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百魔の主  作者: 葵大和
第六幕 【未来の百魔へ】
70/267

70話 「ちゃんと道は見えている」

 ――俺は、彼らの思いに報えるだろうか。


 真っ白な空間に浮いていた。

 空のようでいて、同時に海でもあるような、不思議な場所だった。

 視界はぼやけ、まだ輪郭ははっきりとしない。

 それでも、その真っ白な空間の奥の方に、とても綺麗な翡翠色に輝く光が見えた。

 

 ――俺がこの世界で抱いた決意は、彼らの思いに応えられるだけの大きさと深さを備えているだろうか。


 翡翠色の綺麗な光は、一塊の炎のように揺らめいて見えた。

 徐々に、視界がはっきりしてきた。


 ――わからない。


 メレアはその空間の中で、自分の抱いた問いにそんな答えを返していた。

 目の前の翡翠色の光が気になる一方で、自分の頭の中の思考もするするとよどみなく流れていく。

 不思議な感覚だった。


 ――わからないけど、決めたよ。


 いつまでも彼らの願いを盾にしているわけにはいかない。

 そうやって彼らの願いの影に隠れていると、いざというときにそれを身代わりにすればいいと弱い自分が表に出てきてしまうかもしれない。


『弱くたっていいじゃないか』


 ふと、誰かの声が聴こえた。

 目の前の翡翠色の光が、また炎のように揺らめいた。


『一人でなんでもかんでも出来るとは思っていないだろう?』


 ――そうだ。

 

 それがかぎりなく険しい道であることは、彼らと話して知った。

 彼らの歴史が、それを物語っていた。


『なら、同じ(てつ)を踏まなければいい。別に弱いことは罪じゃないし、そもそも人間はそれほど強くないよ。魔王なんて呼ばれても、それは人間だ。英雄だって同じさ。言葉が大仰だから、さも優れているかのように誤解しがちなんだ』


 そうかもしれない。


『中身にさほど変わりはない。――それに、君の周りにはすでに仲間がいる。君自身の行いによって得た仲間だ』


 そう、俺の周りには彼らがいる。


『なら、今を生きている彼らとの繋がりを、大事にしなさい。――僕は君が羨ましいよ。僕とレイラスはそこに至る前に力尽きてしまったからね』


 レイ――ラス――


『そして同時に、僕たちがたどり着けなかった道の始まりへ手をかけることに成功した君を、誇りに思う。傷ついた彼らの心を、こうして一つにまとめ上げられたのは、君が本気で彼らを救おうとしたからだ』


 フラン――


『安心して。君は僕たちの願いにちゃんと報いているよ。それどころか、僕たちが願った以上の存在に勝手に成長してくれた。もう僕たちから言えることはない。君は君の思いに――正直にあれば――』


