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百魔の主  作者: 葵大和
第三幕 【動乱の予感】
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38話 「その怪物には本当に牙がないのか」

 魔王たちはザイードの用意してくれた馬に乗り、ネウス=ガウス公国東門を発って、再びレミューゼへの道を走っていた。

 それぞれが分担された役割をしっかりとこなしたことで、旅荷もずいぶんまともになった。

 馬の数が増えたことで荷台を使う必要もなくなり、全体の行軍速度が飛躍的に上昇する。

 こういう状況下にあることを考慮した上でならば、あえて順風満帆(じゅんぷうまんぱん)というのもやぶさかではない。

 こんな順風満帆な状況が、『とある懸念』を抱いていたシャウなどからしてみれば、実のところ意外なものに感じられていた。


「優秀ですね、みなさん」


 口ではそんなことを言いつつ、内心には驚愕がある。

 それは彼らが優秀であることに起因する驚愕ではなく、『誰ひとりとして欠けずに』、その場に再集合したことに起因していた。

 正直に言えば、誰か一人くらい、物言わずにふっと姿を消してしまうのではないかと思っていた。


 だが、戻ってきたのだ。


 そうして全員が再び集合したとき、この集団の建前じみていた絆が、少し強固になった気がした。

 それを嬉しいと感じてしまっている自分にも、シャウは少し驚いていた。


「――ひとまずは十全(じゅうぜん)十全と、そう言っておきましょうか。望む結果への過程(プロセス)が、予定通り(とどこお)りなく進むのは、商人的な観点からしても非常によろしいことです。……まあ、個人個人で見たら、少し気がかりな点もあるようですが」


 そういって、シャウは商人然とした薄い微笑を浮かべたまま前方へ目を凝らした。


 集団の先頭を走っているのは〈剣帝〉エルマだった。

 これまでの旅路ですでにみなが気づいていたが、彼女には卓越した乗馬技術がある。

 また、その野生の獣のごとき警戒網の広さが、ずいぶんと魔王たちの助けになっていた。

 それゆえ、ネウス=ガウス公国を発ってからの編隊もエルマが先頭を走る形に自然と収まっている。


 しかし一方で、シャウはエルマがかたくなに先頭を走ろうとする理由を、別の要因にも見出していた。


 ――気負い、でしょうか。


 彼女の背から、重苦しい空気が漏れているような気がした。

 当然そんなものが目に見えたわけではないが、左右に展開するときにわずかばかり見えるエルマの横顔を(うかが)うと、そう思わずにはいられなかった。

 エルマの表情は、ほかの魔王たちと比べても特に(かた)い。

 この状況で力を抜けなどとも言えないが、それでもエルマの表情の硬さは目立つ。


 ――もしかして、ムーゼッグを引き連れてきてしまったことに対する罪の意識でもあるのでしょうか。


 シャウの脳裏にはそんなとりとめのない予想が浮かび上がっていた。根拠が自分の感覚的なものに()っているから、さすがに口には出せない。

 だが、仮にその感覚を信ずるならば、そんな予想に連結するように、


 ――もしかしたらエルマ嬢は、自分の身を盾にするためにあえて先頭に身をさらしているかもしれませんね。


 などと、もっととりとめのない予想が浮かび上がってくるのだ。

 どちらも合理的根拠をうまく提示できない予想である。

 なんとも商人らしくない物言いだと、シャウは内心に思っていた。


「――エルマ、焦って、る?」


 と、不意にシャウの横から、優しく耳を撫でるような愛らしい少女の声が飛んできていた。


「――アイズ嬢」

「アイズで、いいよ?」


 シャウが横を見ると、そこにはマリーザの背に抱き着いた姿勢のアイズがいた。

 マリーザが手綱を握る馬に、アイズが相乗りしているのだ。

 そしてどうやら、エルマの気負いを見抜いたのはシャウだけではなかったらしい。彼女の小さな口から出た言葉が、そのことを証明していた。


「ぜひそうお呼びしたいところですが、あなたの前で手綱を握っている狂人メイドがそれを許してくれそうにありませんので。隙を見てそう呼ぶことにしましょう」

「ふふ、それはそれで、ちょっとどきどきする、ね」


 可愛らしく笑ったアイズを、シャウは意外に思った。


 ――意外とそういうところノってくるんですね、この御嬢さん。


 マリーザに「シャウさんをいじめちゃダメ、だよ」とか、あるいは簡潔に「めっ」とか、言ってくれるのだろうかと思っていたら、顔に「それ、おもしろそうだね」なんて楽しげな色を浮かべて、愛らしく笑っている。


