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百魔の主  作者: 葵大和
第三幕 【動乱の予感】
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36話 「夜光の街を、竜が跳ぶ」

 シャーウッド商会のたしかな資本に裏打ちされた信用取引で、見事駿馬(しゅんめ)を買い付けたあの片眼鏡(モノクル)の中年――ザイードは、ようやっとその後払いを終えて商会支部に戻ってきていた。


 時分は夜だ。

 公国中を駆け回ったおかげで、ずいぶん身体が重い。

 これで今日の仕事が終わったと一息つくと、一気に倦怠感(けんたいかん)が襲ってくる。

 執務室まで向かうのさえ億劫(おっくう)で、商会建物入口の長テーブルにどっと腰をおろし、二度目のため息をついた。


 そんなザイードの耳に、ふと、奇妙な音が差しこんできた。

 それは最初、なにやら地下で壁をこするような、小さな音だった。

 しかしそれが、徐々に徐々に大きくなってくる。

 異変を察知するのに決定的だったのは、ガン、だとか、ガシャン、だとか、地下で何かが割れる音を聴いたからだった。


「……」


 何事かと身構える。盗人かなにかだろうか。

 いやいや、それはさすがにない。

 商会を運営する立場で、戸締りはなによりも優先して気にするものだ。

 まさか自分がいまさらそんな『へま』をするわけがない。

 ならば、とザイードの思考は別方向にめぐった。

 と、直後である。

 ザイードは嫌な予感を感じてしまっていた。

 昼時、そういえば『一大事』があった。


 『たぶん大丈夫だよ』


 あの雪白の髪を宿した、超俗的な容姿の男が、そんなことを言っていた。

 大丈夫。――何が。


 あの、地竜が。


 シャウたちが出ていったあとすぐに、ザイードは地下へ行って地竜の様子を窺った。

 地竜は眠っているようだった。

 今までの、生きているのか死んでいるのか見当がつかないような危うい寝方ではない。

 スウと穏やかに、体力まで回復したかのように、しっかりと寝ていた。

 これを売れば、きっと莫大な利益が入る。

 シャウの言葉にザイードも当然ながら賛同していた。

 そうして、ひとまず寝ているなら大丈夫だろうと納得して、なにより時間も押していたことだし、すぐに後払いのために街へ駆けだした。


 ――あれが失敗だった。


 ザイードはいまさら自分の過ちに気づいた。


 『元気になった地竜』を、あの程度の(おり)に閉じ込めたままにしたのは、あきらかに自分の愚挙(ぐきょ)であった。


 あんな檻で地竜の居場所をまかなえたのは、あの地竜が竜死病にかかっていることを知っていたからだ。

 そしてそれが治らない病だから、そのままあれで十分だと思っていた。

 しかし、あの雪白髪の『怪物』が、地竜の竜死病を治していった。

 

「――しまった」


 やはり自分はどこか詰めが甘い。

 体力を取り戻し、本来の地竜としての力を取り戻していたら、あの程度の檻――


 バキ、と。


 不意にザイードの耳を破裂音が穿(うが)った。

 後ろからだった。

 背の方から、音がした。

 そこには地下への入口があるはずだ。


 ザイードはおそるおそる振り返った。


「――ギャウ」


 黒鱗(こくりん)の地竜が、地下の入口から首を出していた。


 ザイードは心臓が止まるかと思った。


◆◆◆


 ――なんか、大きくなってないか。


 一体あのメレアという怪物は、この地竜になにをしたんだ。

 ザイードは首を出している地竜を見て、そう思った。

 地下に運び込むときはなんとかギリギリながら檻ごと運び込めた。

 しかし、今その地竜は入口から首を出すので精一杯という(てい)だ。

 さきほどのバキ、という音は、身体が入口に引っかかって割れた音だった。

 当然、床の方が割れた音だ。


「ちょ、ちょ、ちょ、ま、まってくれ。――いいか、落ち着け。そこでじっとしているんだ」


 寝る子は育つなんて言うが、こいつは別物である。

 寝る子でも限度はある。

 これは育つとかそういう次元じゃない。


 ひとまず両手を振って、落ち着けと促す。

 もはやザイードもなりふり構ってはいられない。

 悠然(ゆうぜん)とした大人の余裕などというものは即時でかなぐり捨て、可能なかぎりわかりやすいように、大きな身振り手振りで肉体言語を送る。

 初老に差し掛からんとする良い大人が、そうやってぴょんぴょんと跳ねるさまはいっそ無様に見えたかもしれないが、当のザイードは恐ろしくてたまらなかった。

 まともな人間が野生の地竜と対面するということが、どれほど命知らずなことか。

 相手はまだ子どもとはいえ、尾で打たれたりしたら間違いなく絶命する。

 そういうレベルの相手だ。


「ギャウ」

「よぉし、わかった、わかったぞぉ。――あれか、餌が欲しいのか?」

「ギャウ?」


 そういいながら、ザイードは地竜の口の端から地下の交易品の欠片が飛び出ているのを見つけ、


「……あ、ああ、そうか、もう食べたのか……」


 すでにたらふく食べたのだろうと察した。

 頭を抱えたくなった。

 赤字だ。

 間違いなく赤字だ。


「ギャウ!」


 なにか喋っているふうだが、いまさら喋られても内容がつかめない。

 竜語なんてもちろんわからないし、どうせだったらあの白い怪物がいる間に喋って欲しかった。

 竜死病で弱っていて発声もままならなかったころと比べ、溌剌(はつらつ)としすぎている。

 もしかしたら竜死病が、この地竜の成長までも遅めていたのかもしれない。


 ――勘弁してくれ。

 

