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百魔の主  作者: 葵大和
第四幕 【邂逅への序曲】
46/267

46話 「彼の儚さの理由は」

「……なんだかなぁ」

「なにがだ?」


 黒鱗の地竜〈ノエル〉が魔王一行に合流してから、ちょうど一日が経過していた。

 ノエルをともなっての最初の疾走は、地竜が目の前を走るという現実離れした光景のせいで、どことなくふわふわとした浮遊感を魔王たちに感じさせたが、ひとまずは無事で終えることができた。

 そんな地竜ノエルに単独で乗っていたメレアも、恩人を乗せているためかやたらに元気よく跳ね回るノエルを(ぎょ)するのにずいぶんと苦労しているふうではあったが、半日もしたころには人竜一体という感じでノエルを乗りこなすまでになっていた。


 そして二日目の朝。

 野宿のために降ろした各々の荷物を、再びノエルの背に乗せるためにみんなで協力して運んでいた。

 左から右へ、いつかの霊山でやったようなバケツリレー方式だ。

 スムーズに流れていく荷物たちの終着点は、ノエルの背に乗ったメレアの手の中である。

 メレアは荷物を受け取りながら、それらをノエルの身体に縄で固定させていた。


 そんな中、サルマーンが遠目にメレアの背を見て、ふと声をあげていた。

 両脇にキャッキャとかしましい双子を控えさせつつ、左から渡された荷物を右へ無意識的に送る。

 サルマーンの右側で荷物を受け取る役目をしていたのは〈剣帝〉エルマだった。

 リリウムに連れ添って同じく朝の水浴びでもしていたのか、まだその黒髪がしっとりとしている。

 かぐわしい水気が彼女の(あで)やかさを引き立て、その美貌に色気を加えていた。


「――ん、水浴びはできたのか」

「ああ、双子のおかげだ。お前らはいいのか?」

「適当でいいだろ。どうせいたずらで水ぶっかけられるし。あえて構えてするほどのもんじゃねえ」

「いたずらされること前提なあたり、お前もかなり極まってきているな……」


 エルマはこの日、それまでよりずっと明るい表情をしていた。

 ネウス=ガウス公国から続いていた彼女の悩ましげな表情はずいぶんとやわらいでいて、言ってしまえば吹っ切れたような顔だった。


「で、さっきの『なんだかなぁ』の意味を聞こうか」


 エルマは流れてくる荷物の切れ間にしっとりとした前髪を指で耳にかけ、さきほどのサルマーンのぼやきに問い返しをしていた。

 サルマーンはエルマの表情の変化にはあえて触れず、先にその質問に答えることにする。


「――俺、ずっとメレアに『違和感』みてえなもんを感じてたんだけどよ。どうにも――その違和感の正体がなんなのかがまだハッキリとわからねえんだ。漠然とこう……なんか……口でうまく言えねえけど、すりガラス越しに見てるって感じで。特に最近のメレアを見てると余計にそう思えてな。――お前、その理由わかんねえ?」

「さあ? そもそも私には普通に見えるんだが」


 エルマはサルマーンの問いにきょとんとして答えた。

 答えたあとに、彼女の視線が遠くのメレアに向く。


「あー、いいなー、お前、(にぶ)そうだもんなぁ」

「なっ! ば、馬鹿にしてるのかっ。私は鋭いぞ! 人の気持ちに(さと)い女は好まれると聞いたことがある! だから、その、な、なんだ! ――ほらっ! 鋭いからなんでも斬れる! 私鋭い!」

「お前その狼狽(うろた)え方はひどいだろ……。あと魔剣抜くんじゃねえよ! ――ばっ、振り回すなバカッ!」


 急に顔を真っ赤にして魔剣を振り回しはじめたエルマを、サルマーンはどうにかこうにか(いさ)めた。どうやら触れてはならないところに触れてしまったらしい。

 隣では双子が「図星ー」「エルマ図星ー」と追い打ちをかけていて、


「お、おいバカ、あんまそこにツッコんでやるなって。こいつ自分が戦人で普通の女らしくないことをかなり気にしてるタイプだ。踏み込みすぎると泣くぞ。だから黙っとけ。な? ――飴玉やるから」

