76話 「魔王の主と懐の番人」
次にメレアが出会ったのは、なにやら仰々しい荷馬車を後ろに控えさせて、レミューゼの西側から街中の大通りを闊歩してくる『金の亡者』だった。
シャウ=ジュール=シャーウッド。
いわく偽名。
〈錬金王〉の系譜に名を連ねる――魔王である。
シャウはさらさらとした金糸の髪を風になびかせ、片手に持った羊皮紙とにらめっこをしながら、器用に人垣を縫って歩いていた。
後ろについている荷馬車にはすでにどこからか雇い入れた部下らしき青年が乗っていて、これまた器用に馬を手綱で操っている。
「もうこいつにかぎっては放っておいても勝手に生きていく気がする……」
メレアはシャウがこちらに気づく前に、シャウを遠目に見てそんな言葉を紡いだ。
顔には呆れたような、それでいて少し面白がっているような、そんな色があった。
しばらくして、シャウが近づいてくると、ついにメレアの姿に気づく。
彼は爽やかな笑みを顔に載せて、片手をあげていた。
「やあやあ、我が主」
「なんだろう、嫌みに聞こえる」
メレアも慣れ親しんだ軽い動作で挨拶を返しつつ、肩をすくめながらシャウにまた一歩歩み寄った。
メレアより少しだけ背の高いシャウは、旧友にあって自然と顔をほころばせる青年のように、壁ひとつ作らずにメレアを自分の間合いへと迎え入れた。
傍から見ても、二人は仲の良さそうな普通の青年たちにしか見えなかった。
あらかじめ知ってさえいなければ、誰も彼らが『魔王』と呼ばれる男たちであることには――気づかなかったろう。
「そうですかぁ? 私、これでも結構あなたに感謝してるんですけど」
「レミューゼに新しい商会支部を作ることができたから?」
「まあ、主にそんなところで」
「正直でよろしい」
メレアは苦笑し、シャウは微笑を浮かべた。
決して嫌なやり取りではなかった。
よくある、軽口の言い合いだ。
しかしメレアは、ときおりその完璧に近いシャウの微笑の中に、ほんのわずか、暗鬱としたものが混じることも、この頃で知っていた。
シャウが気を許しているせいか、それともメレアの眼がそういう意味でより鋭くなったのか、どちらかはわからない。
そういうところを見ると、シャウはシャウでほかにもなにやら胸の内に秘めた思いがありそうであったが――メレアもあえてそれを訊ねることはしなかった。
ずいぶん互いに信頼は深まっているとの確信はあるが、それでもまだ無粋になってしまうこともある。
そういう個人の心の内に関しては、メレアもさほど急いで理解し合う必要はないと思っていた。
肝心の部分ではちゃんと信頼している。
――今はそれで十分だ。
「今日はなにをしてきたの?」
「よくぞ訊いてくださいました。ついにレミューゼの西側諸国と通商を開始できたんですよ」
「へえ?」
シャウはシャーウッド商会支部をレミューゼに開いてから、その支部の活性化に手を尽くしている。
またレミューゼのシャーウッド商会支部は、同時に魔王連合の財布に繋がってもいた。
あの支部は、表向きはよくある商会支部に変わりないが、その実は『魔王の財を包む布』でもある。
すでに流通経路を確保しているシャーウッド商会を基盤として、商品その他は〈財布〉の魔王連中が集めて流していたりと、シャウが〈錬金王〉という魔王の地位を不本意ながら持っていることを踏まえてしまえば、ほぼ独立した魔王の組織でもある。
表だってそんな性質や名前を出してしまうといらぬ厄介事の呼び水ともなりかねないので、まだシャーウッド商会支部ということで通しているだけだ。
「それで機嫌が良さそうなんだ?」
「ハハ、そんなところです」
意外にも、そういう案を採用したのはシャウ自身であった。
みずからの財布事情には常軌を逸して執着を見せそうなシャウであったが、その執着が現状では『魔王連合の財布』という大きな布袋にも向いている。
あるいは、「良い投資先を見つけた」とでも思っているのかもしれないし、ここからさらに商売の基盤を広げようと画策しているのかもしれない。
しかしいずれにせよ、魔王たちにとっては心強い状況であった。
少しがめついけれど、こいつに任せておけばひとまず組織の財政事情はどうにかなる、という安心感があった。
「別に疑ってるとかそういうわけじゃないけど、シャウはひと段落したら外に出るんじゃないかと思っていたよ」
ムーゼッグの脅威が鳴りを潜めている今であれば、東大陸各地に商会支部を持っているシャウはどこにでもいけるだろう。
しかし、シャウはあまり長いことレミューゼから離れることがなかった。
こうして数日を開けて他都市国家へ行商に行くことはあれど、なんだかんだといつも戻ってきて、星樹城の自室で何日か過ごしたあと、また商会支部でなにやらをしている。それが習慣になってきている感じさえある。
どうやら商いに勤しみながらも、魔王たちとの付き合いも意識しているようだった。
「私は私で、思うところがあるのです、我が主?」
「その呼び方はやめろ、マリーザだけで手いっぱいだ」
「はは、弱みは握っておくべきですから」
「教訓だね」
やれやれとメレアはまた肩をすくめた。
それを見たシャウも、「ま、あの奇天烈なメイドと同じにはなりたくありませんがね」と鼻で息を吐いてみせて、そのあとで話題をもとに戻した。
「――話を戻しますが、行商道でムーゼッグに横入りされることを恐れていた大商人や諸侯たちが、最近のムーゼッグの勢いの弱まりをようやく信用して、ついに東側への通商制限を緩和したんです。これでだいぶ物流が回復します。彼らの尻を叩き続けた甲斐がありました」