 ――いっそエルマ嬢なんかより、この御嬢さんの方が精神的にタフだったりしそうですね。


 黄金船に乗っているときの彼女の様子を踏まえ、シャウはそんなことを思った。


「じゃあ、わたしも、それまではシャウさんって、呼ぶね」

「ええ、合点ですよ」

「この男には金の亡者で十分ですし、それに絶対あなたにはアイズ様を呼び捨てにはさせません」

「ちょっと、そんなギラギラした目で警戒態勢に移行しないでくださいよ。(はな)から分の悪いことがわかってるゲームなんて私やりたくないですからね」


 マリーザが見下すような視線を横目でシャウに飛ばしながら、そう言っていた。

 シャウはそれを肩をすくめて受け流し、話を最初に戻す。もうずいぶんと慣れてきた。


「――さて、エルマ嬢に関しては……、どうでしょうね。私の予想でいいのなら、なにか思うところがあるのは間違いないのでしょう、と答えますが」

「それは、なんでだろう」

「んー……、もしかしたら、自分が引き連れてきてしまったムーゼッグに、今こうやってほかの魔王たちを巻き込んでしまったことを悔やんでいるんじゃないでしょうか。たとえば、『私のせいでほかの魔王たちまでムーゼッグという強国に追われるはめになってしまった』――とか」

「それは、エルマの思い込み、だよね?」

「――ええ、そうかも、しれません」


 シャウはまた驚愕を得た。一瞬言葉が詰まったほどだった。

 むしろ、驚愕どころか、この銀色の目をした小さな少女に畏怖に近いものさえ(いだ)いてしまっていた。


 ――ずいぶんと、鋭いことをいう。

 

 そしてなにより、歯に(きぬ)着せぬ物言いをするものだ、と。

 ああやって気負う者に対し、「それは間違っている。勘違いだ」と一言で言い切ってしまうのは、かえって難しい。

 この魔王同士の微妙な距離感の中で、直接言うでないにしても、そう言えてしまうのは、一種の勇気――もしくは無謀である。

 なのに、この少女はけろりとして断言した。

 そのためらいのなさは、すべてをわかった上でのものか、それとも少女らしい無邪気によるものか。


 ――……。

 

 前者だ。

 正直に言えば、理由はなかった。

 商人としては失格だろうと自覚していた。

 でも、シャウはアイズの目を見た上で、直感的にそんな答えを導き出していた。


 そんなシャウの内心の逡巡(しゅんじゅん)をよそに、再びアイズが言葉を紡いだ。


「だって、こっちに逃げるって決めたの、みんなだもん、ね?」

「ええ、そのとおりです。――というか、一番最初に東に下りるという案をだしたの私ですしね」


 そうシャウが答えると、アイズの前で馬を操っていたマリーザが、なんともなしに言葉を挟んだ。


「では、責任とって今から馬に乗られてください。――さあ! 馬を背に乗せて! (いなな)くのです!」

「横暴ですねッ!? ここぞとばかりに! ――あっ! 今ニヤっとしましたね!?」

「してません。なにを言うのですか。腐れげど――」

「マリーザさん、あんまり言うのは、だめ、だよ?」

「はい、アイズ様、少し言いすぎました」


 アイズが言うやいなや、マリーザが即座の動きで(こうべ)を垂れる。

 馬を駆っているため後ろを振り向きはしなかったが、前を向きながらぺこりと頭を下げ、声にもやや暗鬱としたものが混ざっていた。

 すさまじい切り替えの早さである。

 シャウはそのマリーザの素直な謝りを聞いて、


「ふ、複雑っ! なんか複雑な気分です! 勝ったような負けたような! いやたぶん負けてますねこれ!」


 あまりの対応の違いに、なんともいえぬ思いを抱いていた。


「はあ……、まあ、エルマ嬢の方はそろそろなにか言ってやらないと破裂しそうですね。――あと」

「あと?」


 シャウの言葉の末尾にほかの内容を接続する語が続いて、アイズが馬上で首をかしげた。

 

「そのさらに手前、エルマ嬢の後ろを走る我らが『(あるじ)』――メレア=メアの方も、なにやら背中から立ち昇るものが」


 シャウは、もう一人の男がエルマとはまた違った緊張感を背中から(ほとばし)らせていることに、目ざとく気づいていた。

 むしろ、そちらはなにやら殺気すら(にじ)んでいて、エルマ以上に話しかけづらく見えた。


「……わたくし、メレア様のメイドとしてなにをかして差し上げたいところですが、用意なく触れると私の身が壊れそうですね。――ああっ! でも主人に壊されるメイドというのも――」


