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百魔の主  作者: 葵大和
第九幕 【魔王歌劇の幕が上がる】
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92話 「道化師と商人と、雪白髪の男」

「人が悩んでいるさまは本当に美しいなぁ……」


 道化師が芸術都市ヴァージリアの街角をぴょんぴょんと跳ねながら歩いていた。

 つま先にまで意識の張り巡らされたような、異様になめらかな身振りで、まるで舞台の上で跳ねるさまを演じるかのように、彼は跳ねていた。

 口からこぼれる言葉は、さきほどまでとある歌劇場で話をしていた女に対する言葉だった。

 道化師はその中性的な美貌に妖艶な笑みを乗せ、そのままヴァージリアの表通りから一つ裏に()った道へと進んでいく。


「シーザー」


 と、不意に、まるでそんな道化師を呼び止めるかのごとく、声が走った。

 音の出どころは道化師の後方。細い路地の入口あたり。

 彼の後ろから前に突き抜けて行くように、それは鋭利な音色をたたえて鳴っていた。


 道化師はその声に気づくと、まず微笑を浮かべていた顔を自分の両手で覆って、それから数瞬してから、踵を返すように振り向いた。

 振り向きと同時に解いた両手の下からは、さきほどまでの微笑とは質の違う、『貼り付けたような笑み』を乗せた道化師の顔が現れる。


「やあ、夜分までお仕事ご苦労様です。ボクに何か用ですか? ――サイサリスの狂信者の諸君」

「……」


 道化師が振り向いた先には、三つの白いローブ姿の人影があった。

 そのどれもが、ややだぶついたローブのフードを目深にかぶり、顔を隠すようにして、表通りへ続く細い路地の入口に立っている。

 そのうちの一人が、道化師の言葉に率先して答えた。


「貴様もサイサリスの一員であることを忘れるな、シーザー。軽口を慎め」

「いやですよぅ、ボク、定期的に軽口吐かないと死んじゃう病気なんですよぅ」

「教皇に――」

「言いつけちゃう? 別にいいけど、ボクはあくまでキミたちの長である〈サイサリス教皇〉と直接取引をして協力しているだけであって、決してサイサリス教の信者というわけではないんだよ? 教皇もそれで納得していたから、キミたちがどうこう言ったところでなんにもならないと思うんだけど」

「ッ! 小賢しい道化め!」

「なんか言いがかりな気がするけれど、面倒だからいいや。キミたち幹部との話は本当につまらないからね。キミたちはまるで人形劇に出てくる人形だ――ああ、いやいや、怒らないで、怒らないで。今のは口が滑ったよ」


 道化師はわざとらしくおどけて続けた。


「まあ、ちゃんと求められた仕事はしているから、それで多少の軽口とか軽挙は許して欲しいかなぁ! あの歌劇場、レーヴ=オペラ座をうまいこと買収したのだってボクの成果なわけだし。キミたちがさっさと教会の運営資金を流してくれればなにごともなくうまくいったわけだけれど」

「そんなものに使う金などない。新生サイサリスの隆盛のためには、もっとほかに金を使うべき場所が――」

「ああもう、いいからいいから。ボクが悪かったよ。変な軽口挟んだらキミたちの演説のスイッチが入っちゃった。――それで、何か用なわけ?」

「あの女に早くあの秘術を使えと言え」

「あれ? 使ってないのバレちゃった?」

「あの女に魅了されていることは間違いないが、ただそれだけだ。教化の様子を見ていればわかる。まだずいぶんと自我が残っている」

「あーらら」

「あの秘術を使えば教化に手間など掛からないはずなのに」


 言葉を紡いでいた白ローブの男が、憎々しげにつぶやいた。

 それを見ていた道化師は、小さく鼻で笑っていた。


「人間、楽なものにすがりたくなる気持ちはわかるけど、なんだか、あの清貧で、それでいて上品だったサイサリス教の信者たちが、そうしてうまくいかないことに腹を立てているのを見ると、ボクは悲しくなってくるよ。キミたちは新生サイサリスに協賛した信者たちで、おかげでずいぶんと世間的には裕福な生活をするようになったけれど、変わらず古きサイサリスの教えを実践している彼らと、どちらが幸せなんだろうね」

