第十二話 黄昏の中に 5
「エボロイド? ああ、しってるしってる」
なんと職場で昨日の話をすると、意外なことにほとんどの従業員が知っていた。さらには、「実は俺もエヴォマスターなんですよ」というのは、出入りの生花店である石嶺園芸の軽トラから降りてきた小田だ。身体が大きく短髪で、真面目な雰囲気が漂う元スポーツマンという感じで、朱莉は少し苦手なタイプだったので、今まで必要以上のことを話したこともなかった。
いつものように葬儀で使う花台を荷台に積みながら、朱莉と東野が話しているところへ、珍しく割り込んできたのだ。
「なんだよ、小田。お前、嫁さんいるじゃねぇか?」
「そういうのとは違うんすよ、感情的に支えてくれる存在っていうか……」
小田は自身のエヴォロイドの画像を、スマホ画面に映し出して見せてくれる。そこには豊満というか、バストの肉感溢れる艶めいた女性の姿があった。ともすればややケバ気味の衣服と髪型で、顔は美人の部類に入るのだろうけども身体をみてみれば少し、太り気味かなという印象だ。
「デブ……じゃネェか」とにべもない東野の感想に、「ほーら、そうやって女性を外見で判断するのは、昭和おじさんの悪いところですよ!」
別に東野は外見で何かを判断したわけではなく、視たまんまをいったに過ぎないのだが、分からないなら構いませんよと、小田はスマホを庇うように胸ポケットにしまい込み、作業に戻っていった。
「魅力的でないとは思いませんけど、小田さんの趣味ですかねぇ」朱莉は小声で東野に告げてみると「あいつの嫁さん、元ミスなんとかってやつで、結婚式の時なんてそりゃもう、お人形さんじゃネェかってくらい美人でよ。もっとも、あいつも今みたいにポヨってなくて、当時はゴルフのプロ目指してたとかで、腹とか割れてよバッキバキだったんだけどな。ま、満たされすぎると、刺激求めて変化球打ちにいきたくなる気分もわからんではないが……」と東野も小声で応える。
「へぇえ、小田さんがゴルフのプロねぇ……あっ、あれじゃないですか、やっぱり昔取った杵柄で、十八ホール埋めたいみたいな、ほらコレクション的な……」
「――――周防ちゃん、それやめたほうがいい。発想がキモいよ……」
ぽかんと口を開けたまま石嶺園芸の軽トラを見送ったあと、ポーチのぽかぽかと暖かい日差しに気を取り直し会館内に戻る。
館内の廊下はまだ春の日差しが届かず、ひんやりとしている。その薄暗い廊下の先に、ワイシャツに薄ピンクのカーディガンを背に羽織った男性が歩いていた。広い肩幅に長身と、見事な逆三角形、長めの髪に、ほどよく日焼けしたつやつやの肌、服装ともども冠婚葬祭を扱う企業の社員らしからぬ軽薄な容姿。
同じ男でもこうも違うものかと、ふと三塚の事を思い出しながらその背中を追った。
「宝田さん! ひっさしぶりですね」
朱莉の声に振り向いたその顔は、彫りが深く、髪はオールバックで綺麗にまとめられていて、館内でもその健康的な肌に、白い歯がよく映えた。
社内随一の男前と呼び名の高い、宝田昭和である。年齢は三十がらみの男盛りといったところ、若いながらAUNセレモニーの広報部長という立場で、よくシエルブリリアントと天華会館の両施設を行ったり来たりしている。
名前は昭和と書いて“あきかず”と読むのだが、由縁は昭和最後の日に生まれたかららしい。一日違えばヒラナリとでもなっていたのかもしれないが、周囲からは“ショウちゃん”と呼ばれて親しまれている。
やり手の彼は自他共に認める出世頭であるが、本人はそれを鼻にかけることもなく、仕事はまっすぐ、サービス残業は厭わないし、上司先輩後輩との吞みニケーションもつつがなくこなす為、飛騨とも仲がいい。従業員としてみれば、ただただ実直にAUNの業務に携わっている優秀な社員である。
「ああ、エヴォロイドね、モチのロンでしってるよぉ、僕ァ興味はないけどね」
「へぇ、やっぱり皆知ってるんですねぇ。意外に宝田さん、アイドルみたいなエボロイドにハマったりするかもですよ?」小田のように、いわゆる好みとは逆張りをする傾向も解らなくはない。男性にとってそれは冒険となり得るからだろうと。