 視界が開けた。

 輪郭がはっきりした。

 自分の前にたたずんでいたいくつもの翡翠色の光が、かつて自分を救い上げてくれた彼らの魂であることに――……


◆◆◆


「……フランダー」


 真っ白な空間はいつの間にか消えていた。

 最後に見た(あけ)から、少しほの暗くなった空と、そこに溶け込むような雲が視界に映っていた。

 その空に伸ばした自分の手が、視界の端にちらついた。


「メレア様ッ!」


 焦燥を含んだ声がメレアの耳を打って、ふと頭を上にもたげる。

 そこには、


「……マリーザ」


 今にも泣きそうなほどに顔をくしゃくしゃにした、麗女の姿があった。

 よく見ると、その頬には涙が流れたあとがある。すでに一度泣いたあとなのかもしれない。

 そのあたりになって、メレアは自分が彼女に膝枕されていることに気づいた。

 背中にはふわりとした感触。

 手を伸ばしてみると、背の下に布のようなものが丸めて挟んであった。

 ふと辺りに視線を向ける。

 すぐに上着を脱いでいる数人の仲間たちの姿が映って、たぶん自分の背中に挟み込まれているのが彼らの衣服なのだろうと気づいた。

 ここはまだ荒野。ごつごつとした石ころが散らばっている。

 それが背中に刺さらないように、気を遣ってくれたのだろう。


「はは……」


 まだ身体は重い。

 ずいぶんと頭は働くようになってきたが、いささか動くのが億劫だ。

 いましばらくすれば〈命王の蘇体〉が身体を修復してくれるだろうが、内部に溜まった疲労感までは取れないかもしれない。


 メレアはそのままの姿勢で首をまわして、自分の周りに心配げな表情のまま立っていた仲間たちを見た。

 そうしてひととおり彼らの顔を見たあと、見当たらない人物に意識がいって、小さく口を動かして訊ねた。


「――ハーシムは?」

「今さっき三ツ国の増援が来て、それと一緒に追撃戦に行った。できるかぎり手傷を負わせておかないと、次の報復戦までの時間が短くなるかもしれないと言って」

「そうか」


 近くにいたエルマが、メレアの問いに答えていた。

 メレアはそれを聞いて納得したように息を吐く。


「ハーシムも大変だな。その部下たちはもっと大変かもしれないけど」

「……ああ」


 メレアは思案気に目を伏せた。

 周りの魔王たちも、反応は似たようなものだった。


「だが、ズーリア王国の紺碧槍団と、クシャナ王国の魔石砲のおかげで、ずいぶんと勢いはついた。深追いするつもりはないようだし、大きな危険はないだろう」

「――魔石砲?」

「そうだ。メレアが倒れてすぐ、青い砲撃が荒野の向こうから飛んできたよ。一台だけ、大急ぎでもってきたらしい。本当は本隊の方にもっとたくさんあるらしいが、間に合わないと踏んで一台を集中先行させたとの話だ」

「へえ」

「それで、ハーシムがちぎってきたレミューゼの歩兵たちが、ちょうどその先行したクシャナの魔石砲部隊と合流して、あらかじめハーシムの命令で持たせられていた『燃料』を供給した。つまり、魔石だな」

「歩兵の到着がやたら遅かったのはそういう理由か」

「あの男もずいぶんしたたかな男だ。クシャナ王国の援軍が遅れることを見越した上で、すでに歩兵を主戦場からは別の方向へ向かわせていたとはな。しかもしっかりと魔石を持たせていたあたり、抜かりないというかなんというか。まあ、騎兵戦が主体となっていたさっきの戦場では、歩兵はさほど戦力にならなかったかもしれんが――」

「そっちの方が大きな益になる可能性が高いと踏んだんだろう。ハーシムはその点に合理的そうだから」


 メレアはまた笑った。

 

「それくらいじゃなきゃ(はな)から劣勢だとわかってる戦は戦えないさ。結果的にうまくいったし、俺はそれでいいよ。まあたしかに、これからあいつを相手に取引をするのは苦労しそうだけど――」