 メレアのまとう空気が変わっていたことに、マリーザも気づいていた。

 それどころか、この状況下で殺気に過敏になっている魔王たちの大半が、特にメレアの方の異変にしげく気づいていた。


「ちょっとそこの狂人は黙っていてください。あと狂う方向に統一性を持たせてください」

「メレアくん、大丈夫、かな……?」


 先頭を走るエルマと、そのやや後ろを走るメレアの背を、ほかの魔王たちは複雑な心境で眺めていた。


◆◆◆


「……」


 メレアは馬を駆ることにもようやく慣れてきて、意外にも馬には酔わないことに安堵してから、今度は思考の手を別の方向に伸ばしていた。

 その手の向く先は自分の内側だった。

 メレアは一人、内心に言葉をこぼしていた。


 ――わかってる。……いや、わかっていたつもりだった。


 自分に、『牙』がないことは。


 ――……。


 打った刺したの感覚はメレアも知っている。

 人を殴ったり、打ったことは、初めてではない。

 何度も英霊を相手にやったのだ。

 だのに、


 ――……気持ち悪い。


 まだ手に感触が残っていた。

 『知らない感触』だった。

 慣れて慣れて、いちいち感慨にふけるようなこともなくなった――人を殴打する感触。

 肉を打つ、骨を響かせる感触。

 無機質。

 それはそういうものだと悟るくらいには、人に物理的な害意を加える状況を身近においてきた。


 でも――違うのだ。


 自分の手が殺意を乗せた瞬間、伝わってくる感触が――


 ――変わった。


 『知らない感触』だった。

 それがメレアにとってとてつもなく気持ち悪かった。


 ――気味が悪い。


 知っていたものが、急に別のものに変容したから、かえって知らないものに初めて触れるよりも違和感が大きかった。

 無機質な殴打の感触だと思っていたそれは、ぬるりとした不気味なものを混じらせて返ってきた。

 瞬間、相手の命に触れた気がした。


 ――……だめだ。


 わかっていた。

 ずっとわかっていた。

 だが頭でわかっていても、その感触に対する嫌悪感に、すぐには(あらが)えなかった。

 百聞は一見にしかずなんていうけれど、一見ではないけれど、『一触』の衝撃はすさまじかった。


 ――くそ。


 戦乱に巻き込まれるだろうと知って、覚悟をしていたつもりだったのに。

 そんなものとは無縁だった前の半生が、いまさら脳裏をよぎる。

 なまじあちらは性根(しょうね)だ。

 魂の根だ。

 向こうが、最初なのだ。


 ――……『だけど』、


 メレアとて、それをどうにかしようとは思っていた。


 そしてまた、良くも悪くも、そこで『どうにかしよう』とすぐに思えてしまったのは、メレアが『英霊』に育てられたことに深く関係していた。


◆◆◆


 もしかしたら、生前の『英雄』たちに育てられていたら、メレアは空想的英雄の理想像たる『不殺の英雄』を目指したかもしれない。

 たとえそれが無謀と揶揄(やゆ)されようとも、メレアが継いできた性根の後押しが、その道を行かせたかもしれない。

 されど、


 メレアは『英霊』に育てられた。


 英霊は、かつて英雄であったが、その死に際して人の心の黒さを知ってしまった者がほとんどであった。

 そしてそれゆえに、未練と後悔を抱いた者がほとんどだった。

 かの英霊たちは、厳密には生前の英雄そのものではない。

 未練と後悔がなければ存在できないような、儚い存在である。

 いわば、『断片』だ。

 あれだけの理性を保っていたのが、彼らの精神的な強さに起因してはいても、その元はリンドホルム霊山に蔓延(はびこ)っていた霊と同じく、『切り取られた存在』である。

 

