国際情勢を適当に分析してみる(2) ~民族自決の罠~
特にターゲットにする読者層を決めず徒然なるがままに筆を走らせる、このエッセイ。
今回の御題は「民族自決の罠」である。
誤解して頂きたくないのだが、僕はこの思想に反発心や嫌悪感を覚えているのではない。
いまでは常識のようになっているこの思想が、ウィルソンによって仕掛けられた重大な罠だったのではないかと、最近思い始めてきたのだ。まあ、恐らく僕の思いすごしだろうから、あまり深く考えないで適当に読み進めて頂けると妄想の翼を広げやすい。
2015年秋の新作アニメを念頭に置いている訳ではないが、近未来を扱った作品では世界を構成する要素が国家を超える強大な組織、或いは機構によって整理統合されるケースが多いのではないだろうか。
適当にネーミングしてそれっぽく区分けしてみるが、ヨーロッパ連邦、ユーラシア共同体、中華帝国、南北アメリカ合衆国、アフリカ連合。
こんな感じの強大な地域共同体である。
国家という枠組みが崩壊する要因は作品によって異なるが、兵器であり、異能の力であり、未知のエネルギーを手に入れたことによるパワーバランスの変化と理由付けされる気がするが、根底にあるのは世界は整理統合されるという考え方である。
果たしてそうなのだろうか?
先日報道各紙で大きく取り上げられていた「スペインに所属する自治州であるカタルーニャで行われた独立の賛否を問う住民投票」に関する一連のニュースを見ていたら、少し考え込んでしまった。
カタルーニャ州は歴史的にみて異なる国であった時期があるため、言語・文化・経済の面で今一つ水が合わないらしいが、この状況に経済危機が重なりナショナリズムに火が付いた。スペイン政府は分離独立に断固反対の姿勢を堅持するが、住民投票の結果は独立賛成の声が多数を占めたと報道各紙は伝えている。
同様の住民投票はイギリスのスコットランド、カナダのケベック州でも行われたが、先進国という経済的に豊かな国から分離独立する案はいずれも否決されている。カタルーニャ投票結果で分離独立が多数派となるのはある程度予想は出来たが、それでも先進国の一員であるスペインにおいて国家が分裂しかねない事態はショッキングだった。
今回の投票結果が独立の成否にどのような影響を与えるかは未知数だが、今後の動きは注目に値する。
分離独立した例を適当に列挙していくと、東ティモール、南スーダン、エリトリア、スロバキア等々。独立まで行かないが問題を抱えている例は、ベルギーに住むフラマン人、イラク・トルコにまたがって点在しているクルド人、イギリスのスコットランド、同じくイギリスの北アイルランド、デンマークの自治領であるフェロー諸島、中国の新疆ウィグル自治区とチベット等々。
深刻さはまちまちだが、洋の東西、貧富の格差に関わりなく民族主義というものは燃え上がるものらしい。
自分達の国家を持ちたいという要求が合法か否かは置いておくとして、彼等の行動を正当化する思想が「民族自決」だろう。これを持ち出されると政府は弱い。基本的人権ほど絶対的ではないが否定できない価値観であり、なにより問題なのは反論しにくい点だ。結果、財政援助や高度な自治という飴を持ち出す以外手がなくなる。
権限の移譲は中央集権国家の緩やかな死に繋がりかねない。例外を認めれば他者も同様の権限を求めるのは必定なのだ。
アメリカ合衆国のような連邦制国家では高度な自治を認められているが、あれは国家成立時点で連邦制国家なのだから話は別だろう。大英帝国がイギリス連邦に生まれ変わった程の変化がいずれ必要になるのではないだろうか。
とはいえ、連邦制を採用する国家であっても分離独立の問題が付きまとう。重要なのが権限でないとすると、政府に打てる手は益々無くなっていく。
◇
中国によるチベット侵攻、インドによるニザーム王国併合、エジプト初代大統領ナセルの呼びかけにより誕生したアラブ連合共和国などの例はあるが、近年の例を見る限り国家が整理統合される方向ではなく分割されていく方向にある、と思う。
結論を急ぐ前に、ここで一旦世界史的観点から物事を見つめてみよう。
16世紀から17世紀は中央集権化の進行に伴う国家の力の増大が絶対王制を生みだす。が、啓蒙思想の波及とフランス革命により貴族や王族の持つ権力に疑問が生じ始め、フランス革命が誕生させた化け物ナポレオンによる侵略戦争が国民軍の有効性と必要性を国家権力者に認識させるに至った。
軍事が貴族達の占有物であった時代は終わりを告げ、19世紀の国家体制は徐々に国民国家の様相を呈しし始める。
