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百魔の主  作者: 葵大和
第五幕 【東空は朱に染まる】
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49話 「その決意は鬨の声」

 大きくそびえたつような体躯。

 風をつかむというよりも切り裂くためにあるような鋭角の翼。

 大樹のごとき強靭な芯を感じさせつつも、その生物の四肢はしなやかさを失っていない。

 あきらかにその生物は疾走することに長けていた。

 直感的に、見る者にそう思わせる姿態だった。


 〈地竜(レイルノート)〉。

 地上生物界の王と呼ばれることさえある、生態系の上位種である。

 そしてその――


 ――『成体』だ。


 メレアは胸中でそんな言葉を(こぼ)した。


 視界の奥に見える地竜は、メレアの乗る黒鱗の地竜ノエルよりも、ずっと大きな体躯を持っていた。

 大きさだけではなく、身体各部の発達具合があきらかに違う。

 メレアの頭はそれを成体だと断定すると同時、一瞬で臨戦態勢に切り替わっていた。

 ほかの魔王たちがまだこの状況に戸惑っているさなか、メレアだけは淡々と状況分析に入る。


 ――あれだけか?


 砂塵はさきほどの横薙ぎの突風で一度(はら)われたが、すぐさま続く砂塵が地竜の足元からもくりもくりと上がっていた。

 煙のようなそれが、すかさず地竜周辺の景色に霞をかける。


 ――違う、ほかに二頭いる。


 しかし、メレアの広範視野と動体視力は、その砂塵の一角からほんの一瞬だけ露見した情報を取りこぼさなかった。

 さきほど見た地竜とはわずかに違う色のついた尻尾が二つ見えた。

 だが、それだけで状況を確定させるにはまだ不安要素が残る。


 ――情報を集めろ。統合して予測しろ。


 砂塵は微風に乗って左から右にわずかに()がれ、おかげで砂塵の大きさが限定されている。

 さきほどの成体地竜の体躯から、残る二頭の地竜の大きさを予測し、視界の光景にあてはめる。


 ――あの砂塵に四頭も身を隠すことはできない。

 

 もし無風だったら、砂塵は周囲に四散停滞し、より広範にわたって砂のカーテンのごとく地竜の姿を隠しただろう。

 しかし、このときは微風がメレアの予測の手助けとなった。

 計三頭。それで確定させる。


 メレアはそうやってまっさきに眼前の敵性勢力を分析し、今度は自分の後方へと意識を向けた。

 わずかに顔を後方にそらしつつ、魔王たちの様子に観察の視線を送る。


 ――半々。


 一見して臨戦態勢に入れているように見える魔王の数だった。

 隊列の前方で地竜の姿をしっかりと見た者は、その生存本能を刺激されてすぐに身体が臨戦態勢に入ったのかもしれない。

 だが馬群の後尾にいた者たちは、前を走る魔王たちの間から地竜の姿を見ようとして、もたついている間に再度の砂塵に視界を(さえぎ)られた可能性がある。

 言葉で警告を発したが、なまじその警告に乗っていた言葉は『信じがたい事実』だ。

 こういうときは聞くより見る方が早いのだとメレアは心底から思った。

 しかし、直後――


「――」

 

