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百魔の主  作者: 葵大和
第八幕 【麗しの舞台へ】
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84話 「天魔の軍師とアーメット」

 厨房から逃げ出したメレアは、一旦星樹城の広大な中庭に出たあと、別の入口から城の中へと戻っていた。


「さて、部屋で解読の続きでもしようか」


 残る就寝までの時間を再びの術式解読につぎ込むべく、自室への道を歩みはじめる。



 メレアの部屋は、星樹城の上階――その五階にあった。

 〈魔王連合(メア=ネサイア)〉の長として使う執務室とはまた別だ。

 メレア自身は執務室に寝泊まりしても――マリーザの用意した紙束が無いかぎりは――別段構わないのだが、のちのちこの集団が大きくなったときのことを考えると、どうやらそちらの方がいいらしい。


 いわく、組織としての健全さのためである、と。

 マリーザやシャウが、率先してそんなことを理由にあげていた。


 その言葉の意味を、しばらくしてからメレアも理解した。

 というのも、今の時点で、すでにメレアより上の階に自室を作ることを忌避する律儀な魔王がいたのだ。


「これはこれで、五階まで上がるのめんどくさいんだけどね……。こんなところまで俺が長であることを主張する必要はない気もするんだが……」


 これまでのもろもろの出来事を経て、メレアに対して大きな恩を感じている、というのが最たる理由らしかった。


 恩を感じられるのは別に嫌なことではないのだが、そもそもそういった、いわゆる世界一般の慣習に疎いメレアからすると、「適当でいいじゃん」と思いたくなるときもある。

 しかし、彼らは彼らで、生まれた地や、教えられてきた民族的な慣習、慣例ゆえに、そうしたいという。

 メレアとしても、肩肘を張ってまでそれを拒否したいわけではなかったから、結局は彼らの気持ちを尊重した。


「まあ、これからもっといろんな生まれの魔王が来るかもしれないからな。俺も面倒だからと投げっぱなしはよくないか」


 むしろ、そういうことがあることを改めて再確認させられて、自分たち最初の二十二人が作った〈魔王連合(メア=ネサイア)〉という集団が、どれだけ繊細な集団であるかということに思いが巡った。


「いきなりは無理だけどな……!」


 なんでもかんでも最初からこなすのは無理だ。

 忘れないように意識しながら、徐々に考えていこう。


「――よし」


 そんな意気を強めたところで、メレアは『二階の廊下』の突き当たりにたどり着いた。


 目の前には上下開閉式の窓がある。

 今は開け放されていて、淡い色遣いのステンドグラスがはめ込まれた窓板が少し視線をあげた先に見えた。


 窓の外に視線を向ける。

 すぐ下に樹の枝が見えた。

 大星樹の枝――ここまで太いとほぼ巨木である。


「……誰もいないな」


 メレアはその『足場』を確認して、次にあたりをきょろきょろと見まわした。

 

「五階まで階段使うの面倒だしな」


 メレアは近頃、星樹城に絡みつくように手を伸ばしている大星樹を伝って、よく五階まで駆け昇っていた。

 特に夜は、大星樹のきらきらと光る粒子が綺麗だし、最近より活気に満ち溢れてきたレミューゼの街並みもよく見える。

 ちょっとした距離ではあるが、ただ階段を昇って五階まで行くよりは、そうやって外の空気に触れながらの方が楽しみがいがあるのだ。


 ふと自分のそんな性質に思いを到らせると、なんだかんだと、リンドホルム霊山というほぼ常に外界な場所でこれまでの人生を歩んできた経験が、好悪の基盤として影響を及ぼしているのかもしれないと思わずにいられない。


