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百魔の主  作者: 葵大和
序幕 【英霊と魔王】 (第一部)
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8話 「フランダー=クロウ」

「少し話がそれてしまったね。――話を戻すけど、実は、かくいう僕も英雄から魔王になった男なんだ。自分で英雄なんていうのもなんだか恥ずかしいんだけど、歴史を説明するに際しては遠慮するほど言葉がややこしくなるからね。淡々と話すことにするよ」


 メレアの中には、フランダーの過去に対する好奇心も当然あったが、それ以上に、悲痛さを隠しているフランダーにこの話を続けさせたくないという思いがあった。

 だが、フランダーの話しぶりはどこか断固としていて、おそらく最後まで止まらないだろうということも、頭では理解していた。


「フランダーが魔王……か。字面だけだと、とてもじゃないが似合わないね」


 この中性的な美貌の優男が魔王。

 イメージの先行というのはなかなか厄介なもので、いまだに魔王というともっとゴツゴツとした姿を想像してしまう。


「僕はとある魔王を討ったあとに、別の魔王として認定され――そして殺された。それが僕の未練だった。どうしてそんなことになったのか納得が欲しかったし、正直に言えば……復讐したいという気持ちも少なからずあった」


 フランダーは、まるで今まで吐き出せなかったことを今になって吐き出してしまおうと決心したかのように、次々と言葉を並べていく。


「フランダーは未練を思い出したの?」

「うん。つい最近まで忘れてしまっていたのにね。あ、でも勘違いしないでほしいのは、もう僕の心にはその未練に対する無念がほとんどないんだ。一周回ったのかな? ハハ、今になってみんなの気持ちがわかった気がするよ」


 未練の風化。

 それは彼にとって良いことなのだろうか、それとも――


「未練を風化させてしまったことに、後悔はない。これでよかったと心の底から思う。僕は生前に貫いた己の矜持を、自分の手で汚さずに済んだ。もし未練が風化してしまう前に、このリンドホルム霊山にかつての仇が訪れていたら、僕は手を出してしまっていただろう」


 そんなふうには見えないとメレアは思ったが、一方で、リンドホルム霊山の中腹などで未練に引きずられた霊体を見たことがあるだけに、まったく否定もできなかった。

 英霊たちはみな理性に満ちていたし、〈魂の天海〉に昇っていく最後の時まで彼らはそのままだったが、


 ――俺という未練の器がなかったら、おかしくなってしまっていたのだろうか。


 やや自惚(うぬぼ)れの気があるのは自覚している。

 しかし、さきほどのフランダーの言葉を借りるのなら、自分が英霊たちの未練の器として生まれたという最初の歴史は、淡々と語るべきだろう。


「でも」


 ふと、メレアの思考をフランダーの逆接の言葉が縫った。

 フランダーの赤い瞳は、同じ色のメレアの瞳を射抜いている。

 二対の婉美(えんび)赤光(しゃっこう)が、互いの瞳の中でゆらりと揺蕩(たゆた)った。


「代わりに新たな未練が芽生えた」

「それは、どんな?」

「――君が今の世界に殺されないかという心配だ。それが今の僕をここに引きとめている」

「……」


 引きとめている。

 ()めている。

 そんな言葉を告げるフランダーは、おそらくすでに〈魂の天海〉に呼ばれている状態なのだろう。

 メレアはそれを察した。


 ――俺が、フランダーの解放を引きとめてしまっている。


 どうにかして彼を安心させたいと思うが、方法が思い浮かばない。


「天竜クルティスタに聞いた話だと、近年、あのゆるい基準で魔王というレッテルを貼られた者たちも、すでに衰退(すいたい)(きざ)しを見せているらしい」


 メレアが悩んでいると、またフランダーが先に言った。


「たぶん、ほとんどが狩られてしまっているんだと思う」

「……それさ、魔王としての力を捨てれば国家も追ってこないんじゃないの?」


 ふと思いついてメレアが言った。


「どうだろう。彼らは魔王の血にすら可能性を見ているからね。それに、物事の順序に大きな問題がある。先に国家が魔王の力を求め、彼らを血眼になって追ってしまっているから、魔王たちもなかなか自分を無防備にはできない。『本当に力を捨てたら彼らは自分を諦めてくれるのか?』そんな猜疑心(さいぎしん)と恐怖心が、彼らに力を捨てづらくさせている」

「……たしかに。追われている状態で力を捨てるのは……怖いな」


 たぶん自分も積極的にはなれないだろう。

 そんなふうに力の収集に躍起(やっき)になっている国家はなにをしてくるかわからない。

 武器を捨て、力を捨てたって、身体を解剖させろとか、そんなことを言ってくるかもしれない。

 力の系譜を受け継ぐというのも、生まれたときから遺伝的に備わってしまう力であったらどうしようもないだろう。


「じゃあその魔王たちは、どうしようか迷って、迷いながらも必死で逃げまわっているのかな」

「大半は――そうらしいね」


 フランダーが肩をすくめて、対するメレアは眉根(まゆね)を寄せた。


「魔王は逃げている……か。もうどっちが魔王だかわからないな」

「言えてるよ。でも君も、彼らと同じように追われる側になる可能性があるんだ」

「そう……だね」


 フランダーが危惧(きぐ)している未来図はそれなのだ。

 フランダーが〈未来石(フューナス)〉に『魔王』と描かれていたのを予想できたのは、自分がそんな彼らと同じ状態に(おちい)ることを、情報の積み重ねの上に知ったからだ。