 来た。

 風だ。

 再び砂塵を吹き飛ばす突風である。


 メレアは一瞬都合の良い風に内心で喜びそうになったが、すぐにその考えを払しょくした。

 ――逆だった。


 ――まずいな。


 視界に映ったのは、メレアの予想どおりとなる三頭の地竜。

 そしてそれが露見したあとすぐに――


 自分の後方で空気が凍ったような音を聴いた。


 実際に音がしたわけではないが、思わずそう思ってしまうような、露骨な緊張の発露を感じた。


 三頭の地竜の姿を見て、魔王たちの緊張が最高潮に達したのだ。

 地竜たちが砂塵で姿を隠していた理由は、こうやってより近づいてからインパクトのある姿態を見せつけるためであったのかもしれない。

 地竜の影を見て臨戦態勢に入っていた魔王たちまで、はっきりとしたその輪郭に今度は委縮したように見えた。


 メレアはなにか言葉を発するべきかと迷った。

 多くを率いることに慣れた歴戦の勇士ならば、こういうときに鼓舞の声をあげて、味方の緊張を士気に変換させたかもしれない。

 だが集団を率いたことなどないメレアは――


 とっさに言葉が出てこなかった。


◆◆◆


 と、メレアが短い時間の狭間で思考をめぐらせていると、また別の情報を五感が捉える。


 ――左。


 メレアの視界の左の方に、再び砂塵が映った。

 現在進行形で巻きあがっている別の砂塵だ。

 こちらは姿を隠すためというよりも、疾走の余波でしかたなしにあがっている砂煙のようだった。

 ゆえに、メレアの視覚はたやすくその中にいた存在を捉える。


 ――黒鎧……!


 『騎兵の軍勢』だった。

 黒の軽鎧に身を包み、何本かのムーゼッグ紋章旗を示威するかのごとく掲げながら、まっすぐにこちらへと突っ込んでくる騎兵の軍勢。

 視界正面の地竜三頭と違って、その騎兵たちが乗っているのは馬だった。


 パっと見の膨大な数に思わず(きも)が冷えるが、同時、メレアは向こう方の様相を見てあることに勘付いてもいた。


 ――向こうもここにたどり着いたばかりか……!


 騎兵の先頭部で指示を出している黒鎧。

 わずかばかり後方で間延びした隊列。

 どことなくにじみ出る慌ただしさ。


 待ち伏せていたというよりは、まさに今、ここにたどり着いたとでも言わんばかりの様相であった。


 そもそもこちらの鼻先に地竜しかいないことを考えれば、向こうは向こうで盤石の状態ではないのだろうとうかがえる。


 ――地竜は足止めか。


 この状況から察するに、足の速い地竜を先回りさせて足止めをしようとしたのだろう。

 ともあれ、あの騎兵本隊との距離はまだある。

 目の前の地竜さえどうにかできれば、あの騎兵本隊が道を(さえぎ)るより先にこの場を突っ切れる可能性がある。


「――」


 メレアはまだ判断を下せずにいた。

 二択。

 足を止めて迎撃し、隙をついて東側に逃げ込むか。

 この勢いのまま一気に東へ駆け抜けるか。

 いずれにせよ、東側に退路を確保しなければならないことはたしかである。退路を断ちきられての全包囲は死と同義だ。


 ――……迎撃? あれを?


 しかし、メレアはすぐに最初の選択肢を切った。

 一人なら話は別だ。

 だが後方を見たとき、メレアはそれを切らずにはいられなかった。


 あの数に(たか)られて、その無数の手から魔王たちの側面と後背のすべてを守れるのか。

 全員を助ける。それは確定事項だ。


 ――手と、目と、足と。身体がいくつあればいい。……このまま突っ切るしかない。

 

