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百魔の主  作者: 葵大和
第二幕 【時代の奔流】
32/267

32話 「薬王の英雄譚と、その外典」

「〈薬王〉? あの薬王(カルラ=ナザル)ですか?」

「知ってるの?」

「ええ、古い英雄(たん)の中の登場人物です。未知の伝染病をたったひとりで(はら)ったと言われております」

「ああ――」


 メレアはマリーザの言葉を聞くと、嬉しげに笑った。

 しかしすぐに、その笑みは苦笑に変わる。


「でも、薬王(カルラ)は自分で『失敗した』って言っていたよ。一つ目の伝染病はたしかに掃ったんだけど、そのあとに街を襲った流行病(はやりやまい)を治せなかったって。……かなり悔しがってた。『だから王号どまりだったのだ』って、自嘲気味に言ってもいたな」

薬王(カルラ)と話したことがあるのですか?」


 メレアの確信的な話しぶりに、マリーザ自身「ありえない」と思いつつも、とっさに訊ねてしまう。

 あの英雄譚の中の薬王(カルラ=ナザル)は、ずいぶんと昔の人物である。

 どんなに長寿でも、この時代まで生きているのはありえない。

 だがそこまで考えて、マリーザは不意に勘付いた。

 この自分の(あるじ)が『どこに住んでいたか』。


 ――リンドホルム霊山。


「まさか」

「まあ、くわしい話はまたあとでね。こいつもつらそうだから、早めにやろう。――ここからもっとつらいかもしれないけど」


 そういってメレアは再び顔を地竜の方に向けた。

 マリーザはメレアの背を見ながら、今(つむ)いだ『つらいかもしれない』という言葉の意味を、心の中で予測していた。


◆◆◆


 一般的な〈薬王〉カルラ=ナザルの英雄譚は、口伝元の違いや筆記者の違いによっていくらかの差異はあれど、基本構造はどれも変わらない。

 カルラが数々の苦労を乗り越え、見事未知の伝染病を(はら)い、英雄と(たた)えられるまでの物語である。


 しかし、実はそういう英雄譚とは別に、まったく(おもむき)を異にする『外典』が少数存在していた。


 そしてそれらの外典には、人々に好まれる一般的な薬王英雄譚とは違って、薬王を讃えるのではなく、揶揄(やゆ)する内容が多く記されていた。

 特に、薬王が造った伝染病の薬を『欠陥品』であったとする記述が多かった。

 たしかに薬王は伝染病を自らの調合した薬で掃ったが、一方で、その薬王の薬を飲んで死んだ者も多くいた、という話だ。

  

 ――『劇物』だったらしい。

 身体の弱い者は、むしろ伝染病ではなくその薬によって苦しんで死んだ、という記録が外典には記されていた。

 そのあまりの生々しさに、(ちまた)ではなかなか読まれないが、歴史家などはむしろ貴重な資料だとして外典の方を好んだ。

 (たた)えられた英雄像は、とかく人の願望や思惑に歪められていることが多かったから、歴史家にとっては直線的に薬王を揶揄する外典の方が貴重に思えたのだろう。


「■■■」


 マリーザは薬王に関する情報を整理している最中、メレアの口から再び竜語が紡がれた音を聞いた。

 と、続く動きでメレアが短剣を薬指に押し当て、すらりと滑らせたのを見る。

 切り口から赤い血があふれ、(たま)となり、やがてぽたりとこぼれ落ちた。

 何滴かの血の珠が地面に落ちたのを確認してから、メレアが地竜へ近づく。


「……どういう結果になるかはわからないけど、こいつは俺の言葉にちゃんと目の光を返したから、最後まで足掻(あが)いてみよう。ほうっておけばいずれにしろ死ぬ。薬王(カルラ)の血に耐えられなくても――死ぬ。でも、そうなってもせめて、俺が看取ろう。死ぬにしても、一人で死ぬのはさびしいからな」


 メレアは柔らかな声音で言った。

 ふとマリーザは今のメレアがどんな表情をしているのか衝動的に気になって、足音を立てずにこっそりと立ち位置をずらし、その横顔が見える位置に移動する。


「一旦覚悟してしまえば、意外と死なんてなんともなくなると思ってたけど、実際死ぬ間際になってみると、ちょっと未練がましくなるからな。俺のときはフランダーがいてくれたけど、このままじゃお前は一人だ。ここに居合わせたのも何かの縁だろうし、俺がフランダーとまったく同じ役割をこなせるとは思わないけど――でも、お前が死ぬのなら、俺が傍にいよう」