 ――外への執着があるのかな。


 同時に、かつて刻んだもう一つの生における外への執着が、自分の魂には刻まれているのかもしれないとも思った。

 仮にそうであったとしても、メレアにとってはどちらもが愛しい性質だと思えたので、


「つまり俺が階段を使わずに五階へ上がることは正義――」


 マリーザにバレると行儀が悪いと怒られることがあるが、要はバレなければいいのだ。

 バレなければ――


「メレア、くん」

「はぁうっ!?」


 が、意を決して窓辺から足を外に出したあたりで、不意に後方から声が掛かって、メレアは逆の足を窓枠に引っ掛けそうになった。


◆◆◆


 落ちる代わりとばかりにぶつけた(すね)をさすりながら、おそるおそるメレアは後方を見やった。

 自分の名の呼び方から、その声の主がマリーザではないことはほぼ確信しつつ、しかしもしかしたらわざとこちらを油断させるために『彼女』の真似をしているのかもしれないとも思って、警戒は怠らなかった。


「――アイズ」

「あ、な、なんか、ごめん?」


 メレアは視界に声の主を収めて、ひとまず安心する。

 そこにいたのは、小首をかしげて少し困った様子で謝罪を述べる――〈天魔〉アイズだった。

 銀の瞳に困惑の色を乗せ、止めない方が良かっただろうかとわかりやすく悩んでいるさまは、小動物のように庇護欲を誘う愛らしさを呈している。

 魔王たちの中でも特に華奢な身体をした彼女は、その細い腕を身体に巻き付けるようにして、片肘をつかみながら廊下に立っていた。

 

「いや、大丈夫大丈夫」


 メレアは笑ってそう言いながら、アイズが出てきた部屋の標識板に『蔵書室』と達筆な文字で描かれているのを見直して、ようやくこの状況に合点した。

 アイズはどうやらまだ蔵書室で資料を読み漁っていたようだ。

 

