歴史の目撃者(1) ~とある満州鉄道職員の証言(1)~
特に読者層を決めず徒然なるがままに筆を走らせる、このエッセイ。
今回は、第二次世界大戦時に欧州を追われたユダヤ人の方々。彼らのその後を目撃した人物の証言について語りたいと思う。
第二次世界大戦時のユダヤ人の境遇は今更語るまでもないが、あえて一言で言えば悲惨に尽きる。だが、欧州を支配するドイツの敵となった彼らに、全ての人々が背を向けた訳ではない。
オスカー・シンドラー氏、杉原千畝氏などが代表的である。
有名過ぎる両氏だけに知らない方はいないだろう。
これから語るのは、そんなユダヤ人の方々を目撃した一人の男性の記憶である。
「ある日、ハルピン駅に大量のユダヤ人達が押し寄せた」
そう語った人物は僕の祖父であり、旧満州――現在の中国東北区――に満州鉄道職員として勤務した。
「何かとんでもない事が起きていると感じた」、と語る祖父の言葉は酷く同情的であった。
知らなかったのだが、当時のハルピンにはユダヤ人街が存在していた。
祖父は友人である元ロシア帝国貴族と――興味がある話題かもしれないが、次回に語ろうと思う――とは付き合いがあったが、ユダヤ人やユダヤ人街については聞いたことがない。今まで話したことがなかったユダヤ人の話題に触れたのも、僕の印象に残っているのだろう。
「ユダヤ人達は食料や生活必需品を手に入れると南を目指していった」、祖父の話はここで終わる。
ここで一つの疑問が生じる。
祖父の語ったユダヤ人の方々とは、どのような経緯でハルピンを訪れたのだろう?
杉原千畝氏の「命のビザ」だろうか。
真相はちと違う、可能性がある。
可能性があると、但し書きになるのは理由がある。彼等はウラジオストクに辿りつき、その後神戸に渡るのだが、全員が神戸に渡った訳ではない。書類上の問題から上海を目指した方々もいるのだ。
故に、断言はできず「可能性がある」と但し書きをさせてほしい。
さて、樋口季一郎陸軍少将について知っておられる方はどれだけいるだろうか?
知っている方は相当歴史に興味がある人だろう。
杉原千畝氏のビザ、その二年前の出来事だ。
ユダヤ人達はソビエトと満州国境付近で足止めされていた。
ドイツと同盟していた日本は同盟国との関係悪化を恐れ、彼らの入国を拒む。人道的観点では兎も角、国際外交的観点から言えば決して責められない対応だろう。
入国を拒否されれば、飢餓と寒さで死ぬしかない。
だが、その窮状を知った樋口季一郎陸軍少将は彼らの入国を決断する。
満州鉄道総裁 松岡洋右氏に協力を要請。松岡洋右氏の賛同の元に救援列車が出動し、ユダヤ人を見事救出した。その数は数千とも二万とも――数字についてはとりあえず置いておく――言われている。
オトポール事件で語られる出来事である。
この件については謎が多い。
何故ならば、その事を裏付ける証言や記録が少ないからだ。
祖父は既に他界しているため、祖父の目撃証言を知るのは僕だけである。敗戦時の混乱で日記も存在しないこともあり、祖父の語った出来事が何時だったのかも分からない。僕に言えるのは、オトポール事件について祖父が語っていた可能性がある、という点だけである。
樋口季一郎氏は軍人という事もあるためか、その名が語られることは少ない。
杉原千畝氏と樋口季一郎氏。
誤解して欲しくないのだが、いずれが優れていたかと言いたいのではない。
尊敬に値する先人が他にも存在し、その人物がたまたま関東軍の軍人だったという話なのだ。
祖父の目撃証言は、僕に知らなかった偉大な人物を教えてくれた。
死して、尚、孫に教えを残してくれた祖父を誇りに思う。
この件ついて、僕も正直よくわからないと但し書きをさせて下さい。
あくまで可能性の問題です。
「僕の世界設定は、憶測と妄想から生まれる仮説で構成されている」のタイトル通り、妄想を膨らませているだけなので。