「僕ぁ、ああいうヤングでキャピキャピしてるのも、ぺちゃぱいもアウトオブ眼中。女性はさぁ、こう、ボッキュボンの激マブでなきゃぁね。かく言う周防クンはちょっと成長したかなぁ?」といって砂時計のフォルムを両手で宙に描く。
「してませんんん! それ、宝田部長はキャラで乗り切ってますけど、セクハラですよ、気を付けないと」
「あっはは、メンゴメンゴ! あ、そういや人事の則尾さんが言ってたけど、周防クンって芸大卒なんだって?」
「ん――ええ? そうですけど」
「実はね、今度ウチでも――ああ、本決まりになるかはわかんないけど、AUNグループから、シエルのイメージキャラクター選定の企画があってさ、体裁としてウチの関東支社からも、タタキ台になるようなのを作らなきゃいけないんだ――あ、これ割と急ぎね」
これはとんだ展開だった。まがりなりにも絵を描く人間からしてみれば、いっちょ噛みしたい案件だ。しかも規模としては全国区。シエルブリリアントと天華会館を擁するAUNセレモニー株式会社を子会社として擁するAUNグループは、日本最大の総合企業であり、その拠点はシエルだけでも世界三百箇所を超える。
もしもキャラクターがオフィシャルとなれば、各拠点にくまなく行き渡ることになるのだ。おそらくその版権も莫大なものとなるに違いない。
「たたき台ですか、ラフでよければ一両日以内であげますよ。コンセプトあります?」
「あっはっは、たーすかるぅ! 僕ぁツイてるなぁ!」
宝田のルックスはけして悪くない。少々脂ぎった癖のある“二枚目”ではあるが、仕事も出来るし清潔感もあるし、性格も悪くない。だがその白い歯の間と、舌先から、少々時代遅れな、ともすれば一周回って逆に新鮮な台詞を吐く。喋らなきゃいいのに、というタイプとはひと味違う変人だ。
そして、「周防クン、今夜は花金だ、ミーティングがてらイタメシでもどー?」と、廊下の壁に片手をついて、朱莉のことを壁際におしやり、覗き込むように距離を縮めてくる。
「あ、あは……これは、壁ドンってやつですかぁ、ねぇ…………(まあまあ、新しいじゃん)……」宝田の広い肩幅の影に覆い被さられるような形になった朱莉は、思わず肩をすくめて乙女全開の表情で顔を背けてしまうのだが、間の悪いことに逸らした視線の先に、通称“ダルマ先輩”こと、シエルブリリアントのウェディングプランナー、未だに名前覚えてない、ぽっちゃり女史と目があってしまう。
無論のことながら「マァ、宝田部長! こんなところで油を売って!」と、どうやら宝田を探しにきた体で駆け寄ってくる。
いや、あたしは油を売られたつもりはないんですが、と反論したくなるけど、ぐっとこらえて笑顔を作り「あっはは、先輩おひさしです! 部長とは業務のことで少しお話がありましてぇ……」と言い終えるまでに、ダルマ先輩は鼻息を荒げて朱莉から宝田を引きはがす。
「周防さん、あなたも仕事残ってるんでしょ。さっ、いったいった!」
まるでダルマ先輩が気を利かせて、宝田の誘惑から朱莉を救い出したかのような構図だが、そうではない。おおかた宝田に悪い虫がつくことが許せないのであろう。宝田はあちらのおばさま方のアイドルのような存在なのだ。
「周防クン、じゃあさっきの件シクヨロ~、バイビー」と言いつつ、先輩に腕を掴まれて連れて行かれる。
まあ、この時代、食事しながらミーティングなどせずとも、社内SNSかメールで事足りる。とりあえず概要だけ教えてもらえばよいのだから、先輩に腕を引っ張って行かれる宝田に、スマホを掲げて、ジェスチャーでその旨を伝えた。返す宝田は了解の意だろうか、左手を握り、右手人差し指で宙をくるくると回す謎のジェスチャーで応えながら、廊下の奥へと引っ張って行かれた。
(シュリ様、何してるんですか?)
自宅に戻って、宝田からメールで送られてきた内容を整理しながら、帰りがけに図書館で借りてきた資料を、リビングじゅうに広げていた。
「仕事よ、仕事」
(へぇ、お仕事持って帰ってくるなんて珍しいですね。それってお給料でるんですか?)
