93話 「剣魔偽譚」
「この街すごいな!」
シーザーがかの一団を見つけるほんの少し前。
〈メレア=メア〉率いる〈魔王連合〉の遠征組が、芸術都市ヴァージリアへと到着していた。
馬車に乗っての行程は、足掛け五日ほどを要した。
これでも馬車をよく飛ばした方だ。
メレアたちが拠点としているレミューゼ王国は、もともと東大陸の中央やや東北よりに位置するが、それでも大陸の東北の果てまではそれくらいの時間が必要だった。
メレアたちは芸術都市の西の都市門に到着すると、手短に手続きを終えた。
大方そういった細かな手続きはシャウが行っていたが、メレアものちのち必要になると思って、横でやりようを観察していた。
しかし、ごく自然な動作でシャウが拳の中に握った銀貨を数枚手渡したところまでを見て、
――見るだけじゃわからないな、これは。
結局そんな言葉を内心に浮かべる。
あとでその銀貨に何の意味があったのかを、訊くことにした。
「さて、行きましょうか、我が主?」
手続きを終えて軽く伸びをしたシャウが、メレアの方を振り向いて言った。
「そこの金の亡者。わたくしの主を『我が』主などと呼ばないでください」
しかし、そんなシャウの声にまっさきに反応を見せたのはメレア本人ではなく、その隣に控えていたメイド――マリーザだった。
「えー、別に間違ってないじゃないですかー」
「間違ってはいませんが、ぞわぞわします。看過しがたいぞわぞわでございます」
苦笑するメレアの隣で、マリーザが自分の肩を抱くように腕を回し、冷罵の色をたたえた視線をシャウに向ける。
「最近このメイド、私に対する冷罵まで適当になってきましたね……、形容が雑だ……!」
シャウはいつも通りのマリーザの攻勢に、やれやれと肩をすくめてみせるが、一方でその胸のうちではほんの少しの安堵を覚えてもいた。
「まあ、変に黙られるよりはこっちの方がマシですが――」
ヴァージリアまでの道中、マリーザはいつもと比べて大人しかった。
それが『暴帝期』に絡んだ彼女の内面の揺れの現れであることを、シャウもまた知っていた。
しかし、こうしてヴァージリアへ入都したあたりで、その揺れが収まってきている。
その証拠となるのが、時間あたりの自分に対する冷罵の数、という点のみはいただけないが、とはいえ、それが一番わかりやすい変化でもあった。
ともあれ、マリーザがいつも通りの状態へと復調を果たしていることに、シャウ自身、不思議に思いながらも、安堵を覚えていた。
「とにかく、あなたは『我らが』主の護衛も兼ねているのですから、いつまでも落ち込んでいられても困りますよ?」
「……言われなくとも、わかっております」
シャウがあらためて念を押すように言うと、マリーザは少し悔しげに、それでいて少し恥ずかしそうに唇を甘噛みし、シャウから視線を逸らした。
シャウはそれを見て、飄々とした笑みを浮かべる。
「まあ、そもそも彼に護衛なんか必要ない気もしますが」
「……いつかの霊山でも、そんなことを話しましたね」
不意に、シャウの言葉に対してマリーザが懐かしむような言葉を投げかけた。
そうやって普通に言葉を飛ばしてきたことにシャウは少し驚きつつも、もしかしたら彼女なりに道中の不出来を詫びたのだろうかと、そんなふうにも思った。
そう思った途端、つい笑いが漏れた。
「フハ、あなたが私に対してしおらしいというのも、存外気持ちの悪いものですね」
「ご心配なさらずとも、すぐにボロ雑巾のようにこき使って差し上げます」
「あっ! 明確に上下決めてませんけど、権限微妙にあなたの方が上っぽいので強権を行使するのはなしでっ!!」
「ハッ」
「鼻で笑いましたね……!」
そうやって、いつもどおりの二人のやり取りに戻っていくのを、ほかの魔王たちは苦笑しながら見ていた。
なんだかんだと、その光景は見ていて安心するものだった。
◆◆◆