「黙れシーザー。そもそも神を持たないお前が勝手なことを」

「神なんてどこにでもいるものさ。ボクはそういう意味では無神ではなくて多神なわけ。ボク、魅了されやすいからいろんなところの神さまに尻尾振っちゃう」


 道化師――シーザーは、「アハハ」と笑い声を加えながら、二度三度尻尾を振るジェスチャーを身体で表現して見せた。

 そこには不思議と女性的な扇情性が見え隠れしていた。


「ま、そんなボクだからこそ彼女の魅力に対しても対応できるわけだけど。おかげでこんなお守みたいな役目を教皇に言いつけられちゃった」

「ならそれを忠実に実践しろ。早くあの秘術を使わせるのだ」

「はあ……、わかった、わかったよ。近いうちにそうする。――じゃ、ボクもちょっと疲れてるから、今日はこのあたりで勘弁してくれ」


 シーザーの紡いだ言葉の語尾には、一転してそれまでの軽妙さは消えていて、むしろ声で人を突き殺すかのような、細剣(レイピア)の切っ先のような鋭さをもった音色が乗っていた。

 また、シーザーが妖艶な化粧の下からのぞかせた表情も、とってつけたような笑みではなく、どことなく怒っているふうなものにいつの間にか変化していた。

 それに気づいた白ローブの男は、シーザーの雰囲気に気圧されたように一歩後ずさりし、


「次はないぞ、シーザー」


 そんな台詞を吐きながら、表通りへと消えていった。

 それに続くように、ほか二人の白ローブたちも、すうっと姿を消す。


 残された道化師は、また顔を両手で覆ってから、楽しげな微笑を顔に宿した。

 しかし声だけは前の声音を引きずっていて、


「――まともな神がいるなら、『私』だってぜひ信仰したいね。こういう時代は見るに堪えない俗物が増える」


 そんな言葉が、道化師の口から漏れ出ていた。


◆◆◆


 それからいくらか裏路地を歩いたシーザーは、また一つ隣の路地へ移動し、表通りへと戻っていった。

 自分の寝床にしている安宿が、その表通りのさらに向こう側の路地にあった。


 今踏み入った表通りは、ヴァージリアの西の都市門から直線状にあって、シーズンに外からやってきた旅人や商人、そして貴族たちがひときわ多く入り乱れている、特に主要な路地である。

 

「さすがに人が多いねぇ」


 なので、人の多さも格別だ。

 シーザーは少しうんざりしたように言葉をこぼし、一度大きく深呼吸をした。

 そうして、ついに目の前の人の波へと身を飛びこませる決心をする。


「毎度のことながら、まるで戦場のようだ」


 人の波へ入ろうという直前で、どことなく怪しげな商人たちが、路地の脇で露店を開いているのが見えた。ヴァージリアに入ってきたばかりの旅人や貴族連中を狙った露店だ。

 それらの隙間を縫って、足場を確認しながら、彫刻入りの煉瓦路(れんがみち)本道へと入る。


「せーっの」


 それから、機を見計らって人の波に腕をつっこみ、極力流れに逆らわぬよう斜めに歩いていく。

 徐々に徐々に、横切るように。


 馬車などの大型の通行物が来ていないことは波に入る前に確認したが、いったん人の波に入ってしまうと、もはや離れた場所の様子などうかがえない。

 心の中で『面倒なものが通りませんように』と祈りながら、焦らず、着実に、前に足を置いていった。

 

