245話 「狂気とは」
「……良いだろう。そこまで言うのであれば」
ハーシムはまだレイラスの真意を測りかねていた。
無論それはこの世にいるはずのない人物が目の前にいるからでもあったし、この状況を生み出した〈死神〉ネクロア=ベルゼルートの思惑が気がかりでもあったからだ。
「……」
机越しに向かいの椅子に座ったハーシムは、腕を組みレイラスを真っ向から見据える。
対し、レイラスはまだ言葉を紡がない。
「……む」
「む?」
レイラスの口がわずかに波打ったのにハーシムは即座に反応する。
そして、ついにレイラスが少し困った様子でこう言った。
「……むむむ、お前、思ったよりも目つきが鋭いな……あ、圧が……」
まるで、どこにでもいる町娘のように。
「……」
気づけばアイシャが後ろで構えを解いている。
もしかしたら自分よりも先にこのレイラスのかぶっているなにかに気づいたのかもしれない。
「ふむ……やっぱりほかの英霊のようにはいかんな!」
ぺかーっと。
まさしくそんな擬態語が似合いそうな動きで、レイラスの表情が一気にあっけらかんとした笑みに変わる。
その笑みは、メレアが好奇心を刺激されたときに浮かべる無邪気な表情によく似ていた。
「……猫をかぶっていたな?」
「猫とは失敬な! たしかに私は『見た目のわりに落ち着きがない』などとよくみなに言われていたが、一応公共の場ではそれらしく振る舞うことだって出来たのだぞっ!」
バン、と机をたたいてむきになるレイラス。
――ああ、ああ、これか。
最初はメレアに似ていると思った。
だが、たぶんこの女は――
「レミューゼ史上最もお転婆な女王レイラス。なるほど、時を越えておれは今それを確信した」
メレア以上にまっすぐだ。
◆◆◆
「まったく……どいつもこいつも辛気臭い顔をしおって! お前もだぞ、ハーシム!」
びしり、とハーシムを指さすレイラス。
その姿は逆にさきほどまでの超俗的な美しさをすべて取っ払ってしまうほどの生々しい力強さをたたえている。
「辛気臭い顔にもなるだろう。あなたの遺した碑文によれば、おれはまもなく〈狂王〉となって死ぬのだからな」
「たしかにあれは私が見た未来だ。しかし必ずそうなると決まったわけではない。そうならないために最善を尽くせという意味で、私はあれを遺したのだ!」
レイラスがまっすぐな瞳でハーシムに告げる。
その姿と言葉は裏表を探すのもばかばかしくなるほど飾り気のないものだった。
「……王には向かないな」
ふとハーシムが苦笑しながらこぼす。
「だが、だからこそあの時代に〈魔王〉を救おうとあげた声が、正しく皆に届いたのだろう」
「今となっては皮肉にしか聞こえんがな。事実、歴史が示すように私は失敗した」
レイラスが自嘲するように言った。
「あげく、〈異界草〉を使って世界の在り方を歪め、そしてなにより――メレアに重荷を背負わせた」
次いでレイラスが顔に乗せた表情は、ひどく悲しげなもので、その表情がハーシムの目に妙に焼き付いた。
「あなたはそれを後悔しているのか」
ハーシムはとっさにレイラスにそう訊いてしまっていた。
「どうだろうな。正直に言えば――わからない」
「だが、あなたたちがメレアを生み出したことで、救われた命があるのもたしかだ」
「存外気が利くことを言うやつだな。フランダーに聞かせてやりたいところだ」
そういって笑うレイラスだったが、やはり表情は晴れなかった。
「私たちがメレアに与えたのは、『呪い』なのだ。メレアは祝福だと思ってくれているかもしれないが、それでもやはり、呪いなんだよ。私たちは私たちのエゴによって、メレアという存在をこの世界に再誕させた。そこに至るまでの妄執は、まさしく何かが欠けた死霊だからこその狂気といっても差し支えないだろう」
リンドホルム霊山に漂う未練ありし霊たち。
彼らは最初、自分たちの未練を解消させるためにメレアという存在を生んだ。
だが、結果的に彼らの最初の目論見はメレアとの生活によって違う形で解消され、そして彼らは当初の目的を達することなく天へと昇った。
