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ハーレムについて考察してみる

 特にターゲットにする読者層を決めず徒然なるがままに筆を走らせる、このエッセイ。

 今回は「ハーレム」を御題目にすえてみた。

 なんでそんな御題を選んだかといえば、小説家になろうにおいてハーレム作品が多いからというのが一番の理由。

 いや、小説家になろうに留まらない。

 多くのライトノベル小説、アニメ、漫画においてハーレム展開は御約束のようなものだ。

 御約束すぎて胃がもたれる人がいるのも事実だが、多くの作品で採用されている以上、人はそれを望んでいるのだけは確かだろう。


 といっても、僕はハーレム展開やハーレム小説について考察する気はさらさらなかったりする。

 ぶっちゃければ好みの問題であり、そこに論理は存在しないと個人的には考えるからだ。



 そんなぶっちゃけは置いておき、ハーレムとは何かをまず考えてみよう。

 ハーレム。

 それはイスラム教における女性の部屋を意味し、厳密には多数の女性をはべらすことを意味しないという説もある。とはいえ、オスマントルコ帝国に存在したカリフ用のハーレムが一般的にイメージされるのではないだろうか。

 野蛮と取るか否かは個々人の考え方や倫理観の問題であり、ここでは問題としない。

 男性の夢の一つであり女性から憎悪の対象とされるが、大奥を舞台にしたある漫画では男性がかこわれていたりするので、男性だけに限った夢ではない気がする。

 逆ハーレムとか言う言葉が存在するのが、なによりの証拠だ。



 ハーレムとは詰まるところ一夫多妻制あるいは多夫一妻制であり、その意味するところは大家族ではないかと個人的に考える。

 一夫多妻制なんか現代的思想ではないと思う人は、失礼ながら少し視野が狭い。

 世界には未だ一夫多妻制を採用する国々が、イスラム圏を中心に存在するのだ。多夫一妻制もチベットだったかどこか山奥の地域で採用されていたりする。世界的にみてマイノリティーな考え方ではあるが、近親相姦と違い犯すべからざる禁忌とまでは言えない。

 ドラマや漫画で一度に二人の女性を好きになるケースが間々あるが、いっそ海外に飛び出して二人を奥さんに迎える展開にすればいいのに、と個人的に思わないでもない。

 ぶっちゃけすぎだが、視野を広げるのも手なのだ。

 もっとも奥さんを二人持ちたいのでイスラム教に入信したいと申告すれば、流石に断られると思うが……


 少し話は逸れるが、某考古学者は「イスラム教徒の女性と結婚したいのでイスラム教に入信したい」と申告したところ、動機が不純すぎると判断されたのか入信を断られたとか。

 これには後日談がある。

 後の義理の兄に相談したところ、「ぶっちゃけすぎだ。枕元にアッラーが降りてきて、お前は邪教に身をおいて来たが正しい教えに目覚めなければいけないと告げられた。と答えれば良いんだよ」と教えられたとか。

 後日、同じモスクで教えられた話をすると、聞いた相手は感動のあまり泣き出して入信を認めたそうだ。

 先日、申告した相手だったにも関わらずにだ。

 どこまで本当かは知らないが、手はないでもないらしい。




 少し話が逸れてしまったか、大きく軌道修正しよう。

 一夫多妻制はイスラム教の悪しき風習だと思う人もいるかもしれないが、それは些か異なる。

 繰り返し主張するのだが一夫多妻制の目指すところは大家族であり、決して性的快楽の飽くなき欲求を意味しない。子沢山を理想とするのはキリスト教も同じであり、子沢山に至る手法が奥さんが一人か多数かの違いに過ぎないのだ。

 歴史を紐解けば仏教国である日本やかつての清国でも将軍や皇帝達が子孫を絶やすまいと考え、大奥や後宮のような組織を採用した歴史があるのを忘れてはいけない。君主国家においては国体の存続に関わる一大事であり、ある意味必然的選択なのだ。

