表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
百魔の主  作者: 葵大和
第八幕 【麗しの舞台へ】
89/267

89話 「紅の気遣い、竜の巣穴」

 数日が経った。

 日ごとにぽつりぽつりと情報は入ってくるが、まだめぼしいものはあまりない。

 やはりなんだかんだといって、〈魅惑の女王〉の話が一番魔王たちの心をくすぐる話題であった。


◆◆◆


「一応、魅惑っていうから、演技者だとか、誰かを魅了する精神系の術式だとか、そういう方面から重点的に調べてみたけど――」


 その日、メレアの部屋からリリウムの声が聞こえてきていた。

 執務室ではなく、メレアの自室だ。


「うんうん、なんかわかった?」

「いいえ、逆にわからなくなったわ。そういう括りだと実は結構数が多いのよ」

「そっかー……。まあ、あっち系の術式は難易度が高いけどそれだけ効力も絶大だからなぁ」

「人間相手にすると変数式が膨大になるものね。ちゃんと作用するとあんたの言うように強力だけど。――だからその分、ちょっとしたものでも結構目立つわけ。誰々を操ったとか、人民をうんたらかんたらとか、例によって創作との境界があいまいな文献も多かったわ。〈人形王〉とかは文献の数もあるし、割とわかりやすい方なんだけど。でもあれは魅了するとかじゃなくて、物理的かつ強制的に人の身体を操作する、って感じだったし……」

