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百魔の主  作者: 葵大和
第五幕 【東空は朱に染まる】
54/267

54話 「英雄だった」

 メレアたちがムーゼッグ騎兵軍を突破してわずか数分足らず。

 彼らの後方にハーシムが迫っていた。

 

 邂逅(かいこう)は突然にやってくる。


 それは歴史の転換点の、もっとも最初の大きな出来事だった。


◆◆◆


 魔王たちは後方からの足音に気づくと同時、一瞬ムーゼッグがさらに奥へ回り込んでいたのかと胆を冷やした。

 だが、振り向いてこちらに迫ってくる存在を視界に収めたとき、その疑念は消える。

 向こう側からやってくるのは、重苦しいムーゼッグの黒い紋章旗ではなく――

 その対極に位置する、真っ白な紋章旗だった。


「あれは――」


 メレアは赤い眼を細めて、その紋章旗に描かれている文字を見定めた。

 『レミューゼ』。

 たしかにそう描かれていた。

 そして――

 ついに『彼』はやってきた。


◆◆◆


「〈ハーシム=クード=レミューゼ〉だ。魔王一行で間違いないな」


◆◆◆


 橙色に近い明るい茶髪。

 透き通った南の海のごときアクアブルーの瞳。

 精悍(せいかん)ながら、どことない中性を感じさせる美貌。

 聞き慣れた国家の名を姓に冠するその男は、人の視線をいやおうなく吸い込む煌々(こうこう)とした姿をしていた。


 そんな男の言葉の先にいたのは――メレアである。

 メレアはまだ白の紋章旗を見ながら、やや呆然として短く言葉を紡いでいた。


「――レミューゼ」

「そうだ」


 そんなメレアもまた、その男――ハーシムの視線を吸いこんでいた。

 ハーシムにとってその白い髪は感慨深い色をしていた。


 直後、初めて目が合う。

 メレアが紋章旗から下げた視線と、ハーシムがメレアの白い髪から下ろした視線が――ぶつかった。

 瞬間、


「――」


 互いの中の『何か』が、微動した。

 微動はすぐさま巨大な振動となって、最後には電流のように痺れをもたらしながら、脳天から足の先にまで走っていった。

 その瞬間、二人の内心にまったく同じ言葉が浮かんでいた。


 ――こいつのことを、知っている気がする。


 共振のようだった。

 同じ因子が共鳴し、共振した。

 二人は一瞬だけ、互いの中の『何か』を見て、時を止めていた。


「……〈メレア=メア〉だ。俺自身は正式に魔王なんて呼ばれているかわからないが、少なくとも俺の仲間たちはそう呼ばれている」


 先に言葉を紡いだのはメレアだった。


「――ああ、わかった」


 ハーシムは真面目な顔で深くうなずく。

 そして今度は向こう側――ムーゼッグ騎兵軍の方に視線を向けていた。


「……セリアスはいないな」


 ハーシムが即座に言う。


「なぜわかる?」

「セリアスがいるならノータイムで攻めてくるからだ。こうした遭遇戦の前であっても、やつは指揮形成と作戦形成にまったく時間を取らない。やつは戦いながらその都度戦況をコントロールするからな」


 ハーシムは言いながら、自分の後方に控える部下たちを見た。

 レミューゼの騎兵軍も、決して見た目は悪くない。

 堂々として武器を高めに構えるさまは、パっと見るかぎり歴戦の勇士のようである。だが、その勇姿がいわゆるハッタリに近いものであることは、ハーシム自身がよく知っていた。

