48話 「邂逅」
魔王一行の進軍速度は、ノエルが合流してから著しく上昇した。
それは、馬が背負うべき荷物をノエルが請け負ってくれているからにほかならないが、とはいえ馬の方にも賞賛すべき点はあった。
野生においてわかりやすく上位者である地竜を相手に、距離をあけこそすれど、決して逃げ出さなかったのだ。
当初不安に思っていた点が期せずして解消された気分だった。
あのザイードが胸を張って選んだ馬だけはある。
「なかなか有能でしょう、彼は」
〈錬金王〉シャウはそのことに鼻高々であった。
「意外だな、金以外に関して誇らしげにするお前ってのも」
「人は人で財産ですからね!」
当のノエルにはメレアが荷物とともに乗っている。
ときおりノエルと竜語で会話しつつ、竜体への騎乗にも慣れ、まさしく竜騎兵というなりだ。
「あいつはあいつで慣れるのはええな」
「やっぱりというか、案の定というか、最初はちょっと気持ち悪そうにしてましたけどね」
「ゲロんなかっただけマシだろ」
もともと十五頭での行軍もまったく目立っていないとは言い難かったが、そこに地竜が加わるとなればもはや言うまでもない。
とはいえ、それを承知で速度を重視している。
行先を早い段階で悟らせないために気をつかったこれまでの道程とは違って、そこにあえて気をつかう必要もなくなった。
ここまで来たら、あとはレミューゼまで駆け抜けるだけだ。
ムーゼッグの追手よりも先に、レミューゼへ。
「――さて」
ふと、馬群の後方で馬を並べてサルマーンと会話をしていたシャウは、少し襟を正して真面目なトーンで言葉を紡いでいた。
「なんだかんだと予想以上の早さでここまでこれましたね。正直これで先回りされたら、どんな方法でも無理だったでしょうと言わざるを得ません。地竜の足の恩恵まで受けているのに」
「ああ、まったくだな。そんときはムーゼッグの力が俺たちをはるかに上回ったと、両手で盛大に拍手でもしてやるさ」
サルマーンが手綱から片手を離して身体を開いた。
「ちなみに、レミューゼまであとどんなもんだ?」
「この速度で飛ばせば――早くて二日。妥当なところで三日というところでしょうね」
「それなら食糧は持つな」
「ええ。体力もまあ、ひとまずは大丈夫でしょう」
ほかの魔王たちを見回して、シャウが言った。
「なら、うまくいった場合の想定はそこまでで充分だろう。問題はもし先回りされていたら、ってことだな」
むしろそこだけを考えるくらいでもよかった。
先回りさえされなければ、あとはどうとでもなる。
考えるべきは、もしムーゼッグがこの進む先にいたら――という場合だ。
「……いると思うか?」
サルマーンが砂色の髪を風に靡かせながら言った。
真面目な表情だ。
「そうですねえ……、五分というところでしょうか」
シャウから同じく至極真面目なトーンの声が返ってくる。
「五分か。ここまでやって、五分か」
「ムーゼッグはそういう存在ですから。たとえばの話――」
シャウは右手を手綱から離し、おもむろに人差し指を立てて見せた。
「もし、向こうも地竜を使ったら?」
「おいおい、いまだかつてそんなおっかねえ軍隊作ったやつらいねえよ。仮に作ろうとしたって、その地竜をどっから取ってくるんだ」
「さあ? そのへんからじゃないでしょうか」
「地竜は群れで動くんだぞ。一体でも盗ろうとしたら、成体地竜の軍勢に襲われるだろ。……ああ、その光景は悪夢以上にインパクトがあるな。想像して泣きそうになった」
「うーん……、なら、卵のうちにこっそりと」
「親竜が目を離すかね」
「それこそわざとらしく、一体の子竜を狙ってみせるとか。そちらに気を取られている間に――」
「単純な陽動か。……どうだかな。いまいちまだ説得力には欠けるよ。まあ、いずれにせよ、どんな方法であっても地竜一体を確保するのにかなりの犠牲を払わなきゃならねえだろうさ」
「しかしムーゼッグはそれが必要だと思えばたやすく犠牲を承認します。あの国の強さはあらゆる犠牲の上に成り立つものですからね」
その犠牲の中で特に目につく存在が、まさしく自分たちや、自分たちの祖先、縁のある者たちであることにサルマーンも気づいていた。
「まあ、とはいいながらも、一応探せばはぐれの地竜が売られていたりすることもたまにありますから、そのあたり単純な経済力でどうにかした可能性もあります」
「もうお前んなかではムーゼッグが地竜を使うこと前提か。――まったく嫌になる、お前の予想はなにかと当たりそうで」