 ――そこまで確認するのは忘れていた。


 次からはそこまで気を張ろうと思いながら、しかしすぐに切り替える。

 今はアイズがなにをしていたかのほうが気になってきていた。


「アイズ、まだなんか仕事でもしてたの?」

「うんうん、違う、よ。今は、自分の勉強」

「熱心だなぁ」


 と、メレアはアイズの手に一冊の本が握られていることに気づいて、眉をあげた。


「それ?」

「あ、うん」


 メレアは窓辺から外に出していた片足を引き戻し、(きびす)を返してアイズの方に歩み寄った。

 赤い瞳は好奇心に輝いている。


「どれどれ――」


 アイズの傍にまで歩み寄って、彼女が持っていた本の表紙を覗き込む。

 当のアイズは、少し『申し訳なさそうな』顔をしていた。


「――」


 そして直後に、メレアの言葉が詰まったのを見て、アイズは『やっぱり』とでも言うかのような、眉尻を下げた表情を浮かべていた。

 メレアは数瞬のあとに、そんな彼女の表情の変化に気づく。

 その変化が彼女の内心を如実に表していたことにも、同時に気づいた。


 彼女の持っていた本の表紙には、『戦術論』という単語がふんだんに使われていた。


 彼女がなぜそんな本を持っているのか、メレアの中でさまざまな情報がめぐりめぐって、しかし容易(たやす)く、それは一つの答えに収束する。

 メレアはしゃがみ込んだ状態から、アイズの顔を見上げた。

 アイズは顔をうつむけて、メレアから銀の視線を逸らしていた。

 その顔には、やはり申し訳なさそうな色があった。


「――そっか」


 メレアの言葉は、その間にあったであろういくつもの会話を見越した上で紡がれた。


 なぜ、こんな本を読んでいたのか。

 なぜ、申し訳なさそうな顔をしているのか。

 なぜ、それでも言い訳を紡がないのか。


 全部――わかった気がした。

 そして彼女がメレアの短い声のあとに、ハっとしたように視線を戻し、その赤い瞳を見つめなおした。

 メレア自身そのことに気づいて、やはり自分の中の予想は外れていなかったと、そう確信した。


「俺は、そこまでアイズの意志を縛るつもりはないよ。だから、別にそんな顔をしなくてもいい」

「で、でも――」

「アイズは優しい上に、責任感が強いからね。こんな俺が言うのもなんだけど――『気持ちはわかるんだ』」


 嘘ではなく、気休めでもない。

 メレアはそれを知っている。


 『動きたくても動けない者のつらさ』を、メレアは知っていた。


 今でこそ自分で言うように器に恵まれているが、かつてはそうではなかった。

 だから、その上でなお、自分にできることを必死で探そうとする彼女の強さにも――自然と思いが至った。


「わた、しは……、〈天魔〉、だから。身体が人一倍弱いのは、ご先祖さまが、いつからかそうなるように……したから」


 アイズは自分の肘をつかむ腕に力を込めた。

 か細い腕に、ほんの少しの筋が浮かんだのがメレアにも見えた。


「害が、ないよって、伝えるために」

「――」


 メレアはアイズがそんな言葉を紡いだ瞬間、〈天魔〉の一族が背負ってきたあまりに深い憎しみの業を直視した気がした。

 口が開いたまま時が止まった。

 凍った思考から復帰したときにまず先に漏れたのは、


「……そこまでしたのか」


 そんな言葉だった。

 

 アイズの身体が人一倍華奢なのは、血筋のせいでもあった。

 虚弱であることを伝えるために、そうしたのだ。

 おそらく、〈天魔の魔眼〉という特殊な眼を持つことで疎まれたアイズたちの一族は、人々から迫害されまいと、自分たちが眼以外に脅威性のないことを周りに知らせようとしたのだろう。

 

「口が堅いって、伝えるために、最初は、喋ることをやめたの」


 それでも疎まれた。

 見えたものを喋らないからといって、見ていないわけではない。

 知ってはいるのだ、とでも思われたのだろうか。


「でも、だめだったから、次に、身体を弱くしたの。知っていてもなにもできないって、伝えるために」


 見たことを誰にも言わないし、知っていても自分たちは何もしない。できない。

 そのために身体にみずからで制限を掛けた。

 そのツケが、末裔であるアイズにまで届いてきている。

 メレアの中にえも言われぬもやもやとした感情が湧き起こった。


「たぶん、最後は、眼を潰さなきゃ、だめなんだと思う。わたしは、お父さんとお母さんがいなくなったとき、もうそうしようかって、思った」


 アイズは涙を流さなかった。

 眼は潤んでいたが、泣かなかった。

 逆に、メレアを見て、儚げな、そしてそれゆえに触れがたい美しさをもった微笑を浮かべて、言葉を続けた。


「でも、最後にって、そう思って登ったあの霊山で、メレアくんたちに会ったから……、それは、やめたの。こんな眼だけど、誰かの役に立つって、わかったから。それに、この眼は、〈天魔〉の家族との、繋がりだから。失いたくない繋がりだって、今は思えるから。もう、大丈夫」

「――そうか」


 メレアはアイズの微笑に笑みを返して、彼女の頭に優しく手を添えた。

 彼女は嬉しげに眼を細めたあと、またメレアの方を見上げて続ける。


「だから、メレアくんは、もしかしたら少し……嫌な気持ちになるかもしれないけど――でもわたしは、わたしにやれることをやろうって」


 アイズはその魔眼をみなのために扱える道を探した。

 そうして最初にたどりついたのが、その本にある事柄だったのだろう。

 あの逃走戦のときにも、たしかにアイズの眼がなければ分が悪かった状況はいくつもあった。


「うん、アイズがそう思うなら、俺は無理には止めないよ。それに、仮にまた大きな戦いが起こって、アイズがそのために――その、戦術論云々ゆえに前線に出ることがあっても、そのときは俺とほかの魔王が守るから。別に、『俺が心配することはなにもない』」


 触れさせなければいい。

 否、


 ――絶対に刃は触れさせない。


 メレアの中にはそんな絶大な意志が芽生えていた。


「わたしも無理は、しないから。ちゃんと、みんなの助けになるか、荷物になるかは、自分で判断できるように、する」

 