 そういう意味では、歴代天皇や室町幕府の将軍たちが大奥のような組織を持たなかったのは凄いと思う。

 大げさな問題で捉えなくとも、江戸時代には色街の女性を身請けしていたのを忘れてはいけない。つい150年ほど前までは、庶民でも金さえ出せれば出来ない事はなかったのだ。


「いやいや、キリスト教は違うのだよ」と言いたいところだが、そうとも言い切れない。

 米国に拠点を置くモルモン教は100年ほど前まで、一夫多妻制を重要な教義としていた。流石に時のアメリカ政府から目を付けられ散々に弾圧されたため、今は採用されていない。

 モルモン教をキリスト教と認めるかは議論が分かれるところだが、今回の論点から外れるので突っ込まないでほしい。重要な点は、イスラム教以外でも一夫多妻制を支持していた例が存在していたという事実なのだ。

 とはいえ、一部例外的事例があるもののキリスト教が一夫多妻制を支持しないのも、また事実である。


 一夫多妻制が消えていく過程は近代化の歴史に合致する。

 近代化とは欧米化であり、キリスト教的価値観を受け入れることを意味する。政教分離を旨とする欧米社会であっても、その根底にある価値観はキリスト教に由来する面はかなりある。イスラム教徒の方々が近代化に反発心を抱くのも、その辺に理由があるらしい。

 キリスト教の問題点を一言でいえば、「善意の押し売り」或いは「価値観の押しつけ」なのだろう。悪意がない分、よけいに質が悪と言えなくもない。サミュエル・P・ハンティントン氏が「文明の衝突」を唱えるのも道理である。

 一夫多妻制が社会性あるいは地域性からくる必要性を鑑みれば、近代化の名の元に一夫多妻制を完全に否定するのは些か無理があるは言うまでもない。

 とはいえ、一夫多妻制はマイノリティーな思想である。

 故に否定されるのだが、あまりに否定された結果、神秘的な魅力を醸しだしている面もあるのではないだろうか。



 徒然なるがままに筆を走らせてきたが、そろそろ小説の話に移ろう。

 現実社会の問題を小説に持ちこむのは適当ではないかもしれないが、ハーレムも大家族を成立するための手段と定義すれば一つの選択肢と言えなくもない。

 問題があるとすれば、チャラい兄ちゃんが結婚――この際、側室でも構うまい――という責任ある選択肢を取らないで、次から次と女性に手を出す節操のなさなのだろう。


 ガイウス・ユリウス・カエサルのような実例もあるので、チャラい兄ちゃん的主人公を一概に悪いとまでは言えない。

 ただ、カエサルにもカエサルなりの一定のルールが存在しており、カエサルなりに奥さんを本気で愛していたのだろう。

 その証拠に面白いエピソードもある。

 最初の奥さんであるコルネリアとの離婚を絶対権力者スッラを強要されたが、断固として拒否している。スッラに逆らうことは死を意味し、現にカエサルは命からがら小アジアまで逃れている。それ程の危険を冒しても、コルネリアとの離婚が嫌だったのだ。

 このようなエピソードがあれば、ハーレム的作品の主人公にも好感が持てるのはではないだろうか?


 ハーレムはあまりに多くの作品で安易に採用され、社会性や必要性を無視した作品が多すぎる気がしないでもない。多くの愛を語るといえば聞こえが良いが、そこに金銭的関係が成立していない以上、男女の関係にもある種の良識を求めるのは人情なのである。

 なかには勇者の血を絶やさないためという理由付けをされている作品もあった気がする。読者が納得するだけの理由や背景、或いは一定の歯止め設けて作品を書き上げれば他者との差別化がされるのではないかと個人的には思う。


 ハーレム作品を見る度、僕はこんな風に理由付けを出来ないかと考える。

 ちなみに、この話を奥さんにすると決まって怒られるのだが。


 今回は、この辺りでお後が良いようで。

 では、では。

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