 自分はあまりそういう駆け引きが得意ではない。

 物理戦闘の駆け引きならまだしも、それが商取引や政治戦の様相を呈すると、経験がないだけに不出来を見せることになるかもしれない。

 しかし、


「そういうときは、みんなに任せよう。その方面にとてつもなく強そうなシャウもいるしね」


 メレアが言うと、その視界の端からぬっとシャウが顔を出してきて、


「シャーウッド商会の頭取として、そしてあなたの率いる魔王一座の一員として、必ずや我が主に良い結果をもたらしましょう。――金が絡むなら負ける気がしませんからね?」


 劇役者のような華麗な身振り手振りで一礼をしながら、自信満々の顔で言っていた。


「はは、心強いよ。……その辺のこともこれから決めて行かなきゃならないけど、ひとまずはハーシムたちが帰ってきてからだなぁ」


 大きく息をつくと、再び眠気が襲ってきた。

 身体がまだ休息を求めているようだ。

 メレアは苦笑して、最後に自分の頭の下にあるマリーザの膝を手でぽんぽんと叩き、


「もう少し借りてもいいかな」

「ええ、いつでも、いつまでも」


 行き過ぎた答えが返って来たのにまた苦笑を漏らして、メレアは目を閉じた。

 次に目が覚めるときには、彼らの顔の疲労も取れていることを願って、一足先に休息を貪ることにした。


◆◆◆


 目が覚めた。

 空は透き通った紺色にほとんど染まりきっていた。


 と、目を覚ますと同時、メレアはその視界にあるものを見つけた。

 小さな星の輝きが目立ちはじめた紺色のキャンパスの中を、なにか大きなモノが過ぎ去っていった。

 雲と雲の切れ間から、一瞬だけ見えた影。夜に差し掛かっていることもあって、たぶんそれに気づいたのは自分だけだろう。


 それは、大きな翼の生えた『竜』のように見えた。


 空を飛ぶ竜。

 つまり、『天竜(テイシーア)』だ。

 メレアはその影を見つけて、思わず笑っていた。


 ――なんだかんだといってお前は心配性だな、クルティスタ。――ありがとう、俺は大丈夫だよ。


 すぐに見えなくなった天の竜に向かって、メレアはそんな思いを投げかけた。


 ――さて。


 そうして意識を地上に戻し、ふと自分の身体が揺れていることに気づいた。

 なにかの上に乗って、揺られているようだ。


「ん――」


 身体の感覚を確かめるように小さく身じろぎをして、メレアは身体を起こした。


「お、救世主のお目覚めか? 見せろ見せろ、あのセリアスの率いるムーゼッグをほとんど一人で追い返したっていう魔王の主の顔を」


 最初にメレアの耳を打った音は、聞きなれない誰かの声だった。

 声の方に首をまわし、その主の顔を目視する。


「よう、オレ、ムーランってんだ。これでもクシャナ王国の王でな」

「本当に『これでも』だな」

「ここぞとばかりに辛辣だなっ! ファサリス!」


 まっさきに視界に映ったのは色素の薄い長髪を背中で一本縛りにしている優男だった。

 切れ長でありながら、少し目尻の垂れている目元が特徴的だ。

 そんな、異性だけならず同性まで魅了しそうな艶美(えんび)な目元に、細面と白い肌が加わって中性的な美貌を漂わせている。


「っと、オレに負けず劣らずの男前じゃねえか。やめろやめろ、男前はオレの周りに寄ってくるな。オレが(かす)んじまうだろ」

「わかるように話せ、ムーラン。お前の話は四方八方に節操なく飛びすぎなのだ」


 隣にはそんな優男とは対照的な武骨な男の姿があった。馬に乗って背筋を伸ばすさまは、さながら大樹のようである。

 暴風にも決して揺られそうにない一本芯の通った姿は、優男とはまた別の意味で美しかった。

 それでいて男の顔にはどことない優しさが映っていて、一目でメレアは男の誠実さを見抜いた。


「すまんな、魔王の主。いや、こう言うのは礼を失するか」

「――メレア=メアだ」

「そうか。では、メレア。私の名はファサリス。三ツ国の一つ、フィラルフィア王国の王だ」

「王様ばっかりだな」

「その王を連れ回す馬鹿がいるのだ。メレアと一番最初に共闘した馬鹿なんだがな」

「ハーシムか」


 ようやく現状がわかってきて、メレアはとっさにハーシムの姿を探した。