そうこうしているうちに、同じく今ほどヴァージリアにやってきた貴族旅人や商人たちに混ざって、どんどんと都市の中を進んでいく。
メレアは仲間たちのわいわいとしたやり取りを話半分に聴きながら、もう半分の意識を街路の両脇に開かれている露店群に向けていた。
露店棚には、見たこともない、不思議なものがたくさんおいてあった。
絵画、彫刻、からくり細工、宝石のついた指輪、ときおり見える術式細工入りの小物。
あれにどんな価値があるんだよ、と、思わず笑ってしまうような石ころまである。
基本的に、そういった実体の残る『モノ』が多かった。
「芸術都市かぁ」
言ってしまえば、メレアにとっては特にわからない分野だった。
この世界の一般的な事柄にさえ、まだ十分な知識が蓄積されていないというのに、急に文化の粋たる芸術など理解できるわけもない。
――こういうのはその芸術の生まれた背景を知ってないとわかりづらいよな。
前の世界でもそうだった。
基本的に、十分な知識の上に価値が成り立っている分野のように思えた。
――でも、理解できればとてもおもしろそうだ。
芸術にくわしい人間がいれば、ぜひこのあたりも教わりたいところである。
「なにか欲しいものでもあったか?」
ふと、先頭を歩いていたメレアの隣に、〈剣帝〉エルマがやってくる。彼女は微笑を浮かべながら、言葉を紡いでいた。
「気になるものはたくさんあるけど、欲しいってほどじゃないな。買ったところでどこにおいておこうか、って感じでもあるし」
メレアは物を置く身振りを加えながら、飄々と言った。
対するエルマは、その答えに困ったような笑みを返し、
「ふむ、私と似たような考え方だな。――まったく、二人して文化的に遅れているとは」
次いで、自嘲気味に笑みを深めた。
メレアもそれにつられて似たような笑みを浮かべる。
「こうなると、ぜひとも芸術にくわしい人材が欲しくなってくるところだね」
メレアが手を頭の後ろで組んで、嘆くように続けた。
「金の亡者が〈財布〉に引き入れたがるな。『芸術がわかれば金になる!』といって」
エルマが答えてからから数秒も置かぬうちに、後ろの方から「そのとおり!」と声が飛んできて、メレアとエルマは顔を見合わせて嘆息する。
「シャウ自身も商人としては手を出してる分野だろうから、やっぱり人よりはくわしいんだろうけど」
「ああ、金を基準にあらゆる知識を貪っている亡者だが、だいたいのことに金が関与してくる世の中だと、それはそれでおそろしい行動欲求になるものだな――」
と、そこでメレアとエルマは一拍をおき、そして同時に後ろを振り返った。
さらに、振り返った先にいた金の亡者から声があがるよりも先に、声を合わせて、
『金の力は偉大なのです!』
と言い放つ。
すると、案の定、シャウが、マリーザに耳を引っ張られながらも並々ならぬ気合でもって同じ台詞を吐こうとしているところで、
「ああ……先に言われてしまいました……」
「あなたの行動原理はわりと単調ですからね。予想に難くないのでしょう」
「シンプルが一番ですよ」
シャウが少ししょんぼりとしているのを見て、またメレアとエルマは笑い合った。
◆◆◆
しばらく歩き、徐々に人の列にも余裕が出てくる。
とはいっても、都市門付近よりはマシ、という程度で、レミューゼと比べるとまだまだ混雑しているという感じだ。
人が掃けてきた理由は、旅人たちがそれぞれ別の路地へと移動していったからだろう。
「そういえば、俺たちの宿は?」
さらにいくばくか歩いたところで、メレアがシャウの方を振り返り、そんな問いを紡いだ。
脇の露店に熟視を向けていたシャウは、メレアの問いに気づいて視線を戻すと、すぐに答える。
「この街路の一本隣の裏路地にあります。――まあ、治安はさほど悪くありませんから、裏路地という言葉面を気にする必要はないでしょう」
