47話 「戦場の夢」
「――メレア!」
「ん?」
メレアは残りの荷物をノエルの背に括り付けている最中に、ふと自分の名を呼ぶ声に気づいた。
ノエルの背から首を出して、声のした方を見下ろすと、エルマが少し顔を赤くして仁王立ちしていた。
両手を腰にやってピンと立つさまは武人らしい力強さも見えるが、少し潤んだ瞳と朱に染まった頬のせいで武人というより少女らしさの方が目立つ。下からメレアの方を見上げているせいで上目使い気味なのも、その印象に拍車をかけているようだった。
「は、話があるっ!」
「話? ――うん、別にいいけど、ちょっと待ってね」
「わかった!!」
やたら元気がいいな、と内心で奇妙に思いながら、メレアは荷を繋ぐ速度をあげた。
この機に馬の足の手入れなどもするので、少し話をしている時間はあるだろう。
旅慣れているせいか、馬の世話が得意な魔王が何人かいて、彼らがそのあたりの手入れを主導してくれるのだ。――まあ、実際のところは、素人に任せるよりも彼らに一任した方が安全かつ手早いという少し情けない理由もあった。
だから、その間は少しだけ手持ち無沙汰になる。
当然メレアは馬の世話などしたことがない。さらに現状にいたっては馬にすら乗らなくなってしまった。
そしてそんなメレアが今乗っている相棒は、
「お前は手入れなんか必要ないくらい丈夫だからなぁ……」
「ギャ?」
当分手入れなど必要にしないらしかった。
メレアは眉尻を下げて笑いながら、ノエルの首裏を撫でる。
丈夫そうで手触りのいい黒鱗が、そうやって表面についた砂埃を掃われるとピカピカと光った。
当のノエルは「荷物つけ終わった?」とでも訊ねるかのように、首をひねって下から見上げてきていた。
「――よし」
「ギャウ!」
メレアは少しの間ノエルの黒鱗の美しさに見入っていたが、エルマのことを思い出すとすぐに最後の荷物をノエルの首からつるし、今度はその背を軽く叩いた。
ノエルがじっとして凝り固まった身体をほぐすように、何度か身を左右に振った。
がちゃがちゃと身体のいたるところに括り付けられた荷物が音を立てるが、少なくとも落下しそうにはない。
改めてその様子を見てうなずき、ついにメレアはノエルの背から飛び降りた。
◆◆◆
エルマは近場にぽつんと置かれていた岩の傍に、背をあずけながら立っていた。
顔を俯けて、思案に耽るように、一心に地面を見つめている。
つま先で足元にあった小石を軽くもてあそびながら、いかにも心ここにあらずという感じであった。
「お待たせ」
少し離れたところから、片手をあげて声をかける。
彼女の顔がぱっと上がって、しっとりとした黒髪が揺れた。
「っ――!」
彼女は口元を波立たせるばかりで、すぐには言葉を紡がなかった。
相変わらず顔が赤いし、目がやや潤んでいる。
それを確認したあと、メレアの意識は彼女の全身像の方に逸れた。
今さらの話ではあったが、改めて彼女を観察すると、
――綺麗だな。
そう思った。
横から見た彼女の姿態は、その冷たい美貌とすらりと伸びた四肢のせいもあって、どこかの芸術彫刻のように見えた。
美貌麗姿。
それでいて艶やかさの中に無垢の香りが混じるのが、彼女の最も特徴的な雰囲気であるような気がする。
女だてらに鍛えられた身体に力強さを感じれば、その麗姿に美しさを見て、雰囲気に混ざる無垢に愛らしさを見る。
いろいろな称賛の言葉がメレアの中に浮かび上がってきたが、総括して一言にまとめれば、
――うん、綺麗だ。
容姿だけではない。
その雰囲気や内面も含めて、その言葉が似合うと思った。
「待った?」
「あ、ああ……あ、いやっ、ま、待ってないぞ!」
彼女の声は少し震えていた。
まるで緊張しているかのようだが、一体何に緊張しているのかまではメレアにはわからなかった。
「それで、話って?」
「……」
メレアがエルマの傍に歩み寄り、同じように岩に背を預けながら訊いた。
エルマはやはりすぐには答えない。
頭の中で言葉を組み立てているのだろうと思って、メレアはしばらくの間待つことにした。
そうしていくらかの間があって、ついにエルマが口を開いた。
ふと見ればその顔が先ほどまでとは比べ物にならないほど真っ赤になっていた。
「あ、あにょ……」
――噛んだ。
メレアはその言葉を口には出さず、心の中で留め置いた。