 それでもハーシムは、ムーゼッグのあの騎兵軍を前にして部下たちが堂々と胸を張れていることを――誇らしく思った。


「だが、セリアスがいないのならば好都合だ。向こうの作戦形成の時間をこちらも使わせてもらおう。出会って早々だが――」


 ハーシムは再びメレアに視線を向ける。


「お前たち魔王を――救ってやる。我がレミューゼは、このときよりムーゼッグへ反旗を(ひるがえ)す。やつらの作った時代の流れに、今こそ表だって抗おう」


 魔王たちはようやくすべてを理解した。

 どうして自分たちはさっきの騎兵に助けられたのか。

 どうして彼らは自分たちを救おうとしたのか。


 レミューゼが、ムーゼッグの作った『魔王狩り』の潮流(ちょうりゅう)に、抗おうとしている。


 最初は頼った。

 成功したら称賛した。

 次にねだった。

 次第に傀儡にし、最後は無理やりに作った。

 そして今。

 彼らの都合で生み出したものを、またその都合で還元しようとしていた。


 英雄も魔王も、人の思惑によって形作られる。


 まるでモノだ。

 だが、英雄も魔王も、


 生きていた。


 それを無視したムーゼッグ。そしてそんなムーゼッグの威圧に流され、恭順(きょうじゅん)した者たち。

 しかし、今の時代のそんな暴流に、あえて抗う馬鹿がいる。

 

