96話 「数奇な出会い」
千年亭ミレニウムはあまり大きな宿ではない。
こじんまりとした、それでいて風情のある宿である。
宿泊用に使われる部屋のほとんどはその二階にあった。
メレアたちは自分たちの部屋があるという二階へ上る前に、ほんの少し一階の方も案内してもらった。
一階にはシックな装いの食堂と、バーカウンターのようなものが設置された酒場がある。
そのカウンター奥の棚には、色とりどりの酒瓶がピカピカに磨かれた状態で置かれていて、それのみでステンドグラスのような美しさを見るものに感じさせた。
どうやらその酒場は亭主の趣味であるらしい。
気が向いたときにそこで宿の宿泊客に酒を振る舞うのだとか。
「あんな生き方してえ……」
サルマーンがしみじみと言っていた。
メレアもそれに笑いながらうなずきを添え、
――なんだか俺が想像していた芸術都市の紳士らしい、上品な亭主だ。
内心にそう思った。
多くの人が入り乱れるがやがやとした喧騒もけして嫌いではないが、こういう独特の上品さも、自分にはないものであるがゆえに好ましいものである。
亭主の軽い説明を受けたあと、メレアたちが案内されたのは二階の奥間であった。
「通路が狭くて申し訳ありませんね」
「いやいや、大丈夫ですよ。こっちの方が安心します」
そのころには、メレアもシャウに混ざって亭主との会話に加わっていた。
なにかあったときの連絡先は、ひとまず今回の予約をこなしたシャウが第一であったが、シャウがいない場合にはメレアにするようあらかじめ知らせてある。
なので、メレアはメレアで、今のうちに顔合わせをしておこうと思ったのだ。
「普段やたらと開放感のある通路を通っているので、よけいにそう思います。なにより壁がこんな上質の木材で――毒々しい紫色の石塊じゃないだけで、いやホント、落ち着く。……どうやったらあの色を広間に使おうなんていう発想が生まれるんだ……」
メレアは脳裏に『我が家』を思い出しながら、「はあ」と大きくため息をついた。
あの我が家――星樹城も、一階の大広間を除けば特段にどうということもないのだが、城門をくぐってまっさきに目に入る広間があの毒々しさであるのは、やはり無視できまい。
その絶望的構造を作り出したのは、もちろんかのレイラス=リフ=レミューゼである。
――しかしまあ……
メレアはそのレイラスの形見でもある自分の雪白髪を指に絡めながら、内心で力強く言葉を紡いだ。
――よく止めてくれた、フランダー。
大広間にでんと置かれた玉座に刻まれていた言葉を、メレアは思い出した。
あのフランダーの制止がなければ、あるいはレイラスが星樹城全体へその壊滅的美的センスを波及させていたかもしれない。
メレアはレイラスに直接会ったことがないから、いったいどんな女性だったのだろうかと予想しがちな一方、
――話を聞くかぎり、見た目が超俗的だったわりにはやけに子どもっぽかったようだ。
英霊たちの話や、あの玉座に彫刻された文字を見て、そういう印象を抱いた。
しかしそんなメレア自身、かくいう自分も仲間たちに似たような印象を抱かせていることには、まだ気づいていなかった。
「ほう、開放感のある通路と。気になりますね。ちなみに、普段はどのようなところにお住まいで?」
と、メレアがしばしの間内心で思考を巡らせていると、千年亭の亭主の方がさきほどのメレアの言葉に興味深げな表情と言葉を返していた。眉をあげ、少し眼鏡の奥の目を丸めている。
「城ですね」
「――城」
「ええ」
メレアの端的な答えに、亭主がぽかんと口を開ける。亭主はそのまま、唖然とした様子でシャウの方を見た。
目には『真偽に関して助言を』、というような、いぶかしげな色が漂っていた。
そんな亭主の様子に気づいたシャウは、同じく即座に答える。
「城です」
「――城」
シャウがうなずきながら真顔で言うと、亭主はまたきょとんとしてうなずいた。
その後、わずかにうなるような苦悶の声が亭主の口から漏れたが、結局、どうにかそれで納得したようだった。
「どこかの貴族さまで?」
「いえ、貴族どころか、平民ですらないかもしれませんね。もちろん、上という意味ではなくて、より貧しい社会的地位、という意味で。――ええ、しかも、世界的に」
「これはまた、難しい謎かけでございますね」
