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百魔の主  作者: 葵大和
第八幕 【麗しの舞台へ】
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83話 「白神の中の、魔神」

 マリーザの監修のもと、慣れない皿洗いに勤しんでいたメレアは、その間に頭の別の部分でさきほどのシャウの話を振り返っていた。


 ――サイサリス教国。


 その存在自体には、まださほど大きな思いを抱いてはいない。

 ただ、その『在り方』については、思うところがある。


 ――身を守る防壁、か。


 これもまたさきほどの『仮に』の話を踏まえたうえでだが、一つの在り方として、サイサリス教国は十分一考に値する。

 つまるところ、サイサリス教国の教皇が、身を守るためにサイサリス教という母体を利用していたのならば、という話についてだ。

 

 もしたった一人で、身を守るために、国家までを作ってしまった者がいるのならば、その者はおそろしい人物である。

 きっとその者には、さまざまな知識の積み重ねがあったのだろう。

 たとえば、かつての似たような時代の歴史についてであったり、そしてその時代の人間の思考性についてであったり。

 とにかく、その者は知っていたのだ。

 

 次の時代には、身を守るためにより強固な力が必要であることを。


 ――……そう。


 セリアスと話したときのことを思い出す。

 あのときの言葉は、メレアの中に記憶の傷のごとく、生々しく、それでいてくっきりと残っていた。


 ――『間違ってなどいない。時代が力を求めた』

 ――『時代は人によってつくられるものだ。さも時代が神の定めたルールであるかのように語るな……!』

 ――『それでも人は時代には抗えない』


 身を守るためには力がいる。

 セリアスは終始、より大きな、まるで人の手の加わる余地のない世界の意志であるかのように、その時代というものに根拠を求めた。


 ――『号のある家に生まれた瞬間、そいつは魔王だ。そういう慣習と風習を、私たちが作ったのだからな。変えたくば変えればいい。ムーゼッグを(くつがえ)せば変えられるぞ?』


 一方でセリアスはこうも言っていた。


 ――やつは、時代に根拠を求めつつ、今の魔王のシステムに変容の余地があることを無意識に感じ取っていたのだろうか。


 だからこそ、時代という神のごときなにかに、願望のように根拠を求めた。

 それが確固たるものであるように、と。


 もともとセリアスには、口では説明しがたい二面性がある。

 対峙したメレアにはそれが感じられた。

 これらの言葉もまた、その特性の(あらわ)れだったのかもしれない。


 ――お前の言にうなずくのは(しゃく)だが、


 しかしメレアは今回のサイサリス教国の話を聞いて、一定の願いを叶えるために、それに見合った『力』が必要なことを再認識した。

 無論、決して忘れていたわけではない。


 ただ、近頃はどうやって第一の目的を叶えるか、どうすれば魔王という言葉が変容するのかというもっとも難しいことに悩んでいたため、その『手段』にまで思考が十分にめぐっていなかったのだ。

 当面やることは、


 ――そう、身を守ること。


 転じては、『力』を蓄えることである。

 サイサリスを見ればわかる。

 少なくとも、力というものは、この時代のおけるもっとも有用な『盾』のひとつなのだ。


 一時代を作ろうとしているムーゼッグに対抗するためには、一体どれほど大きな盾が必要なのか。

 また、彼らが率先して変容させはじめている魔王や号の制度を変容させるには、いったいどれだけ高い防壁が必要になるのか。


 まず今の魔王たちを守るには、


 ――俺は、『どれだけ強ければいい』。


 その瞬間、メレアの中に、『魔神としての意志』が燃え盛った。

 至極簡素な言い方をしてしまえば、それはメレアの――


 『最強への意志』でもあった。


◆◆◆


 ある一線を超えることで、力は触れざる『聖域』を作り出す。

 そういう作用がある。


 メレアは数々の強大だった英霊たちの話を蓄積しているからこそ、そのことにも早い段階で気づいていた。

 

 ――俺は、誰よりも強くあらねばならない。


 その自負は、誰に言わずとも、胸のどこかに抱いてきた。

 愛すべき英霊たちに育てられたという自負もそれに関わっている。

 彼らの『名』のためにも、自分は負けられないし、なにより――


 ――負けたくない。


 そう思う。

 