シャウはそこでわずかな間を入れ、続けた。
「それに、表通りは『これ』ですから。うるさくて眠れないのもまた問題です」
「なるほどね」
たしかに表通りに面した宿であったら、喧騒にうんざりしそうではある。
日中ならまだしも、寝る時間にまで騒がれては困りものだ。
「なら、そろそろ隣の路地に――」
メレアはひととおり露店も眺めて、ひとまず自分の中の好奇心に区切りをつけると、「そろそろ宿に向かおうか」という旨の言葉を紡ごうとした。
だが、その言葉は――
「そこの旦那さん!」
すぐに『別の声』に遮られる。
ふと、ひとりの男が、そんな謙遜文句とともにメレアの前に駆けてきていた。
まだ少し距離があるが、その男はほかの旅人や貴族など眼中にないと言わんばかりに、彼らを手で押しのけつつ一直線に向かってきている。いまに目の前にやってくるだろう。
そうして、ついにその男は、メレアの前に道を塞ぐようにして現れた。
メレアの隣にいたエルマが、反射的な動きで羽織っていたマントの下に手を入れ、魔剣の柄に手をかける。
「足止めしてすんません! しかし旦那さんにどうしても見せたいものがありましてね!?」
どうやらその男は、ここに来るまでに何人か見かけた押し売り系の商人であるらしかった。
エルマはそれに気づいて、ひとまず臨戦態勢を解くが、しかしまだマントの下から手を抜いてはいない。
「うん? 見せたいもの?」
対し、商人に言いよられた当事者のメレアは、ありきたりな前置き文句に嫌な顔ひとつせず、言葉を返していた。
身体の方も、特段に身構えている様子はない。
――……いや、そう見えるだけか。
だが、エルマはすぐにそう思って、認識を改めた。
メレアの体勢は自然体そのものだが、自分が反応できたものにメレアが反応できないわけがない。
星樹城で鍛練がてら何度か手を合わせたこともある。エルマの判断は、そういう経験を踏まえた上でのものでもあった。
「どれどれ?」
と、エルマが内心に逡巡していると、今度はメレアの方から商人の手元へ好奇心に彩られた視線を向けていた。
押し売りに嫌な顔をするどころか、むしろ歓迎しているような素振りにさえ見える。
押し売りというイベントを、楽しんでいるかのようでもあった。
そのころには、ほかの魔王たちの眼にもメレアの前に立ちんぼする商人の姿が映りはじめていて、それを見た一部――シャウ――が、「二十点」と言葉を紡いでいた。
シャウの視線は、商人の足下に向けられていた。
「これでござんす!」
そうこうしているうちに、商人がメレアの促しに応じて、片手に持っていた細長い何かを差しだす。
それは、仰々しく布にくるまれていた。
「これ?」
メレアが首をかしげると、商人が「まあみてくだせえ」と小さく紡ぎつつ、その布を解いていく。
中から現れたのは、一振りの『剣』だった。
ふと、メレアの後方で、「十点」とシャウがつぶやいた声が聞こえた。
さらにその声に、マリーザの声が続いている。――「ちなみに、内訳は?」「なぜ帯剣していない人間に剣を売りに来るのでしょうね」「なるほど」「まあ、華美な剣ですから、飾り程度にということでしょうか」
「これを売りたいと」
「すばらしい品でございます。南の大陸の、かの〈剣魔〉が使ったと言われる名剣で」
「ほー、〈剣魔〉」
ふいに商人の口から紡がれた単語に、メレアの眉がぴくりと上がった。
「そうかぁ……、〈剣魔〉が」
もったいぶるように、それでいて不思議がるように、メレアはうんうんとうなずいている。
少し困惑したような色があるものの、まだやわらかさの残る笑みが、メレアの顔には乗っていた。
「はい。――かの有名な七帝器のうちのひとつ、剣帝の〈魔剣クリシューラ〉に匹敵するとも言われる名剣でございます」
「ははぁ。剣帝の、魔剣クリシューラに。――ほうほう」
今度はエルマの眉が上がっていた。メレアと同じように、大げさなうなずきを見せている。
