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百魔の主  作者: 葵大和
第四幕 【邂逅への序曲】
40/267

40話 「驚嘆、感嘆、悲嘆」

 竜である。

 地竜(レイルノート)だ。

 四足、黒鱗、太く長い強靭そうな尾っぽに、風を切るために発達した独特な形状の双翼。

 見る者に強さと鋭さを印象付ける、尖鋭(せんえい)的な形態(フォルム)


「ぎゃふー」


 ――のわりに、ちょっと間抜けな鳴き声。

 一瞬その間抜けな鳴き声にかわいらしさを感じたが、とはいえ依然としてほかの部分は紛うことなき地竜である。

 術式を使えたとしても、敵として相対したら死を覚悟する生物。


「――」


 リリウムは向こうの鳴き声に合わせて、「ぎゃ」からはじまる悲鳴をあげそうになった。だが、とっさに口元を両手で押さえ、なんとかという(てい)でこらえていた。

 さすがに大声は(はばか)られた。

 特に女の高い声はよく響くし、地竜を刺激してしまうかもしれない。

 それに、向こうにはまだ寝息を立てている仲間たちがいるのだ。

 朝の目覚めに女の悲鳴がともなっては、さぞ寝覚めも悪いことだろう。


「ぷ――」


 悲鳴をこらえた状態で、十秒ほど。


「――はぁ!」


 互いに見つめ合う時間があって、ようやくリリウムは息を吐いた。

 悲鳴をあげそうになった身体の衝動はどこかへ行ってしまっていた。

 ようやくリリウムは両手で押さえていた口を解放し、


「お、驚かせないでよっ!」


 結局、少し大きめの声で言ってしまっていた。


「あっ――」


 まあ、そんなに響かなかっただろう。

 悲鳴でないだけマシだと、自分を納得させることにした。


◆◆◆


 リリウムがそうやって言葉を(つむ)げた理由は、その十秒ほどの視線の交差を終えて、地竜の方に害意がないことを目と仕草から確認したからでもある。

 むしろ、親しげな色さえ見て取れた。

 リリウムにとっては不可思議極まりないことである。

 地竜なんてものとこうして面と向かったことさえなければ、まして知り合いなんてまずいない。


 実を言えば、地竜に害意がなかったのは、『その地竜の方が』リリウムの姿を覚えていたことに起因していた。


 そう、なにを隠そう、その地竜はメレアがシャーウッド商会の地下で竜死病から救った、あの黒鱗の地竜である。


 当のリリウムは商会での一件のとき、命炎術式の使いすぎですっかり眠ってしまっていた。

 あとから話として商会での出来事を聞いたが、実際に見たことはない。

 なので、その地竜がメレアたちの話に出てきた『あの地竜』であることに、すぐには気づかなかった。


「ギャ」


 地竜は嬉しげに高めの鳴き声をあげると、今度は首を立ててあたりをきょろきょろと見まわしはじめていた。

 何かを探すような仕草だ。


「なにか探してるの?」

「ギャウ」


 地竜の目的は、自分を救った人間を見つけることだった。

 そのためにこうして追いついてきたのだ。

 シャーウッド商会でその人間の脱ぎ捨てた衣服の匂いを嗅ぎ、そのかすかな匂いを頼りに、幾度か迷いながらもやっと近くにまでたどり着いた。

 地竜にとっては、最初にリリウムと出会ったのが、「ここで間違いない」という確信を抱くに至った大きな要因になっていた。


 地竜はリリウムの姿を覚えている。

 当時は弱りきっていたが、意中の人物の近くに寝息を立てていたリリウムがいたことを、決して忘れてはいなかった。

 竜族は人間以上の知力を見せることさえある生物である。

 この地竜も幼いながら、例にもれず頭が良かった。


「ギャ」

「なによ」

「ギャウ」

「人語喋りなさいよ」

「ギャ、ギャウ……」


 リリウムはリリウムで、十秒もすればいつもどおりである。

 調子を取り戻した彼女は生来の勝気な雰囲気を取り戻し、地竜相手にさえ普段どおりに振る舞って見せた。

