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百魔の主  作者: 葵大和
第二幕 【時代の奔流】
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30話 「竜の言葉を紡ぐ男」

 〈剣帝〉エルマはここまでの道中、わずかばかりの気を周りに向けてはいたものの、実際のところはほとんどうわの空だった。

 

 ――私のせいで、よりによってムーゼッグに……。


 エルマがそういう状態に陥ったのも、すべてはここに来て考える余裕というものが多少なりとも生まれたからだ。

 無我夢中で逃げているうちは気にせずにおけた。

 しかしひとたびその迷いが立ち戻ってくると、今度は振り払うことができなくなる。

 よくよく考えても見れば、ムーゼッグに追われている最たる原因は自分にあるのだ。

 自分がほかの魔王を――巻き込んだのだ。


 ――くそ。


 ムーゼッグは魔王を追う国家の中でも別格だ。

 ムーゼッグに追われるくらいならば、ほかのいくつかの国に追われたほうがマシだったかもしれない。

 

「エルマ、エルマ、地下に行こうよ。なんかいろいろ見れるってさ!」

「えっ? あ、ああ、そうだな……」


 そんなエルマの思考を切り裂いたのはメレアの楽しげな声だった。


「どうかしたの?」

「いや、なんでもないさ」


 美しい赤の瞳がエルマの目を射抜き、一瞬その心までもを見抜かれたのではないかとエルマは思った。

 だが、首をかしげているところを見ると杞憂(きゆう)だったらしい。

 エルマはホっと内心で一息ついて、メレアのあとについていった。


◆◆◆


 しかし、実はエルマの懸念は杞憂ではなかった。


 ――どうすればいいかな……。


 メレアは、なんとなくという程度ではあれど、エルマがみずからを責めていたことに気づいていた。

 そういう顔をする者たちを、あのリンドホルム霊山の山頂で何度も見たことがある。

 過去に未練を残した英霊たちがときおり宿す表情に、よく似ていた。


 ――でも、エルマはなにも言わない。


 それも彼らと同じだ。

 まったくほうっておくつもりもなかったが、メレアはどうやってそれを切り出せばいいかがわからなかった。

 いつ、どんなふうに。

 英霊たちにでさえ訊きづらかったのに、それをまだ出会って間もない彼女にたいしてできるのか。


 ――我ながら情けないな。


 うまく彼女の心に寄り添うことができない自分に、メレアは少しイラついていた。 


◆◆◆

 

 その後、メレアたちはシャウに先導されて、シャーウッド商会支部の地下に足を運んでいた。


「本当にいろいろあるし、いろいろ()()ね」


 さまざまな地方から取り寄せたという交易の品が、商会支部の地下にはあった。

 メレアは、背負っていたリリウムを地下室の角にあった柔らかなソファに優しく寝かせたあと、その交易品を観察しはじめる。

 それらしく値打ちのありそうな鉱物植物にはじまり、いまいち価値のわからない絵画芸術品の棚を経て、何のために作られたのかもわからない工具らしき物体へ。――そこには生物の入れられた(おり)まであった。