「私たちがこの宿にお世話になったあとにでも、答え合わせをしましょう。その間、亭主の好奇心のお供でもさせておいてください」
「ええ、ぜひそうさせていただきましょう。芸術都市に上質な謎はお似合いですから」
そう亭主が楽しげに答えたあたりで、ちょうど一行はひとつの扉の前にたどり着いた。
亭主が足を止め、あらためてメレアたちの方を振り返る。
「こちらが一室でございます。ここの向かいと、隣の二部屋が、シャーウッド様ご一行のお部屋となります」
壁と同じく上質な木材で作られた扉がメレアたちの目に映った。
「ちなみに、二階にほかの客は?」
そう訊ねるのはメレアだ。
「お二人ほど、いらっしゃいます」
「わかった。じゃあ、あまり迷惑にならないように気をつけるよ」
「まあ、そのうちのお一方はあまり部屋にいることはないので、日中は特段に気を遣う必要もございませんよ」
と、亭主が言ったときだった。
ふいに、メレアたちの後ろから別の声がやってくる。
それはどことない陽気さを滲ませた、爽やかな音色の声だった。
「亭主ー、取り込み中悪いけど、大事な言伝がありまーす」
メレアはその声に振り向く。
直後、視界に入ったのは――華美な衣装に身を包んだ、道化師のような男の姿だった。
◆◆◆
「あっ――」
その道化師は、女と見まがうまでに美しい顔を、次の瞬間には驚愕にゆがめていた。
露骨に『やってしまった』というような表情だ。
「どうなされました、シーザー様。あ、こちら今日からこの宿の二階に宿泊することになったシャーウッド様ご一行です。ご紹介しておきますね」
「あっ、やっ、う、うん……。……うん」
「シーザー?」
と、二人の会話のあとに声をあげる者が一人。
シャウ=ジュール=シャーウッド、その人だ。
シャウは顔に不思議そうな表情を浮かべ、ほっそりとした美貌の道化師を入念に見つめていた。
対する道化師の方は顔をうつむけて、まるでシャウの視線から逃れるような仕草を見せている。
それからほんの数秒の間があって、先に声をあげたのはシャウの方だった。
「ははあ、『今は』シーザーと名乗っているのですか、ははあ、ふーん」
「……」
シャウの顔にはいつの間にかにやにやとした笑みが浮かんでいる。
それをちらと見た道化師は、化粧の下からでもわかるような紅潮を、次の瞬間に顔に乗せていた。
「いやあ、男らしい名前で結構。やや格好良すぎる気もしますが、見た目は悪くないですし、名前負けというほどではないでしょう」
「……お、お褒めにあずかり光栄です」
二人の間でなされた会話に、亭主を含めた一行は首をかしげる。
「それで、シーザー様、言伝とは?」
しばし間をおいて、話を本題に戻すように亭主が道化師に訊ねた。
「あ、ああ、ラルバスさんが部屋を引き払うって。荷物はほとんどないから、『残ってるものは捨てておいてくれ』、だそうです」
「そうですか、なにか急用でもあったのでしょうかね。最後にご挨拶をしたかったのですが、残念です」
「なんだか急いでました。実家に帰るだとかなんとか」
「なにかあったのかもしれませんね。――さて、詮索はほどほどにしましょう。それではシャーウッド様、なにかわからないことがございましたらその都度お知らせください。わたくしは基本的に一階の受付あたりにおりますので。姿が見えないときはその裏の部屋にいると思います」
「はい、ご丁寧にどうも」
シャウは道化師に向けていたにやにやとした笑みを一瞬のうちにさわやかな笑みに変え、亭主に答えた。
そうして、細い宿の廊下を亭主が身を横にしながら去っていく。
その場に残されたのはメレアたちと――その道化師、シーザーであった。
◆◆◆
「あ、あー……、じゃあボクもこのあたりでお暇――」
「シーザーさん」
「……はい」
「ちょっとお話があるのですが、お時間があれば私とお食事でもどうです?」
「いやぁ、実はボク、これからちょっと用事が――」
「お時間あれば、私とお食事でもどうです?」
「……ぜひ」
その金の亡者は、有無を言わせぬ迫力でその日の晩餐を取り付けていた。
顔には微動だにしない満面の笑みがある。
メレアは道化師シーザーのしょんぼりとしたうなずきを捉えつつ、そのシャウの満面の笑みを見て、
――獲物を見つけたときの顔だ……。
そんなことを胸に浮かべていた。
ともあれ、まずは現状、シャウの突然の行動に首をかしげたいところである。
――知り合いかな?
