250話 「この名と共に、生きていく」
天力と呼ばれる術素がある。
現在では、通常の鳥よりもはるか高空を生息域とする〈天鳥〉という鳥類がその術素をなんらかの生体機能に利用しているのではないかともっぱら語られる程度だが、一部の研究者は、人類もまたその力を身に宿し、数多くの術式を扱っていた形跡があることを論じている。
そして事実、天力術素を扱う人類は存在した。
「我々ラクカの民は、天から力を得、それを基に術式を使う。天力は高空であればあるほど密度が高く、そして天はどこまでも高く広い。つまり、理論上我々は無際限に術式を扱う可能性を秘めている」
天力は自然中に存在し、そして人一人が持つ魔力に対してその量は測るべくもなく膨大だった。
「とはいえ、それはあくまで理論上の話だ。天力を扱う者たちにも才覚というものがあり、その才覚は身の内にため込める天力の量と、天から天力を吸う早さに現れる」
身の内に受け入れることができる天力が少なければ、発動できる術式に限りが生まれ、天力を吸収する速度が遅ければ、術式を何度も打つのに多大な時間が掛かる。
「いずれが欠けても戦場でまともに術式を使うことはできない」
アイズはレイズの説明を聞きながら、彼の手が触れている頭にかすかな温かさを感じた。
「わたしには……」
「フロー家は、ラクカの民の中でも特に天力の力を扱うことに長けていた。だから私は、常にラクカの民の戦いの最前線に出た。そしてお前は、そんな私の最後の子だ」
最後の子。
最初からアイズはその言葉が少し気になっていた。
「あの……最後の子って……」
「ん。心配しているのか、自分に子が産めないのではないかと」
どちらかといえば自分が子を産む前に夭折することを考えていた。
しかしそのどちらでもないことを、レイズが安心させるようにしてこう教えてくれた。
「私が見ることのできた最後の子、というだけだ」
「見ることのできた?」
アイズは小首をかしげてレイズを見上げる。
「私の眼は、天から地を見るだけではなく、まれに未来も見た」
それはまるで、かのレミューゼの〈白帝〉レイラス=リフ=レミューゼのようだとアイズは思った。
世界の式の揺蕩いから、この世界の行く末を覗いたとされるメレアの親の一人。
「そうか。お前は〈世界の式を見る者〉の血縁者の傍にいるのだったな。――あるいは、我々は似たようなところから生まれたのかもしれない」
〈天魔の魔眼〉もまた、正確な理論こそ判明していないものの、自分の肉体を離れて世界の中に視覚を飛ばし、繋がる力だ。
「――これでいいだろう」
さまざまな考え事がアイズの脳裏を巡りはじめたあたりで、レイズが手を離す。
「これで……終わり?」
特に体に変わった感覚はない。
「お前の中に天力を通した。じきにお前の体は天力を自然と受け入れる形になる」
確信めいた口調で言うレイズだったが、アイズはまだ実感としてそれが湧かない。
「案ずるな、アイズ。お前の天力への親和性は私よりも高い。今の間に私の中にため込んだ天力はすべて吸われてしまった。たぶんお前は、体の力が弱い代わりにその才覚を天に与えられたのだろう」
「戦場では、どう戦えばいいのか、教えてもらえますか?」
ひとまずレイズの言葉を吞み込んだアイズは、続けてそう訊ねる。
自分に天力を扱う力が宿ったとしても、それを形にする術式というものをこれまで編んだことはない。
なにより、天力が高空にしか存在しないということであれば、平地ではたいして役に立たないということになる。
「空に触れろ。そのためにその眼がある」
「この魔眼で?」
「そうだ。お前の眼が空にあるとき、天力を受け入れる器もまたそこにある」
おそらくそれは理論ではないのだろう。
「どこまでも、空へ。どれだけ高くにその眼を飛ばせるかもラクカの才覚の一つだ。……ああ、それと」
ふと、そこでレイズが空を見上げた。
「下界には、さまざまな術の力を使う者がいる」
その視線の先から、一人の男が降りてきた。
「無事かい、メレアの仲間たち」
フランダー=クロウ。
最もメレアから多くの逸話を聞いたメレアの親たちの中心人物。
「黒国の天才児」
「あなたは……ラクカの民か」
「博識だな」
肩をすくめるようにレイズが言う。
「タイラントに聞いたところによれば、お前はこの世で最も巧みに術式を扱うという」
「器用貧乏なだけですよ」
「ならばその器用さに頼もう。お前は戦場で、私の子のために空を堕とせ」
二人の間の会話は、周りの者たちにはいまいち判然としなかった。
「――わかりました」
しかし当人だけが、すべてを察したようにうなずいた。
「あと、お前にラクカの民が扱う術式を見せてやる。おそらく私は天に戻されるから、さして時間はないが、お前ならば一度見せれば足りるだろう」
そうレイズが言った直後、その体から光の粒が上がった。
「っ、間に合わなかったか」
フランダーが悔しげに言う。
「私たちが自由になることをあの死霊術士は恐れたのだろう。さて、時間がない。一度で覚えろ」
そう言いながら空中に術式を描いていくレイズ。
その様子をフランダーの赤い瞳が一分の遅れもなく追い、いくばくかその動作が続いたあと、ついに二人の物言わぬやり取りは終わった。
改めてその場にいた者たちは古い時代の苛烈な戦場のレベルを知り、ほんの少し、頭を抱えたくなった。
「あとはこの子に合うようにお前のほうで調整してくれればいい。どうやら今の時代は術式を扱う道具のようなものもあるらしいしな」
「私もあの術機というものに触れたのは最近なんですけどね」
「他の英霊たちに天才と呼ばれるほどの才覚を、存分に発揮せよ」
少しわざとらしく肩をすくめるフランダーを、レイズが鼻で笑いつつ励ます。
「そういえば、あの戦狂いの束縛は解けたのか?」
「タイラントはさきほど会って死霊術式に手を加えました」
「……そうか。それならば十全、これからのことはあとでやつから聞こう。――そういう約束をしてしまったからな」
徐々に光の粒になっていくレイズの体。
それでも満足げな表情を浮かべる彼を、アイズはただ眺めることしかできない。
「アイズ。改めてお前に名を与える。もはやその名を名乗るのに、恐れはあるまい」
残った右手が再びアイズの頭を撫でる。
「アイズ・リリーフェン・フロー・ラクカ。フロー家の末裔として、胸を張って生きよ」
「っ」
誰かに自分が生きていて良いのだと認めて欲しかった。
〈魔王〉として否定され続けた半生。
仲間たちと出会ってそれを払拭したつもりだったけれど、それでもその辛さが完全に消えたわけではない。
父と母は『生きて』と願った。
それは父と母としての言葉だ。
しかし今、脈々として受け継がれてきた〈天魔〉としての一族の長に、自分は胸を張って生きていいのだと、鼓舞された。
「はい。わたしは――ラクカの民として、そしてあなたの遠い子として、この名と共に、生きていきます」
アイズ・リリーフェン・『レイズ』・フロー・ラクカ。
そう言いなおしたアイズを、穏やかな目で見つめながら、かの時代の〈天魔〉は空に昇った。