 それを――知った。


◆◆◆


「こちらも前方に壁を作れ! 遭遇戦における初めの勝負だ! この作戦形成間の胆力勝負も決して馬鹿にはできんぞ! それと、敵が動いたらすぐおれに知らせろ!」


 ハーシムはてきぱきと部下たちに指示を出し、自分は馬を下りて魔王たちと同じ目線にまで(くだ)ってきた。

 そして、


「状況を聞こう」


 訊ねる。

 ハーシムの問いに答えたのはメレアだった。


「ひとまず全包囲されることだけはまぬがれた」

「十全だ。よくこの人数で突破したな」


 ハーシムはその言葉を受けてわざとらしく褒めて見せたあと、


「――おい、待て。……あれは地竜か?」


 すぐにその顔を怪訝(けげん)そうに歪め、背伸びをしながら向こう側に倒れている物体を見た。

 首のない地竜の残骸。

 さらに、奇妙な鳴き声がときおり小さく耳を打つことにも気づいた。

 (うめ)くような鳴き声だった。


「三頭の地竜がいた」

「一頭は首なしだが」

「俺が殺した。ほかの二頭は足を斬った」

「……一人でか?」

「そうだ」


 とっさに「同じ人間とは思えんな」という言葉が口から飛び出そうになって、ハーシムはぐっとそれを飲み込んだ。

 自分の顔に驚愕が乗るのを自覚しながらも、一拍をおいて無理やり自分を納得させるようにうなずき、今度は別方面からその話題を切り開いた。


「……ムーゼッグもいよいよ馬鹿げたものを持ち出してきたな。あの酒場の噂は本当だったか。

 しかし、どうやって手に入れた? まさか群れに突っ込んで強奪したわけでもあるまいな……。さすがにリスクと成果が見合わん」


 ハーシムが顎に手をやって思案気につぶやく。


「群れで行動する地竜が、あえて個体を手放すような状況でなければ――」


 ハーシムがふと紡いだ言葉に、反射的にメレアが答えていた。

 それに似た話を、近頃聞いた覚えがあった。


「――竜死病」

「――なるほど。たしかに竜死病なら感染を恐れて手放すだろうが、それだと感染した竜はすぐ死……いや、まさか」


 直後、ハーシムは(うな)った。

 そして、まるで自分の予想に自信があるとでも言わんばかりの力強さで、再度言葉を紡ぐ。


「竜死病の特効術式を導き出したのか……?」


 可能性として、ないではなかった。

 というより、そうでもしなければ辻褄(つじつま)が合わない気がした。

 群れで動く地竜が、あえて個体を切り離す理由。

 そして気位の高い竜族が、ああしてムーゼッグに従う理由。

 気位が高いと同時に、地竜はとかく義理堅い。律儀だ。

 もし竜死病に感染した状態をムーゼッグの特効術式によって治癒されたとしたら――


「可能性はあるな。当然ムーゼッグはその術式理論を独占するだろうが……くそ、また厄介事が増えた」


 頭を抱えたくなる気分をどうにか抑え、ハーシムは(えり)を正した。


「いや、今はいい。この場のことだけを考えよう」


 意識を切り替えて周りを見る。

 当然ながら、その視線が追ったのはそれぞれの魔王たちだった。

 パっと見ただけでどの号を持った魔王かわかる者もいたし、わからない者もいた。

 さらにまた、彼らが(うつむ)く者と前を見る者とで二つに分かれていることにも気づく。

 印象的な光景だった。

 ハーシムは直感的に、この反応が何によって起こされたのかを察した。

 すると、そんなハーシムの察しに答えを与えるように、今度はメレアから声が飛んでくる。


「その前に聞かせてくれ。――さっき俺たちを救ってくれた男たちは、お前の部下か」

「……そうだ」


 ハーシムは淡々と答えながら、魔王たちがそれぞれに拳を握り込むのを見ていた。


「なら、伝えておく」


 そんな中で、メレアが澄んだ赤の瞳をハーシムに向けながら言った。


「俺たちにとって――彼らは『英雄』だった」

「……ああ」


 ハーシムはメレアの言葉を受けたあと、その隣で目元をはらしている男を見つけた。サルマーンだ。

 ハーシムはハーシムで、その姿からなにかを察したようだった。

 そして、


「おれにとっても……英雄だったさ」


 ハーシムは視線を斜め下に一度だけ下ろし、同じ言葉を紡いだ。


「――そうか」

「だが、彼らの(とむら)いはあとだ。――必ず弔う。そのためにも、今は戦う」


 ハーシムはすぐさま視線を正眼に戻す。


「こんな状況だが、大事なことだからこの場ではっきりと()いておこう」


 ハーシムはすべての魔王に聞こえるように大きく声を張り上げていた。


「お前たちは――レミューゼとともに戦えるか。お前たちは『戦場』で、レミューゼとともに戦えるか」


 答えはすぐには返ってこなかった。

 ハーシムの言葉の重さを、それぞれが真っ向から受け止めていた。


 『彼を救って見せよう。だから、君たちも殿下を救ってやってくれ』


 魔王たちはあの老兵の言葉を思い出す。

 そしてその意味を――かみしめていた。


 これは片務的な契約ではなかった。

 『互いが互いを救うための』――双務的な契約だった。


◆◆◆


 そんな中、一歩前へと出てきた者がいた。


「私たちは初めからレミューゼの手を借りるためにここまでやってきた。願ってもない言葉だと思う。その上、すでに私たちはレミューゼに救われている。彼らが命を賭して私たちを救ってくれたことを忘れはしない。――だが」


 エルマだった。

 エルマは黒い髪を風に揺らし、威風堂々としたハーシムを前にしてひるむ様子すらなく、いっそ侮辱的なまでの言葉を紡ごうとしていた。


「それを承知の上で、あえて訊ねさせてもらう。――非礼は詫びよう。それでも私たちにとっては、とてつもなく大事な言葉なのだ」

「いいだろう。言ってみろ、エルイーザ家の末裔」


 ハーシムはエルマが片手に握っていた長剣を見て、すぐさまその号を見抜いた。七帝器を持つ七帝のうちの一つ、〈剣帝〉。

 対するエルマはハーシムの許しをもらったあと、その魔剣の切っ先をハーシムの顔にわずかに向けながら言葉を放った。


「お前たちは、私たちを裏切らないか」


 すでにハーシムの部下が魔王たちを命を賭して救っている。

 それを経たうえで紡いだこの言葉が、どれだけ『侮辱的』であるか。――わかっていた。

 それでもエルマは、魔王という名前の恐ろしさを知っているからこそ、決してそれをうやむやにはしなかった。


 あるいは、ほかの魔王のためであったのかもしれない。

 エルマ自身は戦う決心ができていた。小難しいことを捨て去って、戦いの場が前にあれば戦うという、ある種刹那的な戦人(いくさびと)の習性が身についているエルマからすれば、ハーシムの問いに即座に()と答えられた。

 だが、『人の危うい部分』に数多く触れてきたほかの魔王たちは、相手の総代たるハーシムに確固とした根拠を見なければ――すぐには信じられなかった。だからきっと、すぐには答えを返せなかった。

 それくらい、魔王が内に秘める闇は深い。

 同じ境遇の仲間たちを相手にするかぎりは、深く考える必要がなかったかもしれない。

 しかし、ハーシムは国家の代表だ。

 たとえかつてのレミューゼが親魔王派であったことを知っていても、この時代においては別物だ。

 大事なのは今のレミューゼなのだ。


 だからエルマは、うまく言葉を紡げずにいた彼らの代わりに、そうしてハーシムに問いを投げかけた。

 そして、その問いにハーシムは、


「誓おう。決して裏切らないと」


 即答した。


「これは『対等な』取引だ。おれはそのつもりで話を持ってきた。――対等でなければ意味がない。だから、お前たちがおれたちを見限っても構わん。とどのつまり、『お互いさま』だ」


