9話 「風が止んだ、時は来た」
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「僕もそろそろかな」
「よくぞここまで持ったな、フランダー」
「ハハ、自分でも自分の執念に驚くよ。いっそかつての未練なんかよりこっちの方がずっと強烈だ。――メレアはちゃんと生き残ってくれるだろうか」
「メレアなら大丈夫だろう。力という点ではな。問題はやつに生きる意志があるかどうかだ。いや、今はあるのだろうが、お前たちが消えたあとに、ちゃんと立ち直れるかどうか」
「大丈夫だよ。メレアは生きることそのものには本気だ。一度死んでいることが、その気概を形成したんだろう」
「……そうだな」
「そうだ、クルティスタ。一つ聞かせてくれないか」
「なんだ?」
「天竜クルティスタは、メレアの友人なのだろうか」
「――さあな。それは私とメレアの秘密だ」
「ハハ、その答えで十分だよ」
リンドホルム霊山の山頂に吹く風が一際荒れ狂っていた時分。
霊山の一角に身体を下ろした天竜と、四肢が消えかけの英霊が会話をしていた。
「君がなにかを意図的に助けるというのは君の矜持に背くことなのかもしれない。ただ、それでも願おう。――メレアを見ていてやってくれ。僕はもう彼を見守ることができそうにない」
「見守るだけでいいのか」
「見守って、もしメレアがつらそうにしていたら、助けてやってくれ」
「私としてもメレアのことはそれなりに好いている。メレアから聞く他世界の事柄もなかなか興味深い。人柄もまあ、嫌いではない。――私の気が向いているうちは、という条件付きでいいなら、見ていてやろう。お前には生前世話になっているしな」
「恩に着るよ」
フランダーの脚はすでにほとんど消えていた。
「――行くのか」
「そうだね。僕で……最後かな」
「ほかの英霊は?」
「たぶん別の場所で行ったと思う。気配がもうない。みんな考えることは同じだね。メレアに見送られるのが気恥ずかしいんだよ」
「変に強情なやつらだな」
「英雄は意志が強いからね」
「下手な皮肉だ」
フランダーの腕が消え、その相貌がついにボヤける。
フランダーの顔にはいつもの微笑があった。
優しげで、少し困っているようで、どこか切なさを映す、不思議な微笑。
「――メレアに『勝手に行ってごめん』と伝えておいてくれ」
「それだけでいいのか」
「『ありがとう』とは、もう書いておいた。初めてメレアが目覚めたあの場所に、言葉をね」
「そうか」
「ああ、あと、〈魔王狩り〉の件、もう一度メレアに伝えておいてくれないか。一応僕も説明はしたけど、何度しても足りない話だから」
「わかっている」
「たぶんメレアは魔王と見なされるだろう。君の話では、何か一つでも特化した力や特殊な力があるのなら、それだけで魔王のレッテルを貼られるような時代になっているんだろう?」
「ああ。お前の魔眼と同じだ。お前は術式能力にも優れていたからまだマシだが、今の時代だったら〈術神の魔眼〉だけで魔王に認定されるだろうな。それが戦乱に役立つ力であれば、ほかが脆弱であってもかまわない。そんな話だ」
「やりたい放題だね」
「強い者がより強い力を手に入れるために、魔王という言葉が便利に使われているのだ。なまじそれを認定するのが力を持った国家だから、よけいに性質が悪い。違うといっても潰される」
「本当に……便利な言葉だよ。たいそうに見えて、実は中に何も詰まっていない。本当の意味なんて存在しない。それをわかっていても、口にできない」
「勝たなければ声も通らぬ。それが戦乱の時代だ。何度目の周流だかは覚えていないが、いつだってそうだった。逆に、勝てばそれがまかり通るのだ。こういう時代に強国に文句をつけられるのは、同じく強い国か、もしくは――とてつもなく馬鹿で甘い国か」
「馬鹿で甘い国……ね」
「よく言えば気高いとも言える。矜持を貫く姿勢はな」
「――うん」
そのときクルティスタとフランダーは、ある一つの国の名を脳裏に思い浮かべていた。
「なら、強国に追われる魔王たちが逃げ込むべきは、きっとそういう国だね」
「逃げ込めればな。そして逃げ込んでからすぐに潰されなければ、だ。もしそんなふうに抗える国があるのなら、たしかに、魔王たちにとっての居場所足りえるだろう」
「じゃあ、その居場所足りえる可能性がある国を、メレアに伝えておいてくれ」
「こんなときまで含むような言い方はやめろ。もし私が頭に浮かべている国がお前の考えている国でなかったとき、笑い話にもならん」
「ハハ、それもそうだ」
フランダーは霧のように空気に紛れはじめた相貌を揺らして、同じくかすれるような声音で言葉を紡いだ。
「メレアが魔王と認定され、そのとき居場所に困ったら――大陸の東にある〈レミューゼ王国〉を目指すようにと伝えておいてくれ。あそこがまだかつての『甘さ』を胸に宿しているのなら、きっとメレアのことを助けてくれる」
