵な人と……」
水崎浩子は絞り出すようにして言葉を紡いだ。涙を流すことなく、微笑みを称えて。
反面、元の顔が判らなくなるほどにくずれ、耳を真っ赤にした三塚が、病室の床に跪いてただただ泣き崩れた。
朱莉はこんなどこかで観たようなシーンを目の当たりにさせられて、つられて涙が零れるよりも先に、現実に起きているこの現象に感心する。あの短時間で、鞠がどんな方法で陽気を集めてあんな風に葉桜を覆い満開の桜のように見せたのか、いつも通り、説明を聞いてもよく解らなかった。
(今生の別れみたいになってるけど、まだもう少し時間はあるのよ。もっとも浩子ちゃんが自分の口で話せるのも、あとどのくらい出来るか……)
鞠には――天上霊には人の寿命というものがなんとなく視えるそうだ。
(そんなの、あたし知りたくないからね。言わないでよ……)
実際その後も、シエルブリリアントの“三塚ミサキ”は以前と変わらず画面の中にいて、元気に従業員や来客に対し、応対していた。その口調や仕草、考え方の癖や個性的な口許の表情も何ら変わらなかった。
天上霊界としては望ましくないことだろうけども、彼女はここで“自縛”してしまうかもしれないと思った。
あれから朱莉は見舞いにはいっていない。
あの日、水崎浩子の母親と三塚の間で、暫く話があった。三塚ミサキのデータの件でだ。収益権はもちろん三塚にあるのだが、そもそもミサキは水崎浩子を模したものであり、それは水崎家の権利ではないかと、三塚自身が言い出したからだ。それはもちろん浩子の治療費に充ててほしいという彼の願いを含んだものでもあったのだが、浩子の母はそれを固辞した。
病室を訪れたあと、三塚はすっかり無口になって引きこもるようになった。八代は一連の事情を知っているわけではなかったが、空気を読んで少し距離をおいているようだった。
しかし、「ぅおおい、三塚ァ。調子はどうよ!」新緑の季節を迎える頃、河川敷でのバーベキュー帰り、またもや酔っ払った朱莉と八代は三塚の家に押しかけた。
結局そっとしておいてやろうなどといっても、自分たちの気分で動くのだから、何の事はない。配慮は三週間と保たなかった。
「先生ぇええ! 俺の巨乳ちゃんはどうですかぁあ……って、ん? なんかすっきりしてるな?」リビングに立ち入ってみると、以前のように書籍が床に平積みされてタワーになっているなどということもなく、床も壁も綺麗に掃除され、キッチンも普通に使用できる状態になっていた。
「いやぁ、ミサキちゃんに叱られてね、ちゃんとした人間らしい生活を送りなさいって」
「へぇえ、ミサキちゃんが? すげぇなAI、何でもお見通しだな――」八代からすれば、AIがリアルな人間たる三塚の言動や様子を見て、そこから類推し、人間らしさを説いたのだと考えたのなら驚愕であろう。だがもちろん、それは病床に伏せる水崎浩子が言ったことだ。
朱莉はその会話に加わることなく、個室のミサキのディスプレイを覗き込む。
「お――あれ? ミサキちゃんいないじゃん、今日はシエルのほう休みだと思うんだけど? どっか行ってる?」
以前までミサキを映し出していた、大型ディスプレイは以前と同じように設置してあったが、画面にミサキの部屋以外何も映っていなかった。
「僕はさ、ちゃんとした大人だからさ……」
「ん、ああ、おとなだから? 三塚が?」
「あの子にね、お家に帰りなよって……み、未成年がね、いつまでもこんな所にいちゃいけない、って、家族の人が心配するから、って、君には帰る場所があるから、って」三塚は朱莉から目を逸らしつつ、はにかみながら言った。
まるで事情を知らない八代は眉をひそめて首をかしげ、事情を知る朱莉はなるほどと得心した。
おそらくあの時、浩子の母親に渡していたのは通信タブレットだったのだろう。三塚ミサキに直通している、この部屋のディスプレイと同等の権限を持つホスト端末だ。
「でもね、三日に一度くらいは、ここに遊びに来てお話ししてくれるんだよ。ケンジお兄ちゃん、って、以前と変わらずに呼んでくれるんだ」と嬉しそうに、三塚は頬をピンクに染めた。
それを見て朱莉は、痒くもないうなじを掻いて眉をひそめ一言呟く。
「……きッも」と。