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何故、ファラオだけが神秘性を維持できたのか?

 小説を書く上で世界観を考えるのは大変ですが、僕の場合日常生活で感じる疑問を元に世界観を書きあげたりします。

 数々の情報や知識を点と捉え、それらを憶測と想像という線で繋ぎ合せることで、仮説という名の面に至る。

 生産性のない行為であり、まったく学術的な根拠のない仮説は妄想、空想の類です。

 これを仮説と主張すれば世の笑いモノでしょうが、小説に使える世界設定と捉えれば何らかのアクセントと捉える事が出来ます。

 戯言を長々と語る内容ですが、暇つぶしに読んで頂ければ幸いです。


 第一回は、「何故、ファラオだけが神秘性を維持できたのか?」


 洋の東西を問わず、古代において国を治める王は神を称して国を統治していました。

 ジッグラトに代表される神殿は街の中心部に存在しますが、それは信仰上の存在を誇示する必要があったというだけではなく、街の中心に存在していた方が統治する上で都合が良かったのではないでしょうか。

 神官や司祭から王に権限が移行していった過程がどの年代だったのかまでは分かりませんが、長きにわたって現人神として国家を統治できた存在といえば、古代エジプトに存在していたファラオではないでしょうか。

 ファラオは神界と地上を結ぶ仲介者であり、神ではないが神と同等の存在と見なされていたらしいので、厳密には神ではないのですが。

 僕がここで指摘したいのは、ファラオのもつ神秘性が長く維持し続けた上で国家統治出来たのは何故なのだろうか? という点だったりするので多少の誤差は眼をつぶっても問題ないでしょうね。


 よく言われるのがエジプトという土地の持つ特殊性です。

 西側はサハラ砂漠という不毛の土地。

 東側はシナイ半島のみであり防衛が簡単な上、しかも厳しい環境なため巨大国家が成立しにくい。

 南北を横断するナイル川のお陰で作物の栽培に適している。

 雨季には洪水が発生するが、これは巧みに管理することが可能な知識が彼らには存在していた。

 確かに強力な国家が成立する要素があるのが分かります。

 ですが、僕は疑問なのです。

 何故、国家を統治する存在が神の仲介者である必要があったのか? と。


 国家を統治する以上、何らかの根拠が必要です。

 例えばローマ皇帝はカエサルの子孫であり、そのカエサルが所属するユリウス氏族は祖先は神である。つまりローマ皇帝も神の子孫という理屈になるわけだが、ローマ皇帝はあくまで一市民が権力を集中した結果という立場を堅持していた。

 まあ、あれは元が共和制国家ということがあるけれど。

 中世には王権神授説を根拠に、教会などに対抗して現実の権力と武力を集中させていきました。

 そこまで時代を遡らずとも、ヒッタイト、アッシリア、アケメネス朝に代表される武力中心の古代王朝とはどこか違うように僕は感じるのです。

 エジプト王朝は何度か倒れたにもかかわらず、再びその地を収めた人間がファラオであった点。

 何故、ファラオでなければならないのか?

 エジプト古王国時代(第3 - 6王朝)ならまだ分かりますが、エジプト末期王朝(第27 - 31王朝)でもまだファラオです。

 長きに渡ってエジプトを統治してきた存在を利用するのは、なにかと都合が良かったのでしょう。

 だとしても、それだけ長い期間神秘性を維持できていた理由はやはり疑問として残ります。


 エジプトはナイルの贈り物とも言われますが、それは雨期に運ばれる水と肥沃の土を運んでくるからです。重大な影響を国家に与える事からも、ナイルの管理如何はファラオにとって極めて重要な事項だったと思われます。

 少し話は逸れますが、西側の不毛な砂漠の覆われた死者の土地とは異なり、東側に存在するナイル川沿岸のデルタ地帯は生者の国。ナイルの洪水を管理するファラオは毎年、洪水という神秘を管理する存在。

 オシリス、イシス、ホルスまで絡めると長くなのでこの辺で省略しますが、ナイルの管理こそがファラオの権威と神秘性の象徴だったのでしょう。

 それを毎年実現しているのですから、奇跡と秘術を毎年披露していると言えなくもないです。

 これは、他の現人神達にはやろうとしも出来ない御業だったでしょう。

 なるほど、神秘性を保てるわけです。


 さて、ここから想像の翼が羽ばたきます。

 はっきり言って妄想の類ですが、果たしてそれだけだったのか疑問があるのです。

 西側の不毛な砂漠の覆われた死者の土地。

 ここに重大な意味があったのではないかと、僕は想像するのです。

 エジプトの西には世界遺産にも登録されたタッシリ・ナジェールが存在します。

 タッシリ・ナジェールは、アルジェリア南東部、サハラ砂漠にある台地状の山脈にあります。

 先史時代にはサハラ砂漠も緑と動物溢れた人が住むに適した土地でした。

 それが砂漠化に不毛の土地と化していった。

 恐らくは存在していたであろう集落や神官達は、神に祈ることでこの苦難に立ち向かった事でしょう。

 自然の猛威の前には信仰も、人の努力も無意味。

 西へ西へ広がり続ける砂漠の波は、集落も川も山をも飲み込み続けた。

 餓鬼のようなような食欲と悪魔のような無慈悲さ。

 住む家どころか住み慣れた土地すら奪われた彼らが泣くしかなく、悪魔を食いとめる手段はないと誰もが思った。

 いや、砂漠化は止まったのです。

 ナイルこそが砂漠化を食い止めました。

 砂漠化という悪魔を食いとめたナイルこそが神であり、その神を管理するファラオ。

 だからこそ、ファラオは神と唯一対話できる存在だった。

 砂漠化の悪夢が記憶の根底にあるからこそ、神の存在を信じ続けることが出来たのではないだろうかと仮説を立ててみました。

 この仮説には全く学術的根拠がありません。

 仮説を主張する気も無いですが、小説における世界観の構成に一役使えないかなとは思うのです。


 人は何故神を信じるのか?

 信じ続ける理由は?

 それは過去の悪夢と毎年見る奇跡があるから。

 神に祝福された王国とそこに住む民。

 その王国に迫りくる悪夢とは?


 などと連想して小説を考える分には、空想家だと非難されることはありません。

 小説は自由です。

 空想と想像、そして一定の論理と根拠が必要。

 その要素として利用できるのではないか、などと考えて今日を生きる大本営でした。

ファラオについて考えるのが日常なのかと御指摘されるかもしれませんが、僕にとっては日常だったりします。

職業上の理由ではなく、ただの趣味です。

知識や情報を元に論理を構成し、自分を納得できる仮説はないかと考えるのは、僕にとっては日常的行為だったりします。

それがときに国際情勢だったり、ときに古代であったりと。

まあ、こんな感じだったりします。

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