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戦国時代を適当に語ってみる (1) 「諸君、僕は北条氏が大好きだ!」

 特にターゲットにする読者層を決めず、徒然なるがままに筆を走らせる、このエッセイ。

 今回の御題は「戦国大名 北条氏について」である。

 日本人は戦国時代が大好きだ。

 NHKの大河ドラマで飽きることなく取り上げられ、コーエーテクモで発売されている信長の野望が、何度も発売されているからも、この時代の人気の高さが伺える。

 今回はそんな人気の戦国時代から、北条氏を取り上げたいと思う。

 なぜ、北条氏を取り上げるのか。

 戦国時代といえば織田信長や徳川家康や武田信玄、あるいは上杉謙信あたりを取り上げるの筋かもしれない。まあ、人気から言えばそうだと思う。

 それでもあえて北条氏を取り上げる理由は、僕は北条氏を好きだから。

 いや、大好きなのだ。

 人には好きなものを、好きなだけ語りたいときがある。

 今回は僕の北条氏愛を、無駄に語るだけのために筆を取ってみた。後北条氏ではなく北条氏の記述であえて統一しています。異論反論はあるでしょうが、知ったかぶりで北条愛を語りたいだけなので、目をつぶって頂けないでしょうか

 尚、僕は歴史学者でもプロの歴史小説家でもないので、的外れな指摘をするでしょう。そこは「分かったふりをして、また馬鹿な主張しているな」と笑いながら流してもらえると助かります。


 ◇


 戦国時代は北条氏の台頭から始まり、北条氏滅亡で終わる。

 多少語弊はありますが、大体こんな感じで語られることが多い。その意味でも印象に残りやすい大名でありながら、一般的にはどちらかというと地味な存在です。

 腹立たしい限りですが、僕の感情は置いておきましょう。

 事実は事実。

 同様に戦国時代初期から存在した有名な大名は、今川、朝倉、伊達、島津などがそれにあたる。朝倉と今川は滅亡したが、織田信長の引き立て役として日本史の教科書に足跡を残している。戦って戦って戦い抜いて、敗れた感がなくもない。伊達はここ三十年の間に大河ドラマになったり、ゲームや漫画で奥州筆頭とか六刀の使い手とかで描かれて若人にも人気がある。島津はそれらに比べ少し地味な存在でしたが、「首置いてけ!」で有名な平野耕太先生の漫画により、最近は知名度が上昇した感があります。

 北条氏はこれらの大名よりも遥かに広大な領国を有し、最大版図は二百四十万石にもなっています。それほどの大大名の割に扱いが雑ではないでしょうか?

 最後があれだとかの指摘は置いておきます。

 この上となると織田氏くらいじゃないかな、と思うほどの勢力にまで至っているのに、この扱い。

 正直納得しかねる。 

 例えばここ三十年の大河ドラマで、北条氏が主人公となったことはない。あるいは戦国大名ランキングみたいな企画をやると、上位五位にランキングすることもない。三代目当主「北条氏康」が十位以内にランクインすることもありますが、僕的には彼がナンバーワンなのでかなり不満です。


 なぜ、そこまで北条押しなのか?

 僕が北条氏を高く評価する理由はいくつもあります。最大の理由は代を重ねても、勢力を拡大し続けられたから。北条氏は初代宗瑞に始まり、二代氏綱、三代氏康、四代氏政、五代氏直で終焉を迎えた。北条五代百年の歴史とも語られるこの一族は、これほども代を重ねているにも関わらず勢力が拡大している。


 はっきり言って異常ではないだろうか?


 他の戦国大名と比較してみましょう。

 例えば戦国時代の名門、甲斐の武田氏。

 武田信虎→信玄→勝頼へと、代替わりするたびに最大版図を更新している。長篠の合戦で盛大にやらかしたり、最後があれだったりと似ている面がなくもない。ただし信虎の前となると、甲斐一国の統一に四苦八苦しています。故に戦国大名と呼べるのは、信虎の代から。これでは北条氏並みに代を重ねて、勢力拡大し続けたとは言えないでしょう。


 甲斐の武田氏のライバル、越後の上杉氏。

 この一族は、上杉謙信の父親である長尾為景のときに大きく飛躍しています。実は北条宗瑞とほぼ同時期に活躍した人物であり、成り上がる過程で関東管領である山内上杉家と激闘を繰り返したことも、宗瑞とよく似ている。宗瑞との相違点は、越後守護代の家に生まれた点。いうなれば土着の人物であるため、他国の狂徒と批判され続けた北条氏より、有利な条件で人生をスタートできたかもしれません。

 その後、晴景→謙信→景勝と代を四代重ねて、戦国時代を無事生き残りました。

 為景や謙信のような優れた人物を輩出しているものの、国内を騒乱状態に陥らせた晴景や、継承した領土を御館の乱による混乱で台無しにした景勝もいるため、代替わりをしても勢力を拡大させたとは言いにくい。とはいえ関ケ原による崖っぷちな状況でも、しっかり生き残るあたりに、この家の底力を感じます。


 奥州の伊達氏。

 第十四代当主「稙宗」の代にはかなり領土を拡大しますが、その子「晴宗」の代に起きた天文の大乱で勢力が大きく削がれている。孫「輝宗」の代でどうにか立て直し、曾孫「政宗」が大きく躍進し百万石を超える石高を二十代で得ている。下剋上の時代に落ち目になってから、再度盛り返すのは並大抵な事とは思えない。それをやり遂げたあたりに、この家の底力を感じますが、やはり代替わりしても領土を拡大したとは言えません。


 これらの例で気付くと思われますが、何度も代替わりしても勢力を拡大し続けるというのは、相当に困難です。

 人はいずれ死にます。

 どれほど優れた人物でも、寿命には勝てません。

 謙信のように圧倒的カリスマで国内をまとめようとも、彼が亡くなると故人のカリスマで成立していた組織は解体へと向かうのが常。あるいは甲斐の武田のように、代替わりの度に御家騒動が起きています。

 内乱は国力や人的資源の喪失をもたらすだけでなく、生き残った人達にも疑心暗鬼を植え付けます。

 伊達や上杉は何人も優れた人物を輩出していますが、それでも尚、内乱により浪費した国力と時間を取り戻せず、タイムアップと相成りなりました。


 当主交代は、戦国大名にとって最大の試練。

 家臣の謀反や内応を起点としての騒動は、この時期に起きがち。ところが北条氏にはそれがみえないのです。一族格として扱われた太田康資が裏切った例はありますが、当主交代による御家騒動の形跡はありません。

 北条氏は薩摩の島津氏のように家族仲が良好なようで、当主の元で御家を守る意識が非常につよい。一例を挙げれば秀吉の小田原征伐の際、良くも悪くも北条兄弟は誰一人離反しませんでした。

 結果、全員敗者と相成りましたが、結束の高さを示すエピソードではないでしょうか。


 次回は、この不思議な一族を率いた歴代当主を軽く触れていきたいと思います。


 では、では。

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