エルマは「ゴホン」、とわざとらしく咳払いをして、再度口を開いた。
「あ、あの……」
そもそも急に他人行儀になっている時点でだいぶ違和感があるのだが、あえて話の腰を折るのも悪いと思ってメレアは黙っていた。
代わり、赤い瞳に無邪気な光を灯してエルマの目を射抜く。
「なに?」
エルマはその視線に、かえってより緊張したようだった。
「っ! そ、そにょっ……、ンンッ、……なんだ、あれだ……げ、元気か?」
噛んだあげくにごり押しし、最後に当たり障りのない質問をされた。
当たり障りなさすぎてむしろ違和感がすさまじい。
「げ、元気元気。超元気」
「そうか……」
エルマは「一仕事終えたァ」といわんばかりに安堵の息を吐いている。――なにも解決していない。
しかしエルマもさすがにそれで終えるつもりはなかったらしく、再び顔を険しくしてメレアに問いかけていた。
「メレア」
「うん」
「よ、欲望はあるか」
「欲望……?」
質問の内容が漠然としすぎている。
メレアの脳裏に疑問符が三つほど浮かんだ。
――さ、三大欲求とかのことだろうか……。
願望やら夢やらならまだしも、欲望といわれるとそっち方面のことかとも思ってしまう。
しかしまあ、そんな当たり前に備わっているものについてあえて訊こうとはしないだろう。
ひとまずそうであると仮定して、おそらくもう少し個人的な、何らかの夢だとかそういうものを指しているのだろうと勝手に解釈した。
だから、
「あるよ?」
そう返す。
すると、
「っ! そ、そうか……、やはりメレアも男なのだな……。男なら……しかたあるまいな……むしろそうでなければかえって不健全か……」
「……?」
エルマがふるふると少し震えながら、潤んだ瞳を地面に落とした。
もはやメレアには何が何だかわからなかった。
ともあれ、このままだと時間ばかりが過ぎる可能性がある。
彼女の緊張を解くためにも、あえて自分から質問をしてみた方が会話が進むかもしれない。
そう思ってメレアは続けて言葉を紡いだ。
「エルマは?」
「な、なに? 私か? お、女にも物怖じしない訊き方をするな、お前」
メレアは同じ質問をエルマに返したが、やはり受け取り方は少し違うようだった。
「――あ、ある。それは当然、私にもある」
「へえ、どんな?」
「ど、どんなっ!? そこまで訊くのか!?」
「えっ!? 訊いちゃダメだった!?」
エルマが今にも熱気で破裂しそうなほど顔を赤くして、顔を驚愕に彩りながらメレアに声を飛ばす。
メレアはエルマの突然の立ち上がりに、思わずたじたじとした。
「――べ、別にダメだとは言っていないが……、お前にはデリカシーというものが……これでも私は女だぞ……」
「うん、それはわかるよ? エルマ美人さんだし」
「っ!」
メレアの素直な一言に、エルマの肩がぴくりと反応した。
直後、エルマの顔がメレアの視線から逃げるように横に傾いていく。
すると彼女は顔をそむけながら、おもむろに人差し指を一本あげてメレアに向けた。
まるで「もうひと声」といわんばかりのジェスチャーだった。
メレアはエルマのジェスチャーに首をかしげながらも、なんとなくその意味を察して、
「――かわいい?」
グッとエルマから親指を立てたジェスチャーが返ってきた。どうやら満足だったらしい。
顔をそむけたまま、恥ずかしそうに片腕で口元を覆い隠し、ひっきりなしに視線を地面に泳がせていた。
意外と図々しい要求でもあったが、かえってそれも無邪気さを引き立てるのに一役かっているようだった。
まだエルマは顔をそむけていて、片腕で必死に表情を隠しているが、ついにその隙間から不思議なこもった笑い声が漏れてくる。
そんな、恥ずかしいながらも嬉しさをこらえきれないという笑いに、メレアはつられて笑ってしまった。
「ハハ、かわいいよ。――うん、そうやって素直に喜んでもらえると、より一層そう思える」
エルマはついに両手で顔を覆って、耳まで赤くしながらふるふると震えた。
「……あ、ありがとう」
ふとエルマから上ずった声で言葉が返ってくる。
まだメレアのことを直視できないのか、ちらと一瞬だけ視線を向けたくらいだが、言葉はハッキリとしていた。
このままではエルマが顔をあげられないかと思って、メレアは岩に背を預けたまま空を見上げることにした。
