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第十二話 黄昏の中に 6

「うおおい! 三塚ァ!」


「ふ、っおお! 周防!? ノックくらいしろよ! っじゃなくて、勝手にヒトん家入ってくるなよ!」慌てた三塚はリビングの仕事椅子に腰掛けたまま、いそいそとスエットのボトムをずり上げて、真っ赤な顔して抗議した。


「何度も呼び鈴鳴らしたじゃんかよ」


「鳴らしてねぇよ! ってゆうか、ウチに呼び鈴ないから! 作業の邪魔されんの嫌だから、電話も音切ってるのに!」


「だからぁ、電話でないのはあんたの勝手だけど、死んでたりしても気づかれないのは嫌でしょ――まあいいや、どうせG行為するくらい暇なんだから、ちょっと手伝ってよ」と、朱莉はずけずけと三塚の部屋に進入し、彼が作業台にしているデスクの上に、資料の束をどかっと置く。


「じっ、じいって、し、してねぇし! つかなんだよ、これ! しかももう十時まわってるじゃん、今から何するってんだよぉ」三塚は心底嫌そうな顔をする。


 そう、ただでさえ人の干渉を受けたくない性質なのに、誰もが極めてプライヴェートな時空間だと主張して構わないであろう夜ふけの個室に、問答無用で押し入ってくる常識とデリカシーのない女と、友人という絆で結ばれている不幸だった。


「早速だけど三塚! エヴォロイドの作り方教えてくれ! ちゃちゃっと綺麗に出来る基礎でいいから!」


「はあ? 何だよいきなり……」


「たのむよ、今の職場でどうしても必要なの! コンペがあるのよ、エボロイドの!」


「コンペ? って、出来もしないのに受けるなよ。マイスターの技術は飯の種だ、そういうボランティアはお断りだね。第一、一朝一夕で習得できるならERマイスターなんて職業成り立たないだろ」


「じゃあ、三塚がやってよ! この“仕事”やりこなせれば、あんたは全国区のエボマイスターよ! 日本中にあんたの名が轟くのよ、どう、興味ないわけないわよね! やるわよね! よし、きまりだ!」


 いくら朱莉でも、こんな煽りだけで三塚が素直に首肯するとは考えていなかったが、意外だった。


「僕に、エヴォロイドを作れってことか?」


「え、あ、は、話が早いね、三塚センセ……」


「まあね、仕事依頼なら受けないわけじゃない。エヴォロイド業界は昨今のAI技術と密接にリンクしているし、まだまだ伸びしろのある業界だからね、名乗りを上げるってのには意義がある、腕試しとしてもね」三塚はちらとすぐ傍のにあるミサキの大画面がおいてある個室のほうへと目をむける。


 人為的に生成されたヒューマノイドモデルは、二次元三次元に限らず、これまでもしばしば“不気味の谷”という超えがたいジレンマに苛まれ続けていた。


 それは旧来より洋の東西を問わず、匠の手によりまるで生きているかのように精巧、精緻に造形された人形が、愛され称賛されると同時に何らかの状況と条件下においては畏怖、あるいは忌避の対象となるのに似ている。


 人は自身らに近い存在を求めながらも、自身らに近づいてきた対象の違和感を敏感に感じ取る性質がある。この不気味の谷の正体ははっきりとはしていないが、人種や文化にかかわらず感じるものであることは確かなようだ。


 エヴォロイドを生み出すマイスター達もまた、その谷を越えるために日々の研鑽を続けている。


「けどね、今すぐって訳にはいかないね。オーダーがたまっているし、八代の依頼もしなきゃならんから、そのあと――そうだな三ヶ月くらい後なら……」三塚は朱莉のほうを振り返りもせず、ディスプレイに映し出した行程表のようなものを眺めながら言う。