 ハーシムの答えはいっそ清々しいまでに淡泊(たんぱく)だった。


「もちろん、それが危ういことも自覚している。それでもきっと、これがもっともまともな形なのだと、おれは信じている。だから、おれも頭は下げん」


 言い切る。

 ハーシムは頭を下げない。

 そんなハーシムの言葉に魔王たちは――


「――わかった」


 誰かの声があがった。

 直後、魔王たちは顔をあげていた。

 ハーシムの正直な言葉の中に、なにか信じるに足るものを見つけたように、目に生気を灯してそのアクアブルーの瞳を見ていた。

 エルマは魔王たちが顔をあげたのを見て、満足げにうなずいていた。


「――戦おう」


 魔王たちは、そのとき初めて戦場に命を賭す覚悟を決めた。


 正直に言えば――足は震えていた。


◆◆◆

 

 メレアだけではなかった。

 みんな怖かった。


 ほとんどの魔王は、自分たちが『昔の魔王』と比べて弱いことを自覚していた。

 旧代の悪徳の魔王しかり、英雄から転身させられた魔王しかり。時代の転換期の、まさしく混迷の全盛(ぜんせい)だったころの魔王は、個人にして圧倒的だった。


 しかしそういった強い魔王たちは、時間をかけて徐々に――かつ『優先的に』狩られていった。

 彼らは放っておくと危険だったし、また彼らの方も下手に強かったから荒波に立ち向かおうとした。

 結果的にその強さが、当時はまだ大々的には反目し合っていなかった国家間の繋がりを強固にさせてしまったことが、強かった彼らが狩られるにいたった要因の一つだったのかもしれない。


 時代の流れとともに魔王もまた淘汰(とうた)されていく。

 魔王の力が弱まっていくと、今度は国家同士が反目するようになる。魔王を同じ位階の存在として見なくなっていくのだ。

 『今は放っておいてもいいか』『むしろ隣国の方が最近怪しい動きをしている』『まずはこちらを注視しなければ』。

 それでもまだ魔王の力が貴重な戦力であることに変わりはない。狩りそのものは続いた。

 その時点で魔王は道具的だった。


 そのあとも目立つ者、強く光る者、上から順に狙われていった。

 そうして淘汰が進んでいった結果この時代に残ったのは、突き抜けて強く、かつ『賢い』魔王か、もしくは――


 弱い魔王だった。


 弱いとはいっても、素質自体はあったのだ。その素質を戦うために磨く十分な環境が存在しなかっただけで、この時代にまで生き残ってくることができた力の系譜そのものは間違いなく優等だった。

 彼ら自身もそれをわかっていたがゆえに、ムーゼッグやほかの国家が魔王の継いできた秘術だけを求めはじめたことにも、不思議と納得があった。

 魔王自身が弱くとも、長年をかけてそれにまつわる号をつけられるほどに成熟した秘術の体系は、使いようによって莫大な力をもたらす。


 秘術の理論だけを求められる状況を不甲斐(ふがい)なく思う一方で、もしかしたら秘術を渡せば命は助かるかもしれないと、そんなふうに思ったことすらあった。

 そんな淡い希望はムーゼッグの魔王狩りのやり方を見て散ったけれど、あえてそれに真っ向から抗おうとするほどの勇気もなかった。


 殺すのも、殺されるのも、ごめんだ。

 こんな名のもとに生まれたから、こうなった。

 投げ出したい。

 なのに、投げ出せない。

 先祖の『呪い』のようだ。

 彼らが長年積み上げてきたもの、過去の栄光、思い、それらを直視すると、簡単には投げ出せなかった。

 まだ投げ出せるものなら良かった。

 身体に刻まれていてしまったものは、投げ出しようがない。


 もっとゆっくり考えれば、ほかにやりようがあったのかもしれない。

 だが、気づいたときには追われていた。

 逃げた。

 死にもの狂いで逃げるしかなかった。

 自分たちをモノのように見る彼らの目を見たら、ほかにやりようなどないように思えた。

 