 すると、すぐにその男は見つかった。


「身体は大丈夫か、メレア」

「そっちはどうだ、ハーシム」

「見てのとおり――くたくただ」


 ハーシムはすぐ後ろにいた。

 メレアが乗っていたのは荷台だった。

 鎧を着た馬二頭に引かれている。

 左右には見慣れた姿の仲間たちがいて、後方にハーシム。

 前方には今紹介にあずかったムーランとファサリスが馬に乗って闊歩していた。

 このあまりにも大仰(おおぎょう)な囲み方に、まるで自分が神に供えられる生贄かなにかのように思えてきて、メレアは思わず笑った。


「ひどい状況だ」

「愚痴を言うな、最大の功労者を守るのにこっちも必死なんだ」


 ハーシムが言った。


「まだ戦闘状況なのか?」

「いや、戦争は終わったよ。――終わった」


 ハーシムが言葉を切り、しかしすぐに続けた。


「こちらの勝ちでな」

「……そうか」


 ハーシムの顔は微笑に(いろど)られていたが、そこにいくばくかの寂寥感が現れていたのもメレアは見抜いていた。


「だがレミューゼに戻るまでは油断ならんだろう。だから、大仰になるのも許せ。まだこちらも獣心が抜けきらないんだ。戦というのは厄介なものだな。パっと心を切り替えられなくなる」

「俺もそう思うよ」

「周囲をズーリア女王キリシカの紺碧槍団(カレウム=ランサニア)に見張ってもらっている。レミューゼに戻るころには顔を合わせられるだろう」

「王様ばっかりだ」


 メレアは苦笑して、またその言葉を重ねた。


「案ずるな、お前も王のようなものだよ」


 魔王たちの。


「そりゃあ――またなんとも」


 メレアは後頭部をぽりぽりとかいて、また荷台に寝そべった。

 

「メレア様、お体の方は……」


 すると、荷台の横からマリーザがひょっこりと顔を出して訊ねてきていた。

 その隣からは、どうやらマリーザの馬に相乗りしているらしいアイズが同じく顔の上半分をひょっこりと出して、心配げな視線を向けてきている。まるで巣穴から頭を出して周囲を探る小動物のようだった。


「大丈夫、もうずいぶんよくなった」


 メレアは二人に手を振って答えつつ、空を見上げた。


「……我ながら、ずいぶん派手な場所に身を置いてしまったものだなぁ」

「後悔していますか?」


 マリーザがふと笑って紡いだ。


「いや、後悔はしてないよ」

「そうですか」

「うん」


 短いやり取りの間に、多くの隠れたやり取りがあった気がした。

 けれど、決して悪いやり取りではなかった。

 それを証明するかのように、マリーザは口元を手で覆いながら嬉しそうに笑っていた。


「おーい、メレア、起きたって?」


 すると、今度は離れた場所からサルマーンの声が聞こえてくる。

 また、ほかの仲間たちの声もそれに続いた。


「騒がしくなりそうだ」

「我慢なさってください。あなたはわたくしたちにとっての主なのですから。みな、あなたのことが心配でならないのです。あなたがわたくしたちを心配するように」

「わかってるよ。――わかってる」


 メレアはサルマーンたちが来る前に、もう一度だけ目蓋を閉じた。

 自分が選んだ道が、目蓋の裏側に続いていた。


「うん、ちゃんと見える」

「メレアくん、目を閉じてるよ?」


 アイズから実に的確なツッコミがやってきて、メレアは大きく笑った。

 そうやって笑いながら、メレアが首をかしげているアイズの頭をわざとらしくくしゃくしゃと撫でると、彼女もくすぐったそうにころころと笑った。


 いつの間にか、沈み切った太陽に代わって星々が大地を照らしていた。

 その美しい光景が、メレアの目に深く焼き付いた。


 一行は東へ進む。

 広い世界にあって、数少ない安寧をもたらしてくれる、小さな国。

 今は小さい。

 されど、その身にまとう矜持は、何物にも代えがたい器の深さを伴っている。


 ――レイラスの故郷。


 そして、フランダーが希望を載せた国。――〈レミューゼ〉。

 

「――どんな国なんだろうな」


 まだ見ぬその場所に、メレアは思いを馳せた。



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