おおよその予想をつけながら、メレアはシャウに訊ねた。
「外出るの?」
「ええ、来たばかりで申し訳ありませんが、これも我ら〈魔王連合〉のためです」
その含むような言い回しに、メレアはシャウの心中を察していた。
あえて『魔王連合のため』と言ったところに、シャウの含みがある。
リリウムと同じくたぐいまれな聡明さと察しの良さを兼ねそなえているシャウは、普通であれば、今の問いかけに具体的に答えただろう。
しかし、このときシャウは、『なにをするためにその道化師と食事に行くのか』を言わなかった。
――……。
メレアは一瞬の間にいくつかの思考を巡らせる。
だが、結局は、
「わかった。いいよ」
そういって軽くうなずいた。
次いでメレアは、近場で首をかしげているほかの魔王たちをぐるりと見回して、
「じゃあ――」
と声をあげる。
外に出るシャウに、誰か一人、護衛をつけさせようと思った。
すると、
「俺がついてく。到着したばかりで疲れてるだろうから、女と子どもは休んどけ」
サルマーンが率先して一歩前へ出てくる。
砂色の髪を片手でぐしゃぐしゃと掻くサルマーンの顔には、少し面倒くさそうな表情があるが、言葉ははっきりとしていた。
「わたしも行く!」「わたしも!」
そんなサルマーンに対し、追従するようにして双子が言う。
小さな身をぴょんぴょんと跳ねさせて、サルマーンの腕にぶら下がらんばかりだった。
「ダメだ。お前らは寝とけ」
「えー」「やだー!」
「お前ここにきて早々に風邪でもひかれたりしたら面倒なんだよ。お前らだってもっと芸術都市見てみたいだろ? ここで風邪引いたらずっと宿の中で留守番だぞ」
「寝る!」「寝る!」
「よろしい」
「最近サルマーンも徐々に扱い方が手馴れてきたな……」
メレアはサルマーンを見ながら苦笑をこぼした。
「てなわけで、お前らは一旦休んどけ。それでいいよな、メレア、金の亡者」
サルマーンはメレアとシャウに言う。
「うん」
「構いませんよ。そう込み入ったことにはならないと思いますから」
二人はサルマーンにうなずきを返した。
そうして、方針が決まる。
ふと、今のやりとりの間に、シーザーの方から「やっぱりここでも金の亡者って呼ばれてるんだ……」と小さな声があがっていたのをメレアはその耳で捉えていた。
やがて、シャウとサルマーンが率先して部屋の中に入っていく。
一旦荷物を置きにいったのだろう。
「その間にわたしたちは部屋割りでも考えておくか」
今度は廊下に残っていたエルマが言って、続く動きで別の部屋の扉を開けた。
「わたくしはメレア様と同室――」
「マリーザは私と同室だな、わかった」
「エルマ、あなた最近わたくしに対する扱いが雑ですね」
「気のせいだ」
マリーザがエルマに続き、アイズとシラディスも談笑しながら部屋に入っていく。――もちろんシラディスは鎧姿だ。
――あ、頭ぶつけた。
シラディスがそのすらりと高い身長のせいで、兜の上部を部屋の扉の上枠にぶつけた瞬間を、メレアはしっかりと捉えた。
がん、と音が鳴って、その全身鎧はその場でうずくまり、すねたように指で床をなぞりはじめている。
「だ、だいじょう、ぶ。たまには、そういうこと、あるよっ」とアイズが鎧の背をさすりながら慰めているが、これはこれでなかなか奇矯な光景である。
「なにあれ怖い……やっぱり金の亡者の知り合いは怖い……」
「シャウと知り合いなの?」
ふと、最後にその場に残ったメレアが、シーザーの方を振り向いて紡いだ。
シーザーは突然のメレアからの問いに、少し驚いた反応を見せるが、すぐに困ったような笑みを浮かべて答える。
「ええ、少し。昔に関わったことがございまして」
「へえ、昔のシャウか。その話も気になるなぁ。――あ、遅れたけど、俺、メレアって言うんだ。……言うんです」
「私はシーザーと言います。芸術都市のしがない道化師です。傍目に見たら、笑ってやってください。笑われることが私の存在意義ですからね。それと、敬語なんて使わなくて大丈夫ですよ。形式的でも、敬われるのが少し苦手でして」
「じゃあ、遠慮なく。そっちも『ボク』でいいよ。俺も畏まられるのは慣れていないんだ。……慣れろって言われるんだけどね……」
メレアは柔らかな微笑をすぐに苦笑に変えて、頭をかいた。
シーザーはそんなメレアを見て、楽しげな笑みを浮かべる。美貌に喜色が乗り、またそこにはいくらかの好奇心が混ざっていた。
「ボクとしては、なぜあの金の亡者があなたについていっているのかの方が気になります。ですが、折入った話をするのもまだ早いですしね。そのうちまた、千年亭の亭主が一階の酒場を開いたときにでも、気が向けばお話しください」
「そちらの話もね」
メレアが言葉を返すと、シーザーは「喜んで」と軽く一礼を返した。
「さて、お待たせしました。では行きますよ、『シーザー』」
「ずっと部屋から出てこなければよかったのに。ボクはメレアと話していたかったなぁ」
「軽口を叩くくらいの余裕は戻ってきたようで、安心しました」
そのあたりで、手早く荷物を部屋に置き終えたシャウが部屋から出てくる。外に出る準備が整ったようだ。
「これで容赦なくあなたをいじめられます」と語尾に加えながら、シャウは楽しげに金糸の髪を揺らしていた。
さらに、あとからサルマーンも出てきて、メレアの肩を叩きながら千年亭の階段を下りて行く。
と、階段を下りる途中、シャウが階上を振り返って、思い出したように言葉を紡いだ。
「日付が変わらぬうちには戻りますよ。我が主?」
片目をつむってメレアに報告する。
メレアはそれを受けて、
「了解したよ。くれぐれも気を付けて。なにかあったら――そうだな……、叫ぶといい。そのときは駆けつけよう。『大事な従者』だからな」
メレアもシャウのわざとらしい言いざまに応えるように、そんな言葉を返した。
メレアの顔には調子のいい相手に返すような苦笑があったが、一方でその目には真面目な色も漂っている。
シャウはその目の中になにか言葉には乗らない思いを見て、
「頼りにしてます」
最後にそう言って踵を返した。
そして三人は夜の芸術都市へと姿を消した。