241話 「雷と炎と」
それを生き物と呼ぶのであれば、なるほど、世界の終わりに現れたる終末の獣と呼ぶべきであろう。
「くっ!」
八体の碧い炎の大蛇が出現した余波で、フランダーは北門付近から大きく吹き飛ばされた。
なんとか態勢を立て直し、かろうじてというところで倒壊していなかった建物の壁に真横に着地する。
顔をあげたときには碧い炎の大蛇がサイサリスの北側を蹂躙し始めていた。
「フランダー!」
そこへ、聞きなれた声がやってくる。
「セレスター……」
振り向くとそこに白い雷を身にまとった〈雷神〉セレスターがいた。
「これは――」
「フラム様だ。フラム様がみずからを〈炎神〉の生まれ変わりだと告げて術式を解放した」
「っ、そういうことか」
フランダーの言葉にセレスターは苦虫をかみつぶしたような表情で得心する。
「止めるぞ。止めなければこの国はまもなく更地になる」
「わかってる」
フランダーは立ち上がりながらうなずく。
「構成術式は件の〈紺碧の死炎〉と変わらずか」
「少なくとも今呼び出した大蛇に関しては。でもあれは生者にしか反応しない。僕たち相手にあれを使ったわけではなく、人民を虐殺する〈悪徳の魔王〉の象徴として使ったんだろう」
「周囲一帯に人はそう多くない。じきに東側に現れた海賊の襲撃から逃げてくる人間がやってくるだろうが、まだ少し時間がある」
セレスターが向こうに見える青黒き大蛇を見ながら術式を展開する。
「私が先行する。隙があれば私ごとやれ」
セレスターの体に再び白雷が弾ける。
その様子を見ながら、フランダーは注意を喚起するように言った。
「……フラム様はあの大蛇だけで〈炎神〉と呼ばれたわけじゃない。象徴的な術式には違いないけど、そもそもあの人は文字を覚えるよりも先に戦場に身を置いていた生粋の戦闘者だ」
「言われなくてもわかっている。――私がこういう身の上でなければ、相対した瞬間に一目散に逃げているところだ」
セレスターにしては珍しい冗談めかした言葉だった。
「あの馬鹿がいれば多少は役に立ったろうに、肝心な時にいないのでな」
セレスターがやれやれと肩をすくめながら苦笑して、最後にフランダーの方を見た。
「ではな、フランダー。――いずれまた、あの天で」
今生の別れのごとく言って、セレスターは白い雷となってその場から弾けた。
◆◆◆
「――セレスターか」
雷速に達した上での体感であと十数歩というところ。
フラムの目が自分のことを正確に捉えたことをセレスターは察した。
「――」
セレスターはフラムの言葉には答えず、紺碧の大蛇の体を避けるようにフラムの領域に踏み入り、側面から手刀を差し込む。
常人であれば声を出す間もなく首を切り落とされている速力であった。
が――
――っ、怪物め。
セレスターの手刀はなにげなく差し出されたフラムの手によって正確に出所を潰される。
「私の攻撃を生身で受け止めるのはタイラントかあなたくらいなものだ」
言葉を残し、しかしセレスターは極力その場にとどまらない。
すぐさま離脱し、術式を解放する。
「〈雷槍・時雨〉」
セレスターの掲げた手の上に広がった術式陣から、まばゆい光と共に数本の雷の槍がフラムに向かって走る。
その雷の走る速度たるや、瞬きをしようものなら存在すら感知しえないような瞬撃であった。
「悪くない。腕を上げたな」
しかし、やはりフラムはそれを生身の手で掴みとっていた。
いっそのことなにかの間違いであれと、かの〈雷神〉とも呼ばれた男が心の中で嘆息をしてしまうような光景だった。
――存在そのものがバグっている。
かつてメレアが前世の言葉でそうフラムを形容していたのをセレスターは今さらながらに思い出す。
「では、私もそろそろ別の術式を使おう」
フラムが手につかみ取った雷の槍を握りつぶし、今度は逆に自分の術式を展開する。
「彼方へと貫き往け――」
フラムが前にかざした手に宿ったのは黒い炎だった。
それを見た瞬間、セレスターは叫んでいた。
「ッ、フランダアアアアアアアアアアアアアア――‼」
「〈炎砲・黒灼〉」
◆◆◆
フランダー=クロウ=ムーゼッグは、その魔眼によってほとんどの術式の効果を発動前に予測する。
同時、ほぼ無意識にその術式に対する反転式を脳内にはじき出し、相手の術式を相殺するための準備に取り掛かるが、そのときにとった行動はそういった本来のやり方とはまったく異なるものだった。
――無理だ。
結論。
セレスターと交戦していたフラムが一瞬のうちに展開させた術式は、量、密度、その複雑性、どれをとっても発動前に反転式を編めるレベルのものではなかった。
加えて、最も異質だったのが――
――込められた術素が多すぎる。
後追いで反転術式を生成し、そこに全力で術素を込めたとしても同じ圧量になるには時間が足りない。
――向きは東南、狙いは僕たちではなくサイサリスそのものの破壊。
ここで止めなければサイサリスの国土の四分の一は焼滅し、まだ比較的被害の少ない東門方面の人民の命も多数失われるだろう。
「多重式――〈氷魔の六枚盾〉」
フランダーは即座に反転式ではなく別の英霊の術式を借りてフラムの攻撃を止める算段をつけた。
フラムの術式陣が向いている方角に回り込みつつ、解けない氷を使った術式を得意としていた〈氷魔〉の防御盾を眼前に展開。本来は〈双盾〉と呼ばれる二枚盾であるが、それを複数重ねることで六枚とする。
「追加装填、〈土神の三尾〉、〈風神の六翼〉」
衝撃に耐えるために〈土神〉の三尾をアンカー代わりに地面に突き刺し、姿勢を保つために〈風神〉の翼で推進力を確保。
「――〈暴神の憤怒・二門封解〉」
最後にみずからの中の力のリミッターを解除する。
メレアと違ってフランダーは二つ目の門――〈王門〉までしか開くことができなかったが、生まれながらに天才と呼ばれたフランダーが、弱者のための術として創造された〈暴神〉の限界突破術を使うこと自体がすでに驚異的なことであった。
そして――
「っ!」
日輪模様を象ったフラムの術式陣から、この世のすべてを塗りつぶすかのごとき真っ黒な炎が光の砲線となって放たれた。