 メレアは優しげな微笑を浮かべていた。

 マリーザはその微笑に、不思議な儚さを見た気がした。


「――マリーザ」

「っ! は、はい、ここに」


 不意にマリーザは自分の名前を呼ばれて、心臓が浮き上がる感覚を覚えた。

 メレアの表情の変化に注視しすぎていたためか、意識の間隙(かんげき)を突かれたような感じだった。

 マリーザは急いで(えり)を正し、可能なかぎり整然としてメレアの次の言葉を待つ。


「俺の勝手で悪いけど、もし俺一人でこいつを押さえるのがキツくなったら、手伝ってくれる? さっきも言ったとおり、たぶん暴れると思うから」


 困ったふうに笑いながら紡がれた言葉。――それはメレアの願いだった。

 とても主人から従者に言うような言い方ではなかったが、その理由はメレアがまだマリーザの一方的な主従誓約にたじたじとしていたからだろう。

 しかしマリーザは、ここに来て初めてメレアからハッキリとした『お願い事』をされた気がして、今度は胸が高鳴った。

 ――ようやく、主人の役に立てる。

 実のところ、陰でこっそりと拳を握りたくなるくらいには、嬉しかった。


「もちろんでございます。命果てるまで、どこまでもお手伝い致します」

「本当に果てちゃダメだけどね」


 またメレアは困ったように笑った。

 そして、


「ひとまず、最初は俺一人でやるから」


 マリーザはすぐにでもメレアの隣に立ちたかったが、そう言われたのでどうにかこうにかうずうずとする自分の身体を押さえつけた。

 そんなマリーザを差し置いて、ついにメレアが右手の薬指から流れる赤い血を地竜の口元に近づける。

 地竜は口の端からだらりと舌を垂れさせていた。

 その舌に赤い鮮血が数滴ぽつりと落ちて――弾ける。


「■■」


 おそらく「飲め」といったのだろう。

 メレアの竜語のあとに、地竜は力を振り絞るようにして、舌を口の中に引き戻した。

 身体は弱弱しく震えていたが、地竜はたしかにそれを飲み込もうとした。


薬王(カルラ)の血はかなり即効性があるから、四、五分もすれば効き目が出てくると思う。それまでは待っていよう」

「御意にございます」


 マリーザは両手を前で組みながら、小さく頭を垂れた。


「はは、こんなときまで完璧な一礼だ。――そうだ。それまでの短い間だけど、さっきの話、逆に聞かせてくれないか」


 メレアがまたマリーザの方を見ながら、小さく笑いつつも、そんなことを言った。


「薬王の話……でございますか?」

「そう、カルラの話。俺は訳あってカルラと話したことがあるけど、カルラは自分の功績に自嘲的だったから、あんまりくわしく教えてくれなかったんだ。いくらかは教えてもらったけど、それもカルラが自分を卑下するような表現に歪めていたかもしれない。だから、かえって巷に広がっている物語の方が真実に近いかもしれない」


 メレアの前半の言葉に、思わずつっこみたくなる気分であったが、マリーザはそれを抑える。

 主人が『教えてくれ』、と言葉を紡いだ。

 ならばなにより優先してその願いに答えるべきだ。

 そう思って、マリーザは口を開いた。


◆◆◆


 メレアは、マリーザからカルラの『英雄譚』の方を聞いているうちは、特に反応を示さなかった。

 予想通り、という感じである。

 しかし、マリーザが口の端に『外典』の方の要約を乗せた途端、


「――なるほど」


 大きく頷いていた。

 何かに納得したような仕草だった。


「歴史家ってやつも案外目ざといな。カルラの未練を的確に指摘してる」

「とおっしゃいますと、やはり――」

「うん、『私はこの血で友を殺した』ってね。それ以外にも、たくさん死んだって」

「……」


 マリーザはとっさにどう反応していいかわからなかった。

 カルラと近しいらしいこのメレアに、カルラの非を追求すべきだろうか。気分を悪くさせてしまわないだろうか。

 いくつもの思考がマリーザの脳裏を駆け巡った。

 そして、結局、


「しかし、そうはいっても、カルラの功績は大きなものです」


 カルラの功績をフォローするような言葉を、マリーザは口に出していた。


「へえ?」


 メレアは興味津々といった体で問い返す。決して嫌みのない、透き通るような好奇の笑みが顔に乗っていた。

 その笑みに一種の美しさを感じながらも、マリーザは即座に、用意していた言葉を並べ立てる。


「カルラの最も大きな功績は、それまで肉体の『傷』に傾倒(けいとう)していた治癒術式の研究文化を、疫病方面へと発展させたことにあります。いつの時代も多く生まれる肉体の傷に関しては、治癒術式の研究が活発でした。しかし、個々で原因の異なる疫病に関しては、あまり研究が進んでいなかったのです。長期に渡って、周期的に猛威を振るったような疫病に関しては、専用の薬効術式が組まれたりはしましたが、新種の病であったりすると、基本的に数代に渡る犠牲は覚悟していたようです」

「らしいね」


 メレアは頷いた。

 マリーザは続ける。


「疫病に対する薬効術式は、それ専用のものを一から作らねばならないことがほとんどであったため、優秀と呼ばれたその時代時代の治癒術師をして、さじを投げるような事柄でした。――しかしカルラは、たった一人でそれらに対抗したのです。カルラは古今東西の薬効術式を収集し、さらに独自の理論を加え、術式以外にも現存の薬草等と組み合わせることにより、ついに、かぎりなく万癒(ばんゆ)に近い薬を生み出しました」