「ホント?」「何個?」

「んー……、二人で五つ」

「五つ……よいぞ!」「くるしうない!」


 サルマーンは懐から紙にくるまった五つの飴玉を取り出して、双子に手渡した。

 双子はすぐさまひとつずつ紙を広げ、中に入っていた青透明の飴を口に含む。

 二人は青銀の綺麗な髪を左右に振り乱し、「ネウス=ガウスの飴おいしい!」「金の亡者が南の方にもっとおいしいのあるって言ってたよお姉ちゃん!」などと話しながら、ひとまずエルマへのちょっかいを中断したようだった。

 サルマーンは一仕事終えたとばかりに額の汗をわざとらしくぬぐい、気を取り直してエルマへ視線を戻す。


「まあ、それはいいとしてだな」

「……私がさも当然のごとく鈍いとしておかれたことにはあとで抗議をする」

「わかったわかった、あとで受け付けよう」


 やれやれと肩をすくめつつ、話を戻す。


「――で、やっぱりメレアはどこかこう……なんつうかな……儚い?」

「儚い?」

「そう、存在感が。――いや、鮮烈(せんれつ)でもあるんだ。たしかにあの魔神のごとき強さは鮮烈で、存在感も抜群なんだ――」


 その言葉のあとにわずかな間があった。

 直後、サルマーン自身が何かに勘付いたように、顔に明瞭な気づきの色を加えて言った。


「――『戦場では』」

「それはそうだな。誰が見たって鮮烈だろう。なんだか本で見る英雄譚の中の英雄を、間近で見ているようだった。脚色され、誇張され、一方で妙な説得力のある、伝説の中の人物たち。(ちまた)で物語として楽しまれる英雄譚が基本的に成功話であるせいか、妙な安心感も得たが――こういう安心の抱き方は危険だな」


 エルマはサルマーンの言葉に素直にうなずいていた。

 エルマとてメレアの戦場での鮮烈な存在感は脳裏に焼き付いている。

 ムーゼッグの連携術式をたった一人で再現し、さらに大術式をいくつか同時に発動させ、その上術式以外の基本的な体捌きでも猛者のごとき強さを見せつけた。

 あれはたしかに魔神と呼んでも相違ないかもしれない。


「なのに、一旦戦場から離れた途端、メレアのまとう空気がぼやけるんだ。メレアの周りにあの髪色と同じ白いモヤが掛かったみたいに、その姿が見えづらくなる」

「だからすりガラス越しに見ているような――か。……それにしても、なんだか詩人のような表現をするな、サルマーン。お前は学士か? とても拳帝の号からは考えられない繊細な表現だ」

「武系が全部脳筋だと思うんじゃねえよ。お前はそうだろうがな。――ああ今のなし、だから魔剣抜くのはやめような」


 エルマが再び顔を赤くして魔剣の柄に手を伸ばしたのを見て、サルマーンは即刻彼女をなだめた。


「お前は逆に戦場から離れた方が存在感があるな……。人間らしいっていうか、なんていうか。まあ、最近はずいぶんおっかねえ顔してたけど、あれはあれでお前の場合は『お前らしい』って感じがする」

「けなしてるのか?」

「ちげえよ。どっちかっていうと――褒めてんだよ」


 サルマーンは再び左から渡ってきた荷物を右に流した。


「褒めてるのか。わかりづらいな」


 エルマは「ふぅん」と鼻で息を吐きながら、疑わしいとばかりにジト目でサルマーンを見つつ、荷物を受け取って同じく右に流す。

 と、


「――ああ、もしかしたら『それ』か」

「なんだ、なにかわかったのか?」


 サルマーンがエルマの様子を見て、また何かに気づいたようにいった。


「――お前、かわいいな」

「っ!! なっ、なんだいきなりっ!」


 サルマーンがエルマの顔を見て、真顔でそんなことを言っていた。

 直後、エルマが三度目の赤面でばたばたと手を前に出し、サルマーンに向けて開いて見せる。

 まるで、「それ以上こっちに寄るな」、と恥ずかしがりながら言う少女のようだった。

 戦場では毅然(きぜん)として武人らしい強さを見せつけたエルマだが、こうして戦場から離れると彼女の反応は初心(うぶ)な少女のようだった。


 ――反応がそれらしいのだ。

 そこいらの女としては案外普通の反応なのかもしれないが、自分たちが普通の場所で生きていないことを考えると、かえってエルマの反応は新鮮で、いっそ普通以上に愛らしく見えた。

