66話 「三つの歴史が交差する」
セリアスはメレアが次々と英霊の銘ある術式を発動していくのを見て、今までのすべての考えを捨てざるを得なくなっていた。
さらに、ムーゼッグの王族として、国の方針そのものに転換の余地があることをこのとき察した。
ムーゼッグは、北や西にかまけている余裕はないかもしれない。
東大陸の存在は、もうほうっておいても問題ないだろう。
そう思って北と西に大きな力を割いた。
現ムーゼッグ王のその采配に自分も賛同した。
だが、
「あ、あれが本当に私と同じ人間かッ……!!」
あれを見ると、その選択が失敗だったと思われてくる。
――見誤っていた。
すべてを。
はじめから。
リンドホルム霊山にもっと早くに調査の手を入れるべきだった。
『あんなもの』が生まれていたなんて知る由もなかった。
ほかの魔王など差し置いても、あの〈魔神〉の誕生だけは阻止するべきだった。
あの怪物はたった一人で歴史を変えかねない男だ。
「封印したのだぞ!! 術式処理領域を! ――確実に届いたはずだ!」
わかっている。それを、無理やり限界を突破させることで『覆した』のだ。
まだ自分の封印術は生きている。その感覚に間違いはない。
だが、そんなもの気にも留めないほどに、
――器そのものの枠を広げたのだ。
まともな方法じゃない。
あれも魔王の――
「……くそっ」
秘術が誰か一人の身体の中で交差する。
その有用性は誰よりも知っている。
なにを隠そう自分がそうであるからだ。
だが、アレはもはや自分とは別の次元のそれだ。
似ているが、違う。
アレは普通の人間には絶対に達成しえない。
「なにもかも――」
すべては、
「あんな霊山などがあったから――!!」
元凶は、きっとあの山にある。
忌々しい。
すぐにでも戻って吹き飛ばしてしまいたくなった。
「殿下!! 魔神が来ます!!」
「耐えろ!! 今にほかの部隊が来る! 歩兵も動かした! いかにやつが脅威でも、数の利はこちらに――」
次の瞬間、セリアスはカリギュラの背に乗ったまま魔神が動いたのを見た。
青黒い不気味な炎をまとった右手。それをゆっくりと振り上げ、さらに天を指差すように人差し指を立てていた。
その動作と同時――
魔神が指した天に、無数の〈水神の麗刀〉が現れた。
二本、四本、八本、十六本。――まだ増える。
乗数倍されていく麗刀は一本一本がさきほど見た造形の細やかな完成品と相違なく、同じくそれぞれが異様な威圧感を備えていた。
「――」
言葉が出なかった。
あんなもの――
「……どうしろというのだ」
◆◆◆
「〈麗刀時雨〉」
◆◆◆
そして、天に現れた無数の麗刀は、メレアの腕の振りおろしと同時に――
流星のごとくムーゼッグの軍団に降りそそいだ。
それはセリアスにとって悪夢よりもひどい光景に見えた。
◆◆◆
「下がれッ!! あれに近づくな!!」
轟声。
指示を飛ばす。
否、指示と言えるほど大仰なものでもなかった。
――効果切れを狙うしかない。
「耐えろ!!」
セリアスはようやく少しずつ回復してきた思考能力でもって、あの精神術に何らかの制限や反動があるだろうことを予測した。
そもそも効果切れや反動がないのならば、
――最初から使っていたはずだ。
いかに自分と対話をするためだとはいっても、ああまで下手に出る必要はなかったはずだ。
自分が実際にメレアを見てから抱いた妙な安心感は、もしかしたら端から『仕組まれていた』のかもしれないが、いつでもここまでの力が使えるとして、そのためにあそこまでの演出をしたか。
――あれはあれで、やつの平常時の力量を表していた。
『全力』ではなくとも、かといって必要以上に手を抜いていたというほどでもないはずだ。
だから不自然にならずに、ああまで自分に安心感を与えながら近寄らせることに成功した。
なんにしても、ここまでばかげてはいなかった。
つまるところ、
「私は――」
『誘われた』のだ。
こうしてみると、最初から自分の内心を見抜かれていたかのような気分に陥る。
メレアがこうまで自分の思考を知ることができただろうか。
一瞬だけ霊山で視線を交差させた程度で、内心まで見抜けるだろうか。
そんな神のような存在は、どこにもいない。
となれば、もしくは、
自分のことをよく知る人物に、思考と行動の予測をあらかじめ授けられていたか。
誰か。
そんなことができる人間は。