「だから、もし、もしそうなってしまったら――」


 次の瞬間、フランダーは珍しく静水(せいすい)(たたず)まいを崩して、迫るような勢いでメレアの両肩に手を置いた。

 そうして手に力を込めて、ぐいと肩を引き寄せながら、メレアの身体を正面に振り向かせる。

 そして、フランダーは言った。


「――君は、その魔王たちと協力しなさい」


 字面だけを見たら、きっと昔の英雄たちは驚くだろう。

 魔王という言葉は、かつて悪の象徴だった。


「彼らが助けを求めていたら、手を差し出してみなさい。もしかしたら報われないかもしれない。振り払われることもあるかもしれない。けれどいつか、君自身が困ったときには、彼らこそが手を差し出してくれるかもしれないから」


 メレアはフランダーの言葉を受け、その目をまっすぐと見据える。

 そして、ゆっくりと、しかし力強く、うなずいて言った。


「――うん。彼らが本当に悪徳の化身ではなくて、〈魔王〉というどうしようもない言葉の呪縛に囚われていて、それで助けを求めていたのなら――」


 そんな魔王になら、


「俺は、喜んで手を差し出そう」


 メレアは素直にそう思った。

 

「――うん」


 フランダーはまたあの複雑な苦笑を浮かべているが、今の苦笑の中には嬉しげな色も映っているように見えた。

 空を見上げるフランダーは、太陽の光を手で遮りながら、ふと続ける。


「ここからは独り言。自分で自分の未練を思い出して、それをちゃんと清算するために、ちょっとだけ声に出して整理するよ。聞きたくなければ、席を外してもいいからね」


 フランダーはいつもの微笑を浮かべていた。


「わかったよ」


 席を外すつもりはなかったが、メレアはそう返した。

 そのまま数秒の沈黙があって、そのあとフランダーが小さく言葉を(つむ)ぎはじめた。

 メレアはその言葉に、ただ静かに耳をそばだてていた。


「僕はかつて仲間だった者たちに殺された。母国の仲間たちだ。魔王を倒したあと、彼らはさらに僕の力を求めた。〈術神〉と呼ばれる僕の力を。僕の術式に特化した力は、戦乱の時代においてとても有用なものだった」


 〈術神(フランダー=クロウ)の魔眼〉。

 術式を一瞬で解明するその力。

 そこにたしかな理解力と術式生成能力が合わされば、その者は瞬く間に優秀な術士となるだろう。


「術式はいつの世でも脅威だ。タイラントぐらい突き抜けてしまうと肉体一つでも鬼神のごとき力を発揮するけど、術式はもっと簡単に強い攻撃を放ちうる。事象を式で表せるというこの世界の(ことわり)は、争いの大規模化に大きく貢献してしまっていた」


 大砲を作らずに、もっと手軽な方法で大砲を撃ててしまえるような側面が、たしかに術式にはある。


「戦術上も戦略上も、術士は強大で使いやすい。そんな術士に対する特効的な眼を持っていた僕は、彼らにとって喉から手が出るほど欲しい『道具』だった。――でも」


 フランダーは大きく息を吸って続ける。


「僕は彼らの道具になるのを(こば)んだ。彼らに、まったく非のない国家を滅ぼして来いと言われたけど、それはおかしいと思った。僕は母国の救済のために術式の力を鍛えた。近くにいた当時の魔王を退けるためにだ。……まったく罪のない国を侵略するためじゃない」


 フランダーの目は真剣だった。

 そしてメレアは、そのときにようやく、最初に『ある国家』に目をつけられた英雄がフランダー自身であることに気付いた。

 同時に、フランダーが自らの矜持のために母国の理不尽な命令を拒否したことを知って、


 ――フランダーは、本当に英雄だったんだね。


 そう確信した。

 フランダーの生き方は戦乱の時代に突入しようとしていた当時において、不器用な生き方だったのかもしれない。

 生物として生きるためなら、フランダーは母国の命令に従って、その国家の求める英雄になるべきだったのかもしれない。

 でも、


 ――フランダー=クロウは馬鹿みたいにまっすぐな道を選んだ。


 その道が、フランダー=クロウの信ずる『英雄』としての道だった。


「そうして断ったら、知らぬ間に毒を打たれたんだ」


 フランダーは自嘲気味に笑っていた。


「これがまた、徐々に効いていくいやらしい毒でね。わざわざ遅効性の毒を使ったのは、解毒薬を対価に僕と取引をする時間が欲しかったからかもしれない。ともあれ、それに気付いたときにはだいぶ毒が回っていたよ。僕はまだ彼らを仲間だと信じていたから、毒に気付くのも遅かった。……いや、気付いていたけど信じられなかったんだ。そんなときにまで彼らが改心してくれると信じていた僕は、とても若かったし、そして甘かった」