しばらくして、今度は隣にエルマの熱を感じた。
どうやら落ち着いたらしい。
また、隣に立ち並びながら同じく空を見上げているらしいことを視界の端でとらえた。
どことなく距離が近いのは、彼女なりに今の俯き続きの非礼をわびてだろうか。
「す、すまん。あんまり『かわいい』とか言われたことがなくて、つい欲が出てしまった……」
「へえ、意外だなぁ」
「普段から剣を振り回しているからな」
「ああ――そういうこと」
たしかに、戦場での彼女を見るとかわいいという言葉はとっさには出てこないかもしれない。
美人だとか美しいだとかの言葉が出てきても、かわいいは出てこないだろう。
そんなことを考えていると、不意にエルマの方が話を転換してきた。
「――私は、戦場の外にも夢を持っている」
どうやら舌の緊張もほぐれたようで、すらすらと音が続いていく。
また声のトーンも幾分真面目な方へシフトしていた。
メレアは空を軽く見やったまま、小さく頷いて耳を傾けた。
「私はこれでも、人並みに女として生きようと思っていた。つまり……なんだ……、か、家庭をだな……持ちたかったのだ……」
「いい夢だね」
メレアはエルマの言葉をできるかぎり邪魔しないように、短く答えた。
「でも、私にはそういう才能がないようでな。いつも失敗ばかりだ。まともに女らしいことができたこともない。傭兵という身分に足を踏み入れてから、余計にそうなった」
「でも、そんなに美人なら、結構モテたりしない?」
「傭兵業は男が多いから、まったく言いよられなかったと言えば嘘だが、しかし私が魔剣を振るうのを見るとみな逃げていった。まあ別に、魔剣じゃなくてもそうなっただろう。結局のところ、自分より腕の立つ女は手に余るらしい」
「――なるほど」
肯定も否定もせず、受け止める。
エルマが隣で少しみじろぎをしたのが肩越しに感じられたが、メレアは視線を向けなかった。
「まあ、私も戦場では『戦場の夢』を持っていたから、あまり構わなかった」
「戦場の夢って?」
「――先祖と同じように、私も英雄になりたかった。誰かを救う英雄に、なりたかった」
メレアはその言葉に胸をつかれた思いだった。
自分と同じ願望だった。
と同時、それがエルマにとって『戦場の夢』であることが、メレアになにかをハっとさせた。
「でも、それだけだと身がやつれる。――エルイーザ家には先祖代々伝わる格言があってな」
「……それは?」
「戦場の夢とともに、戦場外の夢も持て。戦場の外にある夢は、おのれを戦場からの生還へ導いてくれる」
「――良い言葉だね」
「ああ。……結局、戦場の夢だけを持っていると、人は日常に戻れなくなる。戦場から出られなくなって、破滅する。傭兵として誰よりも身を戦に溶け込ませた先祖が言うのだから、おそらくそれは正しい言葉なのだろうと、私は思っている。……たぶん、先祖は戦場の夢に傾倒しすぎて後悔したんだ。だから、そんな言葉をわざわざ魔剣の柄に刻んでまで残したんだと思う」
ふとエルマが魔剣を鞘ごと取り外して、メレアに手渡した。
メレアはエルマの指が魔剣の柄部分を指していたので、そこに目を走らせた。
柄に巻きつけてある紐をほどくと、そこにはエルマが今言った言葉が、古めかしい字体でもって刻まれていた。
「戦場の象徴たる魔剣に刻むほどだ。おそらく、これを持つであろう後の戦人たちに、なによりもこの言葉を伝えたかったんだろう」
「……」
メレアはまだその柄に刻まれた文章を見ていた。
まじまじと、複雑な表情で見ていた。
「――メレア」
ふと、エルマがメレアの方を見て、名を呼んでいた。
メレアはついに、エルマの方を見た。
そして彼女と――目が合った。
「お前には戦場の外の夢があるか?」
「――」
答えられなかった。
◆◆◆
メレアは自分に衝動があることを知っていたが、それは戦場の夢だった。
魔王という名によって巻き起こってきた戦いの連鎖。
その中で抱いた、魔王を助けたいと思う夢。
魔王の英雄としての夢。
しかしそれは、戦いの中の夢だ。
現実に、彼らがいろんな国に追われて、目の前で襲撃されて、だからそれに抵抗する形で――おのれの衝動を願いに重ねた。
でも、それだけだ。
よくよく考えると、その『あと』がない。
戦って、抗って、勝って――そのあとは?