 麗人風な冷たい美貌とのギャップもあるのだろうが、なによりもエルマの『人間らしさ』がそこにあるような気がした。


「ああ、冗談だ」

「斬るぞ。本気で斬る」

「まあ、ともかくだ」

「こ、こいつ! 流したっ! ひどい男だ……!」


 エルマの非難を片手で受け流しながら、サルマーンは少し思案に(ふけ)るような顔を見せる。

 「んー」と間延びした声をあげながら空を見上げ、雲の行先をなんともなしに眺めているようだった。


「それが普通なんだ。お前はちゃんと自分に意識が向いてる。ついでに言えば、『(もと)づいている』って感じかな」

「自分に意識が向いている?」

「――そう」


 サルマーンの視線が雲から下りてくる。

 髪と同じ砂色(サンドベージュ)の瞳が、まっすぐにエルマを見た。


「お前、自分がかわいいって言われて、顔を赤くするくらいには嬉しかったろ?」

「そ、それは……そにょ……」


 「噛んだ」「噛んだー」と、双子がここぞとばかりに横やりを入れた。間髪入れずにサルマーンのデコピンが飛んだ。

 「あうっ」「サルのくせに!」双子はお互いに額を押さえながら、少し涙目でサルマーンを見上げている。

 両手でぽかぽかとサルマーンの腹のあたりを叩くが、サルマーンの方は特に気にするでもなく、適当に二人の頭に手を添えて撫でてやるにとどまった。

 なによりまず、エルマの方に集中しているようだった。


「そりゃあお前、ちゃんと自分に意識が向いてる証拠だ」

「自分に意識が向いていないやつなんているのか」


 エルマはまだ少し顔を赤くしながら、ムっとしてサルマーンに訊ねた。


「まあ、あんまいねえだろうな。誰だってまずは自分ありきだろうし、俺はそれでいいとも思ってる。他人第一に考えるやつとか、なんか胡散(うさん)クセエし。――もちろん、誰かを助けるってのはすげえことだけど、それでもやっぱ、自分のことをまず考えつつ、誰かのことも考えられる……ってのがベストだと思うんだよ」

「また小難しく論理を組み立てるな」

「んー、この微妙な感じ、わからねえ? まあハッキリとした答えなんかそこにはない気もするんだけど。……建前と本音の垣根が薄いからな、このへんの話は。たぶん建前のまま命懸けられちゃうやつもいるんじゃねえかな」

「ふむ……。いや、でもわかる。自分を放っておいて他人を第一にするやつがうさんくさいというのは、なんとなくわかる」


 エルマは真面目な顔でうなずいた。


「傭兵だってタダで請け負ったりしたらかえって信用されないからな。極端な話、他人第一に考えるとはそういうことだろう? 少なくとも傭兵という立場にいるものが、そうやって無償で、自分の身を(かえり)みないほどの善意のみで依頼を受けたら、かなりうさんくさいし、あと金を受け取っていないから責任の所在があやふやで、いつ逃げ出すともかぎらないと思われるし――なにより私が雇う側だったらタダはいやだ」


「そうです! タダより高いものはないのです!!」


 『タダ』という単語に反応するように、遠くから奇人の声が飛んでくる。

 サルマーンもエルマもそれを無視し、会話を続けた。


「お前の論理も不思議だが、まあ似たようなもんか。ともあれ、つまりは――そういうことなんだよ。メレアはそれに『近い』んだ。あ、語弊のないように言っておくが、決してメレアを疑ってるわけじゃねえよ?」

「わかってる。――しかしどういう意味だ? さっきからお前の言い方は回りくどい」


 エルマが首をかしげて言った。

 サルマーンはエルマの指摘に「わかったわかった」と肩をすくめ、ようやく素直に言葉を浮かべる決意をする。


「メレアは――俺たちを救うために戦場に立ってる。んで、たぶんだけど……」


 サルマーンの視線が、ノエルの上でみなを元気づけるような笑みを浮かべているメレアに向かった。


「その思いが先行しすぎてるんだ。だから、それ以外の、いわばあいつ本人に基づく『欲望』とか『願望』が見えてこない」

「……」

「出会ったばっかだろ、って言い訳もできるけど、それでも俺はそれなりにまわりを見て、ほかの魔王たちの『らしさ』みてえなもんを結構見つけたつもりだ。だがメレアだけは、結構喋ったはずなのに、まだ見えねえんだ。見えるのは――なんとしてでも魔王たちを助けようっていう、強い決意。でもそれはなんか……、違うんだよ」