まったくの空想の産物であるなら、シャウもこんな話はしなかっただろう。
少なくとも『商人』である彼は、冗談で空想を使うことはままあっても、基本的には現実主義者である。
となれば、おそらくなにか引っかかりがあるのだ。
明解でないにしろ、小さな情報が重なって、もしかしたらそうであるかもしれないとのぼんやりとした輪郭がシャウの頭の中にあるのかもしれない。
だからサルマーンは「嫌になる」と青い息を吐いて見せた。
「マジだったら最悪だな。そんときはやってらんねえって両手投げ出してやる」
「いやはや、同感ですね」
シャウが笑った。
しかしサルマーンはすぐに諦観をにじませた演技から復帰して、再び真面目に言葉を紡ぎはじめる。
「もし俺たちの前に地竜が現れて、そんでそれがレミューゼの手前だったとしたら――」
サルマーンは強い決意を瞳に乗せて続けた。
「まずは戦えねえやつをなんとしてでもレミューゼに押し込む」
「――ええ、そうですね」
あの霊山での一件からちらほらと見受けられる点でもあったが、それに加えて道中で話を伺うことで、徐々にあることに意識が向いた。
つまり――戦いが得意でない魔王もいるということに。
〈天魔〉アイズがその最たる例だ。
ああいう、やや特殊な秘術を継承する者たちに国家の魔王認定の矛先が向いたのは、最初の大戦乱時代のあとのことだった。
国家はその土台をよりさまざまな方面から強化するために、たとえばシャウのように経済面で強い力を発揮する者や、アイズのように諜報の方面で強い力を発揮する者、決して戦うことそのものに秀でていなくとも、そういう総体的な力の枠の中で便利な能力を発揮する者に目を向けはじめた。
国家間の戦争の形態が多様化していくにしたがって、彼らの特殊な術式は戦う力以上に重宝されるようになっていく。
また、彼らが最初の大戦乱時代に国家側に反発した魔王たちと比べて、そういう単純な膂力に優れなかったことも都合が良かった。
物理的抵抗力が弱いから、捕まえやすい。
そしてこの魔王一行の中には、そんなふうにしてあとから国家に狙われるようになった魔王の末裔が、何人もいた。
サルマーンはそれを知っていたから、まずは彼らを戦場から離脱させ、どうにかレミューゼへ押し込もうという方策を提案した。
「ギリギリだったらぶん投げてでもそうする。戦えねえやつを前線に立たせるのだけは、なんとしてでも避ける。それが〈拳帝〉としての意地だ」
サルマーンの決意は固い。
それが傍目からもシャウに伝わった。
シャウはそんなサルマーンの言葉を受けて、やれやれと肩をすくめて見せる。
顔には苦笑があった。
「はあ。あなた、そろそろ胃に効く薬草でも懐に忍ばせておいた方がいいのでは? なんだかんだとあなたが一番周りを気にかけている気がしますからね」
「ならお前の商会で胃に効く薬草取り寄せろよ」
「無事レミューゼへついたら、レミューゼ支部を作るついでにそうして差し上げましょう」
「さすがというかなんというか、もうレミューゼで商会支部作る算段つけてやがんのか」
「当然でしょう。私を誰だと思っているのです。金の亡者、シャウ=ジュール=シャーウッドですよ? 助かる前提で、かつ金を儲ける前提です」
「いっそ尊敬するぜ」
サルマーンは皮肉っぽい笑みをシャウに送った。
「まあ、俺はいいんだ。前まで気遣えなかった反動みてえなもんでな。逆方向に振り切れたっていうか……ってかほっとけ。俺の話なんて、メレアやエルマやお前と比べたらやたら俗っぽいもんだ。かしこまって話すほどのもんじゃねえよ」
「では、いずれ」
「ほっとけっていうからに」
「金の匂いがしたので」
「今お前の鼻に恐怖したよ」
サルマーンは苦笑した。
「とにかく、今は前へ行こう。その話をするにも、まずは満足な寝床にありついてからだ」
「――そうですね」
二人はそこで会話を切り、再び馬を前に走らせた。
◆◆◆
一つ夜を越し、次の日の夕刻。
そのあたりから魔王たちのまとう雰囲気がぴりぴりとしはじめた。
――緊張の露見だ。
無理もなかった。
二日後にレミューゼへたどり着けるかもしれないし、逆に二日後、ムーゼッグの軍隊と再び見えるかもしれない。
そうなれば今度は正面衝突だ。
あのときのようにうまくいなせるとは思えなかった。
あれは状況の利と地の利がこちらにあったから為せたことだ。
まともに五分でぶつかりあったら、実際のところどうなるかわからない。
だから彼らは緊張した。