「それに、〈人形王〉の秘術はセリアスがすでに使っていたから、末裔か、また別の伝承者かはわからないけど、術者は殺されてるんじゃないかな」

「そういえばそうだったわね」


 部屋の隅から、リリウムの言葉に答える声が一つ。

 その声は衣装棚のあたりからあがっている。

 よく見ると、開け放された衣装棚の中に、一人頭をつっこんで何かをまさぐっている人影があった。

 散らかった服の隙間から、わずかに雪白色の髪が見える。――メレアだ。


「あっれー、あの服どこにしまったっけ」

「……はあ、あんた、少しは部屋の掃除しなさいよ。マリーザは?」


 衣装棚から暴流のごとく溢れ出ている服を見て、リリウムはため息をつきながら額を手で押さえた。


「今はまだ休んでる」

「……ああ、そういえば昨日、『暴帝期』の発作が出たんだったわね。だから掃除の手が入ってないのか」

「そうそう」

「ちなみに、怪我は?」

「マリーザは大丈夫だよ」

「そんなの知ってるわよ。どんな状態であれ、あんたがマリーザを痛めつけるわけないもの。あたしが訊いてるのはあんたの怪我の方」


 リリウムはやや鋭い声音で言葉を飛ばした。

 すると、メレアが服の湖の中から上半身を抜いて、頭に数枚の下着を乗せながらリリウムの方を振り向く。

 顔には軽快な色があった。いうなれば、遠出する前の興奮で、いてもたってもいられなくなった子ども、といった表情だ。

 リリウムはその顔を見て、またため息をついた。


「俺も大丈夫だよ」

「怪我はしたのね」


 短く紡いだメレアの言葉に、しかしリリウムは間髪入れずにそんな言葉を被せた。

 そのあまりの速度に、メレアはきょとんと目を丸めている。


 と、リリウムは少し怒ったふうに眉根を寄せて、また大きなため息をついてから、メレアをまっすぐに見据えた。


「したのね」

「――うん。でも治った」


 リリウムはメレアの嘘を見破るのが特にうまかった。

 リリウム自身なぜだかはわからなかったが、メレアの笑みに隠れた微細な表情の違いが、リリウムには手に取るようにわかることがあった。


 リリウムが告げると、メレアは観念したように両手をあげて、結局は正直に答えていた。


「マリーザには言わなくていいよ」

「言うわけないでしょ。自分であんたに怪我させたってわかったら、あの女は一週間は隠れて泣き続けるでしょうから。その世話をするのはさすがにだるいわ」


 そう言いながら、リリウムはメレアの部屋に一歩足を踏み入れる。

 対するメレアは、リリウムには聞こえないくらいの声量で、「そう言いつつ、実際にそうなったらリリウムは世話するんだろうな」と苦笑しながらつぶやいていた。


 そのうち、リリウムが服の散乱した場所であぐらをかいているメレアの傍にまでやってきて、おもむろに目線を合わせるように屈みこむ。

 と、そのままメレアの腕を華奢な手ですくいあげていた。


「どこ」

「そこ。――右腕、あの状態のマリーザを最初に拘束するのに折れちゃったから」


 メレアは、悲しむでも、怒るでもなく、薄い笑みを浮かべたまま、淡々と答えた。

 リリウムに対して嘘が利かないことには、メレアもそろそろ気づいていた。


「ほかは?」

「ほかは小さいもんだ。打撲とか、裂傷とか、そんなもん」

「……そう」


 リリウムは片手で紅の前髪を払って、そのまま耳に掛けた。

 そうして視界を確保しながら、まだすくいあげたままのメレアの腕に目を近づけ、じっくりと観察する。

 自分の腕を、並ならぬ美貌の少女が食い入るように見つめ続ける光景というのも、メレアからするとややどぎまぎするもので、メレアは落ち着かなそうに周囲に視線を泳がせながら、彼女が腕を下ろすのをじっとして待っていた。


「手、握って」

「ん? うん」


 リリウムが指示を出してきたので、メレアはうなずいて拳を握った。


「開いて」

「はい」

「……ふん、本当に大丈夫そうね」


 リリウムはようやく満足したようにメレアの手を離し、張っていた気を抜くように鼻で息を吐いた。

 それに続く動きで、リリウムは両手を腰に置き、今度はメレアの顔を見上げる。

 上目使いながら、その眼には有無を言わせぬような力があって、思わずメレアをたじたじとさせるほどだった。


「あたしができないことについてとやかく言うのもあれだけど、でもだからって遠慮するような繋がりの薄さでもないから、ちゃんと言っとくわ」

「ん?」

「次はもっとうまくやりなさい」

「――ああ、わかってる」


 リリウムの言葉に、メレアは真面目な表情でうなずいていた。


「あんたのためにも、マリーザのためにも」

「うん」

「マリーザはあの状態のときのことを覚えていないけれど、でもきっと、自分がどうなってるかくらいの予想はとっくについてるわ。だから、覚えていないけど、きっと自分は敬愛する主に拳を振るったのだろうって、わかってると思う」

「……」

「覚えてないから、かろうじて泣かないでいられるのよ、マリーザは」

「……うん」


 リリウムもまた、マリーザのことをよく知っていた。


「だから、仮にマリーザが覚えてても、胸を張って『なんともなかった』って言えるくらい、完璧に抑え込むことが理想なの。もちろん、一番は『暴帝期』なんてものがなくなることだけど、それはマリーザが自分でなんとかすることだし、きっと時間が掛かることだろうから」

「リリウムはお姉ちゃんみたいだな。みんなのことをよく見てる」

「ちゃんと聞いてるの?」

「いでででで」


 不意に楽しげな笑みを浮かべたメレアの耳を、リリウムが身を乗り出しながら片手で引っ張った。


「き、聞いてる聞いてる。次はもっとうまくやるよ」

「そうしなさい。あと、今日の夜に出発するらしいけど、まだマリーザは昨日のことを引きずってると思うから、道中は適当に放っておきなさい。さすがにヴァージリアに着くころには自分の中で整理をつけてると思うから。――その辺は優秀だからね、あの女」


