切れる包丁は危ない
特にターゲットにする読者層を決めず徒然なるがままに筆を走らせる、このエッセイ。
今回の御題は「包丁」である。
我が家には包丁に関する一つの考え方がある。それは「包丁はほどほどにしか切れない方が安全である」という考え方だ。あれっ? おい、馬鹿を言うな。非常識じゃないか!? と思う方は当然いるだろう。異論は当然あるだろうが、どうか最後まで話を聞いて欲しい。
我が家の考えが正しいとは主張しないが、包丁という物に関して今一度捉え直すキッカケにはなると思う。
まず誤解を解きたいのだが、僕は包丁は切れない方が安全だとは書いていない。詐欺だと思われるかもしれないが見直してほしい、「ほどほど」と前提を付けている。言いかえれば、ほどほど切れる包丁は安全だと主張したいのだ。
この、ほどほどが重要である。
一般的に切れない包丁では、力の加減を間違えるため手を怪我すると考えられている。確かに道理であり異論は全くない。過剰スペックという概念を無視すれば、だ。
家事をされている方はお分かりかと思うのだが、普通の家庭料理でそこまで堅い食材を切るだろうか?
野菜や肉はばら売りされており、一個買いをすることは余りない。野菜については一概に言えないが、そこまで堅いということはないだろう。一個丸ごと買うのはジャガイモのような小さな形状かホウレンソウのような葉物野菜がほとんど。
そういった食材を調理するのに、斬鉄剣さながらの切れ味を包丁に求める必要があるだろうか?
否である。
ほどほどに切れる包丁で充分事足りる。
ジャガイモやニンジンのような小さな食材の皮を剥く際、切れすぎると返って怪我をしやすい。最近は道具が進化しているためピーラーや料理用のハサミのような便利な器具が登場してきたので、以前より怪我はしにくいかもしれない。
僕は包丁一本で解決するにも関わらず、他の道具を駆使するという考え方がどうにも好きになれない人だ。多数の道具を用途ごとに使い分ける調理人は別として、一つの道具を使いこなす方が本来の筋であると考える。なにより道具を無駄に増やす行為は、結果として調理場をより狭くし道具の管理が複雑になっていくのは必然だろう。
故に包丁だけでいいだろう? と僕には思えてならない。
もちろん例外はあり、刺身包丁は別格だろう。
過剰スペックな包丁は不要と記述しているが、ほどほどにしか切れない包丁では魚を捌くのは困難であり、このケースでは用途に応じて別の道具を使用するのに同意する。
ここまで読んで料理を全く出来ない人間が偉そうな主張をしていると思うかもしれないが、それは違う。僕は料理が出来ないのではなく、しないだけである。単身赴任時はマイバック片手に八百屋で野菜を購入して煮付けやらを自分で料理していた。過度な楽は人間を堕落させると信じる人なので、カップラーメンやコンビニ弁当を一度も購入しなかった。
レシピさえあればそれなりに料理が出来る人なのだ。
単身赴任前、嫁さんに一度料理したことがあるのだが悔しがられたのを良く覚えている。毎日料理をしている人と比べれば確実に劣るのだが、料理が出来ない人間が主張しているのではない点を御理解してほしい。
一つ面白い実例を披露しようと思う。
僕が単身赴任をした時、偶然ながら同時に一つ年上の従兄も単身赴任となった。二人とも自炊を決断したのだが従兄の方は修学旅行時に奈良で購入した――従兄も僕も同じ学校に通っていたので同じ場所に修学旅行で行ったのだが、東大寺の脇にあった包丁屋に連れて行かれるルートが確定していた。そこの包丁はとにかく切れるのだが、余りの切れ味を聞かされた母は絶対購入するなと僕に念を押していた――とにかく切れる包丁を持参し、僕は「ほどほどにしか切れない」包丁を持参した。
使い慣れた包丁を奪われることに母親達からは抗議の声が上がったが、「俺に怪我をさせる気か?!」と強引に説き伏せた。
さて僕と従兄、どちらが怪我をしただろうか?
断っておきたいのだが従兄も僕も普段料理をしない人間である。二人に違いがあるとしたら従兄の方が僕より遥かに器用な人間という点だけ。
結果を言えば、手を怪我をしたのは僕ではなく従兄の方。血が止まらず結構大変な目にあったようだ。
僕の場合、手に包丁を当てたことはあったかもしれないが、「ほどほどしか切れない」ため怪我をすることはなかった。
普段料理をほとんどしない人間には、斬鉄剣のような無駄に切れる過剰スペックな包丁など無用の長物なのだ。何故なら一人暮らしの人間はカボチャのような堅い食材を一個丸ごと購入しないのだから。
適当な例えでないかもしれないが自動車の選択と似ているかもしれない。
免許取りたての人間がスポーツカー・タイプを購入するのは、不相応なだけでなく未熟な運転テクニックから考えれば過剰スペックであり、軽自動車やコンパクトカーの方が運転しやすいだろう。
この考え方を包丁に応用しているだけなのだ。
物事には用途にあったスペックという物があり、「切れる包丁は危ない」という考え方もこの延長上にある。まあ、僕が考え出したものではなく母親の持論なのだが。
問題なのは「ほどほどに斬れる」の「ほどほど」をどこに据えるかだ。こればかりは経験が物差しであり、残念ながら僕には基準を披露することはできない。
「切れる包丁は危ない」という異色の考え方を教え込まれたため、僕には常識を無条件に受け入れない素地が形成された面は確かにある。結論があるとしてもそれには理由があり、理由にマッチするなら別の結論も存在し得る。
僕が世界設定を生みだすとき憶測と妄想を元にして、ある種の仮説を真実のように記述する癖は、子供の頃から教え込まれたことに原点があるのかもしれない。




