243話 「魔王の意地を知るが良い」
「……むう」
ここまで一線を画して超越的な様相を呈していたフラムが、まるでふてくされた子どものように口をつぐむ。
その姿を、フランダーとセレスターはどこか遠い別の場所での出来事のように感じた。
「〈魔王〉らしく振る舞おうとするあなたの心もわかりますが、やりすぎてはすべてが水泡と帰します。それで事が済むのであれば、最初からそうしていたではありませんか」
クリアが前髪を艶やかに手で払いながら、ため息交じりに言う。
「……しかし」
「しかしもなにもありません。あなたが生きた時代と今の時代では、恐怖や驚異への慣れ方が違います。――もう、十分です。十分にあなたは〈魔王〉ですよ」
そう告げるクリアの表情は、喋りきるまでの間に二転三転した。
そして最後に彼女が浮かべたのは、幼い子どもの失敗に対し、怒りながらも慈しみを向ける母のような苦笑だった。
「――そうか。私は〈魔王〉になれたか」
「ええ」
「……ならば良い」
どこかさみしげにフラムがつぶやいた直後、フラムの左手が動き出し再び宙に術式を描きはじめる。
それはフラムの表情とあまりに異なった動き。
おそらくその魂を縛っている〈死神〉ネクロア=ベルゼルートの意図したものだろうということをその場の全員が察知した。
が――
「目的は達した。私に指図するな、三下」
その左手を、フラム自身の右手が手刀で切り落とす。
描写途中だった術式は途切れ、落とされた左手と一緒に光となって消えた。
「自分で切らなくても、私が切り落として差し上げたのに」
「いらぬ。魂を縛られているというのは厄介だが、腕の一本ぐらいなら逆らえるものだ」
「術式を返したのですか?」
「そんなまどろっこしいことはしていない。できるから、できるのだ」
「相変わらずですね、そういうところは」
クリアがまた小さくため息をつく。
「さて……フランダー」
クリアがフランダーを呼んだ。
「は、はい」
クリアの呼び声にしたがってフランダーが黒雷をまとったまま二人に近づく。
「私とこの人の死霊術式を解いてください。しかし、まだ魂を天に返してはなりません。こうなってしまった以上は、この人の悪行を最大限に利用します」
クリアの言わんとすることをフランダーはなんとなく察していた。
そしてその予想が正しいことを証明するように、フラムが言う。
「私はどこで死ねばいい、クリア」
みずからの死を提示するフラムの顔には、さしたる感情が乗っていなかった。
淡々と、その命を捨てることを許容している人間の顔。
「ここではありません。あなたはフランダーをメレアの代わりに立てようとしたようですが、フランダーもまた今の時代を生きる者ではないのです。仮に一時、フランダーがあなたを倒した英雄となろうと、その効果は長く続かないでしょう」
フランダーは二人にかけられた死霊術式に手を加えながら、二人の話に耳を傾ける。
「それに、フランダーはもともとムーゼッグの王族です。サイサリスの敵となるのがムーゼッグである以上、その素性は邪魔になる」
「……やはりメレアか」
「終わりました」
そこでフランダーが二人に言った。
「僕の術式を噛ませたのである程度の自由は利きます。でも、反転術式による相殺ではなく、あくまで改変なのであまり長くは持ちません。もし、もろもろの事情が間に合わないときは――」
「わかっている。――よくやった、フランダー。〈術神〉の名に恥じぬ御業だった」
「あ、いえ……この年になって褒められるとなんだかむずがゆくなりますね」
フラムに素直な褒められ方をして、フランダーは自分が照れていることを自覚する。
メレアにとってフラムがはるか遠い時代の人間であるのと同じように、フランダーからしてもフラムは自分より前の時代を生きた偉人である。
〈術神〉という号を冠るようになってから、人に称えられることはあっても、褒められることはあまりなかった。
と、そのあたりになってフラムがぴくりとなにかに反応した。
「――来たか」
それは最初、とても小さな音だった。
しかし、次第にその音が地を踏み鳴らす音だということをその場の者たちに知らせるように大きくなっていく。
「私は行く。黒国に組することになるのは不本意だが、〈魔王〉の名をめぐる因果を断ち切るには、必要な方策だろう」
そう告げるや否や、フラムの足元から緑色の炎が吹き上がり、次の瞬間にはフラムの姿がその場から忽然と消えてしまっていた。
「……まったく、落ち着きのない人。――フランダー、今のうちにできるかぎりほかの英霊を死霊術式から解放してきなさい。そして、見込みのある者をこの北門に集めなさい。もしメレアがこの戦いに間に合わないときには、私たちがメレアの仲間たちを擁立し、この場を納めなければなりません」
その一連の言葉で、フランダーは音の正体を察する。
「――わかりました」
「セレスターはメレアの仲間たちをここへ」
「了解した」
答えるやいなや、セレスターは白雷となって再びサイサリスの街並みに消える。
「とりあえず、こちらの準備が整うまで、私があれらを足止めします」
そう言ってクリアは三尾を屈曲させ、その場から大きく跳躍した。
向かった先は北門付近でまだ奇跡的に倒壊していない時計塔。
その頂上に着地したクリアは、サイサリスのはるか北に、今にも世界を塗りつぶそうとしている黒い波を見た。
「――黒国よ。かの時代よりここまで、ただ世界を手に入れんとしぶとく駆け抜けてきたその執念には驚きを禁じえません」
黒国ムーゼッグ。
一人の天才を擁立し、力を得るために悪辣な〈魔王狩り〉を表裏から進め、この時代で最も世界の覇権に近い場所へと上り詰めた強国。
「しかし、いつまでもその暴虐がまかり通ると思ってもらっては困ります。たとえ世界が認めても、我々は認めない。――今日ここで、〈魔王〉の意地を知るが良い」
クリアの視界いっぱいに、彼方より来るムーゼッグの大軍勢が映っていた。
終:第十五幕 【天に掲げよ、その名の意味を】
始:第十六幕 【百魔の主】
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今後とも『百魔の主』を宜しくお願い致します。