 ――忘れるな、メレア。


 自分は、この馬鹿げたことをしでかそうとしている集団の、長なのだ。


 彼らは自分を支えてくれると言ってくれる。

 これ以上ない言葉だ。

 なればこそ、


 ――お前は、相手が誰であろうと、負けてはならない。


 負けて、屈したとき、すべてが終わる。

 本当は、そうなったときには彼らだけでも逃がして、また次の道へ進ませてやれればいいと、そうも思っていた。

 だけど、おそらく、


 ――彼らは俺とともに倒れようとするだろう……。


 それが彼らの覚悟だった。

 あの霊山から下りるときにそれぞれが誓った――自分に対する覚悟だった。

 自分となんら変わらない。

 自分が魔王にとっての英雄になろうとしたことと同じように、彼らはそんな自分にとっての救世主たらんと胸に浮かべたのだろう。


 ――だから、俺は、


 『負けてはならない』。

 そして常に、『最も強い者であろうとする意志』を、捨ててはならない。


 それは〈白神〉としてのメレアの中に宿る、〈魔神〉としての矜持であった。


 と、メレアの中に最強への意志がまた一段と強く燃え盛ったとき、ふと目の前の光景に動きがあった。

 考えることに夢中で、眼をこそ開けていたが、たいして見ていなかった光景。

 つまり――


「――あっ」


 気づけば、手元の皿が一枚パリンと割れていた。

 その音に気づいてハっとしたメレアは、横で自分を監修していたマリーザを見る。

 おそるおそる、怯えた犬のように。


「……」

「……て、てへっ?」

「……」

「あっ、これダメか、悪手か」

「……皿を洗うのに、いったいなぜ、それほどの覇気を放つ必要があるのです?」

「ご、ごめんなさい……」

「はあ……」


 そうため息をついて肩を落としたマリーザの身体は、実は少し、震えていた。


◆◆◆


 正直、ゾっとした。

 

 マリーザは、メレアが皿洗いの途中に物思いにふけるように目を細めたことには気づいていた。

 そうして別のことに気を巡らしているうちに、力の加減に意識が向かなくなって、じきにメレアは手元の皿をぶち割るだろう。

 そう予想したマリーザは、幾秒してからメレアに声をかけようとした。

 が、


「メ――」


 肩に触れようとした手が、思わず止まった。

 呼ぼうとした名は一音で止まり、それ以上出てこなかった。

 声も身体も、動かなくなった。


 自分が異変を感知して、その原因を探ろうとどうにか視線を巡らしたとき、しかしすぐに、その原因がどこにあるのかに気づいた。

 

 メレアの身体から、えもいわれぬ殺気のようなものがあふれ出ていた。

 