 そして、ついに、どうにかこうにか逆側の路地脇まで足を運ぶことに成功する。

 当然ながらそこにも、露店が列のようになってずらりと開かれていた。


 と、ちょうど人の波を越えたところにいた逆側の露店の店主が、シーザーを見て声をあげていた。


「お、シーザーじゃねえか」

「はい?」


 シーザーは道化師としての微笑を浮かべながら、その声の方を見る。

 そこには小奇麗な格好をした、だが少し靴だけがくたびれている格好の、一人の商人がいた。

 何度か見た顔だ。


「えーっと」

「ラルバスだよ。お前が使ってる宿の隣人だろ」

「――ああ! そうだった、そうだった、ラルバスさん。たしか、流れの商人で?」

「そうだよ。あんまりこういうところで商売はしねえが、今シーズンの芸術都市は儲けどころだって商人仲間に聞いてな。場に合わせる必要があるから、しかたなく大枚はたいて小奇麗な衣装まで買って、ここでものを売ってるわけよ」

「ははあ、なるほど、なるほど」


 小奇麗な衣装まで買って、というが、靴はやはりくたびれている。

 シーザーがそう思いながら商人ラルバスの靴を見ていると、ラルバスもシーザーの言わんとすることに気づいたらしく、肩をすくめて答えていた。


「さすがに足元は見られねえと思って、ケチっちまった」

「意外と足元って大事ですよぅ?」


 そういう油断が、かえって『商人としての足元を見られる』ということを、どうやらこの商人は知らないらしい。

 小奇麗にするにも、靴というのは大事なものだ。

 シーザーはかつて少し関わったことのある『とある商人』の言葉を、頭の中に思い浮かべていた。


 ――あの金の亡者は、まだ元気に亡者をしているのかな。……亡者をしているって形容もなんだけれど。


 あれはあれで、独自の神を持った男だった。

 それが不完全な神であることを自覚していた分、変に悟っていた節も見え隠れしていたが、ともあれ不思議と金の亡者でありながら俗物という感覚は持たなかった。


「ちなみに、売り上げの方はどうです?」


 シーザーはラルバスの開いている露店の脇に通行人の邪魔にならないように立って、露店棚に置かれている品を見てから言った。


「良い感じだ。やっぱりこの街は『ボンクラ』が多い。ここだけの話だが、ここにある芸術品は贋作が多くてな。おもしれえのが、贋作ならまだしも、そこらへんの乞食がボロ布丸めて作ったようなよくわからねえものにも『これはすばらしいものだ』とかなんとか目に見えねえ価値をつけて買っていくやつがたまにいる。貴族ってもピンからキリまでいるな」


 シーザーはその露店棚に並んでいる品々に贋作やがらくたが混じっていることを知っていた。

 芸術都市ではよくあることだ。

 一番そういうものを作りやすく、また、それで素人を食い物にしやすい。

 芸術都市に来るのは必ずしも目利きの芸術家や趣味人ばかりではなく、ただ金を持っていて、煌びやかだからと社交にやってきた貴族などもいる。

 そういう面々が、カモになりやすい。


「芸術は、よほどのものでなければ価値が移ろうものですからね。なかなか価値の移ろわない芸術を完成させる芸術家は、いわゆる天才というやつでしょうけど、そんな彼らでも『よくわからないもの』を作ることはままある」

「道化師が芸術について語るのもまた、なんか変な感じがするな」

「そうですかぁ? ボク、結構いろいろ知ってますよぅ?」

「おい、やめろ、やめろ、近づくな。なんかお前、男のくせに女みてえな匂いがするから、まかり間違って手が出ちまいそうになるんだよ」

「アハハ、それはまた、難儀なことですね」


 シーザーは笑って、言葉を切った。

 

