31話 「白神と黒竜」
「■■、■■■」
さらにメレアがいくつかの竜語を地竜に向けて放った。
地竜の方はそれに反応こそするものの、その口から声が発されることはなかった。
「こいつ、喋れないのかもしれない」
「竜が? 失語症とかですか? もしくは幼すぎてまだ言葉を覚えていないとか……」
シャウが首をかしげて訊ねる。
「うーん……どうだろう。竜語が口の形とかで判断できればよかったんだけど、この言語ってあまり口を動かさないからなぁ」
竜語は、体内の特殊な発声器で作った音波の長短で単語を使い分けることが多い。
「まあ、俺の竜語には反応してるから言葉を知らないわけじゃないと思う。竜は頭がいいから、早い段階に言語を習得するっていうし。少なくともこいつが群れにいたのであれば、ちゃんと学んできてるはずだ」
竜族は、その能力の高さや希少性ゆえに、なにかと高次元の超越的な存在に捉えられがちであるが、実際のところはほかの野生動物とたいして変わりはない。
能力はたしかに頭抜けているが、ほかの社会性をもった動物と同様に、群れを作ることが多いのだ。
天竜は天界にばかりいて、下界にあまり姿を現さないから、特にそういう特別な存在に思われがちだが、その天竜たちでも天界では家族をもち、小集団を構成していることをメレアは知っていた。
「となると、竜死病の影響でしょうか。体内の器官を蝕んでいるとか」
「その可能性が高いかな……」
メレアは悲しげな表情を浮かべて地竜の目を見つめる。
縦に割れた瞳孔を持つその竜眼は、竜死病のせいか少し濁っている。
「……そうか」
それでもメレアは、その竜眼の奥に、この地竜の感情を見た気がした。
「――うん。勝手だけど、お前が喋れないなら、お前の目を見て判断することにするよ」
そう言った直後、メレアはなんのためらいもなく檻の中へ入っていった。
「おっ、おわっ!」
そんな悲鳴にも似た素っ頓狂な声をあげたのは片眼鏡の中年、ザイードだ。
「あ、あぶないですよ! 弱っているといっても地竜ですよ!?」
幼くとも、弱っていても、相手は地竜だ。
やろうと思えば軽く尾を振るだけで人間を粉砕することができる。
「というか――」
そもそもどうやって鍵を掛けておいた檻に入ったのか。
鍵穴を回すための鍵は、今ザイードの懐にある。渡した覚えもない。
そう思ってよく見たら、檻の頑丈な金属格子が、なにかにねじ曲げられたように変形していることに気づいた。
ザイードはそれを見て「まさか、いや、さすがにそんな――」と額に手をおきながら冷や汗を浮かばせ、伺うようにシャウを見た。
「――こう」
そんなザイードに対し、シャウは両手で檻の格子をねじ曲げるジェスチャーを返す。
ザイードの顔がもう元に戻らないのではないかと思えるほどの驚愕に歪んだ。
◆◆◆
メレアはご丁寧に金属格子の歪みを元に戻したあと、檻の中で地竜と向かい合った。
白髪赤眼の超俗的な容姿を持つメレアと、黒鱗の地竜。
一人と一竜が声なく向かい合うさまは、どこぞの英雄譚の中に描かれそうな幻想的な光景だった。
「■■■■、■■」
周りが息を呑んで見守る中、メレアは最後の確認とばかり竜語を唱える。
地竜はわずかな反応こそ見せるが、鳴き声らしい鳴き声をあげぬまま、やはりとろんとした目をメレアに向けるばかりだった。
「なんて、言ったの?」
ふと、アイズがメレアに訊ねる。
「――『生きたいか』って」
メレアの視線はじっと地竜に向けられている。
「やっぱり、放っておいたら、死んじゃう……の?」
アイズは地竜に心配そうな視線を向けながら、悲しげな表情で言った。
「竜死病はその名の通り死病です。地竜は本来、些細な疫病にはかかりませんが、逆に竜族だからこそかかるような病もわずかながら存在します。それがこの竜死病という病でありまして……、かなり、厄介な病なのです」
その問いに答えたのはメレアではなくザイードだった。
「ちなみに、この地竜が本当にその竜死病にかかっているという確証は?」
すると、今度はメレアが檻の中からザイードに問いかける。
「舌です。竜死病にかかった竜は、舌に死印と呼ばれる十字型のあざが浮き出るのです。もちろん私は地竜の口を手で開かせるなんておそろしい真似はできませんし、弱ってからは餌も食べないのでなかなか判別ができなかったのですが、つい先日だらりと舌が垂れているのを見かけまして。そのときに、その死印が」
ザイードがそういったときには、すでにメレアが地竜の口元に手をかけて軽々とその口を開かせていた。
さすがのザイードもそろそろメレアの怖いもの知らずに慣れてきたのか、目を見開きこそしたが、かろうじて平静さを装うことに成功したようだった。
「ありましたか?」
「……うん」
メレアは頷きを返し、すぐに地竜の口を定位置に戻す。
「この病はどれくらいで竜を死に至らしめるんだ?」
「一週間ほどで」
「今日で何日目?」
「様子がおかしくなってから大体五日ほどです」
総じてプライドの高い竜族のことだから、発症直後は意地を張って弱っている様子を見せないようにしていた可能性もある。
要するに、もう時間がない。
「一応最後の確認として訊くけど、治す方法はないんだよね」
