42話 「三王会談と乱入者」
その日、ムーゼッグの南方に立ち並ぶ〈三ツ国〉のうちの一国――〈ズーリア王国〉に、三王と呼ばれる若い王たちが集結していた。
言わずもがな、三ツ国それぞれの国王である。
クシャナ王〈ムーラン〉。
フィラルフィア王〈ファサリス〉。
そしてズーリア女王〈キリシカ〉。
かつて学術国家アイオースで同じ学窓を見た三人が、各々おごそかな装いでズーリア王城の一室に座っていた。
広間である。
天井が半球状にくり抜かれ、その壁面には派手な天使の姿が描かれている。
裸婦像も混じり、いかにも芸術情緒に深いと言いたげで、一方で少し鼻にかかる絵画であった。
「相変わらずここの天井は派手だなぁ、ずっと見てると目がちかちかしそうだ」
そんな天上の絵画をわざとらしい苦笑いを浮かべて見る総髪痩躯の優男が一人。
――ムーランだ。
「うるさい。文句はこれを描いた馬鹿に言え。この絵で私を口説き落とそうとしたらしいが、私にはとんと絵のよさがわからん。口説くつもりなら私が何を好むかくらい調べてからこいと言いたくなる」
「アハハ、キリシカに絵画とか絶対似合わないわ」
「それはそれで引っかかる言い方だな、ムーラン」
「この絵を描いたさぞ高名な文化人に、お前のアイオース学園での短期成績表見せてやればすぐあきらめるさ。――『この女は女らしい文化情緒をたしなみそうにない』って」
「貴様だって美術の成績は散々だったではないか。自分のことを棚にあげるな」
「へいへい」
ムーランは片手をひらひらと振ってもう一つの声に答えた。
「それで、話を戻すが……、お前ら、ムーゼッグに下ろうとかいうのか」
ムーランと対話するもう一つの声は、棘を含んだ勝気な音色を響かせていた。
発声者は女だ。
「せっかくおべっかまで使ってムーゼッグ王と会談してきてやったのに」
ズーリア女王〈キリシカ〉。
現在三王が集まっているズーリア王城の実の主である。
「珍しく着飾ったんだって? 三歩歩くうちに何人の男がオちたかな。お前は本気で着飾るとある意味兵器だからなぁ……」
「――という割にお前らはまるで気にも留めないがな」
「残念ながらオレの両手にはすでにお気に入りの花が二本あるし、ファサリスにはあの時点で婚約者がいたからな。それに、今となっては親しくなり過ぎた。とてもお前を恋愛対象には見れないねぇ」
「喜ぶべきか否か、――まあ貴様みたいな女たらしに引っかからなくて良かったとひとまず喜んでおこう」
今彼女は地味な格好をしていた。
生来生まれ持ったであろう身体各部の色は、紺色が多い。
紺色の長髪に、同じく紺色の瞳。
肌は透き通るように白いが、その白を覆っている服はまたも紺である。
すべてが紺色で統一されると、どうにも地味さが先行しがちであるが、キリシカの場合はその美貌が地味さを打ち消していた。
――絶世の美女である。
むしろキリシカの場合、ただいるだけで美光を発しかねない自分の派手さを抑えるために、わざと地味なドレスを着ているように見えた。
「それで、どうなんだ。私の問いに答えろ」
そんなキリシカが、紺色の視線をムーランに向けていた。
鋭い意志が乗っている。
「んー……、そりゃあ、オレだって可能ならムーゼッグ打倒を掲げていたいけどなぁ」
「なら何故、方策の一つとして『降伏』を進言した」
ムーランはキリシカに言われると、それまでテーブルの上に組んで乗せていた足をおろし、やや真面目な顔で答えた。
「実際、そろそろキツいだろ。オレだってふざけて言ってるわけじゃないぞ。ムーゼッグとやり合ってもいいが、民の命ばかりを消費して、あげくに引き分けとか、そういう結果は凄惨だと暗にオレは示してるんだ。――今言っちゃったけどな」
「なんだ、お前らしくないな、ムーラン。クシャナ王国随一と言われた曲剣使いが、戦を前に怖じ気づくのか」
「相変わらず手厳しいことを言うねぇ」
ムーランはへらっと笑って、しかしすぐにそれを引っ込めた。
「勘弁しろって、キリシカ。オレはもう戦闘者でも曲芸者でもない。これでも『王』なんだ。肩にかかってる命の数を数えはじめると、慎重論を唱えたくもなるさ」
