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第十二話 黄昏の中に 8

「おい、三塚……」マンションの部屋に呼び鈴もなく、電話もほとんどでないので仕方なくいつものように黙って入ると、いつも通り回転椅子にすわった三塚は肩をすくめて驚いた。


「!――っ、おお……周防、だからノックくらいしてくれ、心臓に悪い。なんだよ……」いいながら椅子を回転させディスプレイを背にして息をついた。ディスプレイにはいつも通り、組み立てかけの人形のようなものが映っていた。


「ちょっと、あたしと一緒に来て」


「ムーリー、無理無理、今日中に納品しなきゃいけないロイドがあるんだよ、ほんとタイミング悪いっていうか、問答無用だな」


 ミサキの“部屋”である壁面の大型ディスプレイに、ミサキの姿はない。


「いいから来てよ! 一時間でいいから、時間空けて!」


「何だよ、そこまで言うなら理由くらい聞かせろよ! こっちも段取りってもんがあるんだよ」


 朱莉とて無茶なことをいきなり言っている事は判っていた。仕事を抱えたクリエイターの手を止めさせて、理由も告げずに作業を中断させ連れ出すなんてのは、暴虐以外の何ものでもない。


「理由は……今ここで話しても、あんたには理解できない……でもあんた、今こなきゃ一生後悔する……」


 朱莉に腕を掴まれ、眼鏡のレンズを超え瞳の中を覗き込まれた三塚は、それ以上抗しきれなかった。


 待たせておいたタクシーに乗り込み、朱莉はポケットからメモ書きを取り出して運転手に行き先を伝える。その間三塚は一言も口にせず素直に従い、ともすれば母親に手を引かれる息子のようであった。


 目的地に近づくと、ちょうど付近の高校か中学だろうか下校時刻と重なったのもあり、タクシーの通行は立ち往生しかけていた。入り組んだ商店街の路地に進入させ置き去りにしてしまうことを若干申し訳ないとは思ったが、朱莉はこのあたりでいいと運転手に告げ車を停めさせる。


 そこで、三塚は目を丸くして車外の様子に食いついた。


「与鶴第三中学校、意外と近かったのよ……ミサキちゃんの学校。あんたがわざわざ制服を忠実に造形してたから判っただけだけどね」


「なんで……」三塚は不思議そうに朱莉を見た。


「一応、母校……だからよ。あんたがいない間に、それなりにミサキちゃんと話はして許可はとってる。あんたに言うと会いに行ったりしないかという懸念はあったから、さ」


「おっ、おれは、見た目がキモオタなのは認めるけど、そんな変態みたいな……ストーカーまがいのことなんてしないぞ!」


「はン、修学旅行に来ていた女子中学生の容姿をつぶさに記憶して、3Dデータ化する奴が何を言うか」

 三塚はぎょっとして目を逸らした。別に構わない、そこを攻めようなんて気は毛頭ない。



「ホラ、行くよ」帰宅する学生達とは逆方向に商店街を抜け、国道の横断歩道を一つ渡る朱莉と三塚の眼前に現れたのは、尊大な外観を持つAUN循環器総合病院だ。


 三塚はこの状況で「あの病院になにがあるんだ」とか「どこ連れて行く気だ」などとアニメのような台詞を吐かなかった。三塚のような“そちら側”に親和性が高い者ほど察しがいいものだ、と朱莉は思う。だからその分だけでも少しだけ、心の負担が減るかもしれないと、無駄な期待をしてみる。


 循環器病棟、ここに朱莉の親族も三塚の家族もいない。


 しかし、受付では何事もなく面会を許可される。案内された病室階は個室が並んでいて、寒々しい白い壁面ではなく温かみのあるブラウンを基調とした内装が施されていた。


水崎みずさき……浩子ひろこ……」


 三塚は静かに病室の名札を読んだ。朱莉は構わずドアをノックする。中からは女性の声で「どうぞ」と促される。


 朱莉と三塚の姿を見た女性は腰掛けていたスツールから立ち上がって、中腰のままお辞儀をした。たぶんそれはもう反射的な行動だったのだろう。合わせた目が、どなた様でしょうか、と語りかけていた。


「み、ミサキちゃん……!」三塚は不用意にベッドへと歩を進めた。母親とおぼしき四十がらみの女性は三塚を制止させようと手を伸ばしかける。


「突然押しかけて申し訳ありません、お母様。先ほどご連絡を差し上げました周防と申します。お嬢様の大変な時に、私どものような者の急な面会をお許しいただきありがとうございます」


 朱莉は精一杯礼を尽くした言葉をもって、深くお辞儀をした。それを見て母親もお辞儀を返した。


水崎みさきです、どうぞはじめまして。周防さん……その、この子が、浩子が……あの……」


「ええ、彼です」


 ベッドの上で伏せる水崎浩子は静かに息をして眠っていた。その背格好や顎の輪郭線からするに中学生か高校生くらいの少女だった。


「せっかく来てもらったのに、ごめんなさい。さっき眠ったところなの。娘の病気のことは?」


 僧帽弁狭窄閉鎖不全症そうぼうべんきょうさくへいさふぜんしょう、心臓の病気だ。浩子の場合、最初に発症したのが小学校の頃だったそうだ。それまでは風邪すらめったにひかない元気な子供だったらしい。