「でるわけないっしょ、個人的に協力してるだけなんだし」
(あら、魔界の王たるシュリ様が慈善的に協力なんて、珍しい――なにか、ありました?)
トーコはいまでも時折、その“設定”を持ち出してくる。
自身の黒歴史をからかわれ続けているという感覚よりも、“シュリという権化”を第三者化する事で直接的な揶揄を避け、人間関係を平温に保つ、というコミュニケーションがとられていることは肌感覚で理解している。
「魔界だろうが人間界だろうが、他者との利害をないがしろにしちゃ成るものも成らないのよ、処世術ってやつよ」
(コンプラ的にアウトでは?)
「あたしはね、このプロジェクトを成功させて、葬儀屋からAUNセレモニー本社勤務へ転身するのよ。その際には企画総務部なんかでデザイナー任されたりしてね、泥臭い業務ともお別れよ!」
(ああ、入社してすぐに転属させられましたもんね――でも、なんだかんだでもう馴染んでるし、葬儀のお仕事気に入っているのかと思ってました)
馴染んでいないと言えば嘘になるし、人間関係がよくないだとか、嫌いな人がいるとかそういうことではない。朱莉にとって、霊感応力者にとって、葬儀場という職場はやはり鬼門なのである。職が変わったとて飛騨や妙玄との関係性が変わるわけではない。まして同じ会社、まして同じ街にいるのだから。
三日後、いくつかの案を宝田へと送り、電話で色よい返事がもらえた。
「バッチグー拝見したよぉ、さすがだね周防クン。この案ならいい線行くと思うよ」
「ええっ、マジですか!」
「マジマジ、大マジ、この前はさ、オバタリアンに邪魔されちゃったけど、今宵のアバンチュールはどう?」
「い、いやいや、私なんかはその、ノリがチョベリバ~みたいな? なんで、宝田さんとは釣り合わないってゆーか、あっはは」
「あっはっは、周防クン、チョベリバは古いよぉ――――ところでさ、大事なこといい忘れてたんだけど――」
(ま、そういう時代ですもんね。エヴォロイド……ナウいですもんね)
「くっそ、エボロイドでってんなら最初からいえよぉ……パソコンもなかった"ザ・昭和"からそんな無理難題押し付けられるとは……」
(いや、別に宝田さんが昭和の使者ってわけじゃないから。シュリ様こそいい加減スマホ以外のデジタル機器扱えるようにならないと、歳取ってから厄介な人って言われるんですよ)
「だからといって、エボロイドとかハードル高すぎでしょ! あたしの手はペンと筆を握るようにしかできてないのよ。しかも宝田の奴、あたしに全部丸投げ。グループ内コンペとはいえ、いつの間にか自社代表の担当になってんのよ、完全に。こっちだって忙しいんだぞって、いったら“ダイジョーV! 周防クンなら二十四時間戦えるって”てアホか!」
(まあまあ、受けちゃったものは仕方ないじゃないですか。エヴォロイドの構築アプリもいくつかありますよ、いいきっかけだから挑戦してみましょうよぉ、私も手伝いますから)
「なんか、ちがうくね?」
(ううん、うまくいきませんねぇ)
「トーコが、わたしはデジタル世代だから任せとけ、っていうから」
(誰がそんなこといいましたか、過去をねつ造しないでください)
スマホ上で作成できる程度のものは、エヴォロイドといえど、やはり遊びの延長である。エヴォロイド構築は、単にお絵描き編集アプリのように、手書きの画像をデジタル描画に置き換えるのとはわけがちがう。
リアルなキャラクターであれば、皮膚質感から服のテクスチャまで細かに指定しなければいけないし、自然な動作を期待する以上、筋肉量や骨格をキャラクターと擦り合わせなければいけない。そこまで設定が煩雑であるからこそ、エヴォロイドは実物の人と見紛うほどの外見と仕草を実現する。
トーコはノートパソコンのタッチパッドを両手で操作しながら、ネットで情報を拾う。
(確かにこの簡易アプリじゃ、そこまでの設定はできそうにないですね。あくまで体験版ってことかぁ。人間一人を作るようなものってのは大げさにしても、人体ってのはそのくらい緻密にできているって事なんですねぇ――ERマイスターって職業が成り立つのも納得……って、何ですかその顔)
「いや……なんでもない……」
(どうせ、あんたもたいがいよく出来た人形じゃん、なんて考えてたんじゃないですか)
「そ、そ、そういや、ER、マイスター……? って、どっかで聞いたな……」