その顔には、わざとらしく興味深げな表情が浮かんでいた。
「しかし、もしかしたら、クリシューラ以上にまがまがしい魔剣と言った方がいいかもしれません。かの剣魔は剣に狂い、この剣で無辜の民を何百人も惨殺したと言われております。そうして、剣に彼らの怨念が宿り、不気味な、削るような切れ味をたたえ、そして一度使ったものの手から死ぬまで離れないといういわくつきの剣になりました」
商人の売り文句のあとに、再度後ろの方から、「五点」というシャウのつぶやきがあがっていた。
そのつぶやきに対し、マリーザが作業のように内容を訊ねる。「内訳は」
「形容が派手すぎます。あと、まとまりがない」シャウは両手をあげて、やれやれと肩をすくめていた。
ほかの魔王たちは、そんな二人のやり取りを苦笑を浮かべて聞きつつ、再度意識をメレアの方へと戻す。
そこで――彼らは『ある異変』に気づいた。
「あっ、やべっ……あいつの親の中に本物の〈剣魔〉がいるんだった……『無辜の民を惨殺』ってのはいくら嘘でもまじぃな……」
小さくサルマーンの声が上がっていた。
両脇に双子を控えさせているサルマーンの視線は、メレアの背に向けられている。
そしてその目は――
メレアの背から『怒気』の気配が立ち昇っていることを、たしかに読み取っていた。
サルマーンから一瞬遅れて、ほかの面々もメレアの怒気を察する。
短いながらも濃密な付き合いの蓄積が、彼らにメレアの内心を容易に読み取らせた。
「あ、訂正します。零点です」
サルマーンに続いて、シャウが声をあげた。
すでに商人に対する評価は零にまで落ち込んでいる。
「……」
「訊ねないのですか?」
内訳を求めなかったマリーザに対し、逆にシャウが訊ねるが、マリーザは、
「言わなくてもわかります」
と嘆息を返すばかりだった。
そんなマリーザはマリーザで、メレアの背中からひと時も視線を外していない。
さらに、今まで膝元で綺麗に手指をそろえて組んでいた手をほどき、両腰の横においていた。いつでも動けるように、身構えたような態勢だった。
シャウはマリーザの様子を見て、はあ、と大きくため息をつく。
そのあとで、視線をメレアの前に立つ商人へと戻し、また言葉を紡いだ。
「――まあ、この場合は彼に『運』がなかった。まさか本当の〈剣魔〉を知る人間が目の前にいるとは普通思わない」
「いざとなったら止めます」
「大丈夫ですよ、大げさですね。メレアだって獣じゃないんですから。――しかしまあ、一応警告は入れてあげましょうか」
と、シャウが少し声を大きくして、一人状況がわからずにほくそ笑んでいる商人に向けて言葉を投げた。
「そこのあなた! それくらいにしておいた方がいいですよ! まだご自分の頭の中の『警笛』が鳴らないようでしたら、おとなしく私の警告に従っておいた方がいいですよ! 早く別を当たるのです!」
「――あなたの心身のためにも」と、最後にシャウは小さく付け加えた。
だが、商人の方は、それを『商人避けの言葉』であると認識したらしく、ここで引き下がってやるものかとばかりに、続けてメレアにくらいついていた。
「剣魔の所業は、魔と呼ばれるだけあって、最近では特に忌避されるものですが、それはそれで価値があります。たぐいまれな『悪徳ゆえの』希少性があるのです。そんな男が使った剣が、世界にたった一本ともなれば、なおさらその希少性は言うに及びません。――誰もが欲しがります。今だけでございます。どうか、お買い上げを」
「……」
商人の雑な売り文句を聞いたメレアは――結局、言葉を発さなかった。
だが、さきほどまで顔に浮かべていた柔らかな笑みはいつの間にかどこかへ消えていて、その表情の変化が、ようやく商人にただならぬ事態の変化を知らせはじめる。
メレアの赤い瞳は、視線だけで人を射殺さんばかりの、鋭すぎる眼光を湛えていた。