元々ヨーロッパ諸国は海外でも盛んに領土獲得競争を行っていたが、産業革命により大量生産と生活水準の向上のよる人口増加は社会に大きな変化を呼び起こした。社会システムを維持・拡大する必要性から膨大な資源と食料の確保は国家の急務となっていく。新たな領土は資源以外にも市場としての価値が見出され、大量生産物資の払い出し先としても機能し始めた。
領土欲なのか経済的動機なのか、あるいは安全保障上の急務だったのかは意見が分かれるところだが、いずれにしてもヨーロッパ諸国が新たな領土を求め世界中を荒らしまわったという事実だけは間違いないだろう。
所謂、帝国主義の時代である。
この時代、タイ・イラン・エチオピアのような例外はあるが欧米諸国以外の多くの国家が滅び、民族と領土は整理統合されていく。
第一次世界大戦前に残った列強はイギリス、フランス、ドイツ、オーストリア=ハンガリー、ロシア、イタリア、アメリカ、そして遅ればせながら日本が加わる。概ねこれら列強により世界は整理統合されていた。
近未来と近代という時代の差こそあれ、小説などで描かれる少数のプレイヤーによる世界秩序の確立といって差支えないだろう。
この状況に大きな変化が訪れるのは第一次世界大戦後である。
敗者であるドイツ、オーストリア=ハンガリー、領土はあるが列強ではなかったオスマン・トルコ、一応勝者の側にいるが革命により混乱したロシア。これらの国々により領土の大量放出が発生したのだ。今までの歴史が繰り返すならば、敗者は勝者に徹底的に蹂躙され、領土を奪われ、被支配民族となるのが常であろう。
だが、そうはならなかった。
植民地こそ全て取り上げられたが、居住する主要な各民族ごとに国家を与えられたのだ。
被支配民族になるよりはマシだが、冷静に考えると随分な無茶をしたと思う。人口におけるドイツ民族の比率が高かったドイツだけは本国の領土割譲と分割をほとんど免れたが、他の敗戦国は悲惨である。二度とかつての栄光を取り戻せぬよう粉々に打ち砕かれた。
オーストリア=ハンガリー帝国とオスマン・トルコ帝国の完全な消滅は、地域に権力の空白を生じさせた。その空白を埋めるのは新たな国家群しかないのだが、誕生したての赤ん坊が内政と国際外交を両立するのは限界がある。
開始時点で大混乱が予想されるのだが、そんな憂慮は一切無視された。
全ては「民族自決」の名の元に。
◇
「民族自決」といえば第28代アメリカ合衆国大統領トーマス・ウッドロウ・ウィルソンが思い浮かぶと思う。彼が第一次世界大戦講和条約であるヴェルサイユ条約で、強力に推し進めた政策であり理念。まあ、提唱者は彼ではないのだが、彼ほど強烈に推進し実践した人物は他にいまい。
故に民族自決=ウィルソン=アメリカという図式が、僕の頭の中で成立している。
彼の掲げた主張の実践は欧州のみに限られ、アジア、アフリカ等の植民地は顧みられなかった。仮に主張したとしても膨大な植民地を背景にした経済圏を持つイギリス、フランスが断固受け入れないだろうし、そのようなことをすれば世界はかつてない程混乱をしたであろう。
欧州のみに限定したのは、実験という意味でも妥当な選択だと僕は思う。
第一次世界大戦のヴェルサイユ条約締結段階において、連合国は中央同盟国諸国に進駐占領する選択肢もあっただろうが、それでもウィルソンの主張を受け入れたのは、決して彼の思想に感銘を受けたのではないだろう。
このまま雪崩れ込むように軍事的侵攻をしようにも、余りにも膨大な命と資財が投じられたため負担に喘ぐ市民の声を権力者が無視できなかったのだ。
既に主権は王侯貴族から国民に移り変わり、ナポレオン戦争時のウィーン会議のような無茶をする余裕は政治家にない。彼等は第二次世界大戦時のヒトラーやスターリンのような絶対的独裁者でもないのだ。
どれほど無茶をしようとも最終的には国民に説明する義務、つまり選挙という洗礼が待ち受けていた。そういう意味では市民社会の成熟さが新たな戦争を防止したのだが、国民の声はそれだけに留まらなかった。
大戦争の経費を誰が支払うか?
根本的にして根源的な問題である。
積み重なった戦費は戦時国債で賄われたが、借金である以上はいつかは返済しなければならない。敵が支払わなければ税金を上げるしかないのだが、国民はそれを望まなかった。
俺だって嫌だ。断固反対するだろう。
ケインズ先生のように冷静に分析して、支払い可能な妥当と思われる金額を提示できる勇気ある政治家は皆無だったのは、皆が選挙で負けるのを恐れたのだ。
結果、中央同盟国諸国は賠償金を支払うために存続する必要性があったと言えなくもない。だが、領土をそのままにしておいたらカルタゴのように再び立ち上がるのではないか?