ムーランはそういったあと、すぐまた飄々とした表情と態度を戻し、再び足をテーブルの上に乗せた。
顔には軽い苦笑があるが、いまだ目の光は鋭かった。
対するキリシカの方はムーランの返答に辟易したようにため息を一つ吐き、今度は隣のファサリスに問いかけていた。
「貴様もか、ファサリス。その剛体は何のためにある」
「民を守るためだ」
「……はあ。結局こうなるのか」
キリシカは再度ため息を吐いてうなだれた。
紺の前髪が顔を隠すように前に垂れる。
「……三王同盟をもってしても確実に対抗できるかどうかわからない。そんな状態にもってこられた時点で、私たちはムーゼッグに戦略的敗北を喫していたのか」
「そんなところだろうねえ」
キリシカの言葉に、ムーランは手をひらひらと振りながら相槌を打つ。
「ていうか、キリシカの方はなにか収穫あったの? ムーゼッグ王と皮肉舌戦くらいしてきたんだろう?」
「――いや、私はそうするつもりだったが、ムーゼッグ王にはうまくかわされた。暗に『配下に入れ』と薦められて終わりだ」
「そんな優しい言い方だった?」
「……『次はお前たちだ』」
「十全十全、予想通りの言葉を聞けて幸いだ。――くそったれめ」
ムーランは最後に悪言をつき、やってられるかと両手を投げ出す。
すると、ピシりと姿勢を正して二人のやり取りを静観していた巨体のファサリスが、ついにおのずから口を開いた。
「仮にムーランの〈魔石砲〉が完成し、十分な燃料を確保できたとして、それで勝率はどんなものになるか。――ここが最後の分水嶺だ。予想とはいえ、できるかぎり客観的に数字を出しておくことも重要だろう。もしかすれば……これが最後だからな」
ファサリスは円卓の上で手を組み、双つの手を拳に象る。
そんなファサリスの問いに、ムーランがすぐに答えていた。
「オレの予想は、四十」
「五十のうちの?」
キリシカが眉をひそめながら訊く。
「百のうちの、四十の割合」
「は? お前あんなたいそうな金かけて魔石砲なんて兵器造っておいて、たったの四十か?」
「うるさいなあ、キリシカは。だって向こうには〈セリアス〉がいるんだぞ? 事象干渉の能力を秘めた〈七帝器〉の一振り、〈魔槍クルタード〉を持ってるし、ほかにも山の先端をもろごと吹っ飛ばすような術式まで持ってる。〈七帝器〉は特に術式系に強いから、魔石砲とは相性悪いの。今が物理先行の時代ならオレは時代の覇者だったがな」
「実際そうでないところを見ると時代錯誤だったと言わざるを得んがな」
「……おっしゃるとおりで」
キリシカの皮肉に、ムーランはしげしげと引き下がった。
そのとおりであると自覚があったからだ。
「ともあれ、かつてもそうやって戦場の傾向が周流したのだろうな」
ファサリスが途中で口を挟んだ。
「でも〈七帝器〉は例外だと思う。まあ、例外なんて歴史のいたるところにあるけど、今の時代でさえ原理のわからない効力をもった七帝器は、別格。――そりゃあ欲しがるよ。かつての〈術神〉がなしたような対術式の極意を、あんな化物じみたことせずにこなせるわけだからな」
「なら逆に聞こう、どうして四十と言った」
話を戻すように、キリシカが言う。
ムーランは「矢継ぎ早に言うねぇ、まったくこらえ性のないお姫様だ」と頭をかきながらも、結局はすぐに返答した。
「セリアスがいなければ撃ち抜けるからだよ。ムーゼッグの術式兵団の防御障壁くらいは、抜いて見せる。そういう自負を抱くくらいには金をかけたし、なによりクシャナ王国の発達した術機産業の粋を結集して造ったんだ。だから、セリアスさえ遠ざけておけば、穴は作れる」
「穴を作ったら、ズーリアの紺碧槍団とフィラルフィアの鉄鋼騎兵団でもってそこを突くわけか」
「そのへんの近接戦はそちら二人にお任せだよ。オレはもう前線には出たくないからね。後ろでちまちま魔石砲ぶっぱなしとく。――まあ、すべて『うまくいったら』の話だけど」
ムーランはやはりその作戦に消極的であった。
キリシカがまた眉をひそめ、しかしやや心配げな色を視線に込めてムーランに訊ねた。
「そんなにセリアスを恐れているのか?」
「ああ、オレは自分の感情には正直な男だから言うけど、怖いよ。あのセリアスには敵わないと――心のどこかで思ってしまっているんだ」