 どれかといえば動物的な勘でそれを察知したマリーザは、わずかの間に服の下に汗がにじみ出したことに気づいて、次いで大きな唾を嚥下(えんか)した。

 メレアはそのことには気づいていなかっただろう。


 赤い瞳の瞳孔を、竜のそれのごとく縦に割り、おそろしげな光を放たせながら、瞬き一つせず何かを考えている。

 そんな感じだった。


 それからいくばくかして、ついに、パリンと音を立てて皿が砕け散った。

 十一枚目、とまだ冷静さを保っている頭の一部分で数え上げたところで、マリーザはメレアが考えていることを悟った。

 力の加減。

 そのフレーズから、なんとなくそこに結び付いた。


 力。

 たぶん、それだ。


 そして皿が割れた瞬間が、もっともメレアの気配がおそろしげに変容していた。

 目の前にいる者が魔神であることを、マリーザは疑わなかった。


 ――この方は、力への志向性を忘れてはいない。


 むしろ、増進させている。


 そのときのメレアには、いつもの優しい、それでいて無邪気な気配は、微塵も感じられなかった。

 いっそ、時折マリーザが抱く、メレアに対する異性としての感覚さえ、感じ取れなくなっていた。


 性別を超越した、一個の形容しがたい怪物としての一面。

 最近はあの気配を感じることが少なかったけれど、それはきっと、考えなければならないことが急に数多く増えたからだ。


 この主の中には、常に多くの思考がある。

 きっと、誰よりも悩んでいる。

 そんな中に、むしろ大きくなった怪物としての一面も紛れているのだ。


 ――もしかしたら、今回の遠征では……


 その一面が、また大きくなるかもしれない。

 サイサリス教国の名を頭に思い浮かべたマリーザは、なんとなく、そのことを予感していた。


「――まったく、メレア様の家事の壊滅加減はむしろ日に日にひどくなっているような気さえいたしますね」


 マリーザはようやく身体の震えが止まったことを確認して、メレアに声を投げかけた。

 メレアは申し訳なさそうに低頭をみせているが、その姿はまるで節操のない犬のようだ。


「……しかしまあ、割ってしまったものは仕方ありません。しょうがないので、罰を与えることで相殺といたしましょう」

「えっ!? 今日にかぎって罰!?」


 メレアは初めての出来事に目を大きく見開いて驚いていた。

 そう、罰を与えるなど初めてのことだ。


「わたくしは本来罰を与えられる側の存在でございますが、メレア様は優しすぎてご褒美ああいや罰を与えてくださらないので、いっそこちらから与えてみようかと思いまして――」

「罰ってさ、逆立ちで寒風なびく山を登りきれとか、『お前今日から一週間飯抜きな』とか、『僕の術式三千回書写ね』とか、『あー、すまん! つい手が滑って眼球に肘がーっ!』とか、あと、えーっと」


 一体この主はなにに罰を与えられてきたのだろうか。

 そもそも罰とはなんであったか。

 マリーザの中で若干価値観が揺らいだ。


「そう、あれだ、『俺、自分の身体がどれだけ丈夫だったかちょっと客観視したいから、お前今から霊山飛び降りて見ろよ。大丈夫、死にゃしねえさ。――たぶんな』とか。……そういうのじゃないよね?」

「それはたぶん罰ではなくて拷問かなにかです」

「あれ拷問だったのか……」


 メレアが遠い目でどこかを見つめた。

 そんなメレアを取り戻すべく、マリーザはすかさず言葉を紡いだ。


「そうですね……、では」


 一拍をおいて、


「その……、足を……舐めさせていただければ……」


 もじもじとしながらマリーザが言おうとした瞬間、不意に厨房の入口から声が飛んできていた。


「お前それ自分の欲求前面に出過ぎだろッ!! たしかにある意味罰だけど!! ――ったく! 忘れもん取りにきたらこれだ! ホントこいつら奇人ばっかじゃねえか! 油断も隙もねえな!」

「ちっ」


 サルマーンが、少しぼさぼさになった頭でビシっと指を差してツッコんでいた。

 マリーザは悔しげに舌打ちをしたあと、サルマーンの方に視線を向ける。

 冷然としたジト目がその顔に乗っていた。


「はて、奇人とは。わたくしは完璧なメイドを目指すごく普通の女でございますが」

「お前が普通の女なら世の大抵の女は普通だよ!」

「はあ、これだから世間知らずは」

「その言葉そっくりそのまま返してえ……!!」

「ところで、頭がぼさぼさですけど、いかがなされました?」

「あ? ――ああ、ちょっと、双子がな」

「ハッ、まさか手をお出しに……」

「なんでそうなるんだよ……!」

「ほら、あなたも奇人……いえ、変態ではありませんか」

「おい、メレア、今ならこいつぶん殴っても大丈夫だよな。女であることを加味しても、たぶんギリギリ許されると思うんだけど――ってお前逃げる気満々じゃねえか!」


「じゃっ!」


 マリーザと舌戦を繰り広げていたサルマーンが気づいたときには、メレアはすでに厨房の窓から身を乗り出していて、片手をびしりとあげてにこやかな笑みを浮かべていた。


「罰は怖いからな!」


 どうやらメレアの中では昔の数々の罰が蘇っていて、マリーザの言葉どころではなかったらしい。

 いかにして逃げるかに注力した結果、窓から逃げ出すことにしたのだろう。

 爽やかな笑みを見せたメレアは、次の瞬間にはそのまま厨房の外へと逃げ出していた。


「ほら、逃がしてしまったじゃありませんか!」


 マリーザは窓辺を指差して、頬をふくらませながら言った。


「お前わりとマジで悔しがってんな……」

「くっ、……いえ、しかしまだわたくしは諦めません。次の機会を狙うことにします」

「そこは諦めとけよ……」


 そうして残る皿をすさまじい速度で洗いはじめ、瞬く間に後片付けを終えた、マリーザは残る部屋の最終点検を即時で終えることを胸に決め、いそいそと動きはじめた。

 サルマーンはその光景を、肩をすくめながら見ているばかりだった。


「ホント、かえって優秀だから厄介だよなこいつら……」


 拳帝のため息が厨房にこだました。

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