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水泳を苦手とする方への御提案

 特にターゲットにする読者層を決めず徒然なるがままに筆を走らせる、このエッセイ。

 今回の御題は「水泳」である。

 最近はどこの学校でも水泳の授業があると思うのだが、この水泳という奴は苦手な人にはどうしようもなく鬼門である。幸い僕は水泳を得意としていたが、苦手としている同級生がスパルタ教育さながらの厳しい居残り授業をさせられているのを見てきた。あれは不快にさせられる光景だった。

 なろうを読まれる方々は既に水泳の授業で苦しむ事はないだろうが、親御さんとなられた方々は悩める御子様を持つ方がいるかもしれない。

 今回はそのような方々に僕の経験から、一つの御提案をするため筆を取ることにした。



 人間は本質的に水に浮く存在である。

 科学で証明可能な現象であり、これを根拠に教師達は水泳を苦手にする生徒達を鼓舞する。水に対する怖れという感情を無視すれば、この説明は正しいだろう。誰にも苦手な行為は存在するもので、科学的説明だけでは水を恐れる生徒を説得するのは難しいだろう。

 ネコ科の動物ではないが、苦手なものは苦手なのだ。

 陸上で生活する普通の人間が、あえて水の中に入らなければいけない機会は多くないだろう。漁師、海上保安庁、あるいは海上自衛隊の方々でもない限り、風呂を除けば――最近はシャワーのみで済ませる家庭も存在するから、そもそも風呂に浸からない子供もいるかもしれない――水に入る機会は海かプールにでも行くときくらいだろう。どれだけ理屈をこねようとも、普段行わない行為をしようとしたら、慣れには時間がかかると僕は思う。

 水泳を苦手とする人を見てきた経験でいうと、彼等はビート板等の水泳用具を使用したケースではそれなりに泳げていた。バタ足を苦手とする例はあるが、少なくとも浮くという行為はそれなりにできているだろう。

 問題となるのは、次のステップにあるのだ。

 次のステップとは、水に顔をつけ、息継ぎをするという行為。

 25メーター、あるいは50メータープールを無呼吸で泳ぎ切るなら話は別だが、余程の肺活量を持たない限り困難である。仮にそれだけ肺活量があるとしても、水に顔をつけるという行為は無意識に恐怖感を煽る。

 水に恐怖を覚えるのはナンセンスで克服可能である、などと僕が教わった教師達は思い込んでいた。生徒に水泳を教えなければいけない義務感からだろうが、人には分別というものがある。

 生来苦手とする人は本能的に拒否感を覚えるものであり、ネコ科の動物ではないが、苦手なものは苦手なのだ。心理的抵抗感を無視してスパルタ教育で教え込ませようとしても、トラウマを植え付けるだけだろう。サディストならいざ知らず、教師である以上、個々人にあったアプローチで教育を施すべきではないだろうか。

 今の教育がどうかは知らないが、僕が学生時代に担当になった教師達は、水に顔をつけ息継ぎをしなければいけないと思い込んでいた。

 その発想が、そもそも間違っている。

 水に顔をつけるのに抵抗があるのなら、水に顔をつけなければいいのだ。水に顔をつけていなければ、息継ぎが容易なのは自明の理であろう。


 つまり僕が主張したい泳法は、背泳である。


 僕は子供の頃、息継ぎというものがどうしても苦手であった。一回で吸いこめる空気の量を巧く調整出来なかったのだ。そんな僕に背泳を教えてくれたのは、クラスメイトの一人。

「お前、背が高いから背泳に向いているぜ」

「なるほど、それはおもしろそうだな」

「興味があるなら教えてやるぜ」

 まあ、こんな感じのやり取りがあった。

 背が高いことが、何故背泳に有利なのかは正直理解できなかったが、上手くいかないということはアプローチがよくないと考え始めていた僕は、友人の好意に甘えることにした。子供の頃から発想の転換が大好きだったというのもある。幸い、そのクラスメイトはスイミングスクールで背泳を学んでいたので、人に教えるのも上手いものだった。


 何故、友人に習ったのか?


 現在はどうかは知らないが当時の教師達は、頑迷にスパルタ教育を施しさえすれば生徒は泳げるようになると考えて、背泳を教えることはなかった。彼らが教えたのは平泳ぎとクロールのみ。もしかしたら教育方針で決められていたのかもしれない。だとしたら、実に不幸なことである。

 いずれにしても、背泳は僕にマッチした泳法であった。


 背泳には進行方向の確認ができない欠点があり、それ故に両腕と両足をバランスよく使用しなければまっ直ぐに進むのが難しい。それでも水に顔をつけることへの心理的抵抗感が克服できないケースや、息継ぎを苦手とすることで水泳の授業にトラウマをもつケースよりは、遥かにマシなデメリットであろう。

 近代泳法は苦手だが犬掻きでなら泳げる、という例をたまに聞く。

 犬掻きであろうとも、彼等は水に浮き、足を動かして前に進むという段階はクリアしている。ということは、問題となるのは息継ぎか顔を水につける行為であろう。背泳は二つの問題をクリアしている泳法といえないだろうか?

 背泳は少し独特な泳法であるため、人に教えてもらわないと会得は難しいかもしれない。だが、それでも挑戦する価値があると僕は思う。


 

 そろそろ締めに入ろう。

 水泳の授業では平泳ぎとクロールを使用しなければいけないなど、ただの思い込みにすぎない。

 苦手とされる御子様をもつ方は、背泳という泳法について御検討いただけないだろうか。他人と異なる泳法を選択するというのは少し勇気がいるかもしれないが、トラウマとなる程のスパルタ教育を施されるよりは100倍はマシだと僕は思う。

 もし他の生徒と違う泳法をすることに反発を覚える教師がいたら、オリンピック競技で採用される泳法を否定するほど水泳界の権威なのですか? と言い返せばいい。

 反論できる人間は、恐らく誰もいないであろう。


 人には人に合った方法があり、他の人と同じ手法を取らなければいけないルールはないと僕は思う。

 子供の頃に起きた発想の転換という事例は、僕の生涯に多大な影響を及ぼしたのは言うまでもないだろう。

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