 しかし突然、学校からの帰り道で心不全を起こし緊急入院、即手術となったそうだ。それから予後の経過もよく、中学に入学後もしばらくは平穏に過ごせたらしいが、京都への修学旅行の際、軽い心不全をおこした。危険な状態ではなかったが、この時近くにいた近所に住む大学生の助けもあり、ひとまずは問題にならなかった。しかし、修学旅行からの帰宅後に発作、そのまま救急搬送され一命を取り留め、入院となった。


 そう、水崎浩子を助けた京都の大学生が、この三塚研二だった。三塚はその時の記憶を元に、エヴォロイドのミサキを作り上げた。“壊れない身体”が欲しいという彼女の願いのために。


 実際、ベッドの上に腰掛けるミサキ――水崎浩子はエヴォロイドのミサキにそっくりだった。当然今も、エヴォロイドの三塚ミサキはシエルブリリアントで働いている。この病室のベッドに腰掛けているのは水崎浩子の霊体で日の光がほどよく透過するカーテン越しの窓を見つめていた。


(あーあ、桜、結局見そびれちゃったなぁ。ケンジお兄ちゃんの部屋の窓からは見えなかったからさ。お仕事のことでバタバタしてたし……ね、朱莉さん)


(なあに)


(カーテン開けてよ、まだ桜咲いてたりしないかな。ここの窓からね、大きな桜の木が見えるの)


(あんた霊体なんだから、そんなことしなくても壁抜けて自分で外が見られるでしょう? 第一、もう五月も近いのよ?)


 浩子は一瞬むっとした顔をした。


(もお――それはわかってます。こっちのわたしが見られなかったから言ってみたんです。四月はほとんど寝てたから……)


 なるほど、霊体の浩子が指さしたのはベッドに伏せる浩子の身体だ。彼女はあくまで生者なのだ。そして人間関係も親子関係もまだ縁がつながれたままなのだ。ただ、身体はもう起こせず、自分の意志で動くことも出来ないらしい。


(わかったよ、ちょっとまってね)


 朱莉と浩子の間で念話によって話されるのを余所に、浩子の母とミサキの父たる三塚の間では湿っぽい会話が続いていた。


(お母さん面会の人が来て話し出すとすぐ泣くんだから。もういい加減慣れて欲しいよ)


(娘が死ぬことに慣れる親がどこにいるってのよ、あんたも社会人になったんだから、少しは大人になりなさい)


(ん、まあ、ね。お母さんにも、お医者さんにも、ケンジお兄ちゃんにも感謝してる。こんなに長生きできて、大人になって会社で働いたり出来ると思っていなかったし)


(こんなに長生きって……その歳でそんなこというものじゃないよ)


(朱莉さんにも感謝してる、ウェディングドレス着られたのは感激、めっちゃテンション上がりました。ま、相手はいないんだけど)


(なら、三塚と結婚してあげなよ、きっと喜ぶよ)


 浩子はそれについて言葉を返さず、ただはにかんで、朱莉のことを見つめた。


 朱莉は顎を引き上げてその目を逸らした。ちょっと涙が零れそうになったから。


(鞠さん……あのね、お願い…………できる?)


 志向性念話で鞠に語りかけた。


(……オーケーよ、一分だけ待ちなさい)


 鞠の自信満々の声を聴いて、朱莉は病室のカーテンをひっつかむと、ベッドに腰掛ける浩子の霊体に振り向いた。


 霊視しなければそこにはベッドに横たわる浩子と、その向こう側に椅子に腰掛ける三塚と浩子の母親がいるだけだった。


(でも、あれだよね、三塚なんてキモいからヤダよね!)できるだけ明るい気持ちで念話を放った。それに対して浩子は、歯を見せ手を叩いて無邪気に笑うと同時に、すぅと消えた。身体に戻ったのだ。


(いいわよ)の鞠の一声で、朱莉は窓に向き直り、カーテンを一気に開いた。


 そこには、開花を終えすっかり葉桜になってしまっていたはずの桜の木が、窓外を埋め尽くす勢いで、薄ピンク色の綿菓子のようなふわふわで満たされていた。


 その薄ピンク色のふわふわは確かに花びらなどではなかったが、まるで本物の満開の桜のように見えた。


「おい、周防……勝手にカーテン開くなよ、浩子ちゃん眠って……」


 このふわふわの桜の木は、三塚や浩子の母には見えないもののはずだった。


 薄ピンク色の靄のような、霞のようなものの正体は、“ヨウセイ”すなわち陽気の集合体なのだから、この病室内では霊体になった浩子と、霊感応力者の朱莉の眼にだけ、その満開の桜は見えているはずだった。


 夕刻を迎え日が斜めに差し込んでいた。陽気の薄ピンク色と夕陽のオレンジが混じり合い、窓外は一層輝いて見えた。


「オイ……周防」と三塚は立ち上がり、窓の外の景色を見つめたまま呆然としていた。浩子の母も何が起きたのかと目を丸くしていた。


 その時だ。



 「わあ……きれい」


 浩子はベッドに伏したまま、かすかに目を開き、愛おしげに窓外を見つめていた。


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