 それでも、


「そんな無残な最期を迎える寸前になっても、あの命令を断ったことに後悔はなかった」


 ――すごいよ、あなたは。


 メレアはフランダーに育てられたことを純粋に誇りに思った。


「彼らを本当の意味で説得できなかった未練と、毒に気付けなかった未練はあるけれど、貫いた生き方に後悔はない。――で、毒が回り、残された時間がほとんどなくなったから、僕は最後にやるべき事を急いで行うことにした。僕の眼が彼らに奪われれば、それがまた戦火の種になる。それに、僕としてもやっぱり(しゃく)だ。だから、なかなか人の寄りつかないこのリンドホルム霊山に毒を宿したまま登って、眼を山頂に置いた。僕はあまり身体が剛健(ごうけん)な方ではなかったから、あのときの自分は今でも褒めてやりたいね。……そうして、それを達成したあと、ついに僕は死んだ」


 壮絶な死にざまだ。

 メレアは胸にちくりと痛みが走るのを感じた。


「それから霊になって、自分の眼を友たるほかの英霊たちと守り続けた。おかげで無事、僕の眼はメレアの身体に宿った。――僕にも子供がいなかった。そんな僕にとってメレアは息子のようなものだ。だから僕としては、メレアに眼を継げて嬉しく思う」


 フランダーの嬉しげな横顔が、メレアの眼に焼き付いた。

 

「もう、普遍的な英雄は存在しえない。――いや、もともと普遍的な英雄なんて存在しないのかもしれない。ただ、少なくとも今の時代の英雄は、昔よりもずっと多様化し、細分化されてしまっている。どこかの国にとっての英雄は、敵対するほかの国にとっては魔王だ。そういうことがよく起こりえる時代になっている」


 英雄とは、なんなのだろうか。

 いつか魔王に対して浮かべたような素朴な疑問が、メレアの心に浮かび上がった。


「だけど、それでも、僕の眼を継いでくれた彼が、誰かにとっての英雄になってくれればいいなと、そう思う。大きな英雄じゃなくてもいい。自らの矜持(きょうじ)(のっと)って誰かを守ってやれる、小さな英雄でも――」


 ――俺はそれで、本当にあなたたちに(むく)えるのか。


「――メレア。もう(むく)う必要はないんだよ。君はすでに僕たちに十分報いている」


 フランダーは不意にそれまでの独り言をやめて、視線をメレアに向けながらそんなことを言った。

 まるでメレアの胸中をすべて見通したかのような言葉に、メレア自身最初は驚いたが、ややあって奇妙な納得を得てしまっていた。

 たぶんそれが、フランダーの英霊としての生が終わりかけていることに関係するのだろうと、不思議と納得してしまっていたのだ。


「僕たちの未練を断ち切ってくれたことそのものが、僕たちにとってのなによりも大きな贈り物だった。君は気付いていないかもしれないけど、ここにさまよっていた英霊たちが呪縛から逃れることができたのは君のおかげだ。君の魂が世界を渡り、僕たちに育つ姿を見せてくれなければ、僕たちはまた何百年もこの地をさまよっていただろう。()れた未練を胸に、痛みだけを引きずって」

「……」


 メレアは言葉が(つむ)げなかった。


「だからメレア、これから君は、君がなしたいと思えることを自分で見つけなさい。戦う術は与えた。生きる術も与えた。なにかを守る術も――与えた。英霊として僕たちが正しいと思える気概(きがい)と精神を、君に教えた。それをどう使うかは、君次第だ」

「俺は……」


 メレアには英霊の望みに寄りかかっていた(ふし)があった。

 それもしかたのないことだったろう。

 転生してから下界を知らず、英霊の話す昔話と、ときたまやってくる天竜の断片的な世間話によって価値観が形成されてきた。

 継いできた記憶と人格によって、転生当初より形成されていたモラルはあったが、あくまでそれだけだ。

 メレアにはこちらの世界に生まれてからの、世界に対する衝動がない。

 生きられることにすら感動していたメレアだが、リンドホルム霊山の殺風景はそんなメレアにさえ世界に対する夢を与えなかった。


()()は今後の君の課題。なにも焦る必要はない。君には多くの時間がある。そのなにかを見つけるまで、まずは生き残ることが先決だ。だから僕は君に『生き残れ』という使命に課す。このどうしようもない世界に潰されないように」


 フランダーはそう言って(ほの)かな笑みを見せた。

 それを最後に、メレアとフランダーは会話を切った。


 ―――

 ――

 ―


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