 人の心の黒さを理由として、未練と後悔を抱いた英雄の断片は、霊となったときどういう方向性を持つのか。


 あのフランダー=クロウですら、こういう時代の黒さを最後には許容していた。

 自分のことを『甘かった』と言えてしまうフランダーは、少なくともその白さと同じくらいには、人の心の黒さを受容してしまっていたのだ。


 結局のところ彼らは、意識的にしろ無意識的にしろ、ほとんどが理想の英雄を目指すことを――


◆◆◆


 諦めてしまっていた。


◆◆◆


 だからこその、〈メレア=メア〉だった。

 彼らは自分たちではないもう一人に、願いを託そうとした。

 身体は自分たちの因子で出来ているが、心はまったく別の存在。

 まだ、諦めていない存在。

 それはぎりぎりのところで可能性の存在を証明してくれる。

 自分たちには見えないけれど、彼なら新しい道を見つけてくれるかもしれない。

 あわよくばその身体に積まれた因子を、かつて望んだ場所へと運んでいって欲しい。そう思った。


 身勝手な話だと、誰もが自覚していた。


 そうしてメレアは生まれた。

 結局彼らは止まらなかった。


 しかし、そんな彼らも、途中でとある『異変』に気づいてしまった。


◆◆◆


 自分たちが育てることによって、逆にメレアが時代の黒さや人の黒さを許容しはじめていることに。


◆◆◆


 初めてこの世界に来て、のちにそういう話を何度も聞かされれば、当然『ああ、そういう世界なのか』と思う。

 メレアの精神が最初から一定の段階にまで育っていようが、この世界に対する価値観にかぎっては赤子同然に白紙である。

 また、メレアが自分で下界に下りなかったことが、その傾向を助長させた。


 気づいたときに、みなが大きく息を吐いた。

 詰めていたものをすべて吐き出すように、自然と息が漏れた。

 嘆き、安堵、悲しみ、納得、いろいろな意味のこもった、大きな息だった。

 こうしてみれば、それが自然のなりゆきだったと納得できてしまった自分たちは、結局『英霊』でしかなかったのだと、同時に理解してしまった。


 だから最終的に、彼らはメレアに『理想の英雄像』を押し付けることをやめた。

 「好きに生きろ」といった。

 それも本心だった。

 そのとき彼らの中から未練と後悔が消えた。

 それがすべてを諦めたことに起因するのか、あるいは別の希望を見つけたことに起因するのかは、それぞれの個人にしかわからない。


 ただ、『こういう時代』に素早く適応しようとしてしまえるメレアの価値観を作り上げたのは、間違いなくその『親』である英霊たちだった。

 

 メレアは自分で思っている以上に、時代に適応している。

 それが良い事なのか悪い事なのかは、やはりこの時点では誰にも判断できなかった。


◆◆◆


 メレアは馬の上で揺られながら、精神を統一させる。


 ――『牙』を、(みが)かなければ。


 自分にはきっと、殺意の牙が必要なのだ。

 手加減などできない相手が前に現れたとき、お前はどうするのだ。


◆◆◆


 ――次は、越える。


◆◆◆


 ――すべてが終わってからでは遅いと、言い聞かせろ。


 予測、実感、反省。

 その中で一番ネックだった実感を、あの霊山の山頂で()た。


 ――お前は運が良かったのだ。

 

 この反省を、『誰も失わずして』行うことができた。

 もし相手がもっと強かったら、これのせいで誰かを失っていた可能性がある。


 ――二度目はないと思え。


 魔王にとっての英雄になると決めたのは、どこのだれであったか。


 メレアは馬に乗りながら、ただ一人『牙』を()いでいた。 

 まだ生えてはいないが、次にその牙が必要になったとき、(あわ)てて生やしたそれがなまくらでは同じく意味がない。

 だから、ただメレアは心の深くで牙を研ぎ続けていた。


 今しかなかった。

 メレアはもっとも越えるのが難しい『最初の一線』を越えるために、着々と精神を研いでいく。

 セリアスが導いた『牙なしの怪物』というメレアに対する評価は、この時点では正しかった。

 けれど、


 次の戦場まで怪物がそのままである保証は、どこにもなかった。


 セリアスの予測が正しいか、メレアがセリアスの予測を超えていくか、すでにその時点で戦いは始まっていた。


 ―――

 ――

 ―


終:【動乱の予感】

始:【邂逅への序曲】


本作をお読みいただきありがとうございます。ブックマークやポイントなどで応援してくださると連載の励みになります。また、本作のコミカライズ版が秋田書店のweb漫画サイト『マンガクロス』にて無料連載中です。併せてお楽しみください。https://mangacross.jp/comics/hyakuma

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『やあ、葵です。』(作者ブログ)
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[良い点] 正直敵に対して手加減していたという間接的な味方への反逆ともとれる行動にはげんなりしたけど、日本人の倫理観と新しい世界での適応という狭間で揺れ動く心理描写はリアリティがあり受け入れやすかった…
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