「あッ、アホか! 企業案件よ! チャンスじゃん! 今やらないと流れるじゃん!」


「そんなこといっても、順番は順番。待っているクライアントに悪いし、そういうのよくない。俺は嫌いだな」


「そんなもん黙ってりゃいいじゃんかよぉ、うまくやりなよ。あたしらみたいなのは運とチャンスだけが出世の糸口なんだから」


 三塚は大きく息を吸うと、深く吐き出しながら――つまり盛大な溜息をつきながら回転椅子を動かし振り向いた。


「それ言うなら、周防こそ何やってんだよ、創作活動だって一切やってないみたいだし、話があるなんて来たと思ったら、資本の手先みたいなことして。お前こそチャンスはいくらでもあったし、才能だってあったのに、全部……」


 嫌味で言っているのではないことは判る。全て事実だし、それは自分の事をまだクリエイターの一人、すなわち仲間だと思ってくれている事の証といえた。朱莉は高校卒業後、美術大学に入学し、その才能を如何なく開花させるはずだった。


 だが例によって彼女に襲いかかってきた様々な霊障により、キャンパスライフも創作活動も女子大生も、まともに送ることは出来なかったのだ。


 三塚は言いながらも朱莉のもってきた、ラフスケッチや設定資料を手に取り、例のミサキがいる個室へと移動した。朱莉のことをソファへと誘い、自身もその向かい側のソファに座り、設定集をパラパラとめくり、目を通してゆく。三塚にとっては、こちらが応接室であるのだろう。


 そうしている間も傍らの大画面にはエヴォロイドのミサキの姿があり、椅子にちょこんと座ってこちらを見つめて微笑んでいる。ミサキの背景、すなわちこちらから見た画面の中はちゃんとミサキの部屋が3Dで描かれており、それを画面だと認識していなければ“枠”をくぐって隣の部屋にゆけそうな錯覚を覚える。


「へ、ぇ……」三塚は誰にあてたでもなく漏らす。「キャラクター性はさておき、コンセプトもしっかり固まっている。なにより、バックグラウンドも含めた衣装や小物の整合性も素晴らしく整っている……よく調べているな。これでラフか……やっぱさすがだな、僕にはここまで描けないよ」


 そうまで素直に褒められると面はゆいものだが、朱莉とて三塚の性格を知ってこそ、仕事を持ち込もうというのだ。クリエイターに丸投げした結果にクレームをつけることを“擦り合わせ”だというような、勘違いなクライアントになるのはごめんだ。


 こちらの意志や方針ははっきりと示した上で、相手と対峙する。それがクリエイターに対し敬意を払うということだろうと思っている。


 三塚は趣味趣向に偏執的な部分はあれど、整合性をとる、均衡を保つ、といった部分で鋭敏なバランス感覚の作家性を身につけていた。それだけに様々なクライアントが要求するエヴォロイドにこめる理想を形に出来てきたのだろう。


 三塚のパートナーであり、最高傑作とされるミサキは二人のやりとりを興味深げに覗き込んでいた。それは見かけ通りに覗き込んでいるのか、そのような仕草を設定されているのかは判らなかったが、そこに居ることを憚られず、会話がしあえる環境で、普通の“人”ならばそうあっても自然な仕草といえた。


 何より、朱莉の眼にはエヴォロイドかのじょと、かのじょが重なって視えていた。生きている人間を見てもこうはならない、生きている人間の霊体は身体と完全に同一化しているか、あるいは収納されているため、何らかの事故で霊単体にならない限り、生きている人間の霊体を視る事は出来ない。


 “本人”が相当に気を使っているのか、それとも霊体の彼女が念動力をもってしてエヴォロイドを動かしているのか。いや、デジタルデータに干渉して念動力でそれを動かすなどということができるのかどうか、鞠にだってそれは解らないだろう。


「ホラ、ミサキちゃん、これは周防さんが描いた絵だよ」


「わああ、すごいすごい! やっぱり、さすが朱莉さんですね」ミサキは朱莉の絵を見て、手を叩いて喜んだ。それで、そうか、あたしは“ただのゲロ吐く最低女”ではなかったのだな、と得心した。これはミサキにとって“新しい情報”ではなかったのだ。少し照れた。