「ありません。もしあったのなら、その地竜の親が治しているはずです。竜にしかかからない死病について、あの竜族が何も知らないわけはない。むしろ、自分たちの天敵ですから、人間よりもくわしいはずです。しかしそんな彼らが、こうしてこの地竜を見捨てている」
「……そうか、こいつは群れを追い出されたのか」
「おそらくは。竜死病は竜しか罹患しませんが、一方で竜にはよく移るらしいので」
ザイードの説明を聞いて、その場にいた魔王たちはすべてを察した。
そして同時に、その地竜の境遇を自分たちと重ねていた。
「■■■」
メレアが横たわる地竜の身体を撫でながらまた竜語を紡ぐ。
「少しうるさくなるかもしれないから、みんなは上にいた方がいいかな。……あ、そもそもここ騒がしくしても大丈夫?」
最後。
確認を取るようにメレアが視線を向けたのはシャウだった。
「ほかのものを壊さなければ、構いませんよ」
シャウがうなずきと共にそう返す。
「じゃあ、やっぱり上で待ってて。リリウムもいるし、騒がしくして目を覚まさせちゃったら悪いから」
そのメレアの言葉は一方で願うようでもあったが、また一方で「いいえ」と言わせない迫力もこもっていた。
「いいでしょう。ただ、あまり時間がないこともお忘れなく。――せいぜい十分くらいですかね。……私としては商品を直してくれるのはありがたいのですが、そのせいであなたがダメになっては意味がありませんから」
その言葉に、一人驚いたような表情を浮かべる者がいた。
ザイードだ。
彼はありえないモノを見るかのような目で、シャウを見ていた。
その視線に気づいたシャウは、メレアから視線を外しながら微笑を浮かべる。
「私が金以外に執着したことに驚いているのですか?」
「い、いや、その……どちらかといえば、そのことをまっすぐに言葉に表したシャーウッド様に……珍しいな、と」
言いづらそうに口ごもるザイードに、シャウは楽しげに笑いかけた。
「彼にはそれなりに借りがあるので。――あ、あと彼は私に金をもたらしてくれそうですからね。……はっ! そう考えるとつまり彼は金じゃないですかっ! 金の精霊でしょうか!?」
「我が上司にして金の亡者の同志ながら、その論理にはついていけそうにありません……」
ザイードはため息をついたが、顔は笑っていた。
「――ともあれ、そういうわけですから、私が彼をちゃんと気遣ったという証拠をこの場で作っておいたのです。借りを返しつつ、いずれ貸しを作れるように、日々機会を窺わねばなりませんからね!」
そうとってつけたように言うシャウを、ザイードは再び苦笑とため息で迎えた。
「そういうことにしておきましょう」
「なんだかしっくりこない答えですね。まあ、いいですけど」
そういいながら、シャウはザイードと共に階上へあがっていく。
「では、私たちは上で待っている。リリウムは私が連れていこう」
「よろしく頼むよ」
次にエルマがそう声をかけて、リリウムを腕に抱えたあと階上へと向かった。
「大丈夫、だよね……?」
「うん、きっと大丈夫」
アイズの心配そうな声にメレアが笑みを返す。
その表情を見て、アイズ自身決心を固めたように姿勢を正し、エルマたちのあとを追った。
そして――
「わたくしはメレア様に死んでもらっては困るので、ここに残らせてもらいます」
最後にマリーザがその場に残った。
◆◆◆
「結構うるさくなるよ? たぶん、こいつ叫ぶだろうし」
「ついでに暴れたりするのでしょうか」
マリーザはメレアの言いように、なんとなくという程度の予想を抱いていた。
「――するだろうね。ほかの交易品を壊すわけにはいかないから、なんとか檻の中だけで押さえるつもりだけど」
やっぱり。マリーザは当たって欲しくなかった予想が当たって、思わず眉根を寄せた。
「もしその地竜の膂力がメレア様の膂力を上回っていたら?」
「そりゃあ、少しは痛いことになるだろうね。――でも、俺は死にづらいから大丈夫。『薬』が効くまでの辛抱だ」
「……薬?」
マリーザとしては「私が全然大丈夫じゃありません」と言い返したかったが、すでにメレアの顔には強い決意が灯っている。
仮に「やめてください」と諭しにかかっても、聞き入れられそうになかった。
だから、せめてメレアの意味ありげな言葉に自分なりの安心を見つけようと、くわしい内容を訊ねる。
「竜死病に効く薬を持っておいでなのですか?」
「竜死病に効く薬、ってわけじゃない。いろんな病に効く薬」
マリーザはすでにメレアのでたらめさにある程度の信頼をおいていたが、薬品の入っていそうなビンのひとつも持っていない今のメレアの言葉は、さすがに無条件で信用するわけにはいかない。
一体なにをしようというのか。まるで見当がつかない。
と、そこでマリーザは自分の短剣が一本しかないことに気づいて、そういえばメレアに求められてもう一本を渡したことを思い出した。
途端、メレアの『自分に刺す用』という言葉が蘇り、なんとなくメレアがしようとしていることに見当がついた。
「もしや、メレア様の『血』、ですか?」
「よくわかったね」
メレアは顔に微笑を浮かべ、マリーザを称えるような声音で言った。
すでにメレアの左手にはマリーザの短剣が握られていて、その切っ先は右手の指に向いている。
「まあ、俺の血が全部薬ってわけじゃない。薬指から出た血だけだ。俺の右手の薬指は〈薬王の薬指〉って言ってね――」
マリーザはその名に聞き覚えがあった。