 なにも感じずにいられるのなら、こんなに逃げたりはしなかった。

 最後の華とばかりに命を賭して、早々に戦場に散っただろう。

 逃げたのは――怖かったからだ。


 そんな彼らは、ついにみずからを対等に扱おうとする国家を前にして、決意していた。

 逃げることに疲れていたのもある。

 これ以上逃げても状況は好転しないのではないか。

 ここで立たなければ、憎しみながらも、一方で親しみながらも、どうにか背負ってきた名前の、名折れになるのではないか。

 いろんな理由を自分の中で後付けして――けれど、


 たしかに戦おうとした。


 そして。

 その中で誰よりも恐怖を抱きつつも、それを強靭な意志によってねじ伏せようとしてきた彼も――


 このときある決心をしていた。


◆◆◆


 ぬるりと、やわらかい底なし沼にすべり込むように、気づいたら戦場へ足を踏み込んでいた。

 メレアにとっては、まさにそんな感覚だった。

 身体はちゃんと臨戦態勢に入っているのに、どこか精神(なかみ)がふわふわとしている感覚があった。


 だが、その揺らめいていた精神が、さきの一件をきっかけにある地点に固定されようとしていた。

 サルマーンの悲哀の叫びがまだ耳に残っていた。


 ――そうか。


 メレアは知った。

 それは自覚ではない。

 自分で気づいたのではなくて、気づかされたという感覚に近かった。


 ――命を、投げ出せてしまうのか。


 メレアにとっての一番の衝撃は、自分たちが魔王として追われ、命を狙われることではなかった。

 それはあの霊山での一件で気づいたし、そういうものだとどこかで納得していた。

 しかし、今さっきの出来事は、それ以上にメレアに世界の違いを認識させた。


 ――ここは、俺のことを知らない人が、俺のために命を投げ出せてしまう世界なのか。


 彼らは彼らの大義のために、たったの一言すら話したこともない自分たちを助けようとして――死んだ。

 メレアにとってはそれがなによりも衝撃的だった。


 魔王という名前が、一体どれほどの人の思いを巻き込んでいるのか。

 初めて知った気がした。


 そしてその瞬間、メレアが見ていた世界が割れた。

 それまで世界を(おお)っていたガラスが割れた音がした。

 割れた向こう側から現れたのは、色の確定した世界だった。

 まるでそれまで見ていた世界はモノクロだったと言わんばかりに、鮮烈な色味を宿した――。


 直後、メレアは自分の身体が再構成されるような感覚に(おちい)った。


 今までの古い身体がぼろぼろと崩れていく感覚だった。

 眼前の光景が色を持つのにともなって、今度は自分の中心――魂から、なにかがあふれ出してくる。

 それはどんどん積み重なっていって、徐々に魂を覆う肉のようになった。


 ぱりぱり。


 音がした。


 ふと足元に、かつての自分の残骸を幻視する。

 その残骸は、どこか懐かしい色をしていた。


 前世。

 前の世界の『自分』。

 残骸は白かった。

 色の積み重なりのない、ひどく綺麗な白だった。


 その上に散らばるのは灰色の残骸。

 リンドホルム霊山の怪物。

 そこでしか存在しえなかった、色があるのかないのか中途半端な存在。


 そして――

 手を見た。

 今の身体は、血色の灯った肌色をしていた。


 これが、今。

 

 おそらく、


 この世界に存在しようとした自分。


 ――白も、灰色も、全部俺の色だ。


 でも今は、この肌色を持てたことをなによりも嬉しく思った。

 そう思いながら、ついにメレアは前を見た。

 向こうに黒い人の波が見える。

 ムーゼッグ。


 メレアはそのとき、決意していた。


◆◆◆


 そして決意は――魔神に牙を与えた。


◆◆◆


 怪物が牙を得るに至ったきっかけは、仲間の言葉でも、仲間の死でも、自分の危機でもなく――

 名も知らぬ誰かの、されど鮮烈な、今の世界を象徴する――


 ――『死にざま』だった。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 小説で主人公を成長させるとき、能力的なものやスキル、レベルなど目に見えやすいものは簡単に書けるけど、精神的な成長の過程やそれに伴う葛藤を書くのは極めて難しいと思う。でもこの小説は主人公の精…
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