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百魔の主  作者: 葵大和
第三幕 【動乱の予感】
35/267

35話 「狂王の一歩」

「ハーシム様、次の三王会談の場所と日時が判明しました」

「ちなみにどこの国から情報がこぼれた?」

「ズーリア王国です」

「――まったく、キリシカはいつもいつもこういうところが甘いな」


 その日、ハーシムはアイシャからの報告を受けていた。

 次の〈三王会談〉に関してだ。

 三ツ国の同盟会談に、ハーシムは介入する気でいた。


「しかしまあ、それ以外はうまくやっているようだし、ひとまず小言はなしか。――それに、いまやおれの方が小物であるしな」


 ハーシムはかつてアイオースの学園に『侵入』していた。

 兄である第一王子、第二王子と違って、ハーシムは父に愛されるどころか疎まれていたので、当然アイオース学園への入学など許されなかった。


 だから、侵入した。

 なにくわぬ顔で講義を受けたのだ。


 第一王子、第二王子に見つからないように策略を重ね、常に気を張り、しかしそれをやりきるほどの度胸と技量が、ハーシムにはあった。

 最後には見つかってつまみだされたが、数か月をそれでやりきったハーシムは、ともすればそこいらの密偵(みってい)顔負けの潜入能力者であった。

 そしてそんなハーシムにとって、潜入がバレるまでの数か月は、かけがえのない時間でもあった。

 

 ハーシムはその数か月の間に、幾人かの友人を作った。

 中でも、それとない品を漂わせる三人の友人と、特に友好を深めた。


 痩身総髪(そうしんそうはつ)飄々(ひょうひょう)とした雰囲気を崩さない優男。

 巨体武骨で、しかし瞳には静穏な優しさの光を宿す大男。

 最後に、月下麗人との大げさな称賛にも決して見劣りしない、冷たい美貌を宿す麗女。いつも紺色をまとっていて、それでいて美しい花にはつきものの『棘』を、あえて隠そうともしない女だった。


 そんな三人の友人が、実は三ツ国の後継者候補であったことは、あとから知ったことである。

 アイオース学園には、純粋な学術の発展をなによりも優先させるために、政治的謀略等の無粋なものを遠ざけようとする風習があった。

 そのために、仮面舞踏会のごとく名や身分を隠すのが常とされていた。

 だからハーシムが彼らと友人になったのは偶然であったが、一方で生家が隣国同士であるため、文化や土地柄の話が共通していたのも、実は気が合った理由かもしれない。


 しかし、ハーシムは彼らと違って正当な後継者ではなかった。

 それでも、のちにその友人たちが、時代を新たにするようにして三王会談の席に座ったと知ったときは、陰でひっそりと喜んだ。

 そしてその三人が、三王会談のあと、ムーゼッグへの従属(じゅうぞく)に寄りはじめていたそれまでの三ツ国の方針を転換し、再びかつてレミューゼが掲げたような気高い矜持を屹立(きつりつ)させん、との明言を打ったので、さらにハーシムの高揚は増した。

 学園でそれらしい話を聞いていたが、お互いに仮面をかぶっている状態でのそういう話は、話す方も聞く方も話半分である。本気とも冗談ともつかない調子で言うのが常であった。

 だが、そこでハーシムは確信した。

 ――あれは本気だったのだ。

 と同時、彼らに「よく頑張った」と言いたくなった。


 でも、言えなかった。

 言える立場にも――いなかった。


 今でこそクーデターを決心しているハーシムだが、最初は当然、あのときの抗議と同じように、言葉でどうにか父レミューゼ王を説得しようとした。

 そういう、みずからが取った行動そのものに後悔はないが、はるか先へ歩いて行ってしまった三人の背を思うと、ずいぶんと長い時間を費やしてしまったものだと、そんなふうに思えてしまうのも正直なところであった。


「あの、父君を――その、まだほうっておいてもよろしいのですか?」

「ああ、いいんだよ。むしろもっと泳いでもらおう」


 ふとアイシャから声がかかって、ハーシムはハっと今に帰ってきた。


「父が誰から見ても愚王であることが、この際使えるかもしれない。(あき)れかえるほどの愚王は、きっと父をおいてほかにはいないだろう。あそこまで突き抜けていれば、かえって疑いさえかからない」