同時に、願った。
頼むからそこにムーゼッグがいないように、と。
これまでの道中に露骨な足跡は残していない――つもりだ。
それでも、可能性を取捨すれば、ムーゼッグが東に捜索線を張るのは自明のようにも思えた。
まさか近頃衰退の兆しのあるレミューゼを目指しているとは思わないかもしれないが、その奥の三ツ国は逃避場所の候補としてあがる。
くわしい場所などわからなくとも、数にものを言わせて迂回路をも含めた長大な捜索線を張るかもしれない。
そういう大雑把で巨大なものを作れるだけの戦力がムーゼッグにはある。
とはいえ、悲観的になりすぎるのも問題だ。
結局のところ、見るまではどれが真実だかわからない。
だから彼らは願ったし、祈った。
どうか自分たちの望んだ状況になっていますように、と。
◆◆◆
二つ目の夜を越えた。
シャウの予想では、早くて明日にレミューゼへたどり着くかもしれない。
魔王たちの口数は少なくなっていた。
このまま何事もなくレミューゼへたどり着けるかもしれないという思いと同時に、もしかしたらムーゼッグと邂逅するかもしれないという思いもあった。
ちらほらとした緊張の気が、魔王たちから漏れはじめていた。
◆◆◆
三つ目の夜。
シャウの予想のうち、早くて二日、無難に三日という点で、後者が的中した。
おかげで、間違いなく明日には何かが起こるだろうとの予測が立った。
緊張は臨界点に手を伸ばす。
焦って馬を飛ばしたくなるが、ここで馬の足を休ませておかないといざムーゼッグを前にしたときに十分な足を使えないかもしれない。
しかし逆に考えれば、こうしてギリギリのところで足を休められることは重畳でもあった。
特に戦場に慣れている何人かの戦闘系の魔王たちは、針のように鋭い殺気を肩口からほとばしらせ、逆に真っ向から戦うことを苦手とする魔王たちは彼らを気遣って毅然とした表情を見せていた。
魔王たちの繋がりもずいぶん強固になった。
それは間違いない。
◆◆◆
そしてシャウとサルマーンが予想を立ててから四日目の朝が来た。
彼らの予測が正しければ、昼にはレミューゼの街が見えるか、ほかの何かが見えるか。
みなが黙々と準備をし、言葉数少なく馬を駆った。
その日はメレアが地竜ノエルとともにかなり前方を走り、白い髪を風になびかせながら周囲を警戒していた。
その後ろにエルマがつき、同じく警戒網を広げている。
二人の特に優れた警戒網に敵が引っかからないよう、魔王たちは祈っていた。
◆◆◆
日が中天に差しかかろうとしていた。
位置が高い。
昼だ。
メレアはノエルの背に乗って、首の根元を足で挟んでバランスを取りながら、周囲を見回していた。
――そろそろか。
シャウとサルマーンの予想では、この昼時でちょうど予測から三日。
彼らが組んだ予想術理が正しければ、今に何かが見える。
「……」
目を凝らす。
赤い瞳は野を映すが、まだ街の影らしいものは見えない。
また周辺に人影もなく、今まではときおり見受けられた行商人や商隊の姿も見えなかった。
目を凝らす。
右には緑のまばらな丘が見えた。
南方向だ。
メレアは見たことがないが、東大陸の南は植物の豊富な大地であるらしい。
そんな情報を思い出して、しかしすぐに思考を切り替えた。
目を凝らす。
左には褐色の多い荒野。
どうやら野原と荒野の狭間を走っているらしい。
目を凝らす。
――ふと、視界のずっと奥に砂が舞いあがっているのを見た。
砂塵だ。
風に巻き上げられたか、あるいは――『誰かが踏み荒らしたか』。
さらに目を凝らす。
砂塵の奥になにか隠れていないだろうか。
見極めようとした。
すると、不意に突風が左から右に薙いで、広域に吹き荒れたそれは視界奥の砂塵をひとたびに吹き流した。
メレアは腕で目元にかかる風を遮りながら、瞬きもせずに向こうを見た。
砂塵が晴れ、
そこに、
何かがいるのを見た。
『いる』。
あの砂塵は風の仕業じゃない。
何かがそこにいて、その何かによって野原とも荒野ともつかない地面が踏み荒らされ、砂が巻き上げられたのだ。
一瞬。
メレアは一瞬でそのなにかの存在を見極めた。
◆◆◆
その影は、今自分が乗っているノエルと、よく似た形をしていた。
◆◆◆
「――地竜だッ!!」
メレアの叫びは魔王たちにとって緊張を呼び起こさせる叫びでもあったし、なにより悲哀を想起させる叫びであった。
彼らは、高々と掲げられたムーゼッグの『黒い紋章旗』を――その地竜の背に見ていた。





