我が家の餃子の作り方
餃子は人気のある料理であり、その人気ゆえに街おこしにも採用されていたりします。
日本人は餃子が大好きです。
スーパーに行けば本格的な餃子から、水一つで簡単にできる餃子まで種類も豊富。
焼餃子、水餃子、スープ餃子、蒸し餃子、揚げ餃子、変わり餃子など調理方法が多様であり、皮の中に入れる食材の変化も加えれば千座万別です。
食べる人の好みに合わせられる点も、餃子が人気を集める大きな要因ではないでしょうか。
その餃子ですが、大抵は食材を練ってから、または食材を混ぜてから皮で包みます。
皮で包みこむことで肉汁を閉じ込めることができ、食材の味と肉汁の味の両方を楽しめる。
ですが、我が家の餃子は他とは大きく異なる作り方をしています。
食材を刻み、その食材とひき肉をフライパンで炒め、味を付ける。その後、少し冷ましてから皮で包みこみ、再び餃子を焼くのです。
作り方は他の餃子と変わっていますが、結構美味しいですよ。
えっ? と思う方がいるのは無理もありません。
この調理方法では肉汁という物を利用しません。
ある意味、広島風お好み焼きの餃子版と言える代物。
一旦、炒めているためひき肉がまとまることなく、ひき肉や野菜そのものの味を楽しめる。
また良くも悪くも肉汁を使用しないため、口の中が火傷することはありません。
多くの方は言うでしょう、それは餃子ではないと。
創作料理ではないか? と。
御指摘はよく分かりますが、僕は敢えてお聞きしたい。
餃子の作り方を誰に教わったのかと?
それは料理本であり、料理番組であり、あるいは本場中国の方かもしれません。
ですが、最初に申したように餃子の作り方は千様万別です。
勿論、それを理由に我が家の餃子を正当化しようというのではありません。
ここで少し、我が家の歴史を語らせて下さい。
僕の祖父母は戦前戦中に、旧満州、今の中国東北区のハルビンに満州鉄道の職員として滞在していました。
満州というと悪いイメージしかない方も多いと思いますが、五族協和を民族政策の標語にして、満州族・大和族・漢族・モンゴル族・朝鮮族の五民族が協調して暮らせる国を目指した国家です。
その真偽や政治的主張は、この際置いておきましょう。
我が家の餃子は、そのとき現地の方から教わった料理方法だそうです。
つまり、まったくの創作料理ではなく、そのように作る餃子も現地には存在していたらしいのです。
生憎、祖父母は他界したため、どの民族の方から教わったのかは不明ですが。
料理一つにも歴史があり。
常識は疑ってみるということを語りたかったので、我が家の餃子について書かせて頂きました。
ちなみに、僕の嫁さんが初めて我が家の餃子の調理法をみたとき、衝撃的だったそうですよ。
今回はこの辺で筆を置かせて下さい。