 父レミューゼ王がムーゼッグにかしずいて見せたことは、かえってムーゼッグの足元をすくうのに使えるかもしれない。

 最初は「今すぐに」との激情もあったが、結果的にハーシムは思いとどまった。

 冷静な部分がこの状況を利用しろと、ずっと(ささ)いていた。


「父を隠れ(みの)にする。こうして隠れていられる間に、できるかぎりのことをしよう。三王会談への乱入もその一つだ。

 事をはじめるその時まで、極力気づかれてはならない。内側の勢力にも、外側の勢力にも。

 ……特に内側はな、おれがなにかをしようとするとここぞとばかりにがなり立ててくるからな」


 ハーシムは、(つば)を盛大に飛ばしながら自分に悪言をついてくる父と兄たちの顔を思い出し、小さく苦笑した。


「まあ、そういうわけで、内外問わずというわけだから、隠蔽(いんぺい)と潜入にはかなり気を遣うぞ」

「お任せを。必ずや、夜にまぎれる闇のごとくして、ハーシム様を会談の場へとお届けいたします」


 ハーシムの傍らで、アイシャが流麗な一礼を見せた。

 その仕草に内心で「美しいな」と浮かべながら、ハーシムの口はわざとらしい皮肉を紡いでいた。


「まるでおれが物のようだな」

「我慢なさってください」

「わかっているよ」


 ハーシムはまた苦笑を浮かべ、アイシャに軽く手を振った。


◆◆◆


「ああ、あと、レイナルドたちに例の鉱床の発掘を急ぐように伝えておいてくれ。あの魔石鉱床から魔石を掘り出しておけば、なにかに使えるかもしれない。いや、十中八九使うだろう。術機産業の発達しているクシャナ王国の動向を見れば、ムーランがなにかしらの手を打っていることはわかる。おそらく魔石関連のなにかだろうな」

「魔石、ですか」

「そうだ。クシャナ王国に出入りしている行商人の商品に偏りがあると報告を受けたんだ。ミュール女侯爵の観察眼はまったくおそろしいな」


 魔石とは、その名のとおり魔力を含んだ石のことである。

 術素を含んだ鉱石だ。

 基本的には生物の体内にやどる魔力術素だが、魔石は珍しくその無機質な身の中に魔力をため込む。

 鉱石や地面というと、地脈から供給される地力術素系を思い浮かべやすいが、鉱石という枠の中にあって、魔石は魔力をため込むやや奇特なものだった。


 しかしそのことが、魔力を術式の術素として使う者たちにとっては、この上なくありがたい。

 術素の違いによっても術式は性能を変えるし、そもそも式を術素の性質に合わせて改変しなければ発動しないことさえある。

 だから、魔力術素を使う者が大半な術師界隈(かいわい)では、ほかの術素系鉱石よりも魔石が重宝された。


「レイナルド伯への言伝(ことづて)は承りました」

「ああ」


 ハーシムの頷きのあとに、アイシャは少し間をおいて、再び小さく口を開いた。――が、その口は言葉を発さずにまた閉じてしまう。

 言おうか言うまいか、ぎりぎりのところで悩んでいるような仕草だった。

 

「どうした、アイシャ。言ってみろ」


 だがハーシムはその仕草を見逃さなかった。

 こうなると、アイシャには言わないという選択肢はない。

 意を決して、その胸に留めておいた言葉を吐きだした。


「――しかし近頃、父君のほうの臣下たちが遠回しな文句を言ってきているようです。もしかしたら、勘付きはじめている者がいるやもしれません」


 アイシャとしては、このような確定しない不安要素によって、これ以上の心労をハーシムに与えたくはなかった。

 一方で、この些末な不安要素が後々の火種にならないともかぎらない。

 『侍女』としては主人のために黙っておきたい。

 『密偵』としては主人にしっかりと報告しておきたい。

 アイシャが二方面で優秀であるがゆえの悩みであった。


「どこまでしらばっくれられるか、というところか」

「はい。――レイナルド伯には、どうお伝えしておきましょうか」

「そうだな……、あんまりしつこいようなら手を出してもいいと伝えておいてくれ。まあ、できるかぎり発覚が遅くなるように、と。――ただ利権に群がるだけの(ハエ)はつぶさねばな」