「やるなぁ」
本当にシャウは有能だ。
メレアはそこを疑わない。
おそらくこの男が身内にいなければ、魔王勢はもっと厳しい状況下に置かれていただろう。
「よく言いますね、メレア。もとはと言えばあなたがムーゼッグをたった一人であそこまで壊滅させなければこの通商の再開はありえなかった」
「結果論だよ。そう取沙汰するほどのものでもない」
「いいえ。あなたはもっと自分の力を誇っていい。私は私で、あなたのその圧倒的な暴力に、畏怖と畏敬を抱いているのです」
シャウはメレアにはっきりとした口調で言った。
口元に手をやって、そのまま空に向けて人差し指を立てて見せながら、さも大げさに言いのける。
顔には微笑があるが、声音は意外にも少し低くて、いうなれば真面目なトーンであった。
次にシャウは片手を腰に、口元に置いておいたもう片方の手を差し出すように前に出して、さらに話を続けた。
「私は金の力がまともに通じない相手だけは、全力で畏れます。あなたの圧倒的な武力と暴力は、まさしくそれだ。人間の生み出した架空の権威――つまるところ金が、おそらく真っ向からやりあったときにあなたには通じない。あなたが扱う権威は、もっと生物として原初的で、それゆえに最も強力なものです」
「大げさにいう」
言いつつも、メレアもそれをまったく無視しているわけではない。
シャウの言わんとすることもわかるし、常にそのことに意識を向けていなければならないことも自覚していた。
ムーゼッグが、そういう力を最もうまく使っているからだ。
そしてシャウの言うとおり、自分もその力を武器にしている者の一人だろう。
それを忘れれば、いずれ力そのものが自分を傷つけるかもしれない。
そういうものだ。
――暴力は。
「まあしかし、あなたはあなたでずいぶんそのあたりのことを考えているようですので、特に暴走云々等は心配していません。そもそも権限あなたの方が上ですし」
「でも俺が道を違えそうになったらぶん殴って元の道に戻してもらうっていう約束もある」
「そのあたりは脳筋グループに任せておけばいいのです」
「サルマーンとか?」
「ええ。あと、リリウム嬢なんかも、結構キツくやってくれると思います」
「リリウムは脳筋グループじゃないけどな」
「ふむ、まあ、それもそうですね。――いや半分くらい足踏み入れてますよ? あの御嬢さん」
メレアが指摘すると、シャウが笑った。
「個人的に彼女はどっちにも入れると思うのですが。……なんだかんだと私があの霊山に登るときに一番最初に出会った魔王ですし、結構霊山登ってる間に会話もしましたし、やや思い入れが。ええ、あの私の横腹をつねる力の強さには目を見張るものがありました」
「男女の思い入れって感じじゃなさそうだ」
「私の恋人は金ですからね」
「言い切ると思った」そうメレアは苦笑して、そのあとに視線をシャウから外した。
そうやってメレアが振り向いた先へ、シャウも続く動きで視線を向ける。
二人が見上げた先には大星樹があった。
そしてその大星樹に寄りそうにように建っているのは、二人の帰るべき場所でもある――星樹城。
あたりにはレミューゼの民の住居や商家、あげくに鐘つきの時計塔まで建っていて、その街道からでは全容はつかめないが、それでも空に向かってそびえる背の高い城はたしかに見ることができる。
「――さて、それでは私もそろそろ行きます。今回の交易分の収支記録を取らなければ」
「ご苦労様」
「金勘定は私の至福の時間ですからねっ! 誰にも邪魔させませんよっ!」
――やっぱどうかしている。
清々しいまでの金の亡者っぷりに対し、メレアは眉尻を下げた笑みにため息を乗せて返した。
そうしてシャウの肩を軽く叩いてから、いくらかの交易品が積まれたその荷馬車の横をすれ違った。
と、最後の最後で思い出したように、メレアが振り向いてシャウを呼び止める。
「あ、そうだ、ちょっと頼まれごといいかな」
シャウもメレアの声に気づいて身体を半身に振り返っていた。
「どうしました?」
「今日はみんな城にいる日だから、『晩餐会』でもしようか」
エルマやシャウの帰還もあって、今日はほとんどの魔王が城に帰ってきている。
そのことにいまさら気づいたメレアは、そんなことを提案していた。
入居当初はもろもろの役職分けや方針の相談会があって、毎日晩餐会を開いていたものだが、そこから三日四日ですぐに当面の物資を補給するために行動をはじめたので、なんだかんだと久々になる。
「いいですね。ではそうしましょう。ちょうど仕入れてきた品の中にカルスナ平原原産の羊肉がありましたから、そのあたりを調理して出すことにします」
シャウがすらすらと紡いだ言葉の中に、最近マリーザに教えられた周辺地形の固有名があって、
「いいね、たしかあそこの草原の草を食べてる羊は旨みが強いんだっけ」
「そうです。――どうやらあの奇天烈なメイドの授業もなかなか効果を発揮しているようですね。相変わらず私には辛辣ですけど、その点は一応評価しておきましょう」
メレアはシャウのぼやきに苦笑しながら、さりげなく自分の答えが合っていたことに小さくガッツポーズをした。
「俺はもうちょっと歩いてから帰るから、みんなにそう伝えておいてくれ」
「御意のままに」
再び手を振ると、シャウが恭しく、それでいていつものように少しわざとらしく一礼を返してきて、またメレアの苦笑は大きくなった。
舞台に立つ役者のように流麗な一礼の残像を脳裏に残しながら、メレアはまたレミューゼの喧騒の中へ歩を踏み出した。