 サルマーンは周りの魔王たちをぐるっと見てから、また視線をエルマに戻した。


「『あんなはじまり方』をしなければ、メレアはもっとほかの願望や夢を持ったんじゃねえかって、俺は思うんだ。それこそ戦場に基づかない願望とか夢だ。もっと世間的に言えば、『まとも』で、綺麗な夢。

 メレアって、ときどき子どもみてえに目を好奇心に輝かせることあるだろ? それでいておもしろいことを言ったりしてみんなを笑わせることもある。そんでみんなを気遣ったり。――そのあたり、とても同い年とは思えねえバランス感覚を持ってるんだ。……持ってるはずなんだ」


 ただ、


「そういうあいつの素直な側面に、最近は特に(もや)が掛かってる。そういう素直なものを見れたのも数回だけだから、正直に言えばまだ判断がついてないって感じもある。だからこうしてお前に話をしてるわけだしな」


 サルマーンが自嘲気味に笑うが、エルマは決してそのサルマーンを笑ったりはしなかった。

 こういう状況で、むしろみなが自分のことに精一杯になるのが普通な状態で、よくもここまで人のことを考えていられる、と、サルマーンに一種の崇敬の念まで抱いた。

 そこにおちょくるような気持ちは一片もない。


「――もしかしたらその『靄』は、リンドホルム霊山にこもっていて今まで世界に出てこなかった副作用みたいなもんかもしれねえな。はじめて世界に飛び出したがゆえの副作用だ」

「副作用?」

「ああ。――世界に対して純粋すぎるんだ。器にあまりモノが入っていなかったから、はじめてその器に入ってきたモノがどんどんとそこを埋め尽くしちまう。そんで、その初めに入ってきたモノってのが――『ほかの魔王を助ける』って衝動とか願望だったんだ。やたらと重く、大きくて、それでいて光っている望み。重くて大きいけど、きらきらと光っているから捨てるに捨てきれない。見るやつから見たらどでかく重い『荷物』だ。メレア本人は荷物だなんて思ってねえんだろうけどな」


 「思ってたら捨てるだろ?」サルマーンは苦笑して、何かを放り出すような仕草を見せた。


「なるほど、光っている……か」

「言っとくが、あくまで予想だからな、俺の」

「わかってるよ」


 サルマーンの注意付けにエルマも軽く苦笑してうなずく。


「それで、そんな望みを器に注ぎ切ってしまうと、どうなるんだ」

「――ほかの何かに意識を向けている暇がない。たとえば、あいつ本人が世界に出てなにかをしたいという『至極個人的な衝動』も、浮かびはするかもしれねえが基本的にスルーだ」

「なるほど」

「おかげで今のところ、あいつの願望はすべて他人を基点にして存在している。自分を基点とした、いわば自己中心的ともいえるわがままが、あいつの中にないんだ。そういうわがままはわかりやすい『そいつらしさ』を表したりするから、それが見えにくくなってるメレアは靄がかかったみたいに輪郭がぼやけて見える」

「だからどこか儚く見えるし、危うくも見える……というわけか」

「ああ、俺がメレアに感じた違和感はそれだ。

 ――強い。すげえ強い。なのに、触れたら消えてしまいそうな儚さとか危うさも見えるんだ。

 そしてたぶん――」


◆◆◆


 ――それは俺たちのせいだ。


◆◆◆


 サルマーンは瞳に青い光を漂わせた。青い――幽愁(ゆうしゅう)の色だった。


「俺たちが、世界に出たばかりのあいつにそんな重いもんを背負わせちまったから、あいつはそれしか見えなくなった。馬で走ってた間も、なんかあいつ背中から殺気出してたし、もしかしたら次の戦場に備えて精神統一でもしてたんじゃねえかな」

「……律儀(りちぎ)な男だな」

「お前もあんま人のこと言えねえけどな」


 そこでようやくサルマーンはエルマの表情の明るさに触れた。


「――ずいぶんと胸中を整理するのに時間が掛かったらしいじゃねえか」


 暗に「今まで悩んでいたことには気づいていたぞ」、と伝えながら、ほんの少しだけ皮肉っぽい笑みを浮かべて見せる。

 対するエルマは少し恥ずかしそうに顔を俯けながらも、次の瞬間には真面目な顔で答えていた。


「……まだ私だって完全に整理できたわけじゃない。だが、私はあまり頭が良い方ではないから、悩んで悩んで、でもどうしようもないとわかったら、ある一定のラインで諦めることにしてる。――あとは己の本能に任せるよ。いざというときに『私らしい行動』がとれるように、そういう考え方と生き方をしてきたつもりだ。自分らしさなんて、考える間もなく出るものだ。自分が決めるものでもないしな」