 そしてアイズの中にも、自分に対する冷静な客観視をするための強靭な意志が、たしかに芽生えていた。


 奇しくもアイズが辿ろうとした『軍師』への道が、いわゆる『先祖がえり』という結果に結びついていたことに、まだアイズ自身気がついていなかった。


 それは、ずっと昔の話である。

 まだそれが〈天魔の魔眼〉とすら呼ばれていなかった時代に、彼女の先祖は――


 『たぐいまれな軍師として戦場に立っていた』。


「ま、時間も遅いし、あんまり無理はしないようにね。倒れると余計労力がかさむって、俺の実体験だから」

「ふふ、メレアくん、いっぱい倒れてそう」

「正確には倒されただけどな……」


 メレアは霊山での日々を思い出しながら、苦笑を浮かべる。

 そうしてそこで話を切り上げると、アイズに言った。


「じゃあ、俺も部屋に戻るよ」

「――うん」


 メレアは柔らかな光の灯った赤い瞳を、もう一度アイズに向ける。


「あ、マリーザには大星樹使って五階にあがってること黙っててね!? す、すでに一回怒られてるから……二回目はやばいよな……」

「でも、二回怒られても、登るでしょ?」


 不意にアイズから軽い調子の言葉が飛んできて、メレアは少し驚いた。

 彼女の顔には明るい色がある。

 その生まれゆえに口下手だと自分で言っていた彼女が、そんな、ほかの調子のいい魔王たちが言うような軽口を紡いだことに――むしろメレアは嬉しさのようなものを感じていた。


「そう、俺は登る! このコースが一番景色が良いんだよ……!」

「うん。じゃあ、黙っておく、ね」


 アイズが莞爾(かんじ)とした笑みを見せて、思わずメレアはそれに見惚れた。

 しかし、すぐにそのことをごまかすように片足を窓辺にかけて、今度こそ窓枠をまたごうとした。

 最後に、まだそこにアイズはいるだろうかとちらりと視線を後ろにそらし――


「……」


 まだそこに立っていたアイズと同時に――


 ――なんだあれ……。


 廊下の向こう側に、首だけをひょっこり出した『謎の物体』がいることに、気づいてしまっていた。


◆◆◆


 アイズは急に動きを止めたメレアを見ながら首をかしげて、頭の上に疑問符を浮かばせている。

 しかしメレアはそれどころではない。

 なによりも、アイズのさらに後方にいる謎の物体が気になってしかたがなかった。

 階段のある広間から、こちらの様子を窺うように首だけを出している体勢。

 その曲者のような体勢であることもそうだが、最も問題となる点が――


「鎧兜……」


 その頭全体が銀色の『(アーメット)』に覆われていることだ。


 ――い、いっそこの光景はホラーだろ……。


 思わず曲者と称したが、彼には見覚えがある。――実をいえば本当に『彼』であるのかはまだわからないのだが、背の高さからひとまずは彼としていた。


 なにを隠そう、彼は同じ魔王連合の『仲間』だった。


 霊山でのムーゼッグ術式兵との戦いのとき。あのレミューゼとの共闘のとき。彼が誰よりも前に出てその身を張っていたことを覚えている。

 また山頂での墓作りのときも、フルアーマー姿で墓を器用に立てる異様な姿に、「なんだあれ」との感想を抱いた覚えがある。


 ともかく、仲間であるという認識は決して嘘ではない。

 一応動き(ボディランゲージ)で会話らしきものをしたこともある。


 ただし、まだその『素顔』を見たことはなかった。


「や、やあ、元気かい」


 メレアはかくかくとした動きでそんな廊下の奥の彼に向かって手をあげる。

 

「……」


 すると向こうも、廊下の影から分厚い鎧に包まれた片手を出して、ぺこりとその(アーメット)を揺らしながら挨拶を返してくれた。


「……」

「……」


 固まるメレアと、首をかしげるアイズと、廊下から恥ずかしそうに首だけを出す彼。

 謎の空間が一瞬にして広まった。

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