この疑問を解決したのが、「民族自決」による国家の分割だろう。
ウィルソンの恐ろしさは、この時限爆弾がいずれ世界中に伝播するように宣伝した点だ。世界史にさん然と輝く金字塔は人々の記憶へ永遠に刻まれた。
我々は、もう二度と「民族自決」の思想がない世界に戻れないのだ。
蒔いた種子はいずれ開花する。
遅かれ早かれ勝者として勝ち残ったイギリス・フランス・イタリア・日本の植民地支配をいずれ破綻させるだろうことは開始時点から予測でき、植民地がさほどないアメリカは、大して痛みのないように最初から設計されていたのだろう。
国家成立時点で連邦制を採用することで国体の保持を思想に置いているアメリカは、民族主義による国家の分断・分割のリスクが少ない。自分以外は徐々に小さくなっていけば相対的にアメリカという国が強くなっていく理屈が成立している気がしてならない。
20世紀前半に後の未来を予測して時限爆弾を仕掛けたとしたら、ウィルソンは僕がいままで考えていた以上に恐ろしい人物である。
◇
第一次世界大戦後、分割されていく世界に対して抵抗する動きもあった。
例えばアドルフ・ヒトラーの唱えた大ドイツ、東西冷戦時のイデオロギー対立、国際連盟・国際連合という組織、NATO・ワルシャワ条約機構・上海条約機構等による軍事同盟。
それらは結局、国家による領土支配を打ち砕く存在にならなかった。
ユーロを採用するEU諸国は少し例外的だが、それでも法体系を統一することである種の連邦制に移行するには難しいと言わざるを得ない。
国家を揺るがすような革新的進歩では、兵器において核があり、通信手段ではネットなどのSNSの普及が上げられる。が、いずれも国家という存在を揺るがすに至っていない。
国家とは、つまるところ共同体である。
同じ共同体に所属する以上出来るだけ同じ価値観の共有を目指すのは致し方ないが、共同体として経営が成立しないのでは論外である。経営を効率化するのには規模の拡大が大きな選択肢であり帝国主義はその典型だが、「民族自決」という枷を付けられたことで領土拡張による市場の拡大は不可能になってしまった。
残る選択肢は国家の枠組みを残したままの貿易協定しかないのだが、このケースの場合、元々大きな市場を持つ方が有利になりがちである。アメリカ様様なのだ。
インドや中国が100年前に考えられないくらい重視される様になったのも、この変化が大きいのではないだろうか。
これが僕が考える「民族自決の罠」である。
「民族自決の罠」にかかることで、既存国家はクッキーを叩いたように粉々になっていく。
この動きを否定するのは難しい。スコットランドの独立を止めたのは、舐めた真似したらイギリス・ポンドを使用させないという強烈な脅しだった。
経済的大混乱への恐怖。
飴では熱狂した人々を止められないのだ。
◇
近未来小説のように大国家や機構による整理統合を実現するには、「民族自決」を否定する程の価値観を市民に提示する必要性がある。或いは。市民社会の没落により誕生する専制君主に近い少数による独裁的統治。
僕には前者より後者の方が確率が高い気がしてならない。
整理統合された社会を描くには、僕等の住む世界と異なる価値観と社会を描きだす必要があるだろう。異能や能力だけでは共同体は成立しないのだ。
近年の例ではISの主張するカリフ制の復活は、ある意味「民族自決」に対抗する価値観の提示と言えなくもない。カリフ制そのものに目新しさはないが、異なる価値観の提示という点では良い点を突いていると素直に思う。
同様の行為はドイツ帝国の復活を主張したアドルフ・ヒトラーなどあるが、枠組みが民族や国家でなく制度である点が興味深い。
粉々に分断されていく世界に住む我々の社会は、このままより小さくなっていくのだろうか。それともやがて限界点に達することで、経済的必要性から「民族自決の罠」という枷を打ち破る日が来るのか。
宇宙人の襲来に対抗するため地球連合政府の誕生させるというのも有りだろう。必要性という観点では可能性が一番高い気がするが、かつてペルシャ帝国と戦うためギリシャ諸都市が誕生させたデロス同盟は、ギリシャ連邦に進化することはなかった点を忘れてはいけない。
人は同じ行為を繰り返す。
一見すると進化や進歩したように見えるものは、過去の焼き直しだったりするものが間々あるのだ。
未来を予測するのは困難だが、想像力を刺激する題材である。
未来を予測するには今を正しく理解する必要性があり、これは中々楽しいものである。
僕等は時代の観察者であり証言者なのだ。
長々とそれらしく書いて来た話しを仮説と言えば鼻で笑われるだろうが、妄想なので後ろ指を指される心配はないだろう。言わば妄言の類なのだ。
僕の世界設定は、このように憶測と妄想を膨らませることで成立している。
この機会に、貴方も妄想を膨らませて如何だろうか?