「ハハッ、いっそそっちの方が清々しいし、うまい付き合い方だと思うぜ」


 サルマーンは楽しげに笑った。

 同時、胸中で「こいつはもう大丈夫だな」と一人ごちてつぶやく。

 彼女らしさがどういうふうに出るかにもある程度予想がついていて、だからこそ彼女らしさを止める手立てはないとわかっていながらも、


 ――それをフォローするのは周りの役目か。


 そう思って小さく頷いた。


 そうして、再び意識をメレアに向ける。

 ちょうど最後の荷物がメレアの手元に収まろうというところだった。


「――だが、どうやらメレアの方は、なまじ精神の許容量が大きいせいでそれしか考えられなくなってるんだろう。受け止めきれてしまうから、投げ出せなくなる。あらゆる可能性を考慮して、どうやって俺たちを守ろうか――ずっと考えてるんだ」


 サルマーンは最後に結論づけた。


「……そうか。あの極限状態でなりふり構えなかったという言い訳はあるが、押し付けた責任は私たちにあるな。――それは忘れまい」


 エルマもそれに(なら)い、ノエルの背の上で荷物を受け取るメレアを見上げる。

 下から放り投げられた最後の荷物を、楽しそうにキャッチしてノエルの背に載せていた。

 笑顔だった。

 笑顔だけれど、


 ――あれは本当に笑っているのだろうか。


 エルマはふとメレアを見てそう思った。


「だが、いまさらどうこうもできない。そうとも思うんだ。たぶんあの役割は、メレアにしかできない。ほかの魔王では潰れてしまう気がする」

「そうかもな」

「そう考えると、あそこの位置にいて耐えられるメレアは、一方でメレアらしいとも言えるが――やはりそれも『戦場』での願望か。……難しいな。どうすればいいのだろうか」


 それはエルマの口から自然に出た言葉だった。

 エルマが意識していなくとも、どうにかしてやりたいと素直に思ったがゆえの言葉だったろう。

 自分のことに一区切りをつけた彼女は、なによりもまずメレアを気遣いはじめていた。


 と、サルマーンはまるでそんな彼女の心配げな言葉を待っていたかのように、


「じゃあ、お前――行ってこいよ」


 そんなことを言った。

 顔にはにやりとした笑みがある。

 その笑みを浮かべたまま、さらに顎でメレアの方をくいっと指して、「行ってこい」という仕草を見せた。


「ん? 行くって?」


 対するエルマは当然首をかしげるばかりだ。

 そこへさらにサルマーンが追い打ちをかけた。


「お前がメレアに『欲望』か『願望』を植え付けてこい。もしくは、引きだして来い」

「えっ? わ、私? ――お前の方がよくみんなのことが見えてるじゃないか。なにも私じゃなくても――」

「だって俺めんどくせえもん。もー、ここまで気遣って肩凝ってるからさ。――こっからはお前の役目な。いやぁ、俺繊細だからさー、逆に考えすぎちゃってさー、困っちゃうなぁー」

「う、うさんくさいな……。しかし私も口下手でこういうのは得意じゃないからな……」


 わざとらしく肩を回すサルマーンをジト目で見ながら、エルマはもじもじと指を突き合わせて困惑を表した。


「それに、男同士でそういう話すんの、まだちょっと恥ずかしいし」

「なんだそれ。女ならいいのか? というか、今さらだが欲望を植え付けてこいってなんかアレな響きだな」

「いいじゃん。ひとまずあいつ本人に基づく欲望ならなんでもいいから、お前自分の身体チラチラして誘惑してこいよ。ひとまず戦場の外に欲望とか願望の帰結点を設置させねえと、ギリギリの命の取り合いのとき『なんとしてでも生きて帰る』って必死さが出ねえかもしれねえじゃん。だからまず――そうだな……、『戦場から無事生還したら抱かせてあげる』とかでいいから」

「抱くー」「抱かせるー」

「お前らここぞとばかりに反応するんじゃねえよ」


 双子がにやにやしながらエルマを見上げていた。

 当のエルマは、


「っ……!」


 今までで一番顔を赤くして、口元を波打たせながらサルマーンをにらんでいた。

 