 ザイードは信奉している金の神に祈った。


 と、再びバキバキと、商会支部の床が(きし)む。


「お、おいっ!」

「ギャーウー」


 地竜が無理やり地下から出てこようとしていた。


 ――どうやって止めろと。


 止める術などないように思えた。

 すると、さらに地下から半身を乗り出した地竜が、ふとあるものに気づいて首を向ける。


「ギャ?」


 すんすんと、鼻をひくつかせてあるものの匂いを嗅いでいた。

 それがなんであるかにザイードはすぐに気がついた。


「あの怪物の……」


 昼間、なにやらをこの地竜とやりあったあと、ぼろぼろになったからと脱いでいったメレアの衣服だ。

 おおげさな破れ方ではなかったが、かといってあのまま外に出るのも変だろうとのことで、シャウが衣服を取りかえさせていた。

 かわり、おいていった破れ衣服の方が、まだ商会の長テーブルの上に残っていた。

 地竜はそれの匂いを嗅いでいた。

 そして、


「ギャウ!」


 なにやら嬉しげに頭をあげた。

 たぶん「これだ!」とか、「あの人の!」とか、そういうことをいったのだろうと、ザイードはなんとなく勘で察した。

 それを察した直後、同時に予想が浮かび上がる。


「お、おまえ、まさか……」

「ギャウッ!」


 嫌な予感ほど現実になるということを、ザイードはその日確信した。

 メキ、と、一際(ひときわ)大きな床の悲鳴があがり、地竜が完全に体躯を乗り出してきていた。

 

 ――で、でかい……。


 本当に、いつのまにこうなったのか。

 まだ成竜とは言わないが、あの幼かったころの面影はあまりない。

 当然商会の出口からは出られないだろう。

 そして嫌な予感はほかにもある。


 ――『追う』つもりだ。


 もはや疑いようがないように思えた。

 この地竜は、あのメレアの衣服の匂いを嗅いで、閃いたように身を立たせた。

 その鼻先が向いているのは東方向だ。

 まさしくメレアたちが向かった方角である。

 どういう感覚器でもってそれを察しているのかはてんで見当がつかないが、竜族などもとより人の予測の中で動く生物ではない。


「お、おい! ま、まて? いいか? 音を立てるなよ? あーっと……、あれだ、音を立てずに壊していけ」


 もう自分が何をいっているのかよくわからなかった。

 ザイードはこの時点で自分では地竜を止められないことを悟っている。

 むしろ食われないだけマシだとすら思った。

 だから、地竜が勝手に出ていくのはいいが、かといって変に目立たれては困る。

 もし万が一ムーゼッグの追手に見られでもすれば、それこそ万に一つの可能性かもしれないが、メレアたちのことを勘付かれるかもしれない。

 

 ――いや、まあ、地竜が街中を走っているから向こうに魔王が、なんて普通思わないが。


 だが、明確な異変であることはたしかだ。

 様子を窺いにいくついでに、鉢合わせしてしまうかもしれない。


「静かにだ。――わかるな? 静かにだぞ?」

「ギャウ?」


 ダメそうだった。

 地竜が「なにいってんだ?」とでも言わんばかりに首をかしげているのを見て、一瞬かわいさを見出したが、すぐにそれを絶望が覆い尽くす。

 ザイードは悪あがきをすることにした。

 扉を開け放ち、ここからうまいこと出ていけと手であおいだ。

 一応、時分は夜だ。

 深い夜であるし、路地の裏でもあるから人影はない。

 ネウス=ガウス公国の社交会が夜は室内で開かれるという慣習に、このときばかりは感謝した。

 外でやられるよりはマシだ、という程度だが。

 

 あとはこの地竜が音を立てず、うまいこと公国を抜け出してくれればいい。

 それが一番だ。――たぶん。


「ギャウ!」


 すると、地竜がまるでザイードの言葉を理解したように、ゆっくりと入口に首を突っ込み、


「お」


 直後、


「ギャ」


 やっぱり面倒だとでも言わんばかりに、地竜は入口を派手にぶち壊して外に出ていった。


「ああ…………」


 ザイードの頭の中にその修繕費が一瞬ではじき出された。


「もうどうにでもなれ……」


 こうなってしまってはザイードにできることはない。

 地竜は外に出るやいなやぐるりと首を回し、四肢で大地を踏みしめ、尾をしならせた。

 かろうじて周りの建物に被害を出さなかっただけマシだが、それでも商会がこれである。

 もうどうにでもなれとすべてを投げ出したザイードは、ひらきなおって地竜の動向を見守っていた。

 そして、


「ギャーウー」


 地竜が跳躍体勢に移ったのを見た。

 四肢を踏ん張り、翼をはためかせ――


 飛んだ。


 否、跳んだ。

 地竜は空を飛べない。

 だが思わず飛んだと思ってしまうほどの勢いで、地竜の身体が空に弾丸のごとく跳びあがった。

 踏みしめられた地が陥没し、跳躍の余波でザイードは吹き飛ばされる。


「うおっ!」


 商会支部がまたもミシミシと軋み、少し離れた建物の術式灯がパっとついた。

 なにごとだ、という声があがっているが、もはや彼らには何が起こったかわからないだろう。

 ザイードは長テーブルに尻からぶつかり、殴打した部分を「いたた」とさすりながら、それでも足早に外に出て、小さくなっていく地竜の背を見ていた。


「微妙に跳ぶのが下手だな……。そこはまだ幼いままか……。

 はぁ……、頼むから、変なところに着地したりするなよ」


 あとはそう願うことくらいしか、ザイードにできることはなかった。

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