――ムーラン、キリシカ、ファサリス。
アイオースの学園でもっとも付き合いのあったあの三人。自分に敵対する可能性を内包しつつ、自分のことをよく知っている人物は、三ツ国の現王でもあるあの三人だ。
――いや。
もう一人だけいる。
だが、その男はアイオースの学園から一足先につまみだされて以降、どうしているのかわからない。
本名も、身分も、結局知ることが叶わなかった。
唯一自分と同レベルにいた男であり、そしておそらく――『友』だった男。
セリアスはふと、レミューゼの側に視線を向けた。
特に意図があったわけではない。
しかし、神の垂れた運命の糸に釣られるように、顔がそちらへ向いた。
そこでようやく、ある男の存在に気づいた。
レミューゼの白い紋章旗の真下に、まるでレミューゼ軍の総指揮官であるかのようにして馬に乗っている男の姿が見えた。
最初、明るい茶色の髪を見てそれを総指揮官だと予想しつつも、細部にまで目が届かなくて観察を諦めた存在。
しかし今は、いくぶん距離が近い。
――見える。
どこかで見たことのある、その顔が。
◆◆◆
「――『クード』」
一拍。
「――」
二拍。
「――……貴様かッ!!」
◆◆◆
かつて自分にメレアと同じことを言った男。
自分の狂気を指摘してきた男。
そして、自分と唯一対等に渡り合った男。
この時点で、セリアスはすべてに納得を得ていた。
間違いない。
メレアに自分のことを吹き込んだのはやつだ。
おそろしく人の内心の機微を察するのが巧い男。
そしてそういう情報を扱うことに優れた男だった。
決して腕っぷしは強くなかったが、あの男は自分の父と同じく政戦というものに適した力を持っていた。
――あの様子を見ると、クードも魔神の力を見誤っていたな。
セリアスは一拍のあとにすぐ冷静さを取り戻した。
これ以上の醜態は見せられない。
プライドがようやく精神を支えはじめていた。
セリアスの眼はハーシムの驚く顔を捉えていた。
今のメレアのばかげた術式を目の前に見て、口を半開きにしながら驚いているようだった。
――やつにとってもここまでの力は想定外。
つまり、それを頼りにしてここに出てきたわけではないということでもある。
となれば、セリアスにも確実に見抜ける情報があった。
――あのクードが、何の用意もなくこんな場所へ出てくるわけがない。
まだ、何かある。
メレアではなく、『クード本人が用意している切り札』が。
どう見てもクードはレミューゼの重鎮だ。
むしろ、感覚的には王族にたぐいする気配がある。
それで不思議としっくりきてしまう。
ならば、
――クードが王族であるなら、なにを用意する。
ムーゼッグに抗うことを前提に、やつならどう動くか。
いかに先に魔王たちと接触することで抵抗力を得られるとわかっていても、それだけでムーゼッグ相手に勝てるとは思っていなかっただろう。
クードが昔のままなら、その点においては冷徹なまでに計算を重視するはずだ。
――なにを『待つ』。
セリアスは自然とハーシムが何かを待っていることに強い確信を抱きはじめていた。
さらに思考を重ねる。
「――三ツ国か」
めまぐるしく稼働しはじめたセリアスの思考は、すぐに答えを導き出した。
――あそこくらいしかない。
「やつらを……説得したのか」
ムーゼッグへの恭順に傾いていたと思っていた。
政戦を担当する父が、そういうふうなことを言っていた。
特に、ムーランの率いるクシャナ王国は三王同盟に加入していながら、ほかの二国には秘密裏にムーゼッグへの恭順に傾きはじめていたと言っていた。
「……どっちだ。どっちがムーランの――」
『演技』だったのか。
おそらく、どちらかが演技だった。
ムーランの「してやったり」という調子づいた笑みが脳裏をよぎったが、セリアスはすぐにそれを振り払った。
この際、そんなことはどうでもいい。
もし三ツ国がすべてレミューゼについたならば、その援軍は相応に大きくなるはずだ。
――時間を、稼がれた。
結論。納得。
もしかしたら、あの対話そのものも、すべては三ツ国の増援を待つという大きな目的のために行われたのかもしれない。
――やめろ、もはや過ぎたことに意味はない。今をどうしのぐか考えろ。
その言葉はするりと脳裏に零れ落ちて、セリアスはハっとした。
「私は今――」
――『しのぐ』と……。
セリアスは、いつの間にか自分の立場が逆転させられていることにそのとき気づいた。