「おれが外から口を出すべきことではないな。あなたがそこまで言うのであれば、そういう見方もあるのだろう。だが、どんなに周りがわめきたてようとも、それを『呪い』と受け取るか『祝福』と受け取るかは、当人次第だ」
ハーシムはなんの忖度もなくそう言った。
「――メレアに訊け。それが今のあなたの未練を解消する最善の手段だ」
「はは、そうだな。遠い自分の甥に諭されるとは、私もヤキが回ったものだ」
あるいは、強がりなのかもしれないと、今のレイラスを見てハーシムは思った。
最初のどこか触れがたい気品を伴った姿。
そのあとに見せた、無邪気で快活な少女のような姿。
どちらもレイラス=リフ=レミューゼの外観としては正しく、そして彼女の柔らかく純粋な内面を守るための武装でもある。
――人を越えた人など、どこにもいない。
書物の中で語られるような完全無欠の英雄は、やはりどこにもいなくて。
英雄もまた、どこまでいっても一人の人間なのだと、ハーシムはこのとき思った。
「まあ、私の話はいい。――ハーシム、お前はこれからサイサリスに向かうのだな」
「ああ」
レイラスが話を戻すのに合わせて、ハーシムはうなずきを返す。
「どうして自分が〈狂王〉と呼ばれるようになるか、予測は立っているか?」
「――無論だ」
ハーシムは自分の中にある狂気を知っている。
それは、自分からすると過激ではあれど狂気と呼ぶほどのものではないと思っているが、世間一般的に見れば、おそらくそういうたぐいのものに値するだろうとの客観的な視点による認識だ。
「レイラス=リフ=レミューゼ、あなたはおれの行いを狂気の産物と呼ぶだろうか」
今度はハーシムがまっすぐな視線でレイラスに問いかける。
「……それを狂気と呼ぶのであれば、まず先に〈魔王〉を生み出した者たちの人心をこそ、狂気と呼ぶべきだろう」
「では、やはりおれのこのやり方も、普通ではないのだろうな」
「……」
レイラスはハーシムの言葉を否定しなかった。
そしてそのことをハーシムは笑って受け止める。
「血で血を洗う、というのと少し似ているかもしれないな。ただ、そのために流す血の量がおびただしいのが問題だ」
「それを考えること自体は否定しない。お前が〈魔王〉という言葉の意味を変えるために、あらゆる常識を取り払って考えた結果だ。だが、その手段を取らせないために、今はメレアがいる。……はは、これは矛盾だな。私自身、メレアに呪いをどうこうと言っておきながら、一方でお前を諭すためにメレアの存在を前提としている」
「矛盾なく生を全うできる人間などいるまい。すべてが正しく白か黒で決められるのであれば、これほど楽な世界はないだろうよ」
そう言ってハーシムはおもむろに椅子から立ち上がった。
「ひとつだけ訊かせてくれ。――メレアは間に合うのか。あなたのその眼は、今のこの時代において、その光景を世界の式の中に見ているか」
ハーシムの問いを受けたレイラスは、わずかの間その目をまっすぐに見据え、そしてうなずいた。
「間に合う。メレアは必ず、すべての中心へ舞い戻ってくる。だから、違う道を切り開く希望を捨てるな」
「――わかった」
ハーシムはレイラスの答えに真偽を見ることはしなかった。
そしてメレアが間に合った結果、どうなるのかという先のことを訊くのもやめた。
いずれにせよ、行けばわかることだ。
そして、わかっていたとしても、志向する目的は変わらない。
「どうにもならないときは、おれが〈狂王〉となって〈魔王〉の意味を変えよう」
ハーシムは窓の外を見やって言った。
「――だが、もしメレアやほかの魔王たちが別の道を見せてくれたのなら、おれもその道に向かって歩いてみることにする」
「……ああ」
これでいいか、とハーシムがレイラスの方を振り返った。
「……まったく、落ち着きのないご先祖様だ」
しかし、すでにそこにレイラスの姿はなかった。
代わりに、机の上にレミューゼの紋章が刻まれたペンダントが置いてあって、ハーシムはそれを微笑と共に拾い上げる。
「……行こう、アイシャ」
「はい」
ハーシム=クード=レミューゼは、そのペンダントでマントを留めなおし、ついに運命の地へと旅立った。
 