 言葉の壁があるので、いまいち向こうが何を言っているかはわからないが、相手が頭のいい竜であるためか、声の調子でなんとなくのやりとりはできる気がした。

 もしかしたら、地竜の方は人語の意味を理解しているのかもしれないとさえ思った。


 対し、地竜の方は意外にもリリウムの勝気に気圧(けお)され気味である。

 自分の目を、まっすぐな眼光でもって射抜いてくる紅髪の人間を見て、思わずというふうに首をひっこめながら、おずおずと引き下がっていた。


 そんな地竜を見て、リリウムは、


「あー……、悪かったわよ。強くいってごめんってば」


 地竜に幼さを見た。

 同時、子どもを意図せず叱ってしまったときのような、変なバツの悪さを感じていた。

 リリウムは、自分の心の機微に自分自身で驚きながらも、しかし、おそらくこの反応と予想は正しいのだろうとも思って、とっさに眉尻を下げていた。


「もう……なんで人間が竜に気を遣ってるのよ……」


 ともあれ、このままでは埒が明かないと察する。

 どうやら地竜はこの場所に用があるらしいし、奇遇にも身内には竜語を話せる変人がいる。

 少し時間は早いが、緊急事態でもあるので、彼を起こすしかないだろう。

 そう思って、リリウムはため息をつきながらも、結局は地竜を安心させるように優しげな笑みを浮かべていた。

 その姿は、なんだかんだと弟の願いを聞いてしまう姉のようでもあったし、あるいは甲斐性なしを捨てるに捨てきれない、ジゴロに引っかかった女のようでもあった。


「まあいいわ。――ちょっと待ってて。たしか竜語を話せる変人がいたから、今連れてくるわね」

「ギャ?」

「大丈夫よ、ちゃんと連れてきてあげるから。だからあんたはそこにいなさい。あんたまで一緒に来ると、みんなの心臓が口からぽろっと出るかもしれないから」


 地竜のうかがうような様子を見て、そう言い聞かせる。

 さすがに一緒に連れていくわけにはいくまい。

 腕に自信のある魔王でも腰を抜かすかもしれないし、まして、ほかの腕に自信のない魔王がこの地竜を見たら、その衝撃で気絶するかもしれない。

 リリウムはそんなことを考えながら踵を返しつつ、ふとじゃり、という重いものが地面を削る音を聴いて、


「待ってなさい」

「ギャ、ギャフ……」


 さりげなくついてこようとしていた地竜の方をバっと振り返り、迫真の表情で再度言い聞かせた。

 その迫力にまた気圧されたように、地竜はついにおとなしくその場に伏せった。


「まったく……、それで遊んでなさい」


 そう言って、リリウムはおもむろに右手から拳大の命炎を生み出すと、それを地竜の方に投げた。

 ぴょんぴょんと跳ねる命炎である。

 見張りの際に使った灯火用のそれとは大きさがだいぶ違うが、いわば竜用だ。

 あの『バカ二人』によって灯火用の命炎が遊び道具になることに気づき、ためしにそれを竜に投げかけてみた。

 

「――よし、あんたもあいつらの同類ね。扱いが楽で助かるわ」


 嬉しいやら、悲しいやら。

 リリウムは投げた命炎ときゃっきゃとたわむれはじめた地竜を見て、ため息とともに苦笑した。


◆◆◆


 命炎とたわむれる地竜をあとに、リリウムは魔王たちが寝ている茂みの奥の方へと進んでいった。

 茂みをかき分けていくと、まず小さなひそひそ声が聴こえてきた。

 どうやらすでに起きている者がいるらしい。

 そう予測しながら、目の前のひときわ大きな葉っぱを手でどけて、ついにみなの休息場所へとたどり着く。


「ねえ、ちょっと――」


 そんなふうに言いだしながら、リリウムは開けた視界に意識を向けた。

 瞬間、


「――」


 リリウムの視界中央に、


「ど、どどどどどうされました? リリウム様」


 寝ているメレアの頭を膝に抱えようとしているマリーザの姿が映った。


◆◆◆


 メレアの頭に両手を掛けようとして、その状態のまま固まっているメイド姿の美女。

 隣には目をきらきらさせている華奢な身体の少女アイズと、すでにメレアの頭に手をつけてその雪白の髪で三つ編みを作ろうと遊んでいる青銀髪の双子。

 