 ――喋りすぎたかな。


 内心にそう思って、その言葉を最後に、シーザーはその場をあとにしようとした。

 しかし、


「おっ! いいカモ見つけたぜ! 見ろよ! あれは『おのぼりさん』ってやつだろ」

「……はて?」


 急にラルバスが興奮気味に言いながら、ある方向を指差していた。

 ラルバスの指は、西の都市門からずっと続いてきている長蛇の列の、後尾の方へと向けられている。

 華美な馬車やらが人の群に混じって通りすがるなか、その馬車の裏手の方に、『とある一団』がいた。


 決して身なりは悪くない。

 それでいて華美な服装を身に纏う者の多いこの界隈(かいわい)では、特段に目立つというほどでもない。

 絶妙にバランスの取れた豪華さをまとった一団である。

 彼らの特徴がそれのみであれば、なにごともなく見過ごしたかもしれない。

 しかし、


 ――うわぁ……、おのぼりさんだぁ……。


 その先頭にいた超俗的な容姿の男の眼が、これでもかときらきらと輝いているのが見えた。

 それが好奇心から来るたぐいのものであることを、男の仕草が伝えてくる。身体はうずうずとしているふうで、脇に並んでいる芸術露店の方にしきりに視線を入れていた。

 きょろきょろしているとはまさにあのことだ。


「ああ……、おのぼりさんですねぇ……」

「だろ? 身なりも悪くねえし、あれはカモれるぜ! ちょっといってくる! 悪いが店番しといてくれ!」

「えっ? ちょっ――」


 するとラルバスが、近場にあった適当な商品を腕に抱えてかの一団へと一目散に駆けて行ってしまった。

 店番を任されたシーザーは、唖然として立ちすくむばかりである。

 別にこのまま行ってしまってもいいかもしれないが、自分がいなくなればここの店番はいなくなり、もしかしたら手癖の悪い誰かに商品を盗まれるかもしれない。


 ――宿の部屋、隣だしなぁ……。


 あとあと文句を言われるのは嫌だ。

 しかたなくシーザーは店番を頼まれることにした。

 こちらからちょうどあの一団とラルバスの姿が見えるから、その不公平な勝負を見てしばし時間を潰すことにしよう。

 そう思って、シーザーは腕を組んで事の次第を見守ることにした。


 が、


「あ、あれ……?」


 直後、シーザーは思わず疑問調の声をあげてしまっていた。


「もしかしてあれって……」


 ラルバスがカモりにいった一団の中に、どうにも見覚えのある人影があったような気がして、シーザーは二度三度と目元をこすったあと、もう一度熟視の視線を飛ばした。


「あ……やっぱり」


 間違いない。

 シーザーはあの一団の中にいる金髪の男に、見覚えがあった。

 かつて、少し関わりを持った男だ。

 

 ――『金の亡者』、〈シャウ=ジュール=シャーウッド〉。


 なぜあの男がここに。

 いや、それよりも、


「なんであの男が誰かの後ろを歩いているんだろう――」


 まるで、あの先頭にいる特におのぼりさんふうの男に仕えているような位置取り。

 少なくとも、自分の知るあの金の亡者は、ああして誰かの後ろを歩くような男ではなかった。

 商人としても、商会の頭取として常に前を歩く男だった。

 自分が誰かに仕えるとしたら、自分よりも高潔で、自分にはできないことをしてしまえる者に仕えたいと、一度だけ聞いたことがある。


 ――見つけたのか。


 まさか。

 あの男は人の作りだした最も強い権威に愛されている男だ。

 あの男は金を稼ぐ才能にこれでもかと恵まれ、そしてそれを使うことで大抵のことはできてしまう男だ。

 そんな男が仕えるあの奇妙な雪白の髪をした男は――


 そう思った直後、ラルバスとその雪白髪の男の間で、一悶着があったことをシーザーは知る。

 なにか、身体が大きく動いた。

 シーザーからはラルバスの背が邪魔になって、細かい部分が見えづらい。


 シーザーはそれが気になった。

 だから、ラルバスに悪いとは思いつつ、少しだけ店棚から離れて、彼らの様子が見える位置にまで移動することにした。



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