 リリウムが腕を組みながら言った。

 マリーザの呼び名がまた『あの女』に戻る。

 メレアはそこに彼女の照れ隠しのような色を捉えていた。


「はい、まあそんなところよ。……てかホント汚いわね。なんで一日や二日でこんなぐちゃぐちゃになるのよ。服の畳み方めちゃくちゃだし!」

「時期が悪かったんだって。遠出のためにいろいろ備品探してたらこんなことに……」

「ああもう……、はい、これ、これ持っていきなさい。あとこれと、このローブと、向こうは海沿いで風が寒いだろうからこの肌着も――」


 いつの間にか二人して服の中に埋もれていることに気づいたリリウムは、一転しててきぱきと周囲の服を両手で拾い上げていった。

 男物の下着に構うこともなく、必要なものをするすると探し出してはメレアの隣においてあった布袋に入れていく。


 メレアはそんなリリウムの動きの邪魔にならないように、借りてきた猫のように大人しくしながら、ただ布袋の口を両手で開かせているばかりであった。


◆◆◆


 芸術都市ヴァージリアへの出発が、その日の夜に迫っていた。

 マリーザの暴帝期の発作が近々来ることを本人から知らされたメレアは、出発をそのあとに調整した。

 結果的に、さほど調整の意味もないほどちょうど良い頃合いにマリーザは暴帝化したが、彼女の身体にかかる負荷を考えると、さらに数日の休みを取りたいところでもあった。


 だが、マリーザ自身がそれに首を振った。

 自分のせいで必要以上に時間を費やさせるのは嫌だったらしい。

 頑として譲らない頑固さがあるのはマリーザもまた同じで、結局、道中はゆっくりできるだろうとのシャウの助言もあったので、翌日の夜に出発することに決まった。



 その日の夕方。

 メレアはリリウムに手伝ってもらった荷造りを終え、早々に一人でレミューゼの都市門をくぐっていた。

 向かう先はレミューゼの門の『外』だ。

 最近ハーシムの指示によって都市の周囲に外壁が作られていて、その日の夕方もレミューゼの建築屋たちがせっせとさわやかな汗を流しながら白石で壁を建造していた。


 彼らの横を通って、ときおり名を呼ばれたり、号を呼ばれたりしながら、さらにメレアは外周を回っていく。

 目指す場所は――




「ノエルー」

「ぎゃ!!」


 かの黒い地竜(レイルノート)が寝ている、『巣穴』だった。


◆◆◆


 レミューゼの西門を出て少し北に向かって歩むと、その巣穴はある。

 地竜は巣を穴の中に作ることもあれば、地上に樹木や植物を積んで器用に巣を作ることもあり、その生態は多様という言葉に尽きるが、ノエルの巣は穴倉の中にあった。

 穴倉に巣を作った理由の半分はノエルの好みで、もう半分はメレアとハーシムの指示によるものだ。


「お前がレミューゼの西北にでんと寝転んでたら商人や旅人がビビって逃げていくからな」

「ぎゃ?」


 メレアはとある簡素な建物の前に立っていた。

 そんなメレアの眼の前には、そのやたらに入り口が大きく作られた建物の玄関から、長い首を出す黒い竜がいる。

 建物の玄関から地竜の竜顔が飛び出ている光景は、出来の良い怪談よりもいっそおそろしげである。


「とはいえ、まだここの偽装もちんけだな……」


 その建物は、人が住むためのものではなかった。

 ノエルの巣穴を隠すための、いわば『覆い』である。

 建物の中は手つかずの空間になっていて、地面も露わになったままだ。

 しかし支柱はしっかりと計算されて建てられていて、中にある穴倉からノエルが身を乗り出すときに倒れないように、かなり入念に手を加えられていた。


「ん? お前、また別の場所に巣穴繋げただろ。なんか嗅ぎ慣れない匂いがする」

「ぎゃ」


 メレアはふと、ノエルが首を出している建物の玄関口から、嗅ぎ慣れない匂いが漂ってきていることを察知した。

 決して嫌な匂いではない。

 むしろハーブだとか、植物を潰して作った香料だとか、そういう清涼感のある匂いだ。

 そこに植物の匂いが混ざっていることを確信したメレアは、直後に合点した。


「西北の森か……」

「……」


 メレアが紡ぐと、ノエルはその竜顔に申し訳なさそうな表情を浮かべて、少し頭を垂れた。


「いや、別にいいんだけど、あんまり掘り過ぎるなよ? あとレミューゼの下を掘るのもダメだからな。地盤が緩んだりしたらえらいことになる。……掘った部分はあとでハーシムに言って印を置かせるか……」

「ぎゃー」


 人間のような反応を示すノエルの頬を手で撫でながら、メレアはため息を一つ吐いた。

 