「……」


 リリウムはひとまず双子は置いておいて、膝枕準備状態で凍っているマリーザに、ジトっとねばりつく視線を向けた。――「なにしてんの?」と、無音の言葉を加えつつ。


「こ、これはですね? 枕がないのではメレア様もご不便でしょうと思いまして、せっかくですからわたくしの(もも)を枕にと――ええ、腿の柔らかさにはなかなか自信がございまして、つ、つまりですね?」


 いつも冷然として、氷のような美貌を崩すことがほとんどないマリーザ。

 そんな彼女がこうしてあたふたとしているさまを、初めて見たかもしれない。

 顔が赤いのもまた、同様である。

 と、リリウムはマリーザの意外な一面を見ると同時に、メレアの頭の隣に布の塊が転がっているのを見つけた。

 あれは『枕』だ。

 おそらくメレアが枕にしていた布の塊だ。

 マリーザはそれを、自分の都合のために抜き取ったのだ。

 となれば、彼女の『枕がないのではご不便でしょうと思いまして』という言い訳は――


「……」

「……」


 マリーザは視線を左右に泳がせていた。わかりやすい狼狽(うろた)え方だ。

 隣のアイズがとっさの動きで布の塊を背に隠していた。――なるほど、共犯者だ。

 アイズに関しては好奇心が強いことを知っていたし、おそらく単純に膝枕をする()に興味を抱いたとか、そのあたりだろう。

 いや、下手をしたらアイズの方が、無邪気でもってマリーザにこれを提案した可能性もある。

 あんな華奢な形で意外と胆が据わっているというのが、アイズに対する魔王たちの総評である。

 ともあれ、


「……はぁ」


 まずはため息を一つ。

 リリウムはその間に、内心でマリーザに対する印象を大きく更新していた。


「……あんた、意外と『普通』なのね」

「そ、そうでございますか?」


 まだ少し顔が赤いマリーザを見て、リリウムは言う。


「悪い意味じゃないわよ? どっちかって言ったら――そう、褒めてるの」


 かなり異色だと思っていたこのメイドは、もしかしたらある方面に関して一番普通かもしれない。


 ――まあ、その少女らしさも、魔王としての『反動』なのかもしれないけれど。


 彼女がメレアに一方的な忠誠を誓っているのは知っている。

 その理由についてはまだくわしく訊いたことがないが、おそらく魔王としての出自が関係しているのだろうと予測はしていた。

 まだそれを本人に訊けるほどの距離にはいないが、この不意の一件でぐっと彼女への距離が近づいた気もする。


 ――それに、忠誠だけじゃない気もするわね。


 今の彼女を見ているとそう思う。

 それに気づくと同時、自分の胸の奥にもやりとしたかすかな違和感が生じた気がしたが、かすかすぎてそれが何であるかはまだリリウムにはわからなかった。

 だからそれを無視して、代わりにマリーザへおちょくるような言葉を飛ばしていた。


「――それにしても、結構大胆ね?」

「っ!」


 にやりとして言い放ったリリウムの言葉を受けて、マリーザが身を跳ねさせた。

 いつのまにか、さりげなく半分ほど持ち上げていたメレアの頭を取り落とし、ゴン、と鈍い音が鳴る。


「あっ」

「あっ――」


 リリウムとマリーザの唖然(あぜん)とした声が重なった直後、マリーザがしまったという表情で再びメレアの頭を持ち上げ、今度は自然な動きで頭を膝に乗せた。


「も、申し訳ございません! あ、ああっ! なんてことを……!」


 ひどく狼狽(ろうばい)しながら、ぶつけたであろう部分を優しく手でさすりはじめる。

 結果的にマリーザの望む状態になったが、本人はそんなこともう忘れているだろう。

 その姿にまたもや少女然としたかわいらしさをみながらも、リリウムは本題を思い出して再び言葉を切り出した。


「――取り込み中悪いけど、ちょっとメレアを借りたいのよね」


 当のメレアも、今の衝撃を受けてか、小さくうめき声をあげて目覚めようとしていた。


◆◆◆


 リリウムが地竜の話をするころには、メレアに加えてほかの魔王たちも続々と起きてきていて、結局総出でその地竜のもとへ行くことになった。

 高い戦闘力をもった魔王の筆頭であるメレアが移動するに際して、ほかの魔王たちを別の場所に置いていくのもやや気が引けたのだ。離れているうちに万が一、ということが考えられないでもない。