とっさに思い浮かばない。
どうすればいいか、どうすべきか――勝って、終わりではないはずだ。
そうとわかるのに、世界に準拠した大きなビジョンが浮かんでこない。
まるでそれが、自分がこの世界にまだちゃんと存在できていないことの証明になってしまっているようで、メレアは今さらながらにゾっとした。
急に身体が冷たくなった気がした。
自分だけ、世界から見放されている気がした。
周りにいた仲間たちの背を、不意に遠くに感じる。
彼らはこの世界で生きてきた。
この世界しか知らない。
いわば、この世界に準拠せざるを得ない。
彼らにとってこの世界は絶対的なよりどころだ。
世界を認知するかぎり、彼らは自分の存在をたしかだと感じることができる。
対し、なまじ自分は『あちら側』を知っているから、この世界を客観視できてしまう。
この世界の摂理にどこか懐疑的になれる。
表層をなぞって、「なんだか違う」と手を引くことができてしまう。
彼らが真理だと思っていることに、ただ一人疑いの視線を向けてしまえる。
それはなんだかおそろしい。
そしてこの世界に準拠している彼らにとってさえ、戦場という場所が非日常、非現実の一種の象徴であることは、エルマの口ぶりからも感じ取れた。
だから彼女は、戦場の外の夢――つまり世界のたしかさに基づいた夢の大事さを、こうして語ってくれたのだろう。
――俺は、かろうじてその戦場にしがみついているだけ。
唯一たしかな衝動として認知した願望は、世界の不確かさに根付いた危うい夢だ。
――ぼやける。
不意に、自分が今どこに立っているのか――わからなくなった。
◆◆◆
一人、世界と世界の狭間に取り残されているような気分になった。
◆◆◆
自分に、この世界で頼りとできる戦場の外の夢は――あるのだろうか。
……わからなかった。
◆◆◆
「……わからない」
「……そうか」
メレアは正直に答えた。
エルマは困るでも、怒るでもなく、ただ柔らかく微笑んで、メレアを見ていた。
そしてエルマはメレアの頬に手を寄せていた。
まるで子を慈しむ母のような仕草だった。
もしくは、恋人を労わる健気な女のような――
「なら、『これからそれを探そう』。大丈夫だ、きっとすぐ見つかる。お前は世界に出てきて間もないのだろう?」
「――うん」
「いろいろ真新しいものがある。そういうものを見ていくうちに、すぐに見つかるさ。なんだったら、私の夫になる、とかでもいいぞ? 間違いなく戦場の外の夢だ。ついでにそれなら私の夢も叶うしな! 一石二鳥だ!」
エルマはメレアの頬から手を離し、今度はその両手を腰に添えて、鼻高々に言って見せた。
メレアを元気づけるように、冗談めかせて紡いだ言葉。
エルマ自身、どうしてそんな言葉が出たのかわからなかったが、とっさに出た言葉に不思議と後悔もなかった。
メレアはエルマのそんな言葉に笑って、
「はは、悪くないね。考えておこう」
「なんだ、私のことを美人と言ったではないか。即答しろ、即答」
「結婚は外面だけでするとえらい目に遭うって、いろんな人に忠告されたからね」
メレアは、かつて山頂で笑いを交えてなされた英霊たちの教訓話を、懐かしげに思い出していた。
「ハッ、いいだろう。ならとくと私の内面を見抜くがいい。――っと、なんか私、すごいことを言ってるような気がしてきたぞ……」
「気にしない方がいいんじゃない?」
「む、それもそうだな」
たぶんまた顔を赤らめるだろうから、とメレアは胸中で冗談のように言っておいた。
すると、その頃になってほかの魔王たちが集まっていた場所から、
「はーい、それではそろそろ出発しますよー」
と、シャウの声が聞こえてきて、
「――だってさ」
「ああ。ならばまずは安心して眠れる場所を目指すとしよう。戦場以外の居場所を探さねば、先祖の格言も守れないからな。戦場にいて戦場外の夢を探せなどと言われても、メレアだって困るだろうし」
エルマは透き通った笑みをメレアに見せて、跳ねるようにみなの方へ走っていった。
メレアは彼女の背を同じく笑みで眺めながら、
「――そうだね」
小さく頷く。
そして、
「そこまでの道は、必ず付けてみせるよ」
メレアにはまだ戦場の外の夢がよくわからない。
あのときのように、パっと衝動が浮かび上がってくるわけではなかった。
でも、だからといって、戦場の夢が消えたわけではない。
だからまずは、戦場の夢を叶えようと思った。
結局何かが変わったかといえば微妙だったが、それでもメレアの背の重荷は少し軽くなった気がした。
なにより戦場から生還することに、前以上に必死になれる気がした。
―――
――
―
終:【邂逅への序曲】
始:【東空は朱に染まる】
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