 ハーシムの顔に残忍な色が映り込んだのを、アイシャは見逃さなかった。

 その色は一瞬だけ表に現れて、すぐにどこかへ消えてしまっていた。


「父に関して言えば、表だっていなければ気づかない。気づいても、なんだかおそろしいからと、自分ではなにもしようとしないだろう。だから、気にかけるべきはその周りの人間だな」


 長年ともにいたからこそ、ハーシムはレミューゼ王の行動原理をほとんど疑わない。

 可能性として父がなにかしらの大きな行動を起こすと考えなくもないが、起こしたところで父の思慮では(ろく)なことにならないだろう。

 ただ、


「……国の外に情報を漏らされると厄介だな。……よし、もしそういう動きを取ったら教えてくれ。殺しはしないが、しかたないので早めに縛りつけておこう」


 ハーシムは真面目な表情でそう言って、次に少し表情を和らげて続けた。


「――まあ、今さらそれを知ったとて、ムーゼッグは特に構いはしないだろうがな。たかが鉱床の一つや二つ、わざわざレミューゼから奪うまでもない」


 もはやムーゼッグの方もレミューゼには構わないだろう。そんな確信染みた予想がハーシムにはあった。

 もともと奪ってもたいして益の得られない貧相な国であるからと、あえて生かされていたような状態だ。

 完全に奪ってしまうと、その土地を維持するために人材を割かねばならない。

 おそらくムーゼッグ王はそれを面倒がったのだとハーシムは予想していた。

 ムーゼッグとて、兵力人材は無限ではない。

 ならば、どうせいつでも()れるのだから、あえてレミューゼ現地の民の意気を折らず、そのままあるかないかもわからない土地の益を探してもらって、しかるのちに暇があれば奪取する。


「……そんなところだろうな」


 しかし、まったく安堵していられるわけでもなかった。

 仮にムーゼッグが三ツ国を一気に落とすことを決めたなら、挟み撃ちの拠点づくりのためにレミューゼの地を欲するかもしれない。

 ムーゼッグ本国とレミューゼからならば、その間に位置する三ツ国にたやすく二方向殲滅をかけられるからだ。

 ムーゼッグが力をためるために戦力を北と西に飛ばしている現状、そういう要素はまだ考えずに済むが、


「三ツ国全体の戦力を(くじ)くことができるとムーゼッグ王が確信したとき、一気に反転してくるだろうか」

 

 おそらくタイムリミットはそこだ。


「……その前になんとかせねばな」


 頬杖をついて、その杖にした方の手指で何度か頬を叩きながら、ハーシムは目を細めた。


 考えはじめればキリがない。

 どれも可能性の話だ。

 大事なのは今の状態である。


 今、レミューゼは透明な状態だ。レミューゼには色がない。

 ムーゼッグにまるで構われていないことから、その視界に映っていないことは察せられた。

 この状態の起因となったのは、なにを隠そう父レミューゼ王の愚かさだ。

 今になって思えば、あの意味のない『かしずき』も、存外悪くないものだったのかもしれないと、ハーシムは失笑を浮かべながら思った。


「――ハハ、もしかしたら、レミューゼがこんなふうにいてもいなくてもどうでもいいような状況を作ってくれたことは、のちの歴史家に『あの愚王をして最大の功績』といわれるかもしれないな」


 ムーゼッグ王は改めて、「この王ならば到底放っておいても問題はなさそうだ」くらいに思ったのかもしれない。

 そうやって笑いながらハーシムがいった言葉は、のちに真実となった。


「そういえば、例の魔王一行は?」


 ハーシムはふと、一番大事なことについて訊ねた。


「いえ、まだなにも。ハーシム様の予想どおり、リンドホルム霊山からもっとも近い東側の街には、痕跡(こんせき)一つありませんでした。住人も珍しい来訪者などは見ていないと」

