88話 「死の宣告と、整う準備」
「今日は朝から小食なやつが多かったな」
「……」
「みなの胃のタイミングが悪かったか。週のいつごろならいっぱい食べられるんだ?」
――頼む、まだそのあたりにまで気をまわさないでくれ。
「なあ、メレア、お前はどの曜日に私の料理を食べたい? 週初めの紫の曜日か? それとも週終わりの黄の曜日か? 休みの日がいいなら黒の曜日と白の曜日も捨てがたいな」
――死の宣告だろうか。
メレアは朝食を腹半分に収めたあと、意気揚々と次の死の曜日を決めているエルマと並んで、星樹城の廊下を歩いていた。
朝食後。一旦部屋へ戻って一日のための身支度をする時間。
四階にあるエルマの部屋と、五階にあるメレアの部屋は、道が重なりやすく、朝の食器洗いを終えたあとに一緒に会話をしながら歩くことがままあった。
「今日はたまたま調子悪かったんだよ……、き、昨日久々の晩餐会をやってたくさん食べたからね」
「そうか、なら前日に晩餐会がなければいつでもいいか」
――ごめんみんな、俺下手打った。
メレアはエルマに背を向けて顔を両手で覆った。
「ん? どうした? やっぱり食べたりないか?」
エルマはそんなメレアを見て、小首をかしげている。
「い、いや、そんなことないよ。――ちなみにエルマってさ、料理作ってるとき味見とかする?」
「はは、当たり前だろう。人に食わせるのだ、味見は必要だ」
――あっれー。おかしいなー。
エルマから返ってきた返答は、メレアの予想とはだいぶ違った。
正直にいえば、もしかしたら味見をしていないのではないかと思っていた。
実際そう疑うくらいエルマの料理は――『独創的な』味である。
言ってしまえば、人を失神させるほどだった。
「今日のはちょっと不思議な味だったが、まあ食えないほどではない」
「ちょっと!?」
「えうっ!?」
「あ、ああ、ごめん、急に大声出しちゃったね」
「び、びっくりしたぞ……」
戦時には凛として隙のないエルマも、こうして星樹城にいるときはずいぶんと気を安らげているようで、突然大声をあげたりすると、よく動物のごとくわかりやすい驚きを見せる。
思わず口から弾けたメレアの声に、エルマはビクリと肩を震わせたあと、すばやい動作で両手をあげて身構えつつ、メレアから二歩ほど後ずさった。
謎の構えだが、びっくりしたということはよくわかった。
それを見たメレアは手を振りながら謝って、あらためて話題を戻す。
「そ、そうか、味見はちゃんとしてるんだ……」
ということは、エルマ自身今日の朝の料理を口に入れている。
それでもけろっとしているどころか、自分で食ったあとに人にまで出している。
――もしかしてエルマ、舌が壊れているのか……。
加えて、人外の胃を持っているのかもしれない。
――いやでも、うまいものは普通にうまいって言うしな……。
「エルマって好き嫌いあんまりないよね」
「ああ。――傭兵をやっていたころ、頭のいい相手と戦ったことも結構あってな。いわゆる、正面からぶつかるだけではなく、こちらの兵士の補給線を分断したりしようとするやつらだ。それで何度か兵糧不足に陥ったことがあって、そのときに食えるものを片っ端から食ってみたから、あまり好き嫌いはないんだ。土を食べるよりはマシだしな」
「どうかなー」
「ん?」
「い、いやっ、なんでもない」
――なるほど、エルマの舌は味に対する評価の下限がおそろしく広いのか……。
ある意味それも進化かもしれない。
成長というよりは、進化と言ってしまった方がかえってしっくりくる。それくらいの変異である。――あの料理を食えるということは。
――しかし、まずいものをまずいと思わないのはある意味料理人になるのにものすごくネックになるんじゃ……
エルマの厚意は非常にありがたい。
たしかにメレア自身、料理なんてものは苦手だ。
というより基本的に家事なんてものはたいがい苦手だ。
そんな中で、エルマはせっせとみなのことを気遣いつつ、いろいろ行動してくれる。
料理以外のことに関して言えば、さほど手際が悪いというわけではないのだ。マリーザほか女性陣の指導のおかげでもあるだろう。