「ただし、その時点にかぎり……か」

「……はい」


 カルラのそれは結局万癒の薬ではなかった。

 その時点では万癒に近かったかもしれない。

 しかし、そのあとに襲った流行病には対応できなかったという歴史が、厳然としてそこにある。


「カルラよりさらに前の時代に、〈薬帝〉と呼ばれる『魔王』がいましたが、その薬帝にもっとも近づいたのがカルラだとも言われています」

「帝号の魔王? カルラより前の時代となると――」

「ええ、いわゆる『悪徳』に身を染めていた、本物の魔王です。――いえ、本物かどうかはその時代によって基準が違うので、その言い方は語弊がありますね。……ともかく、世間一般にいうような悪事に、これでもかと手を染めていた魔王です」

「その薬帝はなにをしたの?」

「治癒術式の究極系として(うた)われる〈万癒術式(ラフタエール)〉の原型を作りました。――莫大な他人の命を使って、ですが」

万癒術式(ラフタエール)……」

「それでも、薬帝の〈万癒術式〉は結局のところ不完全です。蓄積された術式理論が、おそらくもっとも夢の万癒術式に近いだろうとされているため、〈原型万癒術式(パレオ=ラフタエール)〉と呼ばれています」

「すごいことを考えるやつがいたもんだなぁ」


 メレアは呆気にとられたようにそう言った。


「ちなみに、やっぱりまだその万癒術式の完成形は存在していないの?」

「はい、存在しません。なので、万癒術式を完成させた者に〈薬神〉の号が与えられるだろうと昔から言われています。かつて優れた者にそういう〈号〉をつける文化が生まれてから、今まで一度たりとも埋まったことのない席です」

「カルラは――」

「カルラは疫病に対する多効薬を作成した功績と、薬帝の〈原型万癒術式(パレオ=ラフタエール)〉をさらに発展させた功績により、〈薬王〉の号を与えられました。薬帝の原型万癒術式は『傷』にはほぼ万癒的でしたが、疫病方面には意外と脆かったのです」


 そこまで話して、メレアがついに満足したように息を吐いた。

 メレアの足元でまだ伏せっている地竜が、わずかに尻尾を左右に振ったのが見えたのも、そのあたりで話を止めた理由だろう。


「物知りだね、マリーザは。カルラの話が聞けてよかった。――ありがとう」


 メレアは嬉しげな笑みを浮かべてマリーザに言った。

 まっすぐな褒め言葉と礼に、マリーザは少し頬を染めて、


「い、いえ、恐縮です」


 恥ずかしがるように視線を斜め下に泳がせた。

 そうやって自分を褒めてくれるメレアの赤い瞳を直視するのが、少し恥ずかしかった。


「まあ、そんなカルラの血だけど、竜に効くかは実際わからないんだよね」

「人の作る薬は基本的に人に掛かる病しか対象にしませんからね……」

「そう。昔、俺に竜語を教えてくれた天竜が、カルラに『今から竜に効く薬効術式も作れ』って無茶言ってたんだけど、カルラは、『馬鹿を言え、人をすら満足に救えなかったのに、竜など助けていられるか』って、すごく怒ってたな」

「そ、壮絶な光景でございますね……」

「まあね。あと俺に竜の声をくれたやつも天竜に加勢してたな」

「ちなみに、それに対するカルラの返答は?」

「――『私にはもう身体がないから、メレアに頼め。竜にあの薬を試したことはないが、疫病に反応するという根幹の薬効は広く通用するはずだから、もしかしたら効くかもしれん』だってさ。――丸投げされたよ」


 もはやマリーザには何がなんだかわからなかったが、そうやって肩をすくめるメレアが少しおもしろくて、口元に手をやって小さく笑った。

 すると、メレアがそれに気づいたように笑って、


「ああ、悪い、さすがに意味わからないよな。いずれちゃんと説明するよ」


 そう言った。

 マリーザがその言葉にまた少しの嬉しさを感じていると、ついにメレアの足元で地竜が身じろぎをした。


◆◆◆


 マリーザは身構えた。

 カルラの薬が劇物であるとすれば、きっと地竜は暴れるだろう。

 苦しみは生物のリミッターを往々(おうおう)にして外す。

 それは生への渇望に起因する身体の(たけ)りかもしれないし、残りの生を燃やし尽くすための『死舞(しにま)い』かもしれない。

 いずれにせよ、地竜は暴れる。

 それをメレアも言葉端に表していたし、マリーザもまた疑わなかった。

 だから、次に何が起こってもまずはメレアの身の安全を考えようと、マリーザは再び強く決意した。

 そして――


「――ッ!!」


 それは来た。


 地を突き震わせるような、咆哮だった。


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