歴史の目撃者(4) ~祖父の意地と覚悟の残照~
特にターゲットにする読者層を決めず徒然なるがままに筆を走らせる、このエッセイ。
今回の御題は「遺品」である。
祖父とは同居していなかったのだが、印象に残る人だった。若くして満州鉄道職員となり駅長まで出世したものの、敗戦で財産全てを失う。亡くなって二〇年を経ているが余りに鮮烈な人生を送った人だけに、その話は小説以上に重みがあり、僕の記憶に焼きついているのだろう。
ところで人は死を前にして、なにをしているものだろう?
あの世を怖れるのか。
来世を信じるのか。
はたまた身の回りを処するのか。
祖父の行動はいずれとも違っていた。
それが今回の話である。
祖父の遺品を片付けている時、僕は経済に関する書籍が妙に多いことに気が付いた。多趣味な人であり絵画や習字を嗜んでいた人物だったので、芸術関係の書籍が多いのは理解できるが経済関係は少し意外だった。
芸術と経済は畑がまったく違うように思えるが、どうやら祖父は株をやっていたようなのだ。
満州鉄道職員で駅長まで務めた人物なのだから、帰国後は国鉄職員に再就職したと想像するかもしれないが、それは違う。事情は詳しく知らないが、祖父は国鉄職員として再就職できなかった。
実家を頼ればいいと思うかもしれないし、実際に何度となく助けて頂いたようだ。祖父と祖父母の実家は共に小作人ではないため、それなりに収入はあり、実家は空襲の被害を受けていないため比較的経済的にはマシな環境だったらしい。とはいえGHQによる農地開放政策が実家を直撃していたため、戦前のようにはいかなかったのも事実。
当時の人は皆そうかもしれないが、祖父の暮らしも決して楽なものではなかった。相当肩身の狭い思いをしていた、と僕の父親が教えてくれたことがある。
「どうして、僕達は小さな家にいるの?」
これはまだ幼かった父の言葉である。
運命の変転を理解できず、訊ねてくる我が子になんと言葉を返したのだろうか?
僕には想像もできないが、祖父の悔しさは相当なものだったらしい。事実、満州出身者で帰国後も成功を収めた某俳優が大嫌いで、彼がTVに映るだけで電源を消していたらしい。この悔しさと挫折感が今一度伸し上がってやろうという反骨心を生みだすのだが、その手段が株だった。
祖父の持論は、株は学問である。
素人ながらも徹底的に学び、その成果として家を建てるだけの収入を得たのだが、面白いことにある時を境に株から手を引いている。
『百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり』
勝つごとに利益が大きくなるということは、投資金額が大きくなり、そのリスクも大きくなることを意味する。祖父は自分が引き受けられるリスクの範囲で見切りをつけると、傷を受ける前にきっぱり株から手を引いたのだった。
客観的に考えて少し惜しい気もするが、引き際を理解していると言えなくもない。いずれにしても博打が強いものの相手のプライドまでは叩き折らないことでロシア人達と親しくなった、祖父らしい選択ではないだろうか。
家を訪ねてくる販売員には「僕は十分儲けたから、君が儲けるといいよ」と語って、二度と株の世界には戻らなかった。
祖父は、その利益を元に小さいながらも新居を建てた。
いまはその家も解体されたが、客間に飾られていた一枚の油絵が僕の手元に残されている。いつ、どのような経緯で購入したのかは不明だが、「Osbert」と銘が記述された絵画は全体に青味のかかった風景画で、恐らくフランスの地方都市を描いているような気がする。川が前面に描かれており、その背景に町と橋がある。画面の青さは迫りくる冬の季節を表現しているのだろうか。どこか憂鬱で重苦しい。人の内面を表現しているようにも思えるが、客間には飾る風景画に相応しくいのかは少し疑問がある。
逆に言えば、それだけ印象的に残りやすいとも言えた。
なぜ、と?
他にも何枚も絵画があれば別なのだろうが、祖父が所有していたのはこの一枚だけ。余程の意味があったのだろう。
いまにして思えば満州時代の風景に似た絵画を選んだような気がしてならない。
少し話がずれたか、それでは祖父の死の間際の話に戻そう。
ここまで話せば察すると思うが、祖父は死を前にして尚、経済――いや世界のありようを理解しようとしていた。
死の三日前までに読んでいた本が僕の手元にある。
岩波新書の「国際経済入門」、著者は岩田規久男。20年後の現在、日銀副総裁として活躍されている方の書籍である。
この本には、祖父が書いたと思われる一枚の紙が挟まれていた。
『袖振り合うも多生の縁』
道で人とすれ違い、袖が触れ合うようなことでも、それは多かれ少なかれ「縁」である。
人の「縁」は貴重なものであるから、出会いは大切にしなければならない。とも意味を語られるが、多少は多生にかけているという説もある。多生とは生と死を繰り返す「輪廻転生」「生まれ変わり」を意味するらしい。
祖父がこの言葉に託した意図は不明だが、この本を取るであろう人物に向けた遺言であることだけは事実だろう。
一人の男が袖振り合うも多生の縁として、友となったロシア貴族を含め多くの人、語らい・笑い・泣いた生き様をこれほど象徴する言葉はないと、僕には思えてならない。
最後に一つ興味深いエピソードを披露することで、祖父にまつわる話を終えようと思う。祖父の家を解体するため家財を整理していたとき、庭にある納屋から興味深い品物が出てきた。
それは陶器で造られた火鉢と炭である。
僕はもちろん父も言葉がなかった。
電化製品が溢れ生活水準が向上しようとも、寒い満州から命辛々帰国した人だけに、この時代外れの暖房器具を決して手放さなかったのだ。
平和で安全な時代にみえるようとも、崩壊は一瞬で起きる。
危機に備えることを決して忘れてはならない、そう僕達に訴えかけているような気がしてならない。死して尚も僕等を諭しているのではないだろうか。
混乱の時代に意地と覚悟を忘れず懸命に生きた祖父を、僕は誇りに思う。




