253話 「紺碧の旗を掲げよ」
――これが、ラクカの民か。
その場にいたフランダーだけは、アイズが身にたたえる莫大な量の術素に気づいていた。
ほんの少し前まで触れれば壊れてしまいそうな華奢な少女だったのに、今やその存在感は――
「まるで……世界そのものだ」
レイズからの贈り物として、フランダーもまたわずかではあれど天力の存在を感知できるようになった。
もともと術式を研究する過程で天力については学んでいたが、紙面で学ぶのと実際に体感するのとでは訳が違う。
魔力は、主に生物に宿る。
天力は、天に宿る。
天は、少なく見積もっても、世界の三分の一を占めている。
その総量たるや、たかだか数万、数十万の術士が魔力を込めたところで敵うものではない。
――この娘は、天と地を結びつける楔だ。
天力術素を扱う術士の才は、身の内にため込める天力の量と、天から天力を吸う早さに現れるとレイズは言っていた。
このアイズという少女に関しては、特に前者が卓越しているように思う。
――底が見えない。
こうして術式を発動している最中にも、次々に空から天力が吸い込まれていき、ややもすれば四門を解放したメレアをすら超えかねない術素がその小さな体に蓄えられている。
「まだいけそうかい?」
「――はい。……すごい、ですね」
「そうだね。君の天力を扱う才は――」
「いえ、フランダー、さん、あなたの、力が」
術機の砲撃から十枚ほどの盾で前線の仲間たちを護ったアイズが、ふと目を開いて言う。
「空が、こんなに近くに」
フランダーはレイズに言われたとおり、空間をずらす術式によってアイズの上空に文字通り空を堕とした。
「いつも、あなたのことを話すメレア君の顔は、自慢げでした。そして、その気持ちが、よくわかりました」
そう言われ、フランダーは少し面食らった。
と同時、少しむずがゆくなった。
「わたしは、もう大丈夫です。ここで、できるかぎりのことをします」
「――わかった」
フランダーはうなずき、黒雷を纏う。
「あと、わざわざこんなことを言うのも、変かもしれませんが――」
「なんだい?」
アイズがふと美しい微笑を浮かべて言った。
「――メレアくんは、ちゃんと来ます。なにも、心配いりません。みんなの――主ですから」
魔王連合の魔王たち。
サイサリスに匿われていた魔王たち。
そして、天から降ろされたかつての魔王たち。
「はは、主か。なるほど。――うん、すべて合わせれば百人くらいにはなるかな」
そのときふと、フランダーの脳裏にかつてメレアがリンドホルム霊山であれこれと死闘を繰り広げていた〈未来石〉のことが浮かんだ。
「――ああ、そういうことかい」
フランダーは思わず笑ってしまった。
こんな状況で、それでも笑わずにはいられなかった。
「――そうだね。あれが今この時のことを示しているのであれば、メレアは来るだろう」
――〈百魔の主〉。
かつてメレアが最後に使った〈未来石〉には、そんなことが書かれていたのをフランダーは思い出した。
◆◆◆
「この盾は……アイズか!」
視界に突然現れた巨大な銀の盾に目をしばたかせたエルマは、すぐにその術式盾が誰によって作られたものなのかを察した。
「また守られてしまったな」
しかし、同時に笑みが漏れてしまう。
立ち向かっている。
ここにいる魔王たちすべてが、逃げ惑うだけの日々から決別し、今再び世界に抗おうとしている。
「エルマ! 左からなにか来るぞ!」
一瞬、感傷に浸りかけたエルマをサルマーンの声が呼び戻した。
声にしたがい左方を見やると、蠢くムーゼッグ軍のさらに奥から、砂嵐のような巨大な砂塵が舞っているのが見えた。
「ムーゼッグの増援か⁉」
言いながらムーゼッグ軍の動きを注視する。
――いや、違う。
ムーゼッグ軍もまたその砂塵を見ていた。
予定されていた援軍であればこうは注視すまい。
「――旗だ」
風に開けられた砂塵の隙間から、一瞬『旗』が見えた。
そして――
――槍の、騎兵。
紺碧の旗を掲げた旗手を中央に、一分の乱れもない隊列を維持しながら高速でこちらへ近づいてくるのは槍の騎兵の軍勢。
その旗手が今、旗をいっそう天に高く掲げた。
呼応するように、騎兵たちがその手に持った槍を一度だけ天に掲げる。
雄叫び。
そして加速。
軍勢は、まるでそれ自体が巨大な槍であった。
「――〈紺碧槍団〉」
ふと、隣に立っていた見知らぬ魔王が言った。
「ズーリア王国の――」
そのとき遠くから声が聞こえた。
今まさにムーゼッグ軍の後背から突き抜けようとしている紺碧の騎兵軍の中央からだった。
『蹴散らせ‼』
エルマは目を凝らす。
そして思わず嘆息した。
「どうして三ツ国の王たちはどいつもこいつもみずから前線に出てくるんだ……」
呆れる気持ちと、同じく女でありながら戦場に立つ者としての共感と、そこから来る高揚。
エルマの視線の先には、軍勢の中央で美しい紺色の軽鎧を身にまとい、兵たちと共に戦場を駆け抜けんとするズーリア女王〈キリシカ〉の姿があった。
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