 メレアは決心した。

 あの東側に屹立している地竜を『自分が』どかし、そこに魔王たちをすべり込ませる。

 一旦突破して東側に退路を確保し、そこではじめて迎撃すればいい。

 後退しながらの迎撃ならば、まだうまくいく可能性がある。

 そのためには地竜も早い段階で潰しておきたいが、それは実際に触れながら並列して考えればいい。

 とにかく、


 ――行かせる。


 となれば、あとは魔王たちがこの間隙(かんげき)を挟まない突然の戦闘状況に際して動じずに動けるか。

 さきほど見た魔王たちの様子がメレアの脳裏をよぎった。


「……」


 やはりこういうときこそ士気を鼓舞する『(とき)の声』が欲しい。

 そうせつに思って、どうにか彼らのひるみを吹き飛ばせないかと口を開きかけたが、


 ――声は、震えないだろうか。


 ふと、そんな言葉が浮かび上がって、メレアは口の動きを硬直させていた。


◆◆◆


 メレアは〈楽王(ユルン=ユーラ)の声帯〉という天性の声を持っていた。

 魅了、魅惑。

 人の心によく響く声だ。

 そのことをメレア自身わかっていたから、可能であればここで『鬨の声』をあげるべきなのだろうと思った。

 少なくとも声の質としては、適したものを持っているはずなのだ。

 ――でも、


 ――言葉は、すらすらと出てくるだろうか。


 正直に吐露(とろ)すれば、不安だった。

 一字一句、はっきりと、周囲一帯に響かせるように言葉を(つむ)げるか。

 そもそも、鼓舞に適した言葉を自分は選べるのか。

 そうして選んだ言葉は、本当に彼らの闘争心を引きだせるのだろうか。


 さまざまな懸念(けねん)が一瞬のうちに脳裏をよぎり、多くの思いが頭の中を駆け(めぐ)り、メレアの口を半開きのまま停滞させた。

 メレアを乗せたノエルは、メレアからの指示を受けるまで律儀に一定の速度を保って前へと進んでいる。

 徐々に徐々に、三頭の地竜へとまっすぐに近づいていく。

 ノエルは(あるじ)の声を待っていた。

 そしてきっと、その後ろを馬で駆る彼らも――


 そうして、わずかな秒間にメレアは逡巡(しゅんじゅん)し、ついに――


「――」


 メレアは『口を閉じた』。


◆◆◆


 もろもろを考えた上で、メレアは『(とき)の声』をあげることをやめた。

 

 ――しくじれば、かえって動揺を与える。


 その危うい可能性に関しても、メレアはしっかりと把握していた。

 自分の立場を掛け値なしに把握しているからこそ、脳裏に浮かんだ可能性だった。

 そこに自惚(うぬぼ)れはなく、虚栄もない。

 客観の上に成り立つ、一つの可能性である。


 ――俺が少しでも動揺すれば、みんなが動揺する。


 自分がどうしてこの集団の、こんな立場にいるのか。

 最初は不思議だったけれど、これまでみなと話をしてきて、少しその理由もわかってきた。

 そして自分自身も、次第にその役割を受け入れていった。


 自分なりの覚悟と責任を(いだ)いて。


 だからこそ、もししくじったらみんなに動揺を与えるという可能性があるということも、はっきりと認識できた。

 ゆえにメレアは、


 ――お前は、行動で示せ。


 方針を転換した。

 自分は『鬨の声』をあげるのに不慣れだ。

 されど、先陣を切る覚悟はこの胸にある。

 リンドホルム霊山の山頂での一戦で、経験もしている。

 それならきっと、しくじらない。

 だから――


 ――お前は、誰よりも前に出ろ。

 

 先陣を切るのだ。

 盾でもいい。

 剣でもいい。

 ただ、彼らと敵との間に、


 ――その身を立たせろ。


◆◆◆


 彼らが少しでも、安心できるように。


◆◆◆


 メレアはあえて鬨の声をあげるのをやめた。

 かわり、魔王たちの誰よりも先にその身を矢面に立たせることを決意する。

 おそらく自分にはそれが一番適した方法だと、瞬間的に確信した。


 ――突っ切る。


「――行け!!」


 ついにメレアが叫んだ。

 それは命令だった。

 メレアの命令の矛先にいたのは、後方の魔王たちである。

 そしてそんな声を受けた後方の魔王たちは、メレアの『行け』という言葉の意味を――


 一瞬のうちに察していた。


 その短い言葉は鬨の声と呼べるほど大仰(おおぎょう)なものではなく、また悠然とした余裕を感じさせる言葉でもなかったが、


「っ――」


 彼らにとってはそれこそが鼓舞となった。


 なぜメレアがそんな言葉を紡いで、そして次にどういう行動に移ろうとしているのかに、魔王たちは気づいていた。

 これまでメレアと付き合ってきて、自然とたどりついた答え。

 だからこそ、彼らは次の瞬間には緊張を決意へと転化させ、身体に闘争心を宿そうとした。


 そして、彼らがメレアの意図に気づいたときには、


「術式展開――」


 メレアはノエルの背の上で、拍手を一つ響かせていた。

 向こう方三頭の地竜の不意をつくように、白雷が宙を駆けていった。



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