「まあ、お前ら二人は『ブラッド』に連敗完敗だったからな」
キリシカの言葉に、ムーランとファサリスはバツ悪そうに反応した。
「だが、不意をつけばセリアスとて隙が生まれるのではないか?」
「そう思うよね。オレもずっと思ってた。セリアスと勝負をするたびに、何度も思った。でも――」
「一度たりとも不意をつけたことはない、か」
最後にそう付け加えたのはファサリスだった。
巨体から獣の唸り声のような低い音を響かせ、うんうんと考え込む仕草を見せる。
そのファサリスの声に答える形で、ムーランは言葉を続けた。
「『ブラッド』は頭が良い、戦術眼がある、戦略眼がある、定石には当然対応してくる。――こんなのは誰だって知ってる。ブラッドとオレの盤上遊戯とか戦略遊戯を見たことがあるあの学園のやつらなら、それくらいはわかる。でも、そんなんじゃないんだ。ブラッドの本当のおそろしさは、実際に手を合わせてみて初めてわかるものだ。アレはな――」
「なによりも『勘』が良すぎるのだ」
ムーランの言葉に継ぐ形で、ファサリスが唸りながら言った。
ムーランもその言葉に頷く。
「そう、それ。いっそのこと神に愛されてるとさえ思えてくる。
たとえば、三択の選択肢で迫る。オレ自身どれにしようか迷いながら、ぎりぎりで一つを選択する。するとセリアスは、そんなぎりぎりに決定された作戦にさえ、見事一瞬で対応策を選択して見せる。
――間違えないんだ。きっとあいつには人の心と戦場の未来が見えてる。下手したら、オレ以上にオレの内面が見えてた可能性すらある」
ムーランはいつの間にか真面目な表情を浮かべて言っていた。
「おそろしい目だよ。対面しているときなんて、心の奥底まで見透かされたような気分になるんだ。オレは特に何度もセリアスの前に座ったから、あの目がおそろしくてたまらない」
「だから、四十か。魔石砲にそれだけの自信があって、なおも四十か」
「ムーゼッグに一矢報いるためにずいぶん昔から計画してきたけどね。これでもオレだって神童とか言われてたんだぜ? ――ところが神童と呼ばれた王子の成れの果ては勝負の前に怖じ気づく子犬の姿さ」
百のうちの四十という数字は、戦いを仕掛けるにしてはさすがに低すぎた。
失敗すれば国が死ぬかもしれないというリスクを背負うのに、四十という数字はあまりに低すぎるのだ。
まして、魔石砲の燃料確保もままならない状況である。
まったく現実に即して考えるならば、もっと数字は低くなる。
ムーランは椅子を斜めに傾けながら、大きな息を天上の絵画に向かって吐いた。
そのまま間延びしただらけ声を舌の上に浮かべ、神に悪言でもつくかのように言った。
「あの学園でセリアスに唯一土をつけられたのは『クード』だけだ。どこのぼんくらだったのかはわからないけど、もしうちの領地の貴族だったりしたら、血眼になって捜すね。んで、見つけたら百回頭を垂れてもいい。……今回だけ、どうかセリアスに土をつけるために戦場に出てくれって、お願いする」
ムーランの冗談めかした言葉。
その冗談は、三王の決断をムーゼッグへ下る方にわずかに傾けながら、宙に消えるはずだった。
そうやって皮肉めかせて、しかし言葉の内部に逆説的な諦念を抱き、天井の天使像の胸元へと消えるはずだった。
だが、そんなムーランの冗談を、暴力的なまでの豪腕で引き寄せる男がいた。
◆◆◆
「よろしい、ならば百回頭を下げてもらおうではないか。おれとしては願ってもない提案だ、ムーラン」
◆◆◆
三王の視線が一瞬のうちに広間の入口へと向かう。
許可があるまで誰もいれるなとの命を、外の近衛兵たちに言い聞かせてあるはずだった。
しかし、『その男』は服の裾を掃いながら、淡々として広間の中を歩いてきていた。
隣には黒い装束に身を包んだ女がいる。まるで密偵のそれだ。
「ばかな――」
飛びださんばかりに目を大きく見開き、ファサリスが三人を代弁して言葉を紡いでいた。
そして、
「――『クード』! なぜ貴様がここに!!」
キリシカが、すべてを解決する疑問を、その男――〈ハーシム=クード=レミューゼ〉へと投げかけていた。