 あの片眼鏡(モノクル)の中年〈ザイード〉が、足を調達してくるまでの待ち時間ということで、シャウも丁寧に交易品について説明してくれた。

 メレアにとってはほとんどが初めて見る品で、好奇心のうずきは実物を見るたびに大きくなっていったが、メレアの脳裏にはあのつらそうなエルマの顔も残っている。

 ときおり視線をちらと向けるが、やはりエルマはシャウの説明にもうわの空という感じだった。


「おや、珍しいのがいますね」


 すると、交易品の並ぶ地下倉庫見学も終わりに近づいたころ、シャウが軽い驚きの声をあげていた。

 シャウが目を丸くして見つめている先にあったのは、ひとつの(おり)だ。

 あくまで商品であるとする交易品中の動物たちは、そうして檻の中に安置されている。

 さきほどからいくつかの檻は見ていたが、その檻はひときわ巨大だった。

 メレアもその檻に近づいていって、シャウの視線に(なら)う。

 そうしてすぐに、なぜその檻だけが巨大なのかを理解した。


「――竜」


 似ていた。

 その檻の中には、あの〈天竜〉クルティスタによく似た生物が、でんと居座っていた。

 クルティスタの白い体表に対し、その檻の中の竜は黒い体表をしている。


地竜(レイルノート)の幼子でしょう」


 〈天竜(テイシーア)〉ではなく〈地竜(レイルノート)〉。

 言われてようやく、その竜に覚えた違和感にメレアは気づいた。

 『翼』が小さいのだ。

 クルティスタの双翼はとにかく巨大であった。

 あの巨体を飛ばすのにきっとそれだけ大きな翼が必要だったのだろう。

 だがここにいる黒い地竜は、身体に対して翼が小さい。

 代わりに、クルティスタよりも前後の四足が発達していて、いかにも地を走るのが得意そうな身体であった。


「地竜って空を飛ばないんだっけ?」

「そうですね。飛びはしません。――()()ますけど」


 地竜(レイルノート)は空を飛びはしないが、跳びはする。

 跳躍だ。

 その圧倒的な脚力と、姿勢制御のための双翼で、うまいこと空を『跳ぶ』。

 一方で、地を駆けるのも当然のごとく得意だ。

 その速力は馬などとは比較にならず、まさしく生物界で最速を競うと言われている。

 またその小さな翼は、そうして地を疾走する際の補助翼としても発達していて、地竜の翼は飛ぶためのものではなく走るためのものでもあると言われていた。


「んー、地竜なんてどこで買ったんでしょう。なかなかお目にかかれるものではないのですが」


 当のシャウも見当がつかないらしい。

 するとそこへ、あの片眼鏡の中年ザイードが少し息を荒げて戻ってきた。


「シャーウッド様、馬の手配が済みました。駿馬です。十五頭ほど手配しました」

「そうですか。いくらか相乗りすればなんとかなりますね。ご苦労様です。――ところで、少しお聞きしたいのですが」

「はい?」

「この地竜、どこで買ったんですか?」

「――ああ」


 シャウの問いにザイードはすぐ得心したような声をあげて、次に「うーん」と困ったふうに唸って見せた。


「実は先日、中央商業街のオークションで見かけまして。これは王侯貴族あたりにうまく売り込めば良い儲けが出ると思って買ったのですが……」


 なにやらザイードはシャウの顔をちらちらと窺いながら、言いづらそうに口ごもっている。

 シャウが軽い調子で、「さきをどうぞ」と仕草でうながすと、ついに観念したとばかりにザイードは続けた。


「……病にかかっていたのですよ。買い上げた当初は元気だったのですが、どうやら潜伏期というやつだったらしく、病の兆しなどこれっぽっちも見られませんでした。こうやって地下に運んできて二日ばかり――いやはや、『してやられた』わけです」

「なるほど、まだまだ精進が必要ですね。そのあたりにくわしそうな生物学者でも雇いましょうか?」

「いえいえ、二度同じ失敗はしません。自分で学んでいるところです」

「よろしい、それでこそシャーウッド商会の商人です」


 シャウはザイードの失敗には寛大なようだった。

 それからシャウはまた地竜に視線を向ける。


「それにしても……病、ですか。治療はできないのですか?」

「無理でしょう。病んでいるといってもこいつは地竜ですから。まともな人間じゃ手がつけられません。なにより、この地竜が罹患(りかん)している病が、治療法が確立していない〈竜死病〉というものらしくて……。治療しようと調査に奔走したのですが、かえってそのおかげでこの病の厄介さがわかってあきらめがついてしまったという感じです。もちろん私もせっかくの商品を失いたくはないのですが……」