「――ふむ、ふむ。それくらいは頭が回ることがわかって、おれとしては一安心だがな。――となると、〈ネウス=ガウス公国〉か〈トット共和国〉あたりを経由したかな」

「どちらにも人を送り込んでおります」

「まあ、ひとまずムーゼッグやほかの魔王狩り推進国に見つかってくれなければそれでいいんだが、あわよくば早めに接触して、しかるべき方策でレミューゼへ来るよう伝えたいところだな」


 そう言って、ハーシムは顎に手をおいて思案気に唸った。


「――あとは、ネウス=ガウスからどういうルートを辿るか、か。……さすがにムーゼッグに向かうことはないだろう。そうやって逃げるくらいだから、予測としては南に迂回するか、まっすぐ東に来るか」

「東北方向へ、三ツ国を目指すように、とは参りませんか」

「おそらくな。三ツ国には――向かわないだろう」


 ハーシムは思考を廻らせる。


「魔王狩り推進国よりはマシだが、三ツ国にも引っかかりはある。それを知る者が魔王一行の中にいれば、三ツ国もできれば避けたいと思うだろう」


 その引っかかりについて思いを馳せると、自然とハーシムの表情も渋くなった。


「三ツ国も一度、手を出してしまっているからな。……魔王狩りによく似た所業に。

 今は魔王狩りに消極的であるし、おれも三王会談であらためてやめろと言うが、それでも一度その領域を侵してしまったという事実は消えない。歴史として残るのだ」


 ハーシムは三ツ国が魔王狩りに類似するものに手を出したことを知っていた。

 当時ムーゼッグの唐突な反転攻勢に会い、やむにやまれぬ、との感じもあったが、しかしそういう危ういものに手を出してしまったのは事実だ。


「『狩り』ではないにしろ、まあ、しかし似たようなものか……」


 正確には、三ツ国に隠れ住んでいた魔王の子孫を、ややむりやりに戦場に駆り立てたのだ。

 だから、のちのちの憂いのために魔王を殺してしまうような魔王狩りと比べると、まだ救いようはある。

 だが、結局はむりやりであったことと、そこで魔王を『死なせてしまった』というのが問題になった。


 結果的に、魔王狩りのような体裁が、そこに表面化してしまった。


 違うが、違わない。

 そういう微妙な差。


 レミューゼはそういう劣勢な状況になってもなお、魔王に手を出さなかったから馬鹿であると揶揄(やゆ)されるが、三ツ国は馬鹿でなかったがゆえに、その手段を取ってしまったのだろう。

 実際、そうやって使った魔王の力のおかげで、三ツ国はぎりぎりムーゼッグを追い返している。


「矛盾を孕み続けなければならないのが戦乱の時代の宿命なのかもしれんな。だからといって、みずからの行いの免罪を時代というものに求めてはならないとも思うが」


 ハーシムは悲しげな目で窓の外を見ていた。

 自分もおそらく、魔王をレミューゼに引き入れたとして、そこで取引の体をしっかりなしていたとしても、


 ――魔王を死なせてしまったら、結局は同じことなのだろう。


 そうなった途端に、みずからの手で完全にレミューゼの誇り高き矜持に傷をつけてしまうことを、ハーシムは理解していた。


 失敗したら、地獄である。


 ただ勝つだけでもだめだ。

 魔王を救いながら、勝たなければならない。

 そもそもムーゼッグに対抗するために魔王の力を必要としているというのに、


 ――それでいて魔王を助けようとは、まったく本末転倒だな。


 しかし、それでも、その細い細い一本の(つな)の上を、逆風の中で渡らなければならない。

 綱のように編まれた(ことわり)は頼りなく、いつでも矛盾という名の烈風によって断ち切られそうだ。

 

 ――だが、渡りきって見せる。


 ハーシムは前だけを見ていた。

 そうやって危うい綱の上を一心不乱に渡ろうとするハーシムの姿は、周りから見れば狂人のように見えたかもしれない。

 その綱を渡った向こう側に何があるのかが見えないものからすれば、神の偶像を追いかける愚かな狂信者のように見えたかもしれない。

 だがハーシムだけは、その綱の向こう側に自分の望む『景色』が見えることを疑わなかった。


 のちに一部の者に〈狂王〉と呼ばれた男は、その日も着々と、綱の上で次の一歩を踏もうとしていた。


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