クルティスタは自分の脳裏に浮かべていた国の名前と、フランダーが口にした国の名前が同じであることを確認し、安心するように頷いた。
「レイラスの……故郷だな」
「そうだね」
「……訊かんのだな」
「なにを?」
「今、あの国がどうなっているかを」
「――うん。たとえどうなっていても、今の話でクルティスタが僕と同じようにレミューゼ王国を思い浮かべたのなら、きっとそこが一番メレアの居場所足りえる可能性が高いのだろうって、予想したからね」
「まったく、消えかけのわりによくまわる頭だ」
「それに、レイラスの故郷でも、今は今の時代のレミューゼ王の国さ。そこに一番可能性があるってわかっただけで十分。むしろ変なこと聞いちゃうと中途半端にまた未練が残りそうでね」
「――そうか」
「僕たちは本来時代に干渉するべき存在じゃない。だからあとは、今を生きるものたちに任せよう」
ふと、フランダーの揺らぐ相貌が空を見上げた。
クルティスタもそれに倣うようにして空を見上げる。
「それにしてもレイラス、先に行っちゃうんだもん。夫をおいて先に行くってのも、なかなかやってくれるよね」
ほとんど相貌はなかったが、たしかにフランダーが空に向けて笑みを放ったように見えた。
「レイラスは見た目のわりに落ち着きがなかったからな」
「ふふ、そうそう」
クルティスタもまた、懐かしむような目と呆れたような笑みを空に向ける。
「――」
風が止んだ。
そのとき世界の時が止まった気がした。
それでもやっぱり――別れの時はやってきた。
「――さて、僕もそろそろ彼女のもとに行くよ」
「……ああ」
天竜クルティスタの瞳が、一度だけ揺蕩った。
「じゃあ、またいずれ。〈魂の天海〉で会うことがあれば」
「ああ。……未練に囚われた魂よ、今こそ呪縛を解き放ちあるべき場所へ。――さらばだ、旧時代の英霊たちよ」
その日、メレアの知らない場所で、長い時をリンドホルム霊山でさまよっていた亡霊たちが、未練を断ち切って空へと昇った。
メレアは彼らが行ってしまったことを、数時間後に知る。
◆◆◆
メレアが霊山の山頂にある石造りの小屋の中でぼうっとしていると、ふと外から聞きなれた天竜の声が響いてきた。
そうして小屋から出て、メレアは天竜クルティスタからフランダーたちが行ったことを聞き、
「――」
絶句した。
しかし、そんなメレアの顔に次いで浮かんだのは、あのフランダーの微笑によく似た不思議な笑みだった。
天竜クルティスタには、その笑みを浮かべたメレアの顔がフランダーと重なって見えた。
「――わかってたよ。俺だって伊達にフランダーたちと十数年も付き合ってないからね。ずっと彼らと育ってきたんだ。……わかるとも。みんな……照れ屋だから……ね……――」
メレアの目から一粒だけ、雫が溢れて落ちた。
「――これからみんなの墓を作るよ。そうしたら下界へ下りようと思う」
「墓か」
「みんな古い時代の英霊だからね。忘れられてしまった者もいると思う。でも、彼らがたしかに誇り高い英雄として生きた証を、この世界に立てておきたい。裏切られても、失敗しても、それでも、俺に英雄になって欲しいと願ったくらい、彼らは誰かへの救済心を持っていた。俺はそれをすごいことだと思う」
「……そうだな。おひとよしばかりだった」
「だから、彼らがたしかに英雄であったことをここに記しておく。彼らの想いだけは、決して風化させない」
「下界に下りて、お前は何をする?」
「それを探しに行くよ」
「今の世は戦乱の色も濃いぞ。普遍的な価値観などない。ゆえに、フランダーたちが最初に求めた普遍的な英雄は、もはや存在しえない」
「わかってる。フランダーもそう言っていた。だから俺は、俺が守りたいものにとっての英雄であろうと思う。それが彼らの根本の気概だった。だから、今はフランダーたちにとっての英雄であろう。彼らは俺に生きることを望んだ。その望みを叶える英雄として、今はここに在ろう」
「――そうか。ならば私は、そんなお前が亡霊以外にとっての英雄になれることを祈っておこう」
「うん、ありがとう、クルティスタ」
「少し皮肉を込めたつもりだったのだが――」
「クルティスタの皮肉は俺を思ってのことだろう?」
「ハハ、相変わらずそういうところは可愛げがないな、お前は。……まあいい、私もお前とは長く共にいすぎた。……少し、情が移った。それだけだ。――さて、雲がまた昇ってきた。そろそろ私は行くとしよう」
「うん」
霊山の山頂から見上げた空に、また雲が掛かろうとしていた。
「――ではな」
「うん、いずれまた」
「――ああ」
天竜クルティスタはそう言い残して空へと消えた。
メレアは一人、リンドホルム霊山の山頂に残った。
〈メレア=メア〉はその日――ついに独りになった。
終:【英霊と魔王】
始:【二十二人の魔王】
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