 ノエルの身体は、レミューゼに来た当初と比べると、また一回り大きくなっている。

 また、メレア以外の魔王たちもときたまここにやってきて、ノエルの世話をするようになったせいか、ノエルが人語を解するようになってきた(ふし)もあった。

 もともとそれに近い能力はあったように思われるが、地竜の高い生態能力と知能が、より環境に適応するようにノエルを成長させたようにも思える。

 そのあまりの成長の速度はメレアをして驚くほどであったが、これという原因もわからなかった。

 単純に、地竜の中でもひときわ優れた部族の出であったのかもしれない。


「お前、どこからはぐれたんだろうな。クルティスタに訊けばわかるかなぁ」


 メレアはかの天竜(テイシーア)の友人を思い出した。

 今もきっと世界のどこかの天上を遊泳しているだろう竜の友人は、地竜事情についてもくわしいだろうか。


 ――今度遊びに来たときにでも訊いてみようか。


 ムーゼッグとの戦のあとに、一度だけ雲の切れ間にあの雄大な白銀(よう)の姿を見て以来、クルティスタの姿は見ていない。

 もともと天竜が世俗と離れがちな天上の存在であることはメレアも知っていたため、少しさびしいとは思いつつも、特に責めることもなかった。


「まあ、俺がこんな街中にいる間は降りてこられないか」


 メレアはノエルの首筋をなでている手とは逆の手で、自分の頭をかきながら紡いだ。

 

「ノエルが繋いだ西北の森に行くときにでも、ちょっと呼んでみようかな」


 そんなことを思って、そこで思考を区切った。


「――で、だ」


 メレアにはノエルに伝えることがあった。

 ノエルの首筋をひととおり撫でたあと、メレアは改めてノエルの前に立って、おもむろに大きく口を開ける。


「■■■、■■」


 その口から、重く不思議な音色の声が紡がれた。

 竜語。

 メレアの口から放たれた声に、ノエルはかっと目を見開いて、まっすぐな視線を返す。


「■■」


 そしてそんなノエルの口からも、同じく整った音の竜語が放たれた。

 かつてはメレアをして『竜のくせに竜語がへたくそ』と言われたノエルであったが、のちの訓練の甲斐があって、今ではメレアと同じように竜語を紡げるようになっていた。


 『人が竜に竜語を教えるってのは前代未聞だな』、とはサルマーンの言である。


 ノエルの対応に、人語で話しかけられるときと竜語で話しかけられるときの違いがあるのは、おそらくメレアを真似してのことだろう。

 メレアが人語と竜語を使い分けるように、ノエルもまたいつもの動物的な鳴き声と、重く整然とした竜語を紡ぐときを使い分けていた。


「■■■」

「■、■■」


 メレアの竜語を真剣な表情で聞くノエルは、ときおり人間のようにうなずいたり、かぶりを振ったりをしながら、反応を返していた。

 それに対しメレアも身振り手振りを加えつつ、さらに数語の竜語を紡ぐ。


 そうしていくばくかの時間が過ぎて、ようやく一人と一頭の間でのやり取りは終わりを告げた。


「よし、だいたいこんなもんだ。いざというときはお前の力も借りるから、ちゃんと芸術都市の近くにいるんだぞ」

「ぎゃ!」

「さっき言った道を使えば人目は少ない――ってシャウが言ってた。まあ、そのへんもお前なら自分で判断できるだろうけど、一応な」

 

 最後にメレアはノエルの鼻先を軽く二度ほど叩いて、言った。


「頼むぞ、ノエル」

「ぎゃう!」


 メレアの声にノエルは嬉しげに首を揺らし、それのせいで建物が大きく軋んだ。


「よし、まて、落ち着け。これを壊すと星樹城に請求が来る。みんなの小遣いが減るからな……!」

「ぎゃ……」


 メレアの静止にぴたりと動きを止めたノエルだったが、その顔はどことなく不満げでもあった。


「お前にはわかるまい、人間の生み出した金という叡智(えいち)の残酷さが!!」


 メレアの涙目での抗議に、ノエルは首をかしげて応えるばかりであった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『やあ、葵です。』(作者ブログ)
・外伝作品や特別SSの掲載
・お知らせ/活動報告
・創作話&オススメ作品あれこれ など


◆◇◆ 書籍1巻~6巻 発売中!! ◆◇◆
(電子書籍版あり)

百魔の主







― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