 たしかにその地竜は檻の中でぐったりとしていた。

 檻の傍に寄ったアイズが、悲しげな目でその地竜を見つめている。

 またエルマも、今までのうわの空を取っ払い、その地竜に物憂げな視線を向けていた。

 そうやって衰弱していく地竜に、自分の未来を重ねているかのような、悲しくもどこか儚げな表情だった。


「――じゃあ、治せるかどうか試してみよう」


 しかし、ただひとり、その場にいた雪白の髪の男だけはみなと違う言葉と表情を見せていた。


「本当に治るかどうかはわからないけど、もうお手上げというのなら、最後のチャンスを俺に譲ってほしい」


 メレアの視線は、言葉と同様に馬鹿正直にまっすぐだった。


◆◆◆


 一体この男はなにをしでかすのだろうとみなが見ていた。

 そんな中、メレアはマリーザに歩み寄って、片手を出しながら言った。


「その背中の短剣、一本貸してくれない?」


 マリーザは首をかしげる。


「刃物で地竜の身体になにかするのですか? 地竜の鱗相手ではこの短剣もいささか分が悪いのですが――」

「ああ、そっちじゃない。俺の身体に刺す用だ」

「今、ものすごく貸したくなくなりました……」


 本当に、なにを言っているのだろうか。

 マリーザはいつもの冷静な表情を崩し、困ったように眉をしかめる。

 だがメレアは腕を下ろさない。

 「早く早く」といわんばかりの顔だ。


「……まったく、わがままな(あるじ)様ですね」


 結局マリーザが先に根負けした。

 マリーザは腰の鞘から一本の短剣を取り出すと、しぶしぶという感じでメレアに手渡す。


「念のために訊きますが、メレア様自身に不都合はないのですね?」

「うん、大丈夫」


 メレアはどことなくうわの空で答えながら、マリーザの短剣を受け取って地竜の檻に近づいて行った。

 そして、


「■■■」


 直後、メレアがなにかを言った。

 『なにか』、だ。

 それがなんであるかが、その場にいる者にはわからなかった。

 ややあって、ハッとしたようになにかに勘付いたのは、シャウだった。


「もしかしてそれ、『竜語』ですか?」

「ん? ――ああ、そうそう。知り合いの天竜(テイシーア)に教えてもらってさ」

「ちょっ、ちょっと! いろいろ待ってください! 天竜に教えてもらったっていう状況がそもそも奇天烈極まりないんですけど……!」


 シャウの焦りを(とも)した抗議の声に、メレアは「そこはなんかこう、流せよ」と目で面倒くさそうに訴えかけている。

 しかしシャウは、「それは看過しがたい」とばかりに、さらに言葉を並べた。


「しかも竜語って、特殊な発声器が体内になければ発声できないんじゃありませんでしたっけ?」

「そうだよ」

「そうだよって……」

「発声器は――知り合いから譲り受けてね。俺の知り合いに、かつて力を得ようとして竜を目指した馬鹿がいたんだけど」

「そりゃあ馬鹿です。間違いなく馬鹿です。人が竜にって……発想もさながらそもそも成功するわけが――」

「完全な竜にはなれなかったけど、竜の力の一部を身体に宿すことには成功したらしいんだ」

「――」


 絶句だった。

 シャウは頬をヒクつかせながら、何も言えずにいた。

 マリーザは眉をつりあげて珍しく驚愕を顔に載せ、アイズは首をかしげながら「え? 人が竜になったの? ……えっ!?」と唖然としている。


「それで、発声器はその知り合いのおかげでどうにかなったから、あとは竜語を勉強するだけって感じで。竜語の習得自体は自力で頑張ったよ。宝の持ち腐れはいやだったからね。クルティスタ、すごい厳しかったけど……」


 軽い調子で言いながら、一人過去を思い出して苦笑するメレア。

 その言葉は文字面のみでは信じがたかったが、事実、今のメレアの竜語に地竜の方が反応したのを見て、


「信じざるを得ない状況というのは、あまり好きではありませんが……」


 結局は、この男が竜の言葉を紡ぐことができるおかしな人間なのだということを、信じざるを得なかった。

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