263話 「英霊の子の矜持」
「レイラスが?」
「そう。夫であるあなたもよく知るとおり、あの子は、今の世界に当たり前にあるこの『術式』という仕組みを最初に生み出した者と同じように、この世のありとあらゆる式を見ることができた。そしてその式の揺蕩いから、世界の行き先まで見ることができた稀有な才能の持ち主だった」
一方で、そんなレイラスにもできないことがあった。
「『世界式への干渉』は、さすがのあの子にも荷が重かった。元々この世界で生まれた者は、言ってしまえば自身も世界式の一部として組み込まれ、連動している。世界に組み込まれている体で、自分の周囲の世界式をいじれば、まっさきにその反動を受ける」
近くの椅子を世界式をつまんで動かそうとしただけで大けがを負ったことがあるのを、フランダーも覚えていた。
「でも、あの子は世界式を誰よりも深く読み取れたから、〈悪神〉アニムスの存在に刻まれた式の正体も突き止めることができた。そういう観点では、あの子が一番アニムスのことを目の上のたんこぶのように思っていたかもしれません」
と、そこで近くにいたサルマーンが口を挟む。
「でもよ、アニムスのおかげであんたたちはメレアを迎えられたんだろ? 今のところアニムスの力がこれといって大きな害を及ぼしてるとは思えねえんだが」
「そう、たしかにそうでした。しかしレイラスには、いずれアニムスの力が世に悪い影響を及ぼすことが見えていた。レイラスは今のこの状態も、はるか昔から見ていました」
そう言われ、周囲の者たちは口をつぐむ。
と同時、そんな見たくもない未来の光景を、意図してかせずか見せ続けられるレイラスを思い、えもいわれぬ憐憫の念を抱いた。
「無論、遠ければ遠いほどレイラスの未来視も断片的でした。でもいつもそこに、〈悪神〉の力の影響を捉えていたのです。――わかっていても、どうにもできない。アニムスの人体式を読み、おそらくこうすればあの〈存在〉の力を無効化できるとなんとなくわかっていながら、それをできない自分の力の限界もわかっていた。だからレイラスは、かつてアニムスの五体を切り離した聖人たち以上に、その存在を気に病んでいたかもしれません。……それでも、そこにやがて希望がやってくる」
ふと、そこでクリアがメレアを見る。
「――メレア、あなたという異界の魂が、レイラスの力を継いでこの世に生まれた」
◆◆◆
「ここからの話は、あなたもよく知るところでしょう」
そう言ってクリアはメレアの手に触れ、自分の力で近くの岩場に腰を下ろす。
ひととおり一度に話をして、少し疲れたようでもあった。
「ああ、でもフランダー、レイラスは最後まですべてをあなたに伝えるべきかを悩んでいましたよ。かくいうレイラス自身も、メレアの誕生を見届けてアニムスの呪縛を振り切ってしまったように、あなた自身もレイラスに負けず劣らず、メレアの誕生を誰よりも喜んでいた。レイラスはそんなあなたを見て、こんなくたびれた宿業までも、あなたやメレアに背負わせてよいものかと、最後まで悩んでいた。だから、もしあの子に再会することがあっても、責めないであげて。――あの子はあなたの妻であり、メレアの母でもあったのです」
その思いを、フランダーもすぐに理解できた。
なぜなら自分もそうだったからだった。
最後の最後に、メレアに〈魔王〉を巡る物語を伝えたが、そんなフランダーでさえ、そのうえでメレアに言った。
もう報いる必要はない、と。
ただ、健やかに。
「――みんな勝手に悩みすぎなんだよ」
と、ふいに少し不機嫌な声があがった。
「あと子どもの思いを無視しないでほしいね」
メレアの声だった。
「メレア?」
「フランダーも、レイラスも、ヴァンも、セレスターも、ほかのみんなもそうだ」
メレアは腕を組み、少し苛立ったふうに地面を靴の先で削る。
「勝手に『親としてはこうすべきだ』とか、『自分の未練を背負わせるべきじゃない』とか。みんなが行ってからいろいろ考えたんだけど、全部それは親の都合じゃないかって。たしかにみんなのそういう思いは俺を思ってくれてのものだってわかってる。それをありがたいとも思う。でも、そう考えるとき、みんなは『子どもの気持ち』を考えていないとも思った。この場合、俺の気持ちだ」
こうしてメレアがなにかに苛立つ様子を見せるのは、珍しかった。
周りにいた仲間たちも、まるで駄々をこねる子どものようなメレアの姿を見て、こんな状況であってもきょとんとせざるを得なかった。
『――反抗期だ』
ふと誰かが言った。
「俺がいつ、『俺にはみんなの未練を背負わせないでくれ』って言った? 親に親としての思いがあるのと同じように、子には子の思いと意地がある。――子どもを舐めないでほしい」
メレアはまっすぐに周囲の英霊たちを見てから言った。
「俺は、あなたたちの子なんだ」