車を所有することのデメリット
特にターゲットにする読者層を決めず徒然なるがままに筆を走らせる、このエッセイ。
今回の御題は「車を所有することのデメリット」である。
自動車メーカーに喧嘩するかのような御題だが、決して某掲示板で唱えられるような主張をしたいわけではない。その点を事前に御理解して頂けないだろうか。
もしかしたら同じ主張もあるだろうが、僕の体験や考えが結果として同じ結論に達したということなのだろう。
僕は車が嫌いだ。
といっても自動車事故の被害者だからでもないし――実は子供の頃に交通事故に会っているのだが、幸い打撲程度の怪我ですんでいる。余りに軽微な怪我なのでエッセイを書いた段階ではすっかり忘れていた――自称地球を愛する世界的環境保護団体の支持者というわけでもない。
地方都市に住む人間であるため必然的に車を所有しているに過ぎず、もし可能ならば今すぐにでも車を放棄したいと常々考えている。
地方都市は公共交通機関が大都市圏ほど発達していない。10分も待たずにバスやら電車やらがひっきりなしにやってくる生活をされる方々が非常に羨ましい。出張時に満員電車を体験しているので苛酷さは理解しているが、それでも羨ましいと感じるのには理由がある。
今回は、その点を主張したいと思う。
大体、車は初期コストが無駄に高い。
軽自動車ですら150万くらいはする上、自動車税やら保険やら車検やらで維持コストを絞り取られる。燃料費も加えれば年間で20,30万くらいは経費がかかるのではないだろうか。
車は10年持つと言われるが――あくまで誤差があり車種によっては20年は持つだろう――家電と違いタイマーが経過したとしても直ぐには壊れない。某家電メーカーには決して不可能な偉業を成し遂げている点も、日本車メーカーが未だ世界をリードしている所以だろう。
とは言え、塗装は劣化するし金属疲労という壁は存在する。最近の車はハイテク化しているから、金属以前に内部の電子機器が持たないのではないだろうか。家電製品が一定の期間以上持たないのは、内部で使用されているケミカルコンデンサの耐久性が限界を迎える場合が多いのだ。
基板やら角型部品やICなんかは案外丈夫だったりする。
航空機の事故現場から部品が大量に回収され闇市場に出回っているという、アメリカのドキュメンタリ―番組で見たことがある。極端な例であり褒められた行為ではないのだが、ある意味部品の耐久性を示す良い例なのだろう。内部にひびが入っているかもしれないが、見た目上は動いたりするものなのだ。
いずれにしても車という製品は、購入から10年を過ぎたあたりから加速度的に劣化していくものらしい。
購入資金に200万として維持費に20,30万。
維持している間に購入できるだけの資金を投入しなければいけないという現状は、客観的にみて狂っている。自動車保険は致し方ないとしても、車検やら自動車税の高さと徴収頻度は不自然である。
この国のガソリン代の高さにも色々言いたいが、あれは価格を一定レベルで抑えている効果や利益が道路整備に投じられているので妥協しよう。
石油価格の乱高下気に対応してガソリン価格も2~3倍になったら、どこかの後進国のように暴動が起きても不思議ではない。もし起きたらの仮定になるが、デモやらストライキといった左派的行動が大嫌いな僕でもデモに参加するだろう。
車は地方都市に住む者にとって必需品だが家電と違い維持コストが高すぎる点は大きな問題だが、その点だけを取り上げて車が嫌いという訳ではない。
僕が車が嫌いな一番の要素は、それが凶器である点にある。
凶器という点なら美術品である日本刀も嫌いなのか? と問われるかもしれないが、それはちと違う。僕の家に日本刀は無いが、あれは外に出さなければだれにも迷惑をかけない代物だ。
だが、車は違う。
足代わりに利用するため当然ながら外で運用し、人に当たれば高い確率で死亡させる。
日本の法律はドライバーに優しくない。
どれほどドライバーに過失がなかろうと容赦なく全責任を押しつけ、その人生を破綻させる。
路上で寝ている馬鹿や自殺をしたい迷惑モノを跳ね飛ばしたとして、何故ドライバーが過失を問われなければならないのかさっぱり理解できない。
予測しろというのだろうが、僕等はアムロ・レイのようなニュータイプではないのだ。車の装甲越しに相手の存在を感じるなど不可能である。
世の中には、回避不可能な事故というのもあるのだ。
最近はドライバーの過失には保険会社が金を出さないらしく、全額負担という事例もあり得る。過失を犯したとしても人間である以上不注意は有り得るが、そのような言い訳は通用しない。
ドライバーは人間なのにロボットのように正確で、スパコンのように高速で演算して未来予測を求められるのは現実的ではない。不可能なのは不可能なのだ。誰かが口を開いて主張するべきなのだが、批判を恐れてかTVや新聞等で聞いたことが無い。
精々、ネットで見かける程度である。
最近はグーグルが完全自動走行を実用化しようとしているが、どうせ事故が起きてもドライバーに全責任を押し付けるに決まっている。
ドライバーは政治家と大企業から不当に責任を押し付けられていると言えなくもない。文句がある人間は車の所有を諦めるしかないのだ。
不可避な事故の代償が高い賠償金やら失職、家族離散というのはあんまりではないだろうか?