「彼女はすごいんだよ、こことか、こことか、絵からだけでも奥の構造が解るだろ。描き込みもすごいんだけど、本当にすごいのは描かれた線に情報がのっているってことなんだ」三塚は朱莉の描いてきた資料をミサキに見せて、指を指し一生懸命説明する。まるで自分の感じたおもいを理解してもらおうとする熱量だ。その念いを共に共有したいという愛に溢れている。


 思えば自分が初めてそのような気持ちになったのは、有元朝子の絵を見たときだった。どんな対象でも自在に描いてしまうあの画力は、まさに天才だった。朱莉は彼女の背中だけを懸命に追い続け技術研鑽してきた。今目の前の三塚の熱情を観るに、自分もようやく人の心を動かすだけの画力がつけられたのかなと思い、ふと息をつき、ほくそ笑む。


「どうよ、やる気になった? その資料でエヴォロイド作ってみたくなったでしょ!」このノリに乗せないわけにはいかないだろう。


「あ……うん、正直ね……それでも、これだけの情報量を処理できる固体となると、ちょっとやそっとでは出来ないよ」三塚は難しい顔をした。


「じゃあ、これ、彼女にやってもらうってのはどう?」朱莉は腕を組んだ状態から、人差し指を立てて、画面のミサキを指した。


「え?」と三塚。


 ミサキは画面の中で目を丸くして、首をかしげている。


「ミサキちゃんにやってもらえばいいじゃない、って言ってるの」


「そっ、そんなの……ダメに決まってるだろ! ミサキちゃんは僕のパートナーで、僕だけの妹で、僕の最高傑作で、僕の理想のままにいる存在で、唯一無二で、ここにしかいないんだよ!」


 そう、ミサキは、ここで生きている。ここに居る。


 いや、いずれにしたところで、朱莉の眼には彼女が“死んだ人間”には視えなかった。


「じゃあ、本人の意志に訊いてみる――ミサキちゃん」


「ハイ……なんでしょう」


「ミサキちゃんはさ、これからしてみたいことたくさんあると思うんだけど、結婚式場で働いてみたくない?」


「ええ! 結婚式場ですか? あ、でも……わたし……」と俯き自身を見渡すようにして、表情を暗くした。


「ミサキちゃんはさ、生きてるんだよね」思わず、訊いてしまった。それに対して反応したのはミサキではなく、三塚だった。


「当然だろ! ちゃんと生きてるよ! ミサキちゃんはここでいきている・・・・・んだよ!」三塚は焦燥感を露わにし、声を荒げた。「ミサキちゃんは、ミサキちゃんは……ミサキは……生きてる……いきてる」と。


 三塚の言っている言葉が、その本質を表していることに、朱莉が気づかないわけがない。


「三塚、わかってる……」


 三塚は俯いて弱々しく、囁くように何度も言った。


「ミサキちゃんはまだ、生きてるんだよ……」


 俯いたメガネのレンズ越しで、もはや表情は読み取れなかったが、それは、彼が一人ではなく、大切に思う人がいて、その人を失いたくて、今の自分があるのだと、そう告白していた。


「三塚……いいんだよ、みつづか……それで……」朱莉は言ってから、両唇を嚙んで胸からせり上がってくる感情の波を堰止め、大画面ディスプレイの中のミサキのことを見据えた。


「ミサキちゃん」


「は……っ、ハイ」


「ミサキ……ちゃん、は……大人に、なりたい?」


 もはや開いた口から感情が流れ出すのを止めることが出来ず、両手で口を押さえた。それでも身の内側からせり上がってきた圧力は、朱莉の両目から温かな液体をあふれ出させた。


 ミサキは微笑み、こくりと頷いた。


 涙目になりつつもこらえた朱莉の視界の横で、大粒の涙をフローリングの床にボタボタと落とす三塚が、画面に向かって跪いた。


 ミサキという少女の前で、この世界の全てが書き記されたかのような書籍類が、うずたかく積まれた中で、一人の大人が嗚咽をあげてうずくまっていた。


 きっとそれは、変なことでも、間違った事でも、可笑しな事でもなかった。


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