「あれ? お前こっち系かなりウブ? ――やっべ、マジかよ、そんだけ美人だから結構やり手なのかと――」


 サルマーンのそれは当然『冗談』だった。

 「かわいい」といわれてあれだけ狼狽えるくらいだから、かなりそっち方面はウブなのだろうと簡単に予想できた。

 だからその言葉はほとんどが悪戯である。

 わかってて驚いているふうに演技して見せた。


 だが当のエルマは、


「っ――で、できるしっ! できるもん! いってくる!!」

「はーい、行ってらっしゃーい」

「行ってらっしゃーい」「抱くー」


 肩を怒らせて、ムキになったようにずんずんとメレアの方へと歩いて行ってしまった。

 その後姿を見ながらサルマーンが、


「あいつ、かなり扱いやすいな……」

「飴玉使うよりちょろい?」「ちょろい?」

「ああ、お前らよりちょろいかもしれねえ……、てかお前ら自分らがちょろいって自覚あんのかよ……」


 サルマーンが双子を交互に見ると、二人は一度顔を見合わせてから言った。


「飴玉がいけないの!」「魔性の兵器……!」

「はあ……」


 迫真の表情で言う二人の幼女にため息をついてから、サルマーンはまたエルマに視線を戻した。

 メレアの方へ歩いていくエルマの背からは、少し前まで見えていた危うさがほとんどなくなっていて、


「――やっぱ、なんだかんだこういうときって女の方が強いのかね。どうにも男は変に体裁を気にしすぎる。意気地(いくじ)がねえっていうかなんていうか」


 サルマーンは苦笑して、みずからへの自嘲を込めながらそんな言葉をつぶやいた。

 そして、


 ――ごめんな。


 最後に、口には出さなかったけれど、サルマーンは心の中で誰かに謝った。

 それを言葉としては紡げなかった。


 口に出してしまったら、ああなってまで律儀に自分たちを救おうとしている彼の『今の思い』を――確定的に否定することになってしまいそうで。


 ――俺は……言えねえんだ。


 ああは言っても、一方で(わか)るのだ。

 そういう、自分のことを二の次に考えかねない信念に、ぽんと命を懸けてしまえる男の馬鹿なところを。

 それが良い事か悪い事かということにも、はっきりとした答えが出せない。

 女だてらにみずから戦場に立つエルマなどからすれば、あるいは「そんなものただの偏見だ。男女の違いなんて」と言うかもしれないが、サルマーン自身はその男女の違いに敏感だった。

 こういうとき男は、変に信念だとか体裁だとかそういうものに振り回されやすい。

 女は突き詰めると一本筋が通ってる。

 それはサルマーンの身近な経験則だった。

 一瞬、サルマーンの脳裏に自分を生んだ母の顔が(よぎ)っていた。


「おい、さっきやった飴玉、一個くれよ。俺もなめる」

「えー、まだサルいっぱい持ってるじゃんー」「独り占めー」

「ちげえって、さっき渡したやつの中に最後の一個って味の飴があってな。水色のやつだ、水色の。――てかお前ら好きな味偏りすぎなんだよ。しかもそればっかり要求しやがって。変に頑固だな、まだ幼女のくせに」

「また幼女って言った!」「そろそろ少女! もしくは名前!」

「あー、もう少ししたらな」


 サルマーンはそう言いながら、双子がしぶしぶポケットから取り出した綺麗な水色の飴を受け取り、それを口に含んだ。

 甘く、スウっとする味が口の中に広がる。上品な香草が発するような、清涼な香りが鼻から抜けた。味と香りが楽しめるネウス=ガウス公国特産の飴は、その街の気風と同じでどことなく品があった。

 もやもやとした思いが、その清涼な甘さと香りにまかれて、どこかへ流れて行った気がした。


 ――甘い。


「あー、最後の一個がぁ……」「次の飴玉は水色がないから量を二倍にすることを提案をしますっ!」

「うっせうっせ。飴玉さんは生まれつきの色で差別されません。みんなそれぞれ味があるんです」

「ぶー」「やだー!」

「ハハッ」


 笑いながら、その砂色(サンドベージュ)の瞳は、遠くで風に(なび)いている白色を、いくばくかの間追っていた。


 ―――

 ――

 ―



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