誤解してほしくないのだが、交通事故で家族を亡くされた方々を批判する意図はない。悲しむべきことであり、幸福な生活を過ごされていた方々が理不尽に命を奪われた憎むべき事故だと思う。
だが、全ての交通事故が回避可能なのかといえば違うにもかかわらず、全責任を押し付けられる前提は可笑しいと言わざるを得ない。
愚痴をどれだけ並べたてても、車を持たなければならないというアンビバレンスは存在し続ける。
自己矛盾を内包しながら生きていくしかない以上、危険に対しては自己防衛するしか手が無いのである。それが対処法療法にすぎないとしてもだ。
長距離移動は基本電車。
長距離移動ほど事故に会う確率が高い行為は無く、そのようなリスクを冒す気などない。休日は自転車か徒歩で移動して、ほとんど運転しないように心がけている。
コスト削減だけでなく地球環境にも優しい対処法療法である。
自転車や徒歩でも外に出れば事故に会う確率は上がる。引きこもっていれば安全かもしれないが社会的な生活と言えないだろう。
なにより自転車や徒歩で仮に事故に遭遇したとして、全責任はドライバーに行くのだから問題はない。迷惑な言い草になるが、リスクは他の方に押し付けている。勿論、自転車や徒歩で事故に会えば死ぬかもしれないが、そのリスクは許容するしかないだろう。
リスクを回避したのか負ったのか分からない行為だが、現状では仕方がない。
全て政治家と馬鹿な主張を唱える自称知識人、そしてその政策を賛美するマスコミが悪いのだ。
致し方なくスーパーなどの量販店に駐車するときは、出来るだけ入口から遠くに停める。しかも四方に車が駐車していない場所を選んで。嫁さんや友人達からは不評だが、脇に人がいる確率を上げる行為はリスク以外の何者でないと僕は考える。文句を唱える奴がいたらその場で車から放り出し、以降2度と載せてやらないと心に決めている。
そもそも入口近くに止めるため車で移動をし続ける行為は、ガソリンの浪費以外の何者でないと思う。
入口近くといっても数10メートルである。
その行為にどれほどのメリットがあるのだろう?
第一、入口なのだから客が脇を通る確率があり、必然的に事故に遭遇する確率も上がる。僕には到底理解できない行為なのだが、彼等にとっては人生を賭けても良いと思う程価値がある行為なのだろう。
人には生きたいように生きる権利があり、他者の価値観にはとやかく言うまい。なにより、お陰で遠くのスペースが空くのだから文句がある筈がない。
繰り返しになるが「車を所有することのデメリット」は凶器を手にする点である。なにより一番のデメリットは、責任が一切存在なかろうとも全責任を押し付けられる点。これほど理不尽な悪法が運用されている現状をデメリットと言わずして、なにをデメリットというのであろうか。
地方都市に住む人間には車を所有しないという選択肢が実質的に存在しないのだから、その理不尽さに磨きがかかる。
僕が大都市圏に住む方を羨ましく思う気持ちを、少しは御理解して頂けるのではないだろうか。
某自動車会社のトップは「若者の自動車離れ」を憂いているようだが、注目を浴びる製品を創る以前に改善すべき点は多いと思う。彼らにはそれだけの政治力と資金力があるのだから。
その努力が不足しているから車を所有したくない、僕のような人間が生まれるのではないだろうか。人生が破壊されるかもしれない選択を好んでとりたい人間などいないのだ。
見当違いの対策を取り続ける限り、「若者の自動車離れ」は加速することはあっても減速することはないと断言できる。賭けてもいい。
愚痴が多くなったが、ドライバーの置かれた不遇を少しは理解して頂ければ幸いです。