 かといって、地竜の前に歩みでるのも非力な魔王たちからすれば恐怖だが、リリウムからその地竜に害意がないだろうとの言葉をもらったので、意を決してついていくことにした。


 リリウムに案内されて茂みを越えていく最中、メレアの隣に歩み出でてきたシャウが、ふと声をあげていた。

 すでに眉間を指でつまんで、頭痛を抑える体勢だ。


「あのですね? 私嫌な予感しかしないので、あらかじめ言っておきますが、リリウム嬢の話を聞くかぎり、絶対あの地竜だと思うんですよ」

「もう予感じゃないよね……今絶対って言ったよね……」


 メレアはシャウのわざとらしい言葉に、思わずうなだれる。

 かくいうメレアも、シャウの言葉には賛同するところだった。


「そこでメレアに質問なんですけど、あの地竜が穏便に商会の地下から出れたと思いますか? そもそもザイード君が、商品であるあの地竜をむざむざと逃がすわけがないんですよ。彼も私と同類の商人ですから、よほどでなければ商品を手放さないはずなんですよ」

「うん……」


 シャウはメレアの肩に肘を乗せて、よろよろともたれかかりながら言葉を続けた。


「となると、もしここまで来た地竜があの黒鱗の地竜だったら、ザイード君が『どうしようもなくなって』地竜を逃がしたことになりますよね? ――商会がどうしようもなくなった状態って、どんな状態でしょうね?」

「……」


 メレアは想像して、しかしその画をシャウに説明するのをためらった。


「あー……、竜死病で弱っていて食物も喉を通らず、水も通らなかった。されどどこかの誰かがそれを治してくれた。治った途端、今までロクにものが食べれなかった分、とてもお腹がすいてきた。すると――おっと、周りをよく見るとあたりに不思議な食べ物の数々が」


 シャウが急に戯曲を語るように言葉を並べはじめる。

 メレアはシャーウッド商会の地下の交易品置き場に、食物のたぐいがしっかり置かれていたことを思い出していた。

 冷や汗が噴き出た。


「ちょうど良い、腹ごなしにそのへんのものを頂こう。――竜は人間の損得なんて考えません。成熟した地竜ならば、そのあたりも考慮したかもしれませんが、どうやらその竜はまだ幼かったようです。――ああー……、うあー……」


 シャウの語り口は最後まで続かなかった。

 自分で言いながら画を想像して、一気に沈んだようだ。

 メレアは肩にシャウの体重がさらに重く掛かってくるのを感じて、それを励ましの意を込めつつ支えた。


「なにやってんのよ、あんたらは」


 リリウムが振り向いて、その様子を呆れ顔で見ていた。

 と、


「お、いたいた」


 リリウムが再び前へ視線を戻すと、そんな声をあげた。

 彼女が指を差す。

 その先、


「あ、やっぱあいつだ」


 商会地下で見たときからずいぶん身体が大きくなっているが、メレアは見間違えなかった。

 黒曜石のように高貴な黒さを見せる鱗と、見覚えのある竜顔。

 リンドホルム霊山の山頂で何体もの天竜と相対してきたメレアにとっては、竜の顔も人間の顔と同じく見分けがつくものになっている。

 そんなメレアが即座に間違いないと断言したものだから、メレアの肩に寄り掛かっていたシャウは、


「なんか大きくなってるじゃないですか……あれもしかして商会地下の交易品食べて成長したんじゃないんですか? ――ああああああ……、うああああああ……! ……これ絶対赤字ですよおおおおおおおおお!」


 よろよろと崩れ落ちながら、嘆きの声をあげずにはいられなかった。


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