ただ、ただ料理だけは――
「ま、まあ、サルマーンとか本当に料理うまいから、今日は時間が合わなかったけど、次はちゃんと教えてもらえるといいね」
「ああ、そうだな。……まったく、今日もその予定だったのに、あいつ遅れてきたんだ」
エルマは腕を組んで頬を膨らませた。
大人びた切れ長の目に不機嫌そうな色が乗るが、そうやってふくれっ面を浮かべるさまは少女のようでもある。
「二度連続はないさ」
「そうだといいがな」
――みんなのためにも、二度連続はキツすぎるから、なんとしてでもやつを遅れずに厨房へ送り込まなければならない。
そう思いつつも、メレアはエルマに料理をするなとは言えなかった。
しかたなく一度息を吐いてから、
「きっとエルマならすぐにサルマーンよりもうまくなるよ」
「そ、そうか? ――お、お前が言うなら頑張ってやらんこともない!」
言った言葉に、エルマがパァっと表情を明るくさせたので、メレアは柔らかい苦笑を浮かべつつ、うなずきを返した。
――こういう無邪気な表情を表に出せる機会が増えたことは、良いことだ。
ふくれっ面から一転、にこにことした笑みを浮かべながら四階への階段を昇りはじめたエルマを見て、メレアは、戦事から離れていられる今を大事にしようと、再度心の中に刻み付けていた。
◆◆◆
「あ、そうだ」
「どうした?」
四階へ続く階段を半分ほど昇りきり、その踊り場へと足を踏み入れたあたりで、メレアが自分の少し先をステップ調に歩くエルマに声をかけた。
「エルマ、芸術都市行く?」
例の件だ。
マリーザとサルマーン、さらに双子とシャウを連れて行くことは決めているが、サルマーンに話した通り、行動班を二班に分けるに際して、護衛がもう一人二人欲しいところだった。
エルマ自身が芸術都市に用があればそれで構わないが、おそらくないだろうという予想もある。
「当然だ」
と、頭の中でぐるぐると考えていると、エルマがほとんど間をおかずに答えを返してきていた。
黒髪を後ろに払って、姿勢を正してメレアを真っ向から見据えている。
その立ち姿はまさしく〈剣帝〉という感じであった。
「私は常にお前の隣に――ん? なんかこの言い方はまずい気がするな……いやでも、前にも同じことを言ったような……」
「エルマ?」
「……」
剣帝然とした立ち姿から一転、言葉の途中で顔を真っ赤に赤らめはじめたエルマに、メレアが首をかしげてみせる。
「い、いやっ! なんでもないっ! と、とにかく! 私も行くぞ!」
エルマはメレアの不思議そうな視線を受けて、しどろもどろになりながら言った。
両手をぶんぶんと振って、まるでその視線をさえぎるようにしている。
「げ、芸術都市は骨董品等の年季の入ったものも集まったりするのだろう!? もしかしたら七帝器も紛れ込んできているかもしれないしなっ! ほかにもこう、なんか、いろいろ、じょ、じょうほうが!」
「そ、そうだね。まあエルマは七帝器関連に関しては〈知識〉の一員でもあるし、そっちの仕事のためにもちょうどいいかもしれない」
「そう! そういうことだ!」
メレアの言葉に、まだ顔を赤くさせたまま大きく三度うなずいたエルマは、そういって踵を返した。
「じゃっ、私は今日も依頼があるのでなっ! 着替えてまた出る!」
「うん、気をつけてね。芸術都市に行く日程が決まったら知らせるよ」
メレアは内心に「俺も行きたいなぁ」と思いながら、しかし自分には自分のやるべきことがあるので、どうにかこうにかその好奇心を押さえこんだ。
――もうしばらくすれば、そんな余裕も出てくるのだろうか。
エルマたちと一緒に誰かからの依頼をこなしたり、ノエルを連れて東大陸を実地で視察に回りたかったりと、やりたいことはたくさんある。
――でもまずは、〈魅惑の女王〉の無事を願って。
それが魔王であっても魔王でなくても、ひとまずその大仰な名によって彼女の内心が妨げられないことを、メレアは祈った。
今しばらくは、世界を放蕩する時間はなさそうである。
◆◆◆
「メレア様、お勉強の前に訪問者がございます」
「はえ?」
メレアはエルマと分かれて自室に戻ったあと、部屋で十分に胃を休め、のちに二階の執務室へと向かった。
いつもの、マリーザによる講義の時間である。
加えて、各班から書類としてまとめられた情報を確認する重要な時間でもあるが、その日はその前にやることがあるらしかった。
メレアに心当たりはなかったが、マリーザが淡々と横に立って秘書然として告げるので、間違いこそないだろうとの思いもあった。
「誰?」
メレアは執務椅子に深く座って、横に立つマリーザを見上げる。
するとマリーザは、
「いいですよ、お入りなさい」
と執務室の扉の方を向いて、よく通る声を飛ばした。
その声に反応して扉が開き、向こう側から姿を現したのは――
「んん?」
張りのある褐色の肌に、綺麗なつやの掛かった桜色の髪を垂らした――長身の美女であった。
すらりと伸びた四肢に、女らしい色気を十二分に醸す曲線美のある体躯。
ぴくぴくと小刻みに動く不思議な獣の耳を頭につけて、また同じく――
「犬の尻尾みたいなのが――」
ついていた。
間違いなく、ついていた。
背中の方、その薄手のシャツの下の方から、左右にゆらゆらと動く毛に覆われた尻尾が見えていた。
毛は髪と同じく薄い桜色だ。銀と混ざり合っているかのような、不思議な光沢を感じさせる。
犬のそれとも、猫のそれとも言い難いが、その尻尾の毛はやけになめらかで、ふわふわとしていて、一概に形容しがたいほどの美しさを呈していた。
思わず衝動的に触れたくなるような、圧倒的なまでの手触りの良さをメレアに予感させる。
――えーっと……。
即座には誰だかわからなかった。
――……あ。
しかし一瞬ののち、メレアは気づいた。
当然、昨日の晩餐会のあとに顔を合わせたからだ。
あの特徴的な『全身鎧』がなかったので、印象が違っていた。
「シラディスか」
「う、うん」
昨日、メレアに〈獣神〉であることを名乗った彼女。――シラディス。
彼女は鎧をすべて脱いで、はじめてメレアの前に姿を現していた。
「よし、あとで尻尾触らせてくれ」
「えっ?」
「メレア様」
「冗談だ、つい気が逸った」
――あれは魔性だ。
思いながら、気を取り直してシラディスに視線を向ける。
シラディスは今の瞬間的なやり取りに、見事おいていかれたようだった。
あたふたとしながら、メレアとマリーザの顔を交互に見ている。
「それで、どうした?」
「あ、あれ? あんまり、驚かない? 嫌じゃ、ない?」
「なにが?」
シラディスはメレアの問いに答える前に、そう訊ねていた。
もじもじと手指を合わせて、機嫌を窺うようにメレアの顔を見ている。
驚くほど長身だが、その様相はむしろ小動物と相違ない。
「し、尻尾とか……」
「嫌どころか触らせてくれ」
「メレア様」
「油断も隙もねえな」
「ご自分へのお言葉ですか?」
「……」
マリーザの的確な返しに、メレアは肩を落としてみせながら、またシラディスに言った。
「全然嫌じゃないよ。かわいいもんさ。俺、ほかにも尻尾生えてるやつみたことあるけど、そいつの尻尾は竜族の尻尾だったからね。あの尻尾には殴られまくったからあんまり良い思い出ないけど、それと比べると、いやホント、かわいい触りたい」
「そ、そんなに?」
「うん」
メレアは真顔で答えた。
隣でマリーザが手袋をはめ直していた。
「じゃ、じゃあ、あとでなら――」
「マジで!?」
メレアがハっとした顔で勢いよく椅子から立ち上がる。
しかしマリーザがおもむろに拳を中段に構えたのが見えて、メレアは椅子に座り直した。
「よろしいですか?」
「よろしいです。――それで、どうしたの? なにかあった?」
椅子に座り直したメレアは、少し真面目な表情に戻って、シラディスに訊ねた。
対するシラディスは、両手で自分のシャツの裾をつかみ、意を決するようにして言葉を放つ。
「わた、しも……ヴァージリア、行く」
「芸術都市?」
「――うん。昨日、言おうと思ったんだけど、忘れてて」
「ふむ」
シラディスが〈剣〉に所属していることはしっかりと覚えている。
加えて、戦いの術に優れているのも知っている。
以前の戦いの中でも、特に武器を使っていたということはないが、鎧越しの殴打で人を軽々と飛ばすほどのたぐいまれな膂力は見せつけていた。
「鼻も、利くよ。音も、普通の人間よりは聴き取れる。なにかあったら、追跡もできるし、ちゃんとみんなを守れる」
いつの間にか、シラディスの口調は確固としたものに変わっていた。
それが決意の表れであることに、メレアもマリーザも気づいていた。
メレアは幾秒かの間視線を机に落とし、思案気に時を過ごす。
そうして再び視線をあげて、シラディスを見据えながら言った。
「いいの? 『それ』、あんまりほかの人に知らせたくなかった力でしょ?」
シラディスの言は、その容姿と号にまつわる力を匂わせていた。
メレアはそれに気づいて、またこれまでの彼女のおそれを知っていて、訊ねた。
彼女は、〈獣神〉としての力が人に知られてしまうことをおそれている。
あるいは、獣との混ざり者のような姿を、人に知られたくなかった。
「うん、構わない。昨日、決めたから。――ここのみんなになら、知られてもいい。それと、ここのみんなのために必要なら、魔王としての力もためらわずに使う」
「……そうか」
メレアは決意のこもった瞳をしかと向けてくるシラディスに、優しげな微笑を返した。
「じゃあ、一緒に行こう」
「っ! うん!」
メレアがうなずくと、シラディスはその尻尾を大きく振って、嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「別にいいよね? マリーザ」
「いいもなにも、決めるのはあなた様ですよ。――まあ、あえて申し上げるならば、わたくしも賛成でございます」
マリーザはそれ以上なにも言わなかったが、それでも少し、嬉しげだった。
その様子が、彼女なりにほかの魔王のことも気にかけている証拠のように感じられて、メレアはまたほのかな笑みを浮かべた。
「――となると、このあたりかな。あんまり人数が多くなりすぎても、動きが鈍くなったり死角が多くなったりするかもしれない」
「そうでございますね。多すぎればそれだけ目立つ、ということもございますし。どちらかといえば調査という色が濃い今回の遠征は、いざというときのための人員を確保しつつ、速やかに動けるくらいの人数を維持するのが肝要だと思われます」
「リリウムあたりはどうするだろうか」
「『今回はパス。人が離れすぎるのも問題だし、こっちはこっちで〈知識〉としてやることがある』と言っていました」
「もう聞いたのか」
「リリウムの方から先に」
「まったく、リリウムは本当に頭の回りが速いな」
マリーザ越しの報告は、二人の部屋が近いことも関係しているのだろう。そんな予想を浮かべながら、メレアは彼女の言葉を受け取った。
「たしかに、ほかの魔王の情報も同時に調べておいて欲しいし、リリウムが残るというならそれでいいか。……ついでに、俺がいない間の諸処の指示はリリウムに任せてもいいかな」
「リリウムならこなすでしょうけど、たぶん頼むときすごくめんどくさそうな顔すると思いますよ」
マリーザは少し困ったように眉根を寄せて言った。
「まあ、リリウムの仕事は増えるな……」
メレアの脳裏には、その気の強そうな目元を冷ややかに細めてこちらを見据えるリリウムの顔が、くっきりと映っていた。
「『おみやげ』、選ぶの手伝いましょうか?」
「ああ、その作戦で行こう」
ずいぶんとマリーザはリリウムのことを知っている。
女性陣は女性陣で、自分の知らぬ間に交流会でも開いているのではあるまいか。
メレアはそんなことを思いながら、マリーザの提案したおみやげ作戦を即座に採択した。
「あとはアイズか。――シラディス、アイズはなにか言ってた?」
「うん。行くって。目が役に立つだろうって、言ってた」
シラディスは淡々とうなずいた。
「じゃあ、シラディスにはアイズの護衛もお願いしようかな」
これで、眼と、鼻と、耳が揃った。
メレア自身五感には自信があるが、このアイズとシラディスのコンビに比べるとはたして上回れるかはわからない。
――あとは実際に行ってみて、か。
固まりはじめた地盤を再度確かめるように頭の中